わくわく CINEMA PARADISE 映画評論家・高澤瑛一のシネマ・エッセイ

半世紀余りの映画体験をふまえて、映画の新作や名作について硬派のエッセイをお届けいたします。

名作西部劇「シェーン」[デジタルリマスター版]公開

2016-04-09 13:38:17 | 名作映画・名シーン

 ジョージ・スティーブンス監督の西部劇「シェーン」(1953年)が、デジタルリマスター版で公開されます(4月9日封切)。スティーブンス監督(1904~1975)は、「陽のあたる場所」(1951年)、「ジャイアンツ」(1956年)などで知られるアメリカの名匠。「シェーン」は、西部劇というジャンルを超えた名作として評価された。内容は、日本の股旅ものと設定が似ている、流れ者のガンマンのお話だ。では、どこが名作とされた所以なのか? それは、西部に入植した開拓農民の視点から、彼らの辛苦がとらえられているからだろう。そして、抑制が効いたガン・アクションと共に、時代に取り残されつつある男の矜持や、開拓者一家との心の交流を抒情的に描いていることから“新たな西部劇”と呼ばれたのです。
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 舞台は、南北戦争後のアメリカ西部ワイオミング州。厳しい自然と、土着の悪徳牧場主ライカー(エミール・メイヤー)との争いに苦しむ開拓者のリーダー、ジョー(ヴァン・ヘフリン)一家のもとに、ひとりの流れ者がやって来る。シェーン(アラン・ラッド)と名乗る男は、拳銃を身に着け、柔らかな物腰ながら隙が無い。ジョーと妻マリアン(ジーン・アーサー)は、初めは警戒したが、ライカー一味の嫌がらせにあった彼らに加勢をしたことから、シェーンはジョーの家に留まることになる。一家のひとり息子ジョーイ(ブランドン・デ・ウィルデ)は、いかにも西部の男らしいシェーンに憧れる。また、マリアンも彼に心を惹かれ、ジョーとシェーンにも友情が芽生える。だが、利権を守ろうとするライカーは、殺し屋ウィルソン(ウォルター・ジャック・パランス)を雇い、開拓者グループの追い出しを企む。
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 19世紀末の西部開拓時代。最初に西部に定着して広大な土地を所有したのは牧牛業者だった。彼らの敵は、牧草を食い荒らす牧羊業者と、東部から流れて来た開拓者たちである。「シェーン」は、そうした史実にのっとっている。また、この作品は、西部劇には珍しいホームドラマ的要素も備えていた。土地に定着しようとするジョー一家には、温かい雰囲気が溢れている。更にシェーンは、主婦マリアンにひそかな慕情を抱き、ジョーイ少年にも愛を注ぐ。そして、一家を取り巻く開拓者たちの堅い絆。こうした人間味は、いままでシェーンに欠けていたものだった。いつしか彼は拳銃をしまい込んで、ジョー一家で働き、新しい未来を見つけようとする。このような展開は、かつての硬派な西部劇と一線を画すものだった。
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 シェーンを演じたアラン・ラッド(1913~1964)は、身長168センチと小柄ながら、精悍なマスクと鋭い身のこなしで売り出した。クライマックスでのガンファイト。黒づくめの殺し屋ウィルソンと対決するシェーン。彼の0.6秒といわれる目にも止まらぬ早撃ちと、アラン・ラッドがクルクルッと拳銃を回してホルスターに収める手並みの鮮やかさが、ガン・アクションの名場面となり、当時のファンを沸かせた。また、西部に悪名轟く不敵な殺し屋ウィルソンを演じたジャック・パランス(1920~2006)に、ウォルターというファーストネームがあったとは知らなかった。いかつい容貌と鋭い眼差し、ニヤリと笑った時の不気味さ。彼も本作で売り出し、以後、息長く脇役や準主役として活躍、強い印象を残した。
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 また終幕も、西部劇史上に名高いラストシーンとなる。「シェーン! カム・バック!」―ジョーイ少年の叫び声が、遥かな山々にこだまする。ひとり馬にまたがって、遠い山並みをめざして去って行くガンマン、シェーン。ヴィクター・ヤングのヒット曲「遥かなる山の呼び声」の抒情たっぷりなメロディーが流れる。このラストについては、当時、ある解釈がほどこされた。ライカー一味との酒場での決闘で、シェーンは背後から撃たれて傷ついた。遥かな山並みに向かって去って行くシェーンは、ひとりで死ぬために山を目指すのだと。なぜなら、ジョーイ少年から離れるに従って、馬上のシェーンは徐々に肩を落とし、くずおれていくではないか。確かに、そう言われれば、そうかもしれない。画面をデジタル処理された新版で、目を凝らして、それを確かめられたら、いかがだろうか。(★★★★)



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