わくわく CINEMA PARADISE 映画評論家・高澤瑛一のシネマ・エッセイ

半世紀余りの映画体験をふまえて、映画の新作や名作について硬派のエッセイをお届けいたします。

生涯、己のスタンスを貫いた男「ライ麦畑の反逆児/ひとりぼっちのサリンジャー」

2019-01-21 13:58:50 | 映画の最新情報(新作紹介 他)

 世界中の若者たちに衝撃を与え、“青春のバイブル”といわれた小説「ライ麦畑でつかまえて」を生み出した作家J(ジェローム)・D(デイヴィッド)・サリンジャー(1919~2010)。この名作誕生までの半生を映画化したのが、ダニー・ストロング監督・脚本・製作のアメリカ映画「ライ麦畑の反逆児/ひとりぼっちのサリンジャー」(1月18日公開)です。アメリカ文学の常識をくつがえした小説で、教育委員会のボイコットを受け、さらに80年代にはジョン・レノン暗殺犯やレーガン大統領暗殺未遂犯の愛読書だったとか。寄宿学校を退学処分になった16歳の少年ホールデン・コールフィールドが、故郷のニューヨークをさまよう数日間の物語。10代の孤独や鬱屈を表わすスラング混じりの粗野な口語文体で、大人や社会の欺瞞を衝く語り口が特徴です。この伝説の小説を生む背景となったのはなにか? 映画の原作は、サリンジャーの死後初めて出版された伝記ケネス・スラウェンスキー著「サリンジャー 生涯91年の真実」。サリンジャー生誕100周年と銘打って公開されている。
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 1939年のニューヨーク。作家を志す20歳のサリンジャー(ニコラス・ホルト)は、編集者バーネット(ケヴィン・スペイシー)と出会い、短編を書き始める。その一方で、劇作家ユージン・オニールの娘ウーナ(ゾーイ・ドゥイッチ)と恋に落ちる。だが太平洋戦争が勃発、サリンジャーは戦争の最前線で地獄を体験することになる。数年後、苦しみながら完成させた初長編小説「ライ麦畑でつかまえて」は、発売と同時にベストセラーとなり、サリンジャーは天才作家としてスターダムに押し上げられた。だが、彼は次第に世間の狂騒に背を向けるようになる…。映画は、サリンジャーの作家としての出発から、表舞台を去るまでにスポットを当てる。マンハッタン社交界での恋愛関係、才能を引き出してくれた編集者との出会い、味方の8割強が犠牲となった戦闘で生きて戻った経験、戦争のトラウマや周囲の無理解に傷つきながらホールデンの物語を書き続けた執念、賛否両論を巻き起こしながらベストセラーとなった小説の成功など、ドラマティックな実話のかずかずを明らかにする。
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 サリンジャーの作家としての出発の後押しをした人々。ひとりは、彼がコロンビア大学の創作文芸コースを受講していたとき、示唆を与えてくれた文芸誌“ストーリー”編集長でもあるウィット・バーネット教授。彼は、作家志望の学生たちに、己の“声”を物語にすることの重要さを説く―「君に生涯をかけて物語を語る意思はあるか?」。そう聞かれたサリンジャーは、短編「若者たち」を出版社に持ち込むが、ことごとく掲載を断られる。だが、最終的に“ストーリー”に採用されて、作家としての第一歩を踏み出す。そして従軍中は「生きて、ホールデンの物語を書き続けろ」と、バーネットに励まされる。このバーネットを演じるケヴィン・スペイシーの存在に重みがある。更に、出版エージェントのドロシー・オールディング(サラ・ポールソン)とは終生の付き合いを続けたという。反面、サリンジャーは頑固な側面も持つ。バーネットが経営難になった際には、絶交を言い渡す。また「ライ麦畑でつかまえて」出版のときには、本の装丁にこだわり、本人以外の手による著者プロフィール、第三者による解説などが入ることを拒否し、その方針は翻訳版まで徹底されたとか。
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 サリンジャーの個人的な面も波瀾に富んでいる。マンハッタンの社交界で出会った女優志願のウーナ・オニールとは、除隊後に結婚するつもりだった。だが、ウーナは父親ほど年齢の離れた喜劇王チャーリー・チャップリンと電撃的に結婚、チャップリン最後の妻となった。また、戦時中は防諜部隊に配属され、ノルマンディー上陸作戦に参加。父親がユダヤ人だった彼は、ナチスの強制収容所の解放にたずさわり、神経衰弱で神経科に入院している。そして、戦争によるPTSDから逃れ、執筆に専念するために瞑想を取り入れたといわれる。そのきっかけのひとつになったのが禅で、アメリカに禅文化を広めた鈴木大拙とも出会っていたようだ。またニューヨークでは、インドの聖人ラーマクリシュナの弟子で宗教指導者のヴィヴェーカーナンダの教えを実践するセンターにも通い、ヨガやヴェーダーンタ哲学などを学んだ。そして1953年には、世の喧噪を逃れてニューハンプシャー州の田舎町コーニッシュに移って、晩年までそこで質素に暮らし、私生活は謎に包まれたままだったという。
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 ダニー・ストロング監督は、俳優・脚本家出身。今回が映画初監督作となる。演出はフレッシュで、切れ味鋭い語り口を持つ。まさに、アメリカ映画界のニューウェーブといっていい。14歳の時に「ライ麦畑~」を読み、「すごくリアルに自分自身の思いのたけが描かれている」と感じたという。それから数十年後、サリンジャーの評伝を読み、映画化権を獲得した。そこで今回、村上春樹の新訳「キャッチャー・イン・ザ・ライ」を読んでみた。そして今更、主人公ホールデンの繊細な感性と、サリンジャーの奔放な筆致に心を動かされた。サリンジャーは、1949年に「コネティカットのひょこひょこおじさん」が「愚かなり我が心」の題名で映画化された際、内容が原作からかけ離れていたことに激怒。以来、ビリー・ワイルダーやスティーヴン・スピルバーグらの映画人から「ライ麦畑~」映画化を希望されたが、すべて断ったとか。劇中、サリンジャー役のニコラス・ホルトが「ハリウッドはアホばかりだ!」と吐き出すように言うくだりがある。さもありなん、である。(★★★★+★半分)



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