わくわく CINEMA PARADISE 映画評論家・高澤瑛一のシネマ・エッセイ

半世紀余りの映画体験をふまえて、映画の新作や名作について硬派のエッセイをお届けいたします。

名作映画のラストシーンに酔う!(2)「禁じられた遊び」

2014-06-13 17:06:24 | 名作映画・名シーン

「禁じられた遊び」(1952年・フランス)
 避難民でごったがえす駅の一角。孤児院に連れて行かれるため、服に名札をつけられた少女ポーレット。突然、彼女の耳に「ミシェル!」という声が聞こえる。仲良しだった少年の名だ。彼女は、同行する尼僧から離れて、ミシェルの姿を捜す。その時、雑踏の中で、ちらとよぎる母の面影。「ミシェル!」と呼ぶポーレットの声が、いつしか「ママン!」という叫びに変わる。今はこの世にいない母の姿を求めて、人々の間をさまよい歩くポーレット…。
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 ルネ・クレマン監督「禁じられた遊び」のラストシーンである。1940年6月の南フランス。ドイツ軍から逃れて田舎道を急ぐ避難民の一群に、ナチスの爆撃機が襲いかかる。5歳の少女ポーレット(ブリジット・フォッセー)は機銃掃射で両親を殺され、死んだ子犬を抱えて田舎道をさまよう。そんな彼女を見つけたのが、農民ドレ家の末息子で11歳のミシェル(ジョルジュ・プージュリー)。ポーレットはドレ家に引き取られ、ミシェルと死んだ子犬を埋めて十字架を立ててやる。やがて、ふたりは虫や動物を埋めて十字架を立てるという秘密の遊びを始める。それがエスカレートし、ミシェルは教会の十字架を盗もうとして、ひと騒動を起こす。やがてドレ家に憲兵が現れ、ポーレットは孤児院に送られることになる。
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 映画の冒頭、自分をかばって死んで動かなくなった両親の顔を撫でたあと、死の意味もわからないまま、さまようポーレット。彼女は、ラストでも群衆のなかで母の名前を呼びながらさまよう。映画は、そうした少女の姿を通して戦争の悲惨さを訴えた。そして、ポーレットとミシェルが興じる十字架遊び。クレマンは、子供たちの無邪気な行為に、第2次世界大戦で亡くなった数限りない兵士や民衆に対する鎮魂の心をこめたかったようである。戦争や紛争の犠牲になるのは、常に幼い子供たちであることは、今日でも変わりがない。
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 原作者フランソワ・ボワイエは、この物語をシナリオとして書いたが、戦後の映画界ではこの種の題材は歓迎されなかった。そこで小説の形で出版したあと、クレマンが映画化した。しかし、カンヌ国際映画祭に際して、フランス側は本作を出品作として選ぶことを拒否。だが、ヴェネチア国際映画祭でサン・マルコ金獅子賞(最優秀映画賞)を獲得、米アカデミー賞では名誉賞(最優秀外国語映画)を受賞するという皮肉な結果になる。ドキュメンタリー・タッチの冒頭、ついで南仏の田園の人情を活写したユーモラスな語り口、そして少年と少女の純粋な魂の触れ合い。こうした要素が結びつき、本作は戦後を代表する傑作となった。
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 ポーレットを演じたブリジット・フォッセーは、このとき5歳。のちに「さすらいの青春」(1966年)で清楚な魅力を発揮、「ラ・ブーム」シリーズ(1980、82年)ではソフィー・マルソーの母親を演じた。いっぽう、ミシェル役のジョルジュ・プージュリーは、その後ルイ・マル監督「死刑台のエレベーター」(1957年)での不良少年役が印象に残ったが、2000年に癌のため60歳で死去した。この映画のもう一つの話題は、スペインのギタリスト、ナルシソ・イエペスが演奏した哀愁を帯びたテーマ曲だ。彼は、この主題曲をスペインの古い民謡「愛のロマンス」からアダプトし、みごとな旋律を作り上げた。以来、映画音楽のアルバムや、ギター演奏の教本には必ず入れられるようになった。(原題「Jeux Interdits」)

Img_0018_2清涼!

千葉県野田市の清水公園で

 

 

 

 

 

 

 

 

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