フランスのフィルムノワールの伝統を引き継ぐ代表的な監督が、「あるいは裏切りという名の犬」(04年)、「そして友よ、静かに死ね」(11年)のオリヴィエ・マルシャルだ。警察官出身で、体験を生かした渇いた語り口で、警察組織の闇やギャングの世界に迫る。彼の原案をもとに映画化された作品が、フレッド・カヴァイエ監督・脚本「友よ、さらばと言おう」(8月1日公開)です。カヴァイエは、フィルムノワールに現代的なアクションを持ち込んだ監督。「すべて彼女のために」(08年)、「この愛のために撃て」(10年)を発表し、前者はポール・ハギス監督によって「スリー・デイズ」という題名でハリウッド・リメイクされた。
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物語は、かつて同僚だった二人の刑事の友情と絆を軸に展開される。舞台は、南仏の港町トゥーロン。敏腕刑事シモン(ヴァンサン・ランドン)とフランク(ジル・ルルーシュ)は、長年コンビを組んできたが、不幸な事故がすべてを一変させる。シモンが飲酒運転で人身事故を起こし、刑務所に送られたのだ。6年後、刑期を終えたシモンは、警備会社に勤めるが、妻とは離婚、うらぶれた暮らしを送る。フランクはかつての相棒を気遣うが、閉ざされた心を開くことができない。そんなとき、シモンの最愛の息子が、偶然マフィアの殺しの現場を目撃。それは、フランクも担当しているマフィアの抗争の一環だった。目撃者である息子の命が狙われていることを知ったシモンは、フランクの助けを得てマフィアに立ち向かう。
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マフィアに追われる9歳の息子。6年ぶりにコンビを復活させたシモンとフランクが、敵の根城で繰り広げる銃撃戦。クライマックスは、フランスの超特急列車TGVがパリに向かって激走するなかでのマフィアとの攻防戦。そして明らかにされる意外な真実…。過去をモノクロで挿入しながら、スピーディーなアクションによって物語が展開。切れ味鋭い語り口とモンタージュも見どころだ。だが、従来のニューノワール作品と比べると、やや設定が平凡。9歳の少年が殺しを目撃→マフィアに追われる少年→二人の刑事の絆、という図式は、アメリカ製ポリス・アクションや、日本のヤクザ映画の設定と共通するものがある。
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カヴァイエ監督は言う。「まっすぐなアクション映画であると同時に、感情の奥底をリアルに表現し、かつてないような追跡劇と苦悩のドラマを両立させたいと思った」と。更に、「私は、人、魂、感情という3つの柱を通してアクションというジャンルに取り組んでいる。今回は、刑事という闘いに適した男たちを登場させたが、アクションのなかにも人間的な側面を表現することが大事だった」と語る。そうした意味では、50代半ばのヴァンサン・ランドンと、40歳を越えたジル・ルルーシュという俳優たちの渋いキャラクターが目立つ。だけど、どうもハリウッド的なドラマ作りが気になるのです。それにしても、邦題がアラン・ドロン、チャールズ・ブロンソン共演の傑作「さらば友よ」を思わせますね。(★★★)
「ゴジラ」誕生から60年、ハリウッドで新生ゴジラが復活した。新鋭ギャレス・エドワーズ監督による「GODZILLA ゴジラ」(7月25日公開)です。「ある意味で、ゴジラが体現しているのは“神の怒り”のようなものに近い。人間が世界にやってきたことに対して、自然が罰を下しているような意味合いでだ」と、エドワーズ監督は言う。更に、劇中で芹沢博士を演じた渡辺謙は語る。「脚本を読んだとき、人間がほとんど理解していない“力”を利用しようとすることの結果と、ゴジラの関連性を継承していることに感銘を受けた」と。そして、体長108メートルという巨大なゴジラが、フルCGと3D画面でよみがえった。
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映画は、フィリピンあたりで地殻変動が起こり、不気味な怪獣が出現するくだりから始まる。そして日本で原発が崩壊し、怪獣たちは放射能で成長、ハワイからサンフランシスコに移動し、それをゴジラが追うという設定だ。冒頭、1950年代の核実験の実写映像が入る。日本の原発では、アメリカの技術者夫妻ジョー(ブライアン・クランストン)とサンドラ(ジュリエット・ビノシュ=すぐ死んでしまうのが残念!)が事故に対処しようとする。そして、夫妻の息子で軍人のフォード(アーロン・テイラー=ジョンソン)や、芹沢博士らがゴジラのあとを追う。そして、ラストはサンフランシスコでの大決戦となる。
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背景には、確かに地震、原発、放射能といったリアルなテーマが潜んでいる。もっとも近い出来事でいえば、3:11の東日本大震災に対する鎮魂といってもいいだろう。しかし、ゴジラが体現する“神の怒り”がもたらすカタルシス(つまりゴジラに漂う悲哀と、夢のヒーローとしての存在感)が余り感じられない。渡辺謙演じる芹沢猪四郎博士は、オリジナル版で平田昭彦が扮したマッド・サイエンティスト(芹沢大助)と、志村喬扮する古生物学者(山根恭平)を融合させたような役柄だが、怪獣退治に躍起となるアメリカ側の顧問的な存在でしかない。エドワーズ監督は、「ゴジラが人間だったら、きっと“最後のサムライ”か、昔ながらの孤高の戦士ではないか」というが、果たしてそうだろうか。(★★★+★半分)
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並行して、NHK‐BSで放映された本多猪四郎監督のオリジナル版(ゴジラ生誕・第1作)「ゴジラ」(1954年)を再見しました。そして今更ながら、そのリアリティーと迫力の凄さに驚いた。当時は、米軍による広島・長崎への原爆投下から9年たち、ビキニ環礁での核実験や第五福竜丸の被曝で核の脅威が増幅されていた。そんな危機感を背景に、ジュラ紀の恐竜ゴジラが核実験によってよみがえる。放射能を吐き出すゴジラが、東京都心を破壊しつくすシーンは米軍による東京大空襲を思わせる。有楽町界隈を蹂躙するゴジラが象徴するのは、科学文明の不条理に対する怒りであり、人間の愚かさを否定する神の眼差しでもある。
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志村喬扮する古生物学者・山根は、防衛軍に攻撃されるゴジラの姿を悲しげに見守り、本当はその正体を探りたかったと語る。また、生物を抹殺する兵器を発明した科学者・芹沢(平田昭彦)は、最初、超兵器をゴジラに対して使用することを拒む。本多監督と特殊技術の円谷英二は、実に細かいカット割りでゴジラの怒りと悲哀と神聖と、愚かな地上の人間たちの右往左往をみごとに描き出す。この作品は、当時ハリウッド資本に買い取られ、記者を演じたレイモンド・バーのくだりを挿入・再編集されて、1956年「Godzilla, King of the Monsters!」(「怪獣王ゴジラ」)として全米公開。その際、日本版にこめられていた核の脅威に対するメッセージはカットされたといいます。で、この日本オリジナル版の評価は→(★★★★★)
「太陽がいっぱい」(1960年・フランス/イタリア)
金持ちの友人を殺害した青年トム・リプレー(アラン・ドロン)。彼は、富も美しい女性も手中にしたつもりで、輝く太陽の下、浜辺で極上の酒に酔いながら満足感にひたっている。そのとき、友人のヨットが検査のために陸に引き揚げられる。そして、まずヨットのスクリューにからまったロープが現れ、その先に結びつけられた友人の死体があがる。だが、トムはまだそれを知らずに、完全犯罪の夢に酔い痴れている。やがて、刑事に呼び寄せられ、なんの屈託もなく海辺の店に入っていくトム。その背後には、のどかで真っ青な海が広がっている。公開当時、まったく予想外のどんでん返しが話題を呼んだラストシーンである。
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パトリシア・ハイスミスの小説を、フランスの名匠ルネ・クレマンが映画化した。貧しいアメリカ人青年トムが、友人で金持ちの息子フィリップ(モーリス・ロネ)を、父親の依頼で連れ戻すためイタリアのナポリにやって来る。だが、フィリップはトムを軽蔑し、婚約者マルジュ(マリー・ラフォレ)との仲を見せつけたりする。やがて、トムの妬みと憎悪は殺意に変じ、フィリップを刺殺、死体をシーツで包んで海に放り込む。陸にあがると、トムはフィリップになりすまし、身分証明書を偽造、サインや電話の声まで真似て、彼の金で贅沢な生活を始める。そして、マルジュまでだまして、フィリップの遺産を手にしようとする…。
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主演のアラン・ドロンは、この作品でスーパースターの座についた。デビューから3年、25歳の若さであった。まばゆい太陽と海。それに背を向けるように、背徳の深淵に落ちる青春像。明晰な頭脳を持ちながらも、貧しさゆえに卑屈で鬱屈した青春を過ごすトム・リプレー。裸身を陽にさらし、「太陽がいっぱいだ!」とつぶやくドロンには、青春の輝きと陰りが共存した。当時は、世界中で若者たちが体制に反逆し、反乱を起こした時代。フランスでは、ヌーヴェルヴァーグと呼ばれる若い監督や俳優たちが、反逆する青春像を造形した。クレマン監督は、彼ら若い世代に対抗するかのように本作を手がけたといわれる。
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アラン・ドロンの甘いマスクに秘められた孤独感と、やり場のない怒り。それは、当時の女性ファンをはじめ、若い世代を魅了した。そうした彼のキャラクターは、父母との縁がうすく、世界各地を放浪した前歴がもたらしたものかもしれない。以後、ドロンは「若者のすべて」(1960年)、「サムライ」(1967年)、「暗殺者のメロディ」(1972年)などで、陰りのある容貌で人気を得た。ドロンの相手役であるモーリス・ロネは、ルイ・マル監督「死刑台のエレベーター」(1958年)などヌーヴェルヴァーグ作品で脚光を浴びる。マルジュに扮したマリー・ラフォレは、これがデビュー作。大きな瞳と妖精的な容姿で一世を風靡した。
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とりわけ「太陽がいっぱい」を有名にしたのは、イタリアの作曲家ニーノ・ロータが手がけた哀愁を含んだ甘美な主題曲である。この曲は日本でも大ヒット。ロータは、「道」(1954年)をはじめ、イタリアの巨匠フェデリコ・フェリーニ作品のほとんどを担当、映画音楽作曲家としてもっともポピュラーな存在になった。のちに手がけたフランシス・フォード・コッポラ監督「ゴッドファーザー」(1972年)の「愛のテーマ」も、余りにも有名である。2011年には生誕100年を迎え、さまざまなイベントが行われた。(原題「Plein Soleil」)
「ローマの休日」(1953年・アメリカ)
「彼女は、美しいのと同じくらいファニーだった」―ウィリアム・ワイラー監督「ローマの休日」に出演したグレゴリー・ペックのオードリー・ヘプバーン評である。この作品は、ヨーロッパを旅行中の小国の王女アン(ヘプバーン)と、アメリカの新聞記者ジョー(ペック)との1日の恋のドラマ。ローマでの窮屈なスケジュールに飽きて、アンは侍従の隙を見て街に飛び出す。ベンチで眠っていた彼女をアパートに連れて帰ったのがジョー。夜が明けて、彼女をアン王女だと知ったジョーは、同僚カメラマン、アービング(エディ・アルバート)とともにアンのローマ見物の写真を撮り、特ダネをモノにしようとする…。
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ラストは、帰国に先立つ王女の大使館での記者会見。席上、じっと見つめ合うジョーとアン。ジョーの前で立ち止まったアンは、万感の思いを込めて言う。「ローマでの楽しい思い出を一生忘れないでしょう」と。そしてアービングが、ライターに仕込まれた小型カメラで撮った特ダネの写真を、そっと王女に差し出す。ジョーは、王女や記者団が去った広いホールで、ひとり熱い思いを抱いて立ち去りかねている。余りにも境遇がかけ離れているために、別れなければならなかったふたり。ほろにがい別離―だが、悲しみよりも、どことなくほほえましく、温かいラストシーンだ。悲恋物語というより、胸がときめくような愛のメルヘン。
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この時、オードリーは24歳。舞台で彼女を見たワイラーが、アン役に抜擢。オードリーは、このアメリカ映画出演第1作で1953年度アカデミー主演女優賞を獲得した。なによりも彼女の魅力は、その庶民性にあった。当時ハリウッドでもてはやされた、文字通りファンの手に届かないようなグラマラスなスターとはまったく異なるイメージ。大きな目、太い眉、張った顎、細身のボディー。のちに「麗しのサブリナ」(1954年)などで彼女を起用したビリー・ワイルダー監督は、「いままでのハリウッド・スターにはない輝きを持つ。オードリーは、ふくらんだ胸の魅力を過去のものにしてしまうにちがいない」と語った。
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そのすべての原点が「ローマの休日」にあった。嘘をつくと手が食われてしまうという言い伝えがある“真実の口”で、手をさっと引っ込めて溜息をつくオードリーの可愛さ。ソフトクリームをなめながら、スペイン広場の階段を散歩するシーンのあどけなさ。そして、彼女を連れ帰ろうとするシークレット・サービスや警官との深夜の大乱闘。オードリーの身振り、表情のひとつひとつが画面を躍動させた。とりわけ、大使館から逃げ出したアン王女が、翌日まず行った先が美容室。長い髪をショートカットにすると、優雅な王女が溌剌とした女性に大変身。このボーイッシュな感じに短くした彼女の髪型が“ヘプバーン・カット”と呼ばれて大流行。日本でも、若い女性から年配の女性までが、同じ髪型で街を闊歩した。
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イアン・マクラレン・ハンターの小説の映画化である。身分ちがいの愛のドラマという設定はよく見られるパターンだが、ウィリアム・ワイラー監督は、これを逆手にとって、しゃれて温もりにあふれたコメディータッチの大人の寓話に仕立て上げた。その成功の原因は、グレゴリー・ペックが語るように、ひとえにオードリーの闊達で明るく、ファニーで、かつ妖精のようなキャラクターのおかげだろう。だから、アンとジョーの別れのラストシーンは、ちっとも悲しくないのである。それどころか、観客の胸の中に甘い夢のような残滓を残す。これこそが、真実の愛というものなのかもしれませんね。(原題「Roman Holiday」)