中野笑理子のブログ

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共感しすぎるのもツラいのよ

2017年03月28日 | 日記
会社帰りの電車の中で読み始めた小説が、始まりからかなり暗いお話で、読んでいるうちにどんどん気分が落ち込んできまして、困ったなぁ……なのであります。

小説の中の季節もちょうど今時分の春先で、そしてまた今日は夕方から冷たい雨が降りだしたりして、小説の舞台装置かと思うほど、どよんとした気分にはまりこんでしまいました。

昭和の終わりのバブル前夜の頃の大阪が舞台で、出てくる地名も全部知っている所で、読みながらいたたまれない気持ちになってきて、でも本を閉じることができない。

これはもう作者の思うつぼ、どっぷり共感してしまっている、ということなんでしょうね。
これは小説やで、作り話やで、嘘やで、ともうひとりの自分が懸命に囁きますが、わかっていてもズブズブにハマってしまう底無し沼のような小説の世界。

これは作者の技術によるものなのか、それともこの小説のような暗い闇の素地のようなものが私自身の中にあるからなのか、湯船の中で考えてみましたが、答えは出ませんでした。
きっと両方なのでしょう。

けれども、ただ技術だけで、想像だけで、ここまで書けるものなのか、それともそれができるからプロなのか。
考えてみますと、どうも技術だけでも想像だけでもないような気がするのです。

ある小説家の方が「小説は根も葉もある嘘」と仰っていました。
書いていることすべてが経験したことではないけれど、まったく経験したことのないことは書けないと思うのです。
まったくの事実ではないけれど、それに似た経験がきっと作者にはあるのでしょう。
そう思うと、主人公である作者自身が可哀想というか、愛しいというか、またもや共感の底無し沼に沈みこんでしまうのであります。

太宰治のような自分が生まれる遥か前の暗さとは違う、もしかしたら主人公と梅田ですれ違っていたかもしれない、と思う身に覚えのある暗さ。

まだ序盤ですが、ここまで疲労困憊してしまう小説は、久しぶりです。
この先、一条の光のような希望が差すのか、それともこのまま、さらに重く暗く終わるのか、どうしよう、疲れているのにやめられません。