孤独死(特に年配者の)は、現代の深刻な問題である。このテーマに真摯に取り組んだのが、英・伊合作「おみおくりの作法」(1月24日公開)です。監督(兼脚本・製作)のウベルト・パゾリーニはイタリア出身、名匠ルキノ・ヴィスコンティ監督は大叔父に当たるそうだ。彼は、イギリス映画「フル・モンティ」(97年)の製作を手がけて注目され、監督作は今回で2作目になる。パゾリーニ監督は、たったひとりで亡くなった人の葬儀を行う仕事に触れた新聞記事に着想を得たという。孤独、死、人とのつながり。同監督は、ロンドン市内の民生係に同行し、綿密な取材を重ねて、几帳面で誠実な地方公務員の物語を作り上げた。
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ロンドン市ケニントン地区の民生係、ジョン・メイ(エディ・マーサン)。ひとりきりで亡くなった人を弔うことが、彼の仕事だ。事務的に処理することもできるこの仕事を、ジョン・メイは誠意をもってこなしている。だが、人員整理で解雇の憂き目にあい、自分の向かいの家に住んでいた男ビリー・ストークの死が最後の案件になる。目の前に住みながら、言葉も交わしたことのない故人。しかし、ジョン・メイはビリーの人生を紐解くために、これまで以上に熱意をもって仕事に取り組む。そして、故人を知る人々を訪ね、イギリス中を旅し、出会うはずのなかった人々とかかわっていくことで、自分も新たな人生を歩み始める…。
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なによりも、エディ・マーサン演じるジョン・メイのキャラクターがユニークだ。44歳で独身。笑顔は苦手で、服装は常にスーツにコートにベストが基本。夕食は、いつも魚の缶詰と食パンとリンゴと紅茶。几帳面で、部屋はきれい。見送った人の写真は、自宅のアルバムに貼る。彼流の仕事とは、故人に関する写真を見つけ、宗教を探し出す、その人に合った弔辞を書く、葬儀にふさわしいBGMを選ぶ、故人の知人を探して葬儀に招待する、自ら葬儀に列席する、という具合。亡くなった人々の魂が、品位ある方法で眠りにつくのを最後まで看取るのがジョン・メイの作法だ。イギリスでは、地方公務員がここまでするのかと感心するが、「仕事に時間をかけすぎる(丁寧すぎる!)」のが解雇の一因になることで、見るほうもガックリする。
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現代人の孤独(=孤独死)、肉親や地域との断絶。映画は、ジョン・メイの行動を通して、現代人の不毛な人生を静謐に、しっかりした語り口であぶりだす。しかし、ひたすらにシリアスなドラマというわけではない。終始むっつり顔のジョン・メイが、几帳面に仕事をこなしていくくだりは、ちょっぴり笑いを誘ったりする。ビリーの元戦友との会話では、フォークランド紛争におけるサッチャー批判も行われる。ついにビリーの娘ケリー(ジョアンヌ・フロガット)を見つけ出したジョン・メイが、彼女に愛を感じ、心を触れ合わせることで、これまで自分を縛ってきた決まりきった日常から解放されるくだりが、実に微笑ましい。
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パゾリーニ監督は、日常リアリズムの手法で現代社会の非情さを浮き彫りにすると同時に、ジョン・メイ像の中に心の温もりを映し出す。演出は、映像と展開、セリフ&ドラマ構成ともに、ほぼ完璧。主役のエディ・マーサンはイギリスの実力派俳優だが、今回が初主演になる。苦虫を噛み潰したような、いかにも公務員面ともいうべき無表情の陰に潜めた心からの思いやりと温かさ。パゾリーニ監督は、「私たちの社会の質は、最も弱い者に対して社会が置く価値によって測られると思う」と言う。そして、視覚的には小津安二郎監督晩年の作品を参考にしたそうだ。だが、これほど精魂を尽くしてきたジョン・メイを最後に待ち受けているものは? それは、思いもかけない運命の皮肉なのである。(★★★★★)
北欧フィンランド発、知的障害者だけのパンクバンドを追った異色のドキュメンタリーが「パンク・シンドローム」(1月17日公開)です。彼ら4人組のペルッティ・クリカン・ニミパイヴァトは、2009年にヘルシンキでNPOリュフトゥ主催のカルチャーワークショップで結成されたパンクバンドだ。リュフトゥは、知的障害を持つ成人たちにワークショップだけではなく、住居と教育を提供している。バンドのギタリスト、ペルッティ・クリッカは、ヴォーカルのカリ・アールトとともに作詞・作曲を担当する。他のふたりのメンバーは、ベーシストのサミ・ヘッレとドラマーのトニ・ヴァリタロ。ふたりの監督ユッカ・カルッカイネンとJ-P・パッシが、彼らに密着して素晴らしいドキュメントを作り上げました。
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フィンランドのパンクシーンを賑わす、破天荒なバンドが現れた。しきりに服の縫い目を気にするギターのペルッティ(57)、足の爪くらい自分で切りたいヴォーカルのカリ(38)、美人議員が大好きなベースのサミ(41)、自宅を出たがらないドラムのトニ(32)。知的障害を抱えるこの4人の個性がぶつかり合うパンクバンド名は“ペルッティ・クリカン・ニミパイヴァト”(ペルッティ・クリッカの名前の日、という意味)。ワークショップの一環で結成された彼らの練習は一筋縄にはいかず、泣き出すメンバーがいたり、言い争いも勃発。だが、パワフルで激しいパフォーマンスと過激な歌詞が評判となり、人気に火がつく。カメラは、彼らの日常生活から、CDデビュー、海外ツアーまで、成功と紆余曲折の軌跡を丹念に追う。
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メンバーは、エネルギッシュで、ひたむき、感情的に純粋で、思っていることを素直かつ過激に音楽で表現する。たとえば、彼らの曲の歌詞から拾ってみれば…。「精神科施設のメシはまるで豚のエサ」「いつかグループホームを爆破してやる」「少しばかりの敬意と平等が欲しい」「施術師のバカ野郎、俺の時間を奪うな!」「権力者はペテン師だ。俺たちを閉じ込める」「国会じゃ議員さんがあれこれ話してるけど、言ってることが全然分かんねえ。国会なんか大嫌いだ。こんな社会大嫌いだ」などなど。それらの歌詞には、本能的な反体制的怒りがこめられている。世界一アナーキーでクールなパンクバンドといわれる彼らがぶつける社会への不満や怒りは、多くの人々を魅了し、笑わせ、元気づけているといいます。
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同時に、映画は彼らの人間的な側面も浮き彫りにする。サポート付住宅に住むペルッティは、演奏がうまくいかないと泣き出し、誕生日を祝われて涙を流す。そして、いやなことすべてを日記に吐き出して憂さを晴らす。グループホームに住むカリは激情的で、恋人といつか結婚したいと思っている。同じグループホーム暮らしのサミは英語が堪能、なにかとカリとぶつかり合って言い争う。トニは実家で暮らしており、両親は彼が独立してグループホームに住むことを望むが、どこへも引っ越したがらず、かえって両親の老人ホーム入りを望んでいる。トニが、淡い失恋を経験するくだりが微笑ましい。それでも彼らは、一旦ステージに上がると、別人のようにパワフルで激しいパフォーマンスを繰り広げ、人々を驚かす。
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なかでも、とりわけフィンランドの障害者ケアのきめ細やかさには感心する。だが映画は、ケアされているからこそ生活と音楽活動が保障されているという事実と、ケアされない“自由な”生活にあこがれる心情との矛盾をも取り上げていく。「彼らミュージシャンたちは、徹底して誠実だ。なんであれ、思うがままに喋り、感じるままに振る舞う。この映画が、彼らを個人として、また完全な人間として理解すべきである、と人々に気付かせてくれることを願う」とパッシ監督は言う。ともあれ、対立あり、仲直りあり、自由奔放で直情的、無限な能力を持つ彼らをカメラに収めることは大変だったと思うが、4人のキャラをみごとにとらえている。願わくば、彼らの演奏をもっと聞きたかったと思うのだけれど。(★★★★)
大森寿美男監督は、映画デビュー作「風が強く吹いている」(09年)で、箱根駅伝をテーマに爽やかな青春ドラマを見せてくれた。彼の2作目が「アゲイン 28年目の甲子園」(1月17日公開)です。重松清の原作をもとに、憧れの甲子園を目指す高校野球部のOB/OGたちの姿を描く感動物語。この“マスターズ甲子園”は、高校野球部の卒業生が、世代、性別、甲子園出場経験の有無、元プロ・アマチュアなど、キャリアの壁を乗り越えて出身校別にチームを結成、甲子園球場を目指す大会だ。2004年に神戸大学発達科学部に大会事務局が発足し、いままで11回を積み重ね、元高校球児たちの第二の夢の場所となっているという。
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元高校球児・坂町晴彦(中井貴一)のもとに、亡くなった元チームメートの娘・美枝(波瑠)が訪ねてくる。そして、マスターズ甲子園の学生スタッフとして働く彼女から大会への参加をすすめられるが「いまさら」と断る。28年前の事件―坂町たちが甲子園に行けなかった原因は、実は美枝の父が起こした暴力事件にあったのだ。それは思い出したくない過去であり、美枝には話したくなかった。だが、父の思いを追い求める美枝と接するうち、坂町は離れて暮らす娘と向き合ってこなかったことに気付く。そして、思い出を締め出すことで、自分を欺き続けてきたことも。しかし、あの夏に決着をつけなければ前に進めない。坂町は、ピッチャーの高橋(柳葉敏郎)ら元チームメートと再び甲子園を目指すことを決意する。
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ドラマの縦糸となるのは、中年の元球児たちが未体験の甲子園出場を目指して悪戦苦闘する姿と、彼らの高校時代のフラッシュバックだ。横糸になるのは、彼らオヤジ球児たちをめぐる親子、夫婦、チームメートらとの相克です。たとえば、中井貴一演じる坂町は川越学院野球部の元キャプテン、離婚した妻が亡くなって以来、一人娘の沙奈美(門脇麦)とも絶縁状態。恋人と同棲している沙奈美は、事ごとに坂町に反発する。また、仲間の高橋はリストラにあい就職活動中。美枝の父親は、27年間出されることがなかった年賀状をチームメートに書き続け、離婚してからは娘と離れて暮らし、故郷の東北で3:11の震災で命を落とす。元チームメート内では、美枝の父が起こした過去の事件をめぐって騒動が起こる。
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しかし、こうした登場人物の因果関係が、型通りのメロドラマになってしまっていることは否めない。マスターズ甲子園では“甲子園キャッチボール 親子編・旧友編”と題して、大会出場者が大切な人とキャッチボールを行うプログラムがあるという。劇中、坂町が駆けつけた娘とキャッチボールをするくだりなどにはホロリとさせられる。だが、それ以外の地方大会をはじめとする試合のシーンなども物足りない。作品全体が、いまふうの装いを持つ、お涙ちょうだいのプロットで成り立っている。実際のマスターズ甲子園のドキュメント・シーンも取り込んで、もっと締まったドラマ作りをしていたら面白くなったのに、と残念だ。
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そんな中で見どころを探すと、若い出演者たちの魅力だ。たとえば、チームメートの期待を裏切った父親の軌跡をたどる美枝に扮した波瑠がチャーミングで、好演を見せる。亡くなった父の野球への思いを察し、坂町らを誘う際のひたむきさ。そして、父が起こした事件の秘密を知った時の衝撃。波瑠は、そんな純粋な娘の心理の移ろいを巧みに表現する。また、坂町の高校生時代を演じる工藤阿須加の父親は元プロ野球選手の工藤公康で、熱血漢ぶりを見せる。ロケーション撮影は、越谷市民球場など埼玉各地、美枝の父の地元とされる石巻、神戸大学発達科学部のグラウンド、阪神甲子園球場などで行われている。(★★★+★半分)
中国から、かつてない新感覚のフィルムノワールが誕生しました。新鋭ディアオ・イーナン監督・脚本の「薄氷の殺人」(1月10.日公開)です。不気味な連続バラバラ殺人事件、それを追う元刑事、事件の陰に潜む謎の女性の存在。ディアオ監督は、撮影前にノワール映画の名作「マルタの鷹」について考え、「第三の男」を何度か見直し、「黒い罠」のオープニングでの、オーソン・ウェルズによるみごとな長回しのテイクに注目したという。そして、「そうだ、映画には幾通りもの表現方法がある。自分の直観に従って撮影すべきだ」と思ったそうだ。その結果、いままでの中国映画には見られない斬新な犯罪サスペンスが生まれ、ベルリン国際映画祭で金熊賞(グランプリ)と銀熊賞(主演男優賞)の二冠に輝いた。
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1999年、中国・華北地方。6都市にまたがる15か所の石炭工場で、ひとりの男の切り刻まれた死体の断片が次々と発見される。私生活に問題を抱えた刑事ジャン(リャオ・ファン)が捜査を担当するが、容疑者の兄弟が射殺されたために真相は闇に葬られる。そして2004年、刑事をやめ警備員になったジャンは、5年前と似た手口のふたつの殺人事件を警察が追っていることを知り、独自の捜査に乗り出す。被害者たちは殺される直前、いずれも若く美しい未亡人ウー(グイ・ルンメイ)と親密な仲だった。それは単なる偶然なのか、あるいはウーは男を破滅に導く女なのか。やがてジャンも、その“疑惑の女”に心を奪われていく…。
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まず、登場人物のキャラクター設定がいい。妻に捨てられ、ケガのせいで警察をやめ、警備員として生計を立てながらも、生きる目的を失って負け犬根性に取りつかれ、酒浸りの日々を送る元刑事ジャン。クリーニング店に勤め、陰に男たちの姿がちらつく未亡人ウー。ジャンはウーの勤務先に客を装って入り込み、彼女の謎めいた美貌に目を奪われ、独自の調査によって事件を解明しようと決意する。そして、ウーを屋外スケート場でのデートに誘い、観覧車で彼女と愛を交わす。やがてジャンは、スケート靴を履いた足を切断された、ふたりの被害者を手にかけたと思われる、スケート靴を肩にかけた男の正体に迫っていく。
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しかし、ドラマは起承転結のはっきりした犯罪サスペンスの形はとらない。最後に事件は決着をみるように思われるが、不明な点も残す。つまり映画は、つじつま合わせや謎解きを排し、セリフも少なく、混沌とした犯罪を素材に暗澹たる人間像をとらえ、元刑事ジャンの再生を描いていくのだ。とりわけ、中国東北部ハルビンを中心にロケ撮影されたバックグラウンドが印象的だ。石炭工場のベルトコンベア上で発見される死体の一部。雪が凍り付いた薄暗い路地。ほとんど照明が届かず、だだっ広く侘しい屋外スケート場。夜の闇にけばけばしいネオンだけが目立つナイトクラブ。そして、花火が幻のように炸裂するラストシーン…。
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ディアオ監督は言う。「私は、論理的な行動や、はっきりした善悪の線引きや、明らかな動機を持つキャラクターといった、伝統的な表現方法を覆すのが好きだ」と。更に「私の描くキャラクターは全員、生きることと夢の狭間をさまよっている。彼らの人生は危なっかしい。人生を欺いていると言ってもいい。私は、彼らに大いに共感する」と。加えて、舞台は大都会ではなく、さびれた地方都市。つまり本作は、フィルムノワールのスタイルを保ちながら、経済繁栄を誇る現代中国とは縁遠い、華北の澱んで沈んだ風景の中でアイデンティティーを失っていく人々の姿をリアルにとらえた群像劇といってもいいだろう。(★★★★)
恒例の2014年公開・外国映画&日本映画ベスト・テンを選んでみました。詳細は、以下の通りです。
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<外国映画>
①「郊遊〈ピクニック〉」
(監督:ツァイ・ミンリャン 蔡明亮/台湾・仏)
②「罪の手ざわり」
(監督:ジャ・ジャンクー/中・日)
③「馬々と人間たち」
(監督:ベネディクト・エルリングソン/アイスランド・独・ノルウェー)
④「北朝鮮強制収容所に生まれて」
(監督:マルク・ヴィーゼ/独)
⑤「NO ノー」
(監督:パブロ・ラライン/チリ・米・メキシコ)
⑥「マップ・トゥ・ザ・スターズ」
(監督:デヴィッド・クローネンバーグ/カナダ・米・独・仏)
⑦「パークランド ケネディ暗殺、真実の4日間」
(監督:ピーター・ランデズマン/米)
⑧「ワレサ 連帯の男」
(監督:アンジェイ・ワイダ/ポーランド)
⑨「はじまりは5つ星ホテルから」
(監督:マリア・ソーレ・トニャッツィ/伊)
⑩「ミニスキュル~森の小さな仲間たち~」
(監督:エレーヌ・ジロー&トマス・ザボ/仏)
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<日本映画>
①「蜩ノ記」(監督:小泉堯史)
②「救いたい」(監督:神山征二郎)
③「夢は牛のお医者さん」(監督・時田美昭)
④「まほろ駅前狂騒曲」(監督:大森立嗣)
⑤「舞妓はレディ」(監督:周防正行)
⑥「バンクーバーの朝日」(監督:石井裕也)
⑦「滝を見にいく」(監督:沖田修一)
⑧「柘榴坂の仇討」(監督:若松節朗)
⑨「紙の月」(監督:吉田大八)
⑩「小さいおうち」(監督:山田洋次)
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ツァイ・ミンリャン監督の「郊遊<ピクニック>」は、邦洋を問わず昨年のベストワンでした。台北の廃墟をねぐらに、路上生活同然の日々を送る父親と幼い息子と娘。父は失業し、不動産広告の看板を掲げて路上に立つ。子供たちは、スーパーの試食コーナーで腹を満たす。ツァイ監督は、カメラの長回しで登場人物の心理の移ろいを凝視する。雨の日も風の日も、車の往来の激しい路上に立つ父親。父子が、スーパーの裏で試食用の弁当をむさぼり食うシーン。赤い色で顔を描いたキャベツを廃墟でかじり続けて慟哭する父親。父と女(別れた妻?)との無言の接触を延々ととらえるラスト。本作は、豊饒な映像で人間の絶対的な孤独と、現代社会の不条理を突き付けます。映画界への不信に陥ったツァイ監督は、これで劇場用映画からの引退を発表。まだまだ前衛的な映像の行き着く先を見たかったのですが…。
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これと並んで傑作だったのが、中国の格差社会への怒りを叩きつけたジャ・ジャンクー監督の「罪の手ざわり」です。実際に起こった4つの事件をもとに、市井の人々による権力への断罪を描く。また、アイスランドの「馬々と人間たち」は、馬の視線から人間の営みをとらえた破天荒な作品。チリ映画「NO ノー」と、ポーランドのワイダ監督作「ワレサ 連帯の男」も、ユニークな筆致を持つ作品でした。前者は、独裁政権の信任を問う国民投票キャンペーンの担当者が、実は商業主義的な手法を採るくだりが皮肉たっぷり。後者では、連帯の指導者で民主化革命をリードしたレフ・ワレサの甘い私生活や傲慢な素顔を浮き彫りにする。文字通り、この世界に“ノー”を唱えた秀作が多かったのが04年の特色でした。
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日本映画で全面的に共感したのは、ベスト3まで。黒澤明監督の愛弟子だった小泉堯史監督「蜩ノ記」は、葉室麟原作の異色時代劇。10年後に切腹という藩命を受けた侍が、家族や助手らと残された日々をいかに過ごしたか。権力側の策謀に操られ、生死の境に追い詰められた宮仕えの侍の宿命を緻密な心理ドラマとして描き出す。主人公を演じる役所広司が、寛容で一途、純粋な侍の姿を体現して、心が爽やかになる後味を残した。もう1本の時代劇、若松節朗監督の「柘榴坂の仇討」は、井伊直弼が暗殺された桜田門外の変に材をとった作品。事件に振り回された敵味方の侍の試行錯誤と攻防を描いた作品だが、物語を貫く侍精神というテーマがステレオタイプで、余りアクチュアリティーが感じられなかった。
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こうしたメジャー系作品に対して、インディペンデント系にリアリティーのある作品が目立った。神山征二郎監督「救いたい」は、仙台で3:11の被災者のために尽くす医師と麻酔科医夫妻を主人公にした感動の実話映画化。神山監督は、被災地の日常を詳細に映し出して、豊かなヒューマン・ドラマを作り上げました。時田美昭監督のドキュメンタリー「夢は牛のお医者さん」では、新潟中越地震にあった山古志村で、主人公の女性獣医が泥濘にはまった牛を救出するシーンに衝撃を受けた。また、沖田修一監督の「滝を見にいく」も、ユニークな発想を持つ佳作だった。滝見と温泉ツアーに参加した7人のおばちゃんたちが山の中で迷い、サバイバルする姿をユーモラスにつづった作品。製作費をかけた大作群に対して、日本のインディーズ作品は独自の手法で懸命に生きる人々の姿を真摯にとらえています。
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権力と対決し、あるいは人間の復権を謳いあげた作品が2014年には目立ったと思います。
そして、高倉健さん、菅原文太さん、映画評論家の品田雄吉さん、さようなら!!
今年も、尊敬すべき映画界の先人に恥じないような、革新的な作品に出会えますように…。