わくわく CINEMA PARADISE 映画評論家・高澤瑛一のシネマ・エッセイ

半世紀余りの映画体験をふまえて、映画の新作や名作について硬派のエッセイをお届けいたします。

フランス版ヘレン・ケラー物語「奇跡のひと マリーとマルグリット」

2015-05-31 14:33:01 | 映画の最新情報(新作紹介 他)

 ジャン=ピエール・アメリス監督のフランス映画「奇跡のひと マリーとマルグリット」(6月6日公開)は、フランス版ヘレン・ケラー物語ともいえる作品です。舞台は19世紀末、フランス・ポアティエ市にあるラルネイ聖母学院。三重苦で生まれた女性マリー・ウルタン(1885~1921)と、彼女を教育した修道院のシスター・マルグリット、ともに実在したふたりの女性の真実の物語の映画化だ。マリーを演じたのは、自身も聴覚障害を抱えるアリアーナ・リヴォアール。本作で映画デビューした新星で、前半では野性児のようなマリーを、言葉を知った後半部分では、いきいきと表情豊かなマリーをみごとに演じわけている。
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 聴覚障害を持つ少女たちが暮らす聖母学院に、目も耳も不自由な少女マリー(アリアーナ・リヴォアール)がやってくる。しつけも教育も受けずに育った彼女は、野生動物のようで誰にも心を開かない。不治の病を抱え、余命いくばくもない修道女マルグリット(イザベル・カレ)は、マリーが放つ強い輝きに惹かれ、残された人生をかけて彼女に“世界”を与えようと、教育係を申し出る。やがて、ふたりのむきだしの魂がぶつかり合う“戦い”とも呼ぶべき教育が始まる。物には名前があること、身だしなみを整える、食べる時はナイフとフォークを使うこと。野性児のようなマリーに根気強く向き合うマルグリット。そして困難の末に、ついにマリーが言葉を知る日がやってくるが、彼女らの別れの時間も目前に迫る…。
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 10歳のマリーが、父親に連れられて聖母学院にやってくる冒頭が衝撃的だ。薄汚れたぼろを身にまとい、髪はぼさぼさ、あげくに園庭を駆け回り、ひとりで木の上によじ登る。それを見た学院長は、「当校は聾唖の娘たちの学校。聾唖で盲目となると、私たちの手に負えない」と、父娘を帰してしまう。それをただひとり、マルグリットだけが気にかけてマリーを呼び戻す。そして、4か月かけて入浴やブラッシングに慣れさせ、食事のマナーをしつける。8か月目、やっとマリーは、持参のお気に入りの小さなナイフを“ナイフ”と認識する。その後、触手話や指点字などで単語、形容詞、抽象語、文章、文法と、言葉を会得する。
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 ジャン=ピエール・アメリス監督は、「アーサー・ペン監督の『奇跡の人』(62年)を見て以来、ヘレン・ケラーに感銘を受け、彼女のことが気になっていた。そこで盲聾の人について研究を始め、この話に出会った」と言う。しかし、本作が他の障害者ドラマと異なるのは、簡潔な手法でマリーとマルグリットとの魂の交流を爽やかに描いていることです。とりわけ、ふたりが触覚で対話し、心を触れ合わせるくだりに心を揺さぶられる。手で触れ、指で感じるシーンの斬新さ。つまり、相手の顔や指に触れたり、アルファベットの文字を並べて会話をし、自然や空気の匂いを嗅ぎ、雪や樹木や野菜に触れて、世界を認識していく過程。
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 こうした原初的で素朴な世界の認識は、いまや健常者には忘れ去られていることではないだろうか。触れること、嗅ぐことで初めて開ける世界の輝き。言葉の力の例えようもない魅惑、その結果導き出される生きる喜びと、人間の尊厳。物語の舞台になったラルネイ聖母学院は、1世紀半を経たいまも、耳が不自由な人たちのための施設として現存しているという。マリーは、その後も同学院にとどまって、後輩を指導し、1921年、肺鬱血をわずらって36歳で死去したそうだ。マルグリットの遺志を受け継いだマリーが、「いつも、あなたを思っている」と、マルグリットの魂に呼びかけるラストに心を打たれる。(★★★★)


追憶の彼方の熱き想い、中監督のデビュー作「ゆずり葉の頃」

2015-05-25 17:22:49 | 映画の最新情報(新作紹介 他)

 故岡本喜八監督夫人・みね子さんは、早稲田大学・映画研究会では僕の先輩でした。在学中は脚本家を志し、映画界では岡本作品を中心にプロデューサーとして辣腕をふるった。その彼女が、旧姓・中みね子に戻って、76歳にして初監督(兼脚本)に挑んだ作品が「ゆずり葉の頃」(5月23日公開)です。中監督とは親しい間柄だったという八千草薫が演じる老齢のヒロインの人生への思いを、静かで温かなタッチでつづっていきます。題名にある“ゆずり葉”とは、若い葉が芽吹いたあと、役目を終え、譲るように落葉することから、親が子を育てる例えになぞらえられてきた常緑高木のこと。縁起物とされ、正月のお飾りなどにも使われている。本作では、八千草演じる主人公・市子の人生の終幕のシンボルとされる。
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 市子(八千草薫)が少女の頃に想いを寄せていた人はパリへ旅立ち、いまでは画家・宮謙一郎(仲代達矢)として国際的な存在となっている。彼の個展の記事を目にした市子は、東京から秋深まる軽井沢へと旅立つ。思い出の一枚の絵を求めて…。いっぽう、理由も言わず旅に出た母を気にかけて、あとを追う息子の進(風間トオル)。だが、海外出張から帰国したばかりの進には知る由もない。着物の仕立てをしながら生きてきた母が、戦後の貧しさの中で心に封印した若き日の想いを…。だが、市子の心は、軽井沢のやわらかな空気と人のぬくもりに触れ、時を遡るようにほどけていく。そして、思いがけない出逢いが訪れる…。
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 なによりも、八千草薫のキャラクターがいい。上品で、おっとりして、和装が似合うひと。だが、彼女の心中には切ない想いがある。戦時中、軽井沢に疎開していた少女の頃、子守りをしていた市子は、真楽寺の龍神池のほとりで少年に出会う。「龍神さんのように、俺も必ずここを出て、ほんとうにやりたいことをやり遂げるんだ」…そう語った少年は、貧しかった市子に飴玉をくれる。彼こそ、のちの宮画伯であり、彼が子守りの市子を描いた絵こそ、彼女が探し求める<原風景>という作品だった。やがて市子は、<珈琲歌劇>のマスター(岸部一徳)の手引きで宮に会うことができるが、画伯は緑内障で目が不自由になっている。
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 中監督は、古き良きもの(=心)と新しい価値観、戦中(疎開)の想い出、家庭の問題(息子夫婦との関係)や、生と死の概念を交錯させながら、その彼方にほの見える過去のひそやかな愛を導き出す。それは、戦中・戦後を生きた市子という女性の心の軸であり、始末のつけ方でもある。「夫を亡くし、戦後は家族のために自分を犠牲にしてきた。でも、どうしても自分の中で解決していきたいものがある」と、八千草は市子役について語る。そんな市子のキャラクターが、人々を引き寄せる。優しい<珈琲歌劇>のマスター、温かなペンションの主人(嶋田久作)。そして、ついに出会った宮画伯。市子と宮がオルゴールの曲をバックに踊り、市子が渡した巾着袋に入った飴玉に宮がハッとするクライマックスが感動を呼ぶ。
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 更に中監督は、自然描写や登場する小道具・小物にもこだわる。公園に座る市子の背後で頭をたれる“ゆずり葉”の木、軽井沢の樹林の情景、静謐な龍神池のたたずまい。更に、自然や都市の風景を対比させて、市子の心理を表現する。また、全編を彩る音楽を、日本を代表するジャズ・ピアニストの山下洋輔が担当。物語の核となる劇中画を、日本画家の宮廻正明が特別に書き下ろしている。中監督は語る―「人が死を迎えるときまで、どのようであれ、知性のともなった生き方が出来ることを、私は願っています」と。物語は、やっと進が龍神池のほとりで母の市子を発見し、帰りのバス停でともに並んで座るシーンで終わる。そこには、市子が息子の進に託す“ゆずり葉のこころ”が垣間見えるのである。(★★★★)


原田眞人監督が描き出す江戸文化の粋「駆込み女と駆出し男」

2015-05-19 16:49:22 | 映画の最新情報(新作紹介 他)

 原田眞人監督は、若い頃、映画評論家としてスタート。やがてロサンゼルスで監督修行をし、張り切っていたことを覚えています。その後、第一線の監督になり、「金融腐蝕列島[呪縛]」(99年)、「突入せよ!「あさま山荘」事件」(02年)、「わが母の記」(11年)などの話題作を発表。今回、井上ひさしの「東慶寺花だより」を原案にして、初の時代劇「駆込み女と駆出し男」(5月16日公開)を監督(兼脚本)しました。現代の2倍はあったといわれる江戸時代の離婚をモチーフに、縁切寺に駆込んでくる女たちが、さまざまな出会いと別れを繰り返しながら生きる姿を描くとともに、江戸時代後期の暮らしや文化も活写しています。
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 質素倹約令が発令され、庶民の暮らしに暗い影が差し始めた江戸時代後期。鎌倉には、離縁を求める女たちが駆込んで来る幕府公認の縁切寺・東慶寺があった。だが、駆込めばすぐに入れるわけではない。門前で意思表示をしたあと、まず御用宿で聞き取り調査が行われるのだ。戯作者志望の見習い医者・信次郎(大泉洋)は、そんな救いを求める女たちの身柄を預かる御用宿・柏屋に居候することになる。そして内情を知れば知るほど、女たちの別れの事情はさまざま。彼は、柏屋の主人・源兵衛(樹木希林)とともに離婚調停人よろしく、奇抜なアイデアと戦術で男女のもつれた糸を解き放ち、ワケあり女たちの人生再出発の手助けをする。だが、ある日、ふたりの女が東慶寺に駆込んで来て、騒ぎが拡大する…。
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 駆込み女たちを中心に、さまざまな人物が交錯する。中心になるのは、ふたりの女。ひとりは、夫の暴力に耐えかねて駆込んだ鉄練りの女・じょご(戸田恵梨香)で、信次郎は彼女に心惹かれる。そして、日本橋の唐物問屋・堀切屋(堤真一)の囲われ者で、主人に不信感を抱いたというお吟(満島ひかり)。満島が眉を剃り落とし、お歯黒姿で、お妾さんとして登場するのが面白い。その他、武家姿で仇討を目論む女・ゆう(内山理名)、花魁の世界からの逃亡を企む女などが登場。また、柏屋の主人で男名を持ち、女たちを見守る源兵衛役の樹木希林、信次郎の憧れの的で戯作者の曲亭馬琴を演じる山努が味わい深い個性を見せる。
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 作品全体は、縁切寺を主舞台に、江戸後期の政情・文化・習俗などを戯作タッチで軽妙に描き出す新鮮な時代劇に仕上がっています。女たちが縁切寺に滞在する2年間の四季の移ろい、自然の情景とともに、美術・セット・衣装も華麗。更に、余計とも思われるエピソードに、江戸文化の粋が浮かび上がる。堀切屋の高級座敷に集う戯作者や浮世絵師(そのうち、渓斎英泉は座敷で芸妓の背に絵を描いている)。また、失明した曲亭馬琴(滝沢馬琴)が「南総里見八犬伝」を口述で完成し、江戸市民がそれを楽しみしているくだり。反面、銭湯では客が信次郎に「八犬伝は水滸伝の焼き直し」と批判したりする。更に、キリシタン関係の書籍の禁書や、東慶寺取り払いを企む奉行の手先として登場する女密偵の挿話も面白い。
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 駆込み寺の仕組みや、多くの登場人物の人間関係や人物描写にやや不明な点は残る。だが、カメラの動きや画面構成が斬新であり、いままで重厚な作品で頑張ってきた原田監督としては、軽いタッチの江戸絵巻で新境地を切り拓いたといっていいだろう。なかでも、ふたつの恋のエピソードがフレッシュだ。鉄練りの女・じょごの顔の火傷の治療をしているうちに、信次郎が彼女への思いを深める挿話。ふたりは最後に江戸に出て、馬琴のもとに身を寄せる。そして、お吟が愛する旦那・堀切屋のもとを去ったわけは? その純愛(?)の切なさが、最後に明かされる。原田監督の次作「日本のいちばん長い日」も楽しみだ。(★★★★)


韓国現代史を生きた父性の物語「国際市場で逢いましょう」

2015-05-13 17:07:34 | 映画の最新情報(新作紹介 他)

 韓国・釜山にある国際市場は、朝鮮戦争(1950年6月~1953年7月)後、避難民が開いた闇市がきっかけで広がり、いまも残る名物市場です。当時は“人を除いてすべて外国製”と言われるほど、海外からの密入品を扱っていたとか。この市場をキーワードに、韓国現代史を庶民(の受難)の視点から振り返った一大叙事詩が、ユン・ジェギュン監督の「国際市場で逢いましょう」(5月16日公開)です。日本による統治が終わって間もなく朝鮮戦争が勃発、逃げ惑う避難民、加えてベトナム戦争や、南北分断で生き別れになった離散家族の捜索。こうした歴史のトピックが、ひとりの男の波乱に満ちた生涯を通して描かれていきます。
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 物語は現在、老いた主人公ドクス(ファン・ジョンミン)の回想として語られる。朝鮮戦争勃発時、ドクス少年一家は、中国軍が迫るなか、朝鮮北部・東海岸の興南から米船で脱出を試みる。その混乱の最中に、ドクスは父と妹マクスンと離れ離れになる。彼は、母や幼い弟妹とともに避難民として、釜山の国際市場で叔母が経営する露店に身を寄せる。やがて成長したドクスは、父の代わりに家計を支えるため、西ドイツの炭鉱へ出稼ぎに行き、ベトナム戦争では民間技術者として働くなど、幾度となく生死の瀬戸際に立たされる。だが、彼は家族のために必死に、笑顔で激動の時代を生き抜く。「いまから、お前が家長だ。家族を守ってくれ。いつか国際市場で逢おう」という、興南で最後に父と交わした約束を忘れずに…。
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 物語は波乱万丈だ。1950年、避難のため米船によじ登る際、ドクス少年が背負っていた妹の手を放してしまう冒頭。1953年の朝鮮戦争停戦では、半島が南北に分断され、ドクスらは北の故郷に帰れなくなる。1960年代、経済状況が厳しい韓国の施策によって、ドクスは親友ダルグ(オ・ダルス)とともに西ドイツの炭鉱に出稼ぎに行き、事故に遭う。同時に、看護師として派遣されていたヨンジャ(キム・ユンジン)と知り合い、やがて彼女はドクスの生涯の妻となる。1974年には、ダルグとベトナム戦争下のサイゴンに赴き、足を負傷する。やがて1980年代、離散家族を捜すTV番組が評判になり、ドクスは妹に再会する…。
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 この作品は、韓国の人々の胸に刻まれた悲劇の歴史を再現すると同時に、その渦中に生き、家族を守り抜いたハートフルな父親像を浮き彫りにしている。ユン・ジェギュン監督(「TSUNAMI-ツナミ-」09年)は言う。「貧しく辛かったあの時代。自分ではなく、家族のために生涯を生きた父を見ながら、いつも申し訳ない気持ちでいっぱいだった」と。ドクスは、弟の大学の授業料を工面するため西ドイツの炭鉱で働く。そして、独学で海洋大学に合格。だが、傾いた叔母の店を買い取る資金を稼ぐために、大学進学をあきらめベトナムに飛ぶ。また彼の父は、避難船から海中に落ちた娘を捜索するために行方不明になる。ラスト、「父さん、約束は果たしたよ。でも…本当に辛かった」というドクスのセリフが切ない。
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 ドクス役のファン・ジョンミン(「傷だらけのふたり」14年)は、20代から70代まで、ひとりの男の人生を熱演する。また、彼の妻ヨンジャ役のキム・ユンジンはハリウッドでも活躍し、「シュリ」(98年)で注目された女優で、今回も好印象を残す。現代、老いたドクスが叔母から受け継いだ露店の立ち退きを命じられ、断固拒否するくだりもリアリティーにあふれている。また劇中、大企業“現代”グループの創立者や、韓国第一号のファッション・デザイナーとなるキム・ボンナム(アンドレ・キム)、ベトナム戦争に参戦した有名歌手ナム・ジン(演じるのは東方神起のユンホ)らの有名人たちが姿を見せるのも話題だ。
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 この作品は、現代史をたどりながら政治の不条理を追及するという手法は採っていない。どちらかと言えば、父性をめぐるナミダ、ナミダのシーンが多い。たとえば、離散家族を捜すTV番組のエピソード。ドクスが父と妹の行方を問う紙片を持って参加し、アメリカで育った妹と再会をするシーンには感動する。そして、かつて存在した家族愛と家族団らんの光景。そんな場面に、見る方も涙が止まらない。思えば、ドクスはちょうど僕と同じ世代だ。日本人の僕らも、幼くして祖父や父の世代が引き起こした太平洋戦争に巻き込まれ、戦後は食糧難で痩せこけ、バブル時代は牛馬のごとく働かされた。「父さん、約束は果たしたよ。でも…本当に辛かった」というドクスの感慨が身にしみるのである。(★★★★+★半分)


大江戸浮世絵物語「百日紅~Miss HOKUSAI~」

2015-05-07 16:47:39 | 映画の最新情報(新作紹介 他)

 杉浦日向子の人気漫画がアニメーションになりました。原恵一監督「百日紅(さるすべり)~Miss HOKUSAI~」(5月9日公開)です。主人公は、葛飾北斎の娘で23歳の浮世絵師・お栄(のちの葛飾応為)。この父娘を中心に、江戸の街や人情、お栄と家族の物語、浮世絵の世界がスクリーンによみがえります。四季の移ろい、賑わう両国橋、華麗な吉原の風俗、父娘が描く浮世絵、絵が導き出す怪異譚などが、CGによって再現されるくだりが見どころです。まさに江戸風俗を映像でよみがえらせた浮世絵スペクタクルといっていいでしょう。
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 浮世絵師・お栄(声:杏)は、父で師匠の葛飾北斎(声:松重豊)とともに絵を描いて暮らしている。彼女の生活の主体は、雑然とした家に集う絵師・善次郎(英泉)や国直と騒いだり、犬と寝転んだり、離れて暮らす妹・お猶(声:清水詩音)と出かけたりしながら、絵師としての人生を謳歌すること。今日も江戸は、両国橋や吉原、火事、妖怪騒ぎなど喜怒哀楽に満ち溢れている。恋に不器用なお栄は、絵に色気がないと言われて落ち込むが、絵を描くことはあきらめない。そして、百日紅が咲く季節が再びやってくる、嵐の予感とともに…。
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 なによりも、お栄のキャラクターが面白い。言葉使いも容姿も行動も、ぶっきら棒で男っぽい。だが心根は純粋で優しい。料理はしない、掃除もしない、ゴミがたまったら引っ越せばいい。「親父と娘、筆二本、箸四本あれば食っていける」と、お栄は言う。その代り、北斎の代筆で絵を描くほどの天才だ。武家に頼まれた龍の絵を、夏の夜、父に代わって一気に描き上げるくだり。彼女が描いた地獄絵で、武家の奥方がおかしくなるエピソード。絵に色気がないといわれると、日本橋・芳町の蔭間茶屋の陰間(男娼)に会いに行く、という具合。
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 お栄は北斎の三女で、北斎は生涯に二度結婚したという。本作では、お栄は母親(北斎の後妻)と離れて暮らしており、母の家の庭には満開の百日紅が咲いている。また、生まれつき目が見えない歳の離れた妹・お猶がいて、彼女は琵琶の勉強のため一人離れて尼寺で暮らしている。お猶を可愛がるお栄が、妹をいろいろな場所に連れ回るくだりが印象に残る。舟に乗り込み、まるで北斎が描いたような大波に喜ぶシーン。冬の雪つもる日、神社に出かけた際、寒椿をお猶に持たせ、そっとその手を包むお栄。雪と紅椿との、みごとな色彩の対比。
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 江戸風俗は巧みにとらえられているし、北斎父娘の絵画の世界も興味深い。お栄が龍の絵に挑むくだりでは、亡霊のように巨大な龍が出現。彼女が描いた地獄絵から亡者が出現する場面。お栄が描きに行った吉原の花魁の“首が伸びる”という噂の真偽。原監督は「お栄の心の中の怒りや、喜びや悲しさを感じてもらえれば…」と言う。それでも、敢えて不満を言えば、ドラマが家族の周囲の描写中心で起伏に乏しく、浮世絵のテーマもやや突っ込み不足ということか。ま、それでも、斬新な筆致の大江戸浮世絵物語といっていい。(★★★★)


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