わくわく CINEMA PARADISE 映画評論家・高澤瑛一のシネマ・エッセイ

半世紀余りの映画体験をふまえて、映画の新作や名作について硬派のエッセイをお届けいたします。

「ゴッドファーザー」と「ロードショー」

2009-02-19 17:39:38 | 懐かしい思い出

Img040_9 先日、NHKBSで、フランシス・フォード・コッポラ監督の「ゴッドファーザー」(72年)と「ゴッドファーザーPARTⅡ」(74年) を見直しました。やっぱり、素晴らしい作品ですね。ストーリー展開の巧みさ、出演者のみごとな個性のぶつかりあい、カメラ・アングルの斬新さ、生き生きとしたセリフ、音楽の効果的な使用、そのほか美術・編集にいたるまで完璧で、その映像はいつ見てもフレッシュです。両作品ともに米アカデミー作品賞を受賞。壮大なファミリー・ドラマから、アメリカ近代史の一側面が見えてきます。

「ゴッドファーザー」のパート1が日本で公開された1972年、映画雑誌「ロードショー」が創刊(3月発売の5月号が創刊号)されました。「ゴッドファーザー」は世界の映画ファンに衝撃を与え、もちろん「ロードショー」誌でも特集され、読者によって72年度のベストワン作品に選ばれています。続く第2位はオリビア・ハッセー主演の「ロミオとジュリエット」、3位がリバイバル上映された「風と共に去りぬ」でした。そして、「ゴッドファーザー」の主役のマーロン・ブランドが、男優部門の4位に選出されました。

 当時は、1960年代末に脚光を浴びたアメリカン・ニューシネマ出身のスターたち、「ゴッドファーザー」のアル・パチーノや、ダスティン・ホフマン、ロバート・レッドフォードらが人気を得つつあった。加えて、コッポラを筆頭にスティーブン・スピルバーグやジョージ・ルーカスらの監督たちが台頭し、ニューニュー・ハリウッドといわれるアメリカ映画の新しい時代が築かれつつありました。さらに、「ロードショー」誌の読者投票で72年度のベストワン・スターが、男優ではアラン・ドロン(彼は4年連続でベストワンに)、女優はカトリーヌ・ドヌーブという具合に、ヨーロッパ映画も強力だった。こんな背景があって、「ロードショー」創刊号は映画雑誌では類を見ない大部数を完売したのです。


雑誌「ロードショー」と淀川長治さんのこと

2009-02-13 18:13:22 | 懐かしい思い出

Img034 昨年11月に休刊になった映画雑誌「ロードショー」に、フリーの編集者として創刊から最終号まで37年間在籍しました。その間、一番印象に残っているのは、連載原稿をお願いしていた映画評論家の故淀川長治さんに、20数年間にわたってお付き合いいただいたことです。淀川さんは、NET(現テレビ朝日)の「日曜洋画劇場」などの解説を担当、番組の最後に手をにぎにぎしながら「サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ!」と挨拶することで人気者になった人。映画の伝道師、映画の語り部、人生の案内人として有名でした。

 その淀川さんの名前を冠した淀川長治賞授賞式が、「ロードショー」誌主催で毎年一回開かれた。映画文化の発展に功績のあった人物(または団体)を選考して表彰する賞で、92年の第1回受賞者、字幕翻訳家の戸田奈津子さんから、最終回(07年)の受賞者、映画プロデューサーの李鳳宇さんまで、16回続きました。その選考委員のひとりとして、山田洋次監督(95年)、北野武監督(97年)、俳優の真田広之さん(04年)、渡辺謙さん(06年)などに受賞インタビューをさせていただいたことも、いい思い出として残っています。

 1998年の晩秋、その淀川さんが入院。連載原稿をいただくことをあきらめていたところ、1026日に電話があり、「いま原稿を書いているから取りにおいで」ということ。東大病院まで出向いて、原稿をいただいたあと「一緒に写真を撮りましょうね」と言われ、お付きのかたに2ショットを撮っていただいた。憔悴しきった淀川さんを見て、ああ、これはお別れのご挨拶にちがいないと思い、胸がいっぱいになって病院をあとにしたことを覚えています。そして、約2週間後の1111日、淀川さんは死去されました。その際の写真と、遺稿になったナマ原稿は、大切に手元に保管してあります。今年は、淀川さんの生誕100年。折りにふれて、淀川さんと「ロードショー」の思い出をつづっていこうと思います。

 


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