わくわく CINEMA PARADISE 映画評論家・高澤瑛一のシネマ・エッセイ

半世紀余りの映画体験をふまえて、映画の新作や名作について硬派のエッセイをお届けいたします。

イタリア版ダークヒーロー・ドラマ「皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ」

2017-05-29 13:58:27 | 映画の最新情報(新作紹介 他)

 1975年に日本で放送開始、79年にイタリアで放送されて人気になったという永井豪原作のアニメ「鋼鉄ジーグ」。少年時代から日本アニメの大ファンだったイタリアの監督ガブリエーレ・マイネッティ(兼製作・音楽)が、40年近く経ったいまもイタリア人の胸に刻まれる、その「鋼鉄ジーグ」をモチーフとして生み出した長編デビュー作が「皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ」(5月20日公開)です。同監督は言う。「イタリアには、超人的なパワーを持った主人公の存在を信じ込ませ、観客を興奮させる土壌がまだ出来ていなかった。だから、よくあるタイツをまとった超人の冒険譚を、私は語りたくなかった。まずは、観客に物語の最初からスーパーヒーローはいる、ということを確信させる必要があった。それで、誰しもが抱える弱さや脆さを投影した」と。結果、ダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞で新人監督、主演男女優など7部門で受賞した。
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 舞台は、テロの脅威にさらされ疲弊し荒廃した現代のローマ郊外。盗品を売りさばき、その日暮らしの生活を送る孤独なチンピラ、エンツォ(クラウディオ・サンタマリア)は、ふとしたきっかけで超人的なパワーを得る。彼は、はじめ私利私欲のためにその力を使っていた。だが、世話になっていた“オヤジ”を闇取引の最中に殺され、遺されたその娘アレッシア(イレニア・パストレッリ)の面倒を見る羽目になったことから、彼女を守るために正義に目覚める。アレッシアは、アニメ「鋼鉄ジーグ」のDVDを片時も離さない熱狂的なファン。怪力を得たエンツォを、アニメの主人公・司馬宙(シバヒロシ)と同一視して慕う。そんなふたりの前に、悪の組織のリーダー、ジンガロ(ルカ・マリネッリ)が立ちふさがる…。
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 映画は、ユーモアを効かせながらプロットを紡いでいきます。まず、エンツォがパワーを得るきっかけというのが傑作です。ある日、いつものように盗みを働き追われていた彼は、ローマを流れるテヴェレ川に逃げ込む。その時に足を踏み外し、水中に沈められていた放射性廃棄物のドラム缶に体がはまってしまう。どうやら、ゴジラさながらに放射線によってパワーを得たらしい。銃で撃たれ9階の高さから転落しても、平気で立ち上がり傷も癒える。そこで、ATMを叩き壊し大金を手に入れ、好きなものを購入する。そして、パワーを用いてジンガロたちから脅されていたアレッシアを救う。彼に魅了されたアレッシアは、エンツォを“ヒロシ”と呼び、「その力で皆を救わなきゃ」と発破をかける。これに、ジンガロ一味の麻薬取引や、対立するナポリの女ボス、ヌンツィア一味らが絡んで騒動を引き起こす。
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 テロと暴力が支配する暗黒世界。こんな現代的な世相を背景に、一匹狼の冴えない40代のオジサン無頼漢がヒーローとして誕生する。いかにも、イタリアらしい発想です。現代のローマに登場するオカマのギャングと、ナポリのカモッラとの金とヤクに絡む抗争。それに巻き込まれるエンツォ。彼が、ショッピングモールのブティックの更衣室で、アニメさながらピンクの衣装を着たアレッシアと強引にセックスするシーンも、あけすけでイタリア的です。そして、エンツォがパワーを駆使する瞬間をとらえた動画が、ネットやTVで話題になる。これが面白くないジンガロは、アレッシアを人質にとってエンツォを脅し、テヴェレ川で同じパワーを得る。そして、とんでもないテロを仕掛けて、エンツォと対決するという仕掛け。そのあたりが、監督が「誰しもが抱える弱さや脆さを投影した」というところか。
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 この映画を見た理由は、1964年、クリント・イーストウッド主演、セルジオ・レオーネ監督「荒野の用心棒」がブームに火をつけたイタリア製西部劇、いわゆるマカロニ・ウエスタンの痛快さと面白さを思い出したから。本家の詩情豊かなアメリカ製西部劇の概念を、みごとにひっくり返してみせた。徹底した通俗性と残酷な暴力描写。アクロバット・アクションで魅せるヒーローたち。そして、エンニオ・モリコーネの郷愁を誘うメロディー。ここには新感覚の作劇術があり、従来の西部劇に飽きていたファンを狂喜させた。本作も、永井豪のアニメを素材に破天荒な映像を見せてくれるかと期待したが、普通のダークヒーローものになり、マカロニ・ウエスタン登場の時のような衝撃性には欠ける。もう少しハッタリを効かせて欲しかったのですが。ちなみに散文的な邦題は、イタリア語題とともに映画のタイトルに併記される正真正銘の原題。このあたりに、日本カルチャーへの愛を感じることができます。(★★★+★半分)


自然への畏敬と家族の絆「オリーブの樹は呼んでいる」

2017-05-21 16:32:31 | 映画の最新情報(新作紹介 他)

 地中海地方原産で、スペインやイタリアなどで広く栽培されているオリーブは、平和のシンボルともされている。名匠ケン・ローチとのコンビで知られるポール・ラヴァーティが脚本を書き、その妻でスペイン屈指の女性監督イシアル・ボジャインが手がけたスペイン映画が「オリーブの樹は呼んでいる」(5月20日公開)です。ラヴァーティは、2000年もの樹齢を持つオリーブの樹が大地から引き抜かれ、売られているという新聞記事を読んでショックを受け、妻に話したことが本作製作のきっかけとなったという。その背景にはスペインの経済大不況があり、経営が難しくなったオリーブ農園では大切な樹を高速道路の脇やオフィスの庭などの装飾用として切り売りしているらしい。映画は力強い演出スタイルで、鋭い風刺をきかせながら、自然への畏敬と家族の絆という普遍的なテーマに挑んでいます。
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 20歳のアルマ(アンナ・カスティーリョ)は、気が強くて扱いにくい女の子。オリーブ農園をやっている祖父ラモン(マヌエル・クカラ)とだけは幼い頃から深い絆で結ばれていたが、祖父は何年も前に喋ることをやめてしまっている。理由はきっと、大切にしていた樹齢2000年のオリーブの樹を父ルイス(ミゲル・アンヘル・アラドレン)が売ってしまったから。そんな祖父は、ついに食事も摂らなくなる。心配したアルマは、ある考えに取りつかれる。祖父を救う唯一の方法は、オリーブの樹を取り返すことなのでは? でも、どうやって? アルマはなんの計画も資金もないまま、変わり者の叔父アーティチョーク(ハビエル・グティエレス)と同僚のラファ(ペップ・アンブロス)を丸め込み、ヨーロッパのどこかにあるはずのオリーブの樹を取り戻すため、ドン・キホーテのごとく無謀な旅に出る…。
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 アルマと友人らは、オリーブの樹がドイツ・デュッセルドルフの大企業に買われたことをネットで突き止める。アルマたち3人は大きなトラックを借りて、スペインのバレンシア州からフランスを経てドイツに向かう。途中、貸金のかたにとった自由の女神のレプリカを荷台に載せて運ぶくだりが可笑しい。監督によれば、スペインのバブル経済の悪趣味や無駄遣いの象徴として、アメリカのシンボルをジョークにしたとか。加えて、アルマらのニュースはソーシャル・ネットワークを駆け巡り、ドイツの環境団体まで動かすことになる。到着したデュッセルドルフは、ライン川沿いに企業のビルが立ち並ぶ産業の中心地。目指すオリーブの樹は、大企業のビルのガラス張りのロビーに鎮座している。環境を大切にしているという企業のアピールのために買われたという。ここにも経済大国ドイツに対する皮肉と同時に、アルマらの劣等感もうかがうことができる。果たして一行は、ここでどうするか? 
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 この作品でスペイン・ゴヤ賞新人女優賞を得たアンナ・カスティーリョ演じるアルマ像がユニークだ。田舎の養鶏場で働く彼女は、髪型・スタイルとも独特で“ヒッピー”と呼ばれている。他人を信頼せず、頑なで猪突猛進型。でも、じいちゃんには心優しい。少女の頃、彼女は伐採されるオリーブの樹に上って、しがみついて悲しんだ。いっぽうで、SNSを使うという現代っ子でもある。「スペインの20歳の若者は、荒廃したこの国を受け継ぐ者であり、未来にほとんど確信を持てないまま日々を生きているのでしょう」とボジャイン監督は言う。またアルマの祖父を、実際にオリーブ農園を営むマヌエル・クカラが演じているのも、リアリティーを醸し出す。もうひとつの主役は、企業のロビーに飾られているオリーブの樹。これは石膏で型を取り、バラバラにしたレプリカを作ってドイツに運んだものだとか。
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 いわば本作は、ロードムービーのスタイルでスペインの現状を浮きぼりにしたもの。不況と、明日への希望のなさ。平和のシンボル、オリーブの樹(素晴らしい樹形に圧倒される)に託された自然の破壊と家族の崩壊に対する糾弾。「アルマは大自然が持つ力。彼女は、潮の流れを変えることのできる……少なくとも変えようと立ち上がれる若者なのです」とボジャイン監督は語る。更に「現在、スペインは無政府、カオス状態。最大の建築産業が崩壊して以来、農家の人々は自然を切り崩して利益を得なければならない状況に怒りを感じてきました。アルマも同じで、バカなことかもしれないけれど、やらずにはいられない、ドン・キホーテのようなキャラクターなんです」と。さて、ドラマはどう締めくくられるのだろう? ラストには、未来への希望をこめたシーンが用意されています。(★★★★+★半分)


不思議な感覚の心理サスペンス「パーソナル・ショッパー」

2017-05-13 12:54:59 | 映画の最新情報(新作紹介 他)

 フランスの異才オリヴィエ・アサイヤス監督・脚本「パーソナル・ショッパー」(5月12日公開)は、ファッショナブルでありながら不思議な感覚にあふれた心理サスペンス&ミステリーです。2016年カンヌ国際映画祭では監督賞を受賞。題名の“パーソナル・ショッパー”とは、忙しいセレブに替わって服やアクセサリーを買い付ける職業の人のこと。欧米では比較的浸透している言葉だそうだ。この購入代行者を演じているのが、アサイヤスの「アクトレス~女たちの舞台~」(14年)に出演して注目を集めたクリステン・スチュワート。華やかなファッション界を駆け巡りながら、自らは“霊媒師”であるという設定で、目に見えない世界との交流が醸し出すミステリアスで中性的なキャラクターを全身で演じている。
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 モウリーン(クリステン・スチュワート)は“パーソナル・ショッパー”としてパリで働いている。彼女は飛びぬけたセンスで完璧に仕事をこなしていたが、3か月前に最愛の双子の兄ルイスが亡くなり、悲しみから立ち直れずにいた。そんな時、携帯電話に奇妙なメッセージが届き始める。まるでモウリーンを監視しているかのように居場所や行動を正確に把握していて、送り主の発する命令に従わざるを得なくなる。そうやって送信者は、モウリーンの秘めた欲望を暴いていく。それは別人になってみたいという夢。モウリーンは、次第に現実と虚構の区別がつかなくなっていく。やがて周りで次々と不可解な出来事が起こり、ついに殺人事件へと発展。果たして、謎のメッセージの正体と、それが意味するものとは…。
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 モウリーンの周囲に起きる出来事がユニークだ。彼女は、クライアントのキーラ(ノラ・フォン・ヴァルトシュテッテン)に振り回されている。相手は世界中を飛び回っているため、指示は一方的な伝言メモばかり。衣装を用意した撮影も平気ですっぽかし、レンタル服も気に入れば返さない。なによりもモウリーンにとって、試着を禁じられているのが不満だ。他方、亡くなった兄とは、先に死んだ方がサインを送ると誓い合った。そのためかどうか、兄は事あるごとに影のように霊として姿を見せる。やはり兄も霊媒師だったのだ。やがて、携帯電話に入る差出人不明の奇妙なメッセージ。それは、買い付けでロンドンに向かい、やがてパリに戻ったモウリーンを執拗に追いかける。この携帯でのメールのやりとりが忙しなく、ドラマに焦燥感とスピード感を与える。果たして、相手は亡き兄なのか? その謎の人物にそそのかされて、モウリーンは禁を破り、キーラのために買ったドレスを着用する。
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 現実か、妄想か? ドラマは、モウリーンの忙しない動き+心霊現象+心の揺れ動きをとらえながら、彼女の屈折した心理を追う。そして次第に、自分でも高価なドレスを着て別人になりたいという隠された欲望が表に出てくる。キーラのゴージャスなドレスに身を包み、指定されたホテルの部屋で自撮りするモウリーン。やがてクライアントの家に向かった彼女は、変わり果てたキーラの死体に遭遇する…。謎の電話~ファッショナブルな世界への憧憬~殺人。それらは、すべてモウリーンの頭のなかでの出来事なのか? 彼女にとっても、周囲の出来事が不分明になる。ドラマ全体に漂う、ひとつに斬る(解釈する)ことが出来ない曖昧さ。それがアサイヤス監督の狙いなのか。はじめは暗く、男っぽく、中性的だったクリステン・スチュワートが、着飾って艶然たる美しさを表わしていくくだりが見どころだ。
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 オリヴィエ・アサイヤス監督は語る。「映画で描きたかったのは、私たちが生きている世界のリアリティーと、自分たちのイマジネーションを繋ぐこと。私たちは、これら鏡の両側に生きている。ファッション業界を選んだのは、ここ以上に物質主義的な世界はないと思ったから。私は、そこに取り込まれながら、そこから逃げ出そうとする人物に惹かれていった。見えないものの中に。夢の中に」。また、スチュワートは言う。「本作は、監督独自の方法で、目に見えない世界を想起させることに成功している。知性ではなく、肉体的感覚に訴える人間的な作品」。劇中登場する兄ルイスの妻、その恋人、謎のカメラマン(?)の存在などが独特のキャラを見せる。前記のコメントを読むと、なにやら小難しい内容のように思われるが、ヒロインの心の奥底に潜む愛憎と変貌に接しているだけで引き込まれる。(★★★★)


スリリングなサバイバル・ドラマ「ノー・エスケープ 自由への国境」

2017-05-03 16:55:32 | 映画の最新情報(新作紹介 他)

「ゼロ・グラビティ」で話題を呼んだメキシコ出身の映画人父子が、厳しい現実に斬り込んだ異色作を発表した。父のアルフォンソ・キュアロンが製作(共同)を担当、息子のホナス・キュアロンが監督・脚本・編集・製作を兼ねた「ノー・エスケープ 自由への国境」(5月5日公開)です。メキシコ=アメリカ間の移民問題にいち早く目をつけて、構想8年を費やした作品。奇しくも、アメリカではトランプ政権が発足し、メキシコとの国境にいつ壁が作られるかが注目されている。国境からアメリカへの不法入国を試みる移民たちが陥った危機をスリリングなタッチで描き出すという、現実世界とリンクした意欲作になっています。
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 メキシコとアメリカの国境、3,152kmの見えない壁。家族に会うためにメキシコからアメリカへ不法入国を試みる男モイセス(ガエル・ガルシア・ベルナル)を含む15人の移民たち。彼らは、トラックのエンジン・トラブルで荒れ果てた砂漠を徒歩で越えることになる。有刺鉄線でできた国境をくぐり、アメリカ国内に侵入する不法移民たち。だが、歩みの差から、ふたつのグループに別れる。遅れをとった移民たちが待ってくれるように叫んだとき、突然銃弾が襲いかかる。獰猛な犬を連れた襲撃者(ジェフリー・ディーン・モーガン)は正体不明だが、執拗に移民たちを抹殺しようとする。摂氏50度の砂漠、水なし、武器なし、通信手段も逃げ場もなし。生き残ったモイセスと若い娘アデラ(アロンドラ・イダルゴ)は、必死で相手のライフルの銃弾を避けて逃走。そして、モイセスはある命懸けの行動に出る。
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 劇中ではサムと名付けられた不法移民ハンターの存在が不気味だ。岩陰から移民たちを標的にして、次々と撃ち倒していく男。現実にも、不法移民の流入を“侵略”と見る退役軍人らが自警団を結成、重武装で警備しているという実態があるそうだ。まず凶暴な犬に追跡させて、移民を狙い撃つ男。まさに、狂気の反移民主義者だ。これに対して、メキシコ人移民たちの立場も必死だ。メキシコでは、国民の半数が貧困生活を送り、麻薬カルテルの争いのために治安も悪化している。彼らは、そんな危険な故郷の町から、安全で豊かといわれるアメリカを目指すのだ。演出は、シンプルなハンティング・アクションというサスペンスの形をとりながら、追跡+逃走という図式を借りてメキシコ移民の立場と悲劇をとらえる。
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 ホナス・キュアロン監督は語る。「アメリカ南西部を旅した時に、移民に関するストーリーや、移民の過酷な道行きの物語を直接聞いた。ぼくは心を動かされ、すぐに本作のアウトラインを書かずにいられなくなった」。そして手法的には、最小限の会話で展開されるハラハラ、ドキドキのノンストップ・サスペンスに仕上げた。その上、多彩なテーマを巧みに組み込んでいる。更に、彼は言う。「より良い生活を求めようとする移民たちが直面する悲惨な経験に光を当て、さまざまなテーマを反映した作品を目指した」と。移民たちが踏み込んだ砂漠地帯は、彼らの不毛な心象風景でもある。2年以上かけて舞台となる砂漠を探して回った結果、メキシコのバハ・カリフォルニア・スル州の砂漠がロケ地に決まったそうだ。
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 主人公モイセスを演じたガエル・ガルシア・ベルナルも移民問題に深い関心を寄せていて、監督が脚本を書き始めた時から出演を熱望、製作総指揮にも名前を連ねている。また、サムの相棒犬トラッカーには、演技ではなく警備の訓練を受けた犬を起用。この犬が岩場を這い上がって駆け抜け、移民たちを追いつめる過程が緊迫感に溢れている。本作は2015年度作品となっているが、狂気のハンター、サムの姿は、明らかにアホ・トランプとその追従者、人種差別主義者のような存在を象徴するものと言っていい。クライマックスは、砂漠の岩場でのモイセスとサムとの対決。その結末が、なんともリアルで痛快です。(★★★★)


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