読響の4月定期は正指揮者の下野竜也の指揮で次のプログラムが組まれた。
(1)芥川也寸志:エローラ交響曲
(2)藤倉大:アトム(読響委嘱作品・世界初演)
(3)黛敏郎:涅槃交響曲(合唱:東京混声合唱団)
興味の対象は、1977年生まれの若手作曲家、藤倉大。ヨーロッパでの高い評価が伝えられ、先日は「secret forest」が2009年度尾高賞を受賞したばかりだ。プログラムに掲載された紹介記事によると、来年1月にはシカゴ交響楽団から委嘱された新作が、ピエール・ブーレーズの85歳を祝う記念演奏会で、同氏の指揮により演奏されるとのこと。飛ぶ鳥を落とす勢いとはこのことだ。
演奏順とは異なるが、先に「アトム」の感想から記せば、曲は弦のポツン、ポツンとした単音から始まる。それらが微妙にズレながら音の数を増し、オーケストラ全体に広がる。電子音楽をきいているようで、電子音楽でやれば問題ないのに、生のオーケストラでやるのは大変だろうと思った。さすがに読響だから音楽になったが、別のオーケストラだったらグシャグシャになる可能性がある。
途中でパーカッションのみで演奏される部分があり(ここはやや冗長に感じられた)、その後、最終部分に入るが、これについては作曲者自身のプログラムノートに具体的なイメージが記載されている。
「最終部分のこの部分は、僕にしては珍しく(?)とてもジューシーな、とっても脂ののった、柔らかいけれど歯ごたえのあるテクスチャーを想像して作りました(こういうのが今晩の夕食だったらなー、と想像しながら)。」
なるほど、たしかに音の厚みが増すが、私は、この部分に来て、それまでの個性が薄れたように感じて、急に興味を失ってしまった。その状態のまま終わり、私としては判断保留になった。
1曲目の芥川也寸志の「エローラ交響曲」は、今やこの作曲家の代表作としての地位を固めつつあると感じる。冒頭の暗く無機質な音楽の土壌の上では、途中から入ってくる民族的なテーマが異質ではあるが、やがて両者が渾然一体となる展開は説得力をもつ。
黛敏郎の「涅槃交響曲」は、今になってみると、仏教の声明の使い方がプリミティヴのような気がするが、逆にそれ故の力強さがある。最終楽章の涅槃の音楽は、煩悩から解き放された悟りの音楽というよりも、日本的な美学に到達した劇的場面のようにきこえた。
かつてこの曲はもっと熱っぽく演奏されたが、昨日はクールな造形が際立った。作曲当時の同時代的なコンテクストから離れて、作品としての評価が始まっていると感じた。
(2009.04.07.サントリーホール)
(1)芥川也寸志:エローラ交響曲
(2)藤倉大:アトム(読響委嘱作品・世界初演)
(3)黛敏郎:涅槃交響曲(合唱:東京混声合唱団)
興味の対象は、1977年生まれの若手作曲家、藤倉大。ヨーロッパでの高い評価が伝えられ、先日は「secret forest」が2009年度尾高賞を受賞したばかりだ。プログラムに掲載された紹介記事によると、来年1月にはシカゴ交響楽団から委嘱された新作が、ピエール・ブーレーズの85歳を祝う記念演奏会で、同氏の指揮により演奏されるとのこと。飛ぶ鳥を落とす勢いとはこのことだ。
演奏順とは異なるが、先に「アトム」の感想から記せば、曲は弦のポツン、ポツンとした単音から始まる。それらが微妙にズレながら音の数を増し、オーケストラ全体に広がる。電子音楽をきいているようで、電子音楽でやれば問題ないのに、生のオーケストラでやるのは大変だろうと思った。さすがに読響だから音楽になったが、別のオーケストラだったらグシャグシャになる可能性がある。
途中でパーカッションのみで演奏される部分があり(ここはやや冗長に感じられた)、その後、最終部分に入るが、これについては作曲者自身のプログラムノートに具体的なイメージが記載されている。
「最終部分のこの部分は、僕にしては珍しく(?)とてもジューシーな、とっても脂ののった、柔らかいけれど歯ごたえのあるテクスチャーを想像して作りました(こういうのが今晩の夕食だったらなー、と想像しながら)。」
なるほど、たしかに音の厚みが増すが、私は、この部分に来て、それまでの個性が薄れたように感じて、急に興味を失ってしまった。その状態のまま終わり、私としては判断保留になった。
1曲目の芥川也寸志の「エローラ交響曲」は、今やこの作曲家の代表作としての地位を固めつつあると感じる。冒頭の暗く無機質な音楽の土壌の上では、途中から入ってくる民族的なテーマが異質ではあるが、やがて両者が渾然一体となる展開は説得力をもつ。
黛敏郎の「涅槃交響曲」は、今になってみると、仏教の声明の使い方がプリミティヴのような気がするが、逆にそれ故の力強さがある。最終楽章の涅槃の音楽は、煩悩から解き放された悟りの音楽というよりも、日本的な美学に到達した劇的場面のようにきこえた。
かつてこの曲はもっと熱っぽく演奏されたが、昨日はクールな造形が際立った。作曲当時の同時代的なコンテクストから離れて、作品としての評価が始まっていると感じた。
(2009.04.07.サントリーホール)