ポーランドの巨匠アンジェイ・ワイダ監督が、10月9日に死去した。享年90。第2次世界大戦中は対独レジスタンス運動に参加。一貫して、戦中は反ナチズム、戦後は社会主義ソ連に翻弄された祖国を思う心をテーマにした。長編監督デビュー作「世代」(1954年)、「地下水道」(1956年)、「灰とダイヤモンド」(1958年)は抵抗を続けるポーランドの若者たちを描いて“抵抗3部作”と呼ばれた。その後、のちに大統領となるレフ・ワレサを委員長とする自主管理労組“連帯”に共鳴。社会主義政権ヘの懐疑を主題にした「大理石の男」(1976年)、「鉄の男」(1981年)を発表。後者は、カンヌ国際映画祭パルムドールを受賞。81年の戒厳令で映画人協会会長の座を追われたが、86年に復帰。民主化後の1989年から91年まで、上院議員を務めた。2013年の「ワレサ 連帯の男」は盟友ワレサの伝記映画である。
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彼の作品中、もっとも印象に残るのは「灰とダイヤモンド」だ。そこで今回、この作品を見直してみました。第2次大戦中、ポーランドの対独レジスタンスには、ソ連と組んだ共産党系とイギリスに亡命政権を置いた自由主義系と、ふたつの組織があった。ソ連によるポーランド解放と介入は、自由主義系に幻滅をもたらす。彼らの一部は、テロリストとして共産党新政権に抗議した。映画の主人公マチェック(ズビグニエフ・チブルスキー)も、戦時中は対独戦争に身を投じ、戦後テロリストになった若者だ。終戦に沸く地方都市で、彼は新政権要人の暗殺を指令される。初め彼は、間違えて別の人間を殺してしまうが、その夜要人の暗殺に成功。その間、マチェックはホテルのバーで働くクリスティーナ(エヴァ・クジジェフスカ)と愛し合い、自分の生き方に疑問を抱く。だが、待っていたのは悲惨な末路だった。
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1947年に書かれたイエジー・アンジェイエフスキーの同名小説の映画化だ。題名の「灰とダイヤモンド」は、19世紀ポーランドの詩人ノルビッド作「舞台裏にて」の一節から採られ、マチェックとクリスティーナの逢い引きシーンにも引用される。第2次大戦初め、ソ連はドイツに呼応してポーランドの半分を占領、大戦末期になると対独レジスタンスへの支援を拒否。戦後も、ソ連はポーランドに武力介入した。映画は、そんな複雑な政治状況を巧みに反映する。ナチスに対して共に戦った人々が、戦後は分裂して権力闘争するという不条理。そんな中で、テロリストとして翻弄される青年マチェック。彼は何のために戦ったのか? 映画製作当時、ポーランド映画人は脚本を当局に提出し、検閲を受けなければならなかった。ワイダ監督は、検閲に通った本作の脚本を、撮影時にクルーと共に改変したという。
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この作品はモノクロだが、素晴らしい場面がいくつかある。まず、マチェックとクリスティーナが、雨の中、崩壊した教会で逢い引きするくだり。そこでは、キリスト像がさかさまにぶらさがって揺れている。古い墓石には碑文が彫られている。ノルビッド作の詩の一節だ。更にマチェックが要人を暗殺するくだり。雨上がりの夜、終戦を祝う花火が打ち上げられる。マチェックが相手を撃ち、倒れ込む体を抱きとめる。尾を引いて炸裂する花火が、ふたりをシルエットのように浮かび上がらせる。また、衝撃的なラストシーン(写真)。殺し屋としての生活に別れを告げ、ワルシャワに戻ろうとするマチェック。だが監視兵に見とがめられ、走り出す彼に弾丸が撃ち込まれる。白布が干してある洗濯場に逃げ込むが、その白布が血に染まる。瓦礫の上でのたうちまわり、ついに息絶えるマチェック。映画史上の名場面である。
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こうしたシンボリックなイメージと、ドキュメンタリー・タッチの映像が混合されて、本作は新時代の前衛としてもてはやされた。やがてワイダ作品を先駆として、ポーリッシュ・リアリズムと呼ばれる一派が台頭。彼らの革新的な主題と映像は、世界中に影響を及ぼした。マチェックを演じたズビグニエフ・チブルスキーは、薄い色のサングラスをかけ、ふるえるようなギラギラした感性で青春の焦燥と絶望を表現。混迷する1950~60年代の怒れる若者たちを共感させるアンチヒーローとなった。そして、ほぼ同時代に生きたジェームズ・ディーンとも比較された。もっぱらワイダ作品で活躍、1967年、40歳の時に事故死したあたりもジミーを彷彿とさせる。本作は、1959年のヴェネチア国際映画祭で国際映画批評家連盟賞を受賞。政治的な意味合いを持つ作品だが、青春映画としても名作のひとつに挙げられる。
アメリカの社会派監督シドニー・ルメットが、4月9日、リンパ腫のため、ニューヨーク市内の自宅で死去、86歳だった。彼の映画監督デビュー作「十二人の怒れる男」(57年・写真)は衝撃的だった。殺人事件で起訴された少年への評決をめぐって、12人の陪審員が議論し合うディスカッション・ドラマ。11人は有罪に投票するが、ヘンリー・フォンダ演じる男だけが希薄な証拠に疑問を持ち無罪を主張する。早く決着をつけて帰宅したい人々、少年への偏見をむき出しにする男。そんな空気の中で、フォンダ演じる主人公が、他の陪審員の論理を打ち崩していく。陪審員室から一歩も出ずに、ドラマはリアルタイムで展開し、陪審員制度の矛盾をつく傑作となり、ベルリン国際映画祭では金熊賞を受賞した。
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ルメットは、1950年代後半に脚光を浴びた、ハリウッド育ちではないTV出身のニューヨーク派の旗手といわれました。「十二人の怒れる男」も、レジナルド・ローズが脚本を書き、ルメットが演出したTVドラマの映画化だった。以後、時代を先取りする社会派として、「未知への飛行」(64年)、「質屋」(64年)、「セルピコ」(73年)、「狼たちの午後」(75年)、「ネットワーク」(76年)、「評決」(82年)などを発表。同時に、「オリエント急行殺人事件」(74年)、「ファミリービジネス」(89年)などの娯楽作で職人芸も披露。80年代中期以降は、問題意識の低いエンタメ作品でクオリティーが落ちたとも言われました。
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そんな中で記憶に残る作品は、まずアル・パチーノ主演の実話の映画化「セルピコ」でしょう。ニューヨーク市警にはびこる腐敗・汚職に、たったひとりで立ち向かう麻薬課刑事セルピコ。心身ともに追い込まれて、傷ついた彼が、絶望的な表情で街角に座りこむシーンが強烈な印象を残しました。また、核戦争の危機をテーマにした「未知への飛行」、視聴率ばかりにとらわれるTV局を痛烈に皮肉った「ネットワーク」も傑作でした。2005年には、米アカデミー賞の名誉賞を受賞。まさに孤高の作家だったといっていいと思います。
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今日で、東北関東大震災から1か月が経ちました。そんなとき、本日の夕方5時過ぎ、また福島・茨城で震度6弱の地震が発生、こちら埼玉県東部では震度5弱で、3:11以来の強い揺れを感じました。その後、かなりの間、余震が続いています。この大地震の余波は、いつまで続くのでしょう。もう、歯を食いしばって、耐えて頑張るしかないですね。
曇天の桜花(埼玉県春日部市郊外で)
クロード・シャブロルといえば、1950年代末以来、ジャン=リュック・ゴダールやフランソワ・トリュフォーらとともにフランス映画界のヌーベルバーグ(新しい波)としてセンセーションを呼んだ監督たちのひとりです。彼は、映画批評誌“カイエ・デュ・シネマ”で映画評を執筆。妻の祖母の遺産をもとに映画製作会社を設立したという変わりダネだった。監督2作目にあたる「いとこ同志」(59年)は、生真面目な貧しい青年と享楽的なブルジョワ青年の葛藤を乾いたタッチで描いて話題を呼んだ。同時に、アルフレッド・ヒッチコックに心酔して、「二重の鍵」(59年)、「殺意」(67年)などのスリラーを得意とした。手がけた長編作品は54本。2010年9月12日に、80歳で世を去っています。
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そのシャブロルが晩年期に発表した「引き裂かれた女」(07年)が、4月9日から公開されている。20世紀初頭のアメリカで実際に起きた情痴犯罪スタンフォード・ホワイト殺害事件をヒントに、舞台をフランスに移して製作されたもの。TVお天気キャスターの若い女性(リュディヴィーヌ・サニエ)が、プレイボーイの初老の人気作家(フランソワ・ベルレアン)と、大金持ちのドラ息子(ブノワ・マジメル)との間で歪んだ恋愛関係に溺れ、自己を見失っていく過程をとらえたサスペンス・ラブストーリー。男女のエゴイズムを冷徹に見据える視点と、効果的な音楽の用いかたが印象に残ります。
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ゴダールやトリュフォーら、ヌーベルバーグの他の監督たちが反体制的な姿勢を貫き、従来の映画作法をぶち壊そうとしたのにくらべると、1960年代中期以降のシャブロルは商業主義に堕したともいわれている。だが、皮肉な人間洞察の目と、特異なカメラアイで作られたミステリーやサスペンスには独特の味がありました。「引き裂かれた女」公開を機会に、「映画の國名作選Ⅱ クロード・シャブロル未公開傑作選」と題して、「最後の賭け」(97年)、「甘い罠」(00年)、「悪の華」(03年)が東京・渋谷シアター・イメージフォーラムで5月21日から同時公開。また、6月25日~7月17日には、渋谷ユーロスペースと東京日仏学院で「フランス映画祭2011年特別企画シャブロル特集」が開催される予定です。
ジャン=リュック・ゴダール監督は、1959年、初の長編作品「勝手にしやがれ」で映画界に衝撃を与え、フランス・ヌーベルバーグの旗手となった。ジャン=ポール・ベルモンド演じる主人公ミシェルは、世の中の道徳や慣習を無視して欲望のままに生きる青年。ゴダールは、ミシェルの生きざまを隠し撮りや即興演出で生き生きと描き出した。手法は、既成の映画文法をことごとく打ち破る画期的なもの。以後、彼の映像破壊はエスカレートしていき、思想的には極端に左傾化していく。1968年5月、<五月革命>がフランス全土を覆ったとき、彼は仲間のフランソワ・トリュフォーやクロード・シャブロルらとともに、ブルジョアの祭典と化したカンヌ国際映画祭粉砕を叫び、映画祭を中止に追い込みました。
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そのゴダールが、6年ぶりの長編劇映画「ゴダール・ソシアリスム」(12月18日公開)を発表した。今回も、モンタージュ、セリフ、音楽すべてにおいて、より一層破壊的で実験的なものになった。なによりも、題名が「ゴダール社会主義」だもんね。内容は3楽章のシンフォニー構成。第1楽章は、地中海を周遊する豪華客船を舞台に、さまざまな乗客の姿とヨーロッパの歴史が交錯する。以下、フランスの片田舎の家族のドラマ、上記の客船がたどる人類の歴史を築いた6つの場所が登場する。全編をHDカムで撮影、デジタル版で完成、ゴダール自身が35ミリ変換を完成したという。火花のように交錯・奔流する光と影と色彩、うねるような音響と音楽。ゴダールの挑発と挑戦の姿勢は、いまだに健在だ。
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この鬼才も、12月3日には80歳になる。それを記念して、同時に「ゴダール・ソシアリスム」公開を機会に「ゴダール映画祭2010」が開催されます。期間は11月27日~12月17日。開催場所は東京・日比谷のTOHOシネマズ シャンテ。上映作品は、「勝手にしやがれ」(59)、「はなればなれに」(64)、「気狂いピエロ」(65)、「ウイークエンド」(67)、「右側に気をつけろ」(87)、「JLG/自画像」(95)、「フォーエヴァー・モーツアルト」(96)、「映画史特別編 選ばれた瞬間」(04)、短編「シャルロットとジュール」(58)、短編「フレディ・ビュアシュへの手紙」(81)。世界の映画人に決定的な影響を及ぼし、いまだに進化を続けるゴダール。彼自身の映画史のエッセンスをすくいとることが出来る映画祭です。
5月1日のブログ記事の続編です。いま、1日に紹介した「川の底からこんにちは」で商業映画デビューした石井裕也監督に注目しています。彼は1983年生まれ。この作品の製作時は26歳。大阪芸術大学芸術学部映像学科と日本大学大学院芸術学研究課修了。大阪芸術大学卒業製作として「剥き出しにっぽん」(05年)を監督、第29回ぴあフィルムフェスティバル(PFF)2007年グランプリ&音楽賞を受賞。その他の作品もふくめて、ロッテルダム国際映画祭や香港国際映画祭で特集上映され、大きな反響を得た。香港で開催されたアジア・フィルム・アワードでは、第1回エドワード・ヤン記念アジア新人監督大賞を受賞。
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「川の底からこんにちは」では、一人の若い女性が、夢も希望もない生活の中で、故郷の実家のシジミ工場で奮闘する姿が描かれる。石井監督は、ヒロインに満島ひかりを起用。その茫洋とした個性を通して、現代の若者のやるせない心情をとらえながら、閉塞した社会に対して怒りをぶつける。といっても、単なるメッセージ映画ではなく、リアルな会話と日常描写で、ヒロインと彼女を取り囲む世界を見つめる。登場人物すべてが現実に息づき、過激な笑いを生み出していく手法がユニーク。映像・セリフ・音楽、すべてが自然なアンサンブルを奏でて、インディーズ出身の新鋭とは思えない成熟ぶりを見せている。
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それと並行して製作されたのが「君と歩こう」(5月15日公開)です。石井監督が「『川の底~』とはまったく違う、落語のような軽妙な作品を作りたい」として手がけたもの。田舎の女教師(目黒真希)と男子生徒(森岡龍)が、すべてを棄てて駆け落ちし、東京で新生活を営むさまを描く。ともに冴えない二人の、危うく、ぎこちない同棲生活と、彼らが出会う奇妙な人々とのふれあい。作品の仕上がりは「川の底~」には及ばないけれど、人生のおかしさと哀しみが散文的に描かれる。女教師が勤務するカラオケ店での、珍妙な客引き風景など、やはり日常描写が秀逸。石井監督の特色として、必ず自ら脚本を執筆して、等身大の人間像と世界観を投影する。将来が楽しみなニューウェーブ監督の登場です。
藤と牡丹
石楠花の大木