わくわく CINEMA PARADISE 映画評論家・高澤瑛一のシネマ・エッセイ

半世紀余りの映画体験をふまえて、映画の新作や名作について硬派のエッセイをお届けいたします。

全編手話のみ、衝撃のサイレント映画!「ザ・トライブ」

2015-04-26 16:44:24 | 映画の最新情報(新作紹介 他)

 アレクセイ・ゲルマン監督のロシア映画「神々のたそがれ」に次いで、またまたドエライ映画を見てしまいました。ウクライナの新人監督ミロスラヴ・スラボシュピツキーの長編デビュー作「ザ・トライブ」(4月18日公開)です。セリフや音楽は一切なく、字幕も吹き替えもなし。すべての登場人物が聾唖者で、職業俳優はひとりもいない。全編、彼らのコミュニケーションは手話のみで表現されるのだ。スラボシュピツキー監督は、「この作品は、サイレント映画へのオマージュである。それを表現することは昔からの夢だった」と語る。ただし、サイレント映画との決定的な違いは、鮮やかな色彩感覚と<音>が存在することだ。
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 主人公の若者セルゲイ(グレゴリー・フェセンコ)が、聾唖者専門の寄宿学校に転校してくる。だが、そこでは無慈悲な暴力が横行し、犯罪や売春などを行う悪の組織=族(トライブ)によるヒエラルキーが形成されており、セルゲイも入学早々彼らの手荒い洗礼を受ける。やがて、何回かの犯罪にかかわりながら、組織の中で徐々に頭角を現していったセルゲイは、リーダーの愛人で、イタリア行きのために売春で金を貯めているアナ(ヤナ・ノヴィコヴァ)を好きになってしまう。彼は、アナと関係を持つうちに、彼女を自分だけのものにしたくなる。そして、組織のタブーを破って、抑えきれない激しい感情の波に流されていく…。
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 とにかく内容が過激だ。リーダーを中心とする集団が観戦するなか、セルゲイが数人の学生を相手に殴り合いを強要されるくだり。毎夜のように、族はアナと同室の女性を車に乗せ、長距離トラックが駐車するエリアに送り届け、運転手たちと売春の交渉をする。このやりとりは、くどいほど繰り返して登場。また、セルゲイたちが恐喝で相手を殴る時に響き渡る平手打ちの音。チンピラ(生徒)と不良教師、背後にある組織、という構図。また、セルゲイとアナが激しい性愛にふけるシーンの美しく露骨な描写。とりわけ、妊娠したアナが医療室で粗悪な中絶手術を受ける場面がすさまじい。地の底から響くようなアナの苦悶の喘ぎ。
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 映像作法も、実にユニークです。クローズアップはほとんどなく、ロングショットとミディアムショット中心で、かつワンシーン・ワンショットでカメラが動き回る。冒頭、大通りをはさんだバス停で、セルゲイが学校への道を尋ねるくだり、カメラは道の反対側から彼をロングでとらえ、パントマイムのようなやりとりを示す。また、迫力たっぷりな乱闘シーンのダイナミズム。更に、前進移動や後退移動を駆使して、カメラはセルゲイが住む寄宿舎の内部空間を、閉ざされた迷宮をさまよっているかのような、悪夢的な感触でとらえる。まさに、犯罪と暴力、セックスが紡ぎあげる怒涛のパワフル・ドラマといっていい。
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 導入部、全寮制の寄宿学校では公式祝賀会が開かれ、一見民主的な雰囲気に包まれている。また、授業も多少の邪魔はあるものの穏やかだ。しかし、観客はそこで用いられる手話を理解しようと必死になる、あるいは、対話を理解できずに焦ってしまう。だが、やがてワルたちが校舎の中や、雪の道を疾走するくだりになると、もはや手話の理解などはどうでもよくなるから不思議だ。手話で紡がれる展開が、いつしか迫力あるパントマイム=ボディーランゲージとなり、徹底した悪やセックスの息遣いが人間の本能=本質に即物的に迫っていくことで、見る側の内部に無意識のうちに侵入し、一種のリアルな美学を形作るのである。
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 さあ、今回も、ある種の裏目読みを試みてみよう。スラボシュピツキー監督は言う。「撮影は、ヤヌコビッチ政権に対する反政府デモの前に始まった。そして、ロシアによるクリミア支配の後に終わった。状況は緊迫していた。役者を含め撮影チームの何人かのメンバーは、空き時間に反政府デモや暴動に参加していた」と。そう、悪を極める族が支配する聾唖者寄宿学校こそ、今日のウクライナの状況を暗示してはいないだろうか。セルゲイ役のグレゴリー・フェセンコはストリートチルドレンであり、アナ役のヤナ・ノヴィコヴァはベラルーシ出身で障害がありながら女優を志し、キエフでスラボシュピツキーに採用されたという。
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 もうひとつ、興味深いことがある。スラボシュピツキー監督は、ロシアのサンクトペテルブルク(旧レニングラード)にある映画撮影所レンフィルム・スタジオ出身。かつて錚々たる作家映画を輩出したこのスタジオの先輩には、なんと「神々のたそがれ」のアレクセイ・ゲルマンも所属していたというのだ。この伝説の撮影所は、破天荒な天才監督を続けて生み出したわけだ。「ザ・トライブ」のラスト、主人公セルゲイはアッと驚くショッキングなやり方で族のリーダーらを断罪する。そのシーンは痛快きわまると同時に、腹の底からの哄笑を誘い出す。映像の無限の可能性が、この作品には存在します。(★★★★★)

 

 

 

 

 


 


事実に基づいた韓流・海洋サスペンス「海にかかる霧」

2015-04-21 16:55:07 | 映画の最新情報(新作紹介 他)

 2001年10月、韓国の麗水(ヨス)で、いわゆる“テチャン号事件”が起こりました。韓国に密入国しようとした中国人60人のうち、25人が船内で窒息死し、船員らがこれらの死体を海に捨てた事件です。この重大出来事をもとに、キム・ミンジョンが「海霧(ヘム)」のタイトルで戯曲化。更にそれを、今回シム・ソンボが「海にかかる霧」(4月17日公開)の邦題で映画化、監督デビューをしました。「殺人の追憶」「グエムル-漢江の怪物-」などの傑作を放ったポン・ジュノが初プロデュース。監督に、「殺人の追憶」の脚本家シム・ソンボを抜擢。その結果、2015年米アカデミー賞外国語映画賞の韓国代表に選出された。
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 不況にあえぐ韓国の漁村。6人の乗組員を乗せたチョンジン号は、その日も一発逆転の大漁を狙って出航するが、目的を果たせない。切羽つまったカン船長(キム・ユンソク)は、中国からの不法移民の密入国を手伝うという、闇のルートの仕事を引き受ける。だが計画は、海上警察の調査や悪天候に阻まれ、思いもよらぬ事態に陥っていく。監視船がやって来た時、魚艙に隠れることを強いられた朝鮮族の人々が、冷凍機のフロンガスにやられて亡くなったのだ。やがてカン船長は、乗組員に遺体を切断して海に捨てるように命令。ただひとり、機関室に隠れていた女性ホンメ(ハン・イェリ)をめぐって、船員たちは正気を失っていく。
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 この作品には、今日的な問題が含まれています。家族を養うため、韓国へ行くという密航者たち。それを悪用して、中国から密航者を受け入れ、金儲けを企む密輸業者。そして、不漁のために密入国を請け負うカン船長。それと感づきながら密航を見逃す監視船の役人。はじめは、密航者のケガの手当てをし、食事を与えていた船員たちにも、次第に獣性が現れる。魚艙ではなく機関室などにかくまえと主張する密航者のひとりを海に投げ落とす船長。数少ない女性密航者に欲望を露わにする船員。ただひとり、一番下っ端の青年ドンシク(人気グループJYJのパク・ユチョンが映画デビュー)だけが、正気を保ってホンメをかくまう。
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 製作担当のポン・ジュノは言う。「ストーリーの奥深さのみならず、緊張を緩めることができない息詰まる展開、そして切ない愛の物語…」だと。だが、実際に起こった事件を素材にしたわりには緊迫感が足りず、平凡な海洋サスペンスになってしまったように思われる。金や女性をめぐる各キャラもパターン通りで、ドンシクとホンメの愛もメロドラマ的。テーマが密航というわりには社会性に乏しく、興味本位という感じになった。もっと登場人物の葛藤をドキュメント・タッチで描けなかったか。ただひとつ、生き残って建設現場で働くドンシクが、6年後、料理店で子連れのホンメを見かける結末が哀しい。(★★★+★半分)


さて、結末はどうなったか?「ソロモンの偽証 後篇・裁判」

2015-04-14 15:47:21 | 映画の最新情報(新作紹介 他)

 中学校の屋上から転落死した男子生徒。果たして、それは自殺か他殺か。遺体発見者のひとり、生徒の藤野涼子(藤野涼子)らのもとに目撃者と名乗る人間から告発状が届く。「卓也くんは、本当は殺されたのです」と。容疑者とされたのは、普段から暴力沙汰が絶えないクラスメートの大出俊次(清水尋也)。騒ぎは次第に大きくなり、涼子は、容疑者の校内裁判を開くことを決意する…。さて、その結果は? 宮部みゆき原作を成島出監督が映像化した「ソロモンの偽証 後篇・裁判」(4月11日公開)で、すべての謎が解き明かされます。俊次は本当に犯人なのか? 告発者の真意は? 生徒、教師、保護者、警察、マスコミの反応は? 誰かが嘘をついている? いろいろな謎をはらんで、後半の裁判が始まります。
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 被告人の俊次が出廷を拒否したことで、校内裁判の開廷は絶望的となる。だが、亡くなった柏木卓也(望月歩)の友人で、他校生だが裁判に参加する神原和彦(板垣瑞生)は、俊次の出廷に向けて奔走。また、涼子も告発容疑者・三宅樹里(石井杏奈)に証人として出廷するよう要請する。また死亡当夜の卓也の足取りを追う中で、卓也の自宅に異なる場所の公衆電話から4回電話があったことが判明、涼子はこの電話こそ事件の鍵を握ると確信。やがて、凄惨な過去を背負いながら真っすぐに生きようとする和彦の姿勢に感化されて、俊次が出廷を決意。樹里も出廷することになる。だが涼子は、ある人物への疑念がぬぐえない。そしてついに、生徒・保護者・教師・刑事ら多くの傍聴人の前で、前代未聞の校内裁判が始まる。
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 このドラマには、いろいろな問題提起が含まれています。エスカレートするいじめと校内暴力、頼りない校長や教師たち、生徒の家庭の複雑な内情、煽情的なメディア、事態を見守るだけの警察。涼子をはじめとする生徒たちは、怒りを込めて、そうした状況を徹底的に弾劾し、容赦のないディスカッション・ドラマを繰り広げます。1万人の候補者から選ばれたという33人の若者たちの熱っぽい演技が、やはり迫力満点。でも、展開は前篇ほどスリリングではありません。前篇で提示された多くの疑問が、いかに解決されるのか。それが楽しみで、2時間半弱もの長い完結篇を見に出かけたのに。その理由は、どこにあるのか?
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 映画のパンフレットやチラシには、こう書いてあります。「新たな殺人計画、そして犠牲者がひとり、また一人…」=連続する殺人事件? まず、それがナイナイ。殺人の犠牲者(?)とされるのは、転落死した卓也くんのみ。「過熱するマスコミ報道」?=正義の追求だとたばかるTV局一社の軽薄なニュース記者のみ。「偽証」?=結果的に何のことかわからず、最後に解き明かされる謎とは、別にびっくりするほどのものではない(むしろ想像どおり)。そして、生徒同士、生徒と教師・親たちとの懺悔と、ナミダ、ナミダの妥協で、すべてが終わる。10代の出演者たちのキャラが素晴らしかっただけに、物語の構成のゆるさが悔やまれます。(★★★+★半分)


韓国の実力派ファン・ジョンミン主演「傷だらけのふたり」

2015-04-08 16:19:01 | 映画の最新情報(新作紹介 他)

 ファン・ジョンミンは、いま韓国で注目の俳優です。1970年生まれの44歳。イケメンではないが、幅広い役柄をこなす実力派男優だ。いままで「ユア・マイ・サンシャイン」(05年)と「新しき世界」(13年)で、2度の青龍映画賞主演男優賞に輝いた。彼の新作が「傷だらけのふたり」(4月4日公開)。ドラマ「がんばれ!クムスン」「朱蒙(チュモン)」などの人気女優ハン・ヘジンを相手役に、三流チンピラの純粋な恋心を演じてみせる。監督は、本作で長編映画デビューとなるハン・ドンウク。助監督時代に一緒に仕事をしてきたファン・ジョンミンの推薦によって監督に抜擢され、本作の企画がスタートしたという。
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 舞台は、日本統治時代の面影が残る寂れた湾岸都市・群山(クンサン)。高利貸の借金取りをしているテイル(ファン・ジョンミン)は、一見粗野で乱暴だが、反面情に厚い不器用な男。ある日、昏睡状態に陥った男の借金取り立てのため病院を訪れた彼は、そこで相手の看病をする娘ホジョン(ハン・ヘジン)と出会う。テイルはホジョンに父親の借金の肩代わりを強いるが、内心では彼女にひと目惚れ。そのあげく、毎日1時間、自分とデートすれば借金を帳消しにしてもいいと持ちかける。初めは嫌々ながらそれに応じたホジョンだが、ぎこちない逢瀬を重ねるうちに、テイルの意外な優しさに触れて、徐々に心を開いていく。
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 チンピラまがいの中年男と、銀行に勤めるカタギの娘との純真かつ大甘なラブストーリーである。やがてテイルの愛は実り、ふたりでチキンの店を出そうという話までまとまる。だが、テイルが脳腫瘍に侵されていることが判明。あげくに彼は傷害事件を起こして服役、ホジョンの心も離れていく。いわば、韓流メロドラマの要素がすべてそろった恋愛物語だ。「荒削りの男たちにも家族はいるし、恋愛もする。そうした部分を描いた作品を撮ってみたかった」と、ハン・ドンウク監督は言う。テイルと家族や友人とのやりとり、ホジョンの戸惑い、そしてテイルの死。メロドラマとしては、ちょっと出来過ぎ(?)の感もある。
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 この身分違いの恋の物語で面白いのが、食事のシーンだ。テイルは、ホジョンの気を引くために食事にさそう。彼と彼女の気分に合わせたバリエーション豊かな食事。父親の葬儀の後、骨付きの鶏肉を手づかみで食べるホジョンの気持ちは、その日を境にテイルに傾いていく。なるほど、恋愛を成就させるためには、食事も大切な要素なんだな。それが、ハン・ドンウク監督流の日常リアリズムでもあるのだろう。ファン・ジョンミンは、類型的だが微妙でもある男の心理を巧みに演じる。最新主演作「国際市場で逢いましょう」(5月16日公開)は、韓国で観客動員数1000万人を超えるヒットになったそうだ。(★★★+★半分)


ジプシー女性詩人の栄光と悲劇「パプーシャの黒い瞳」

2015-04-03 16:52:51 | 映画の最新情報(新作紹介 他)

 クシシュトフ・クラウゼと、その妻ヨアンナ・コス=クラウゼが監督・脚本を手がけたポーランド映画「パプーシャの黒い瞳」(4月4日公開)は、歴史上はじめてのジプシー女性詩人を題材にした異色作です。ブロニスワヴァ・ヴァイス(1910~1987)、愛称はパプーシャ、ジプシーの言葉で“人形”という意味だそうだ。彼女は、馬車を連ねたクンパニア(キャラバン)を組んで旅をするジプシーのコミュニティに生まれた。その詩の才能は、詩人イェジ・フィツォフスキによって見出されたが、当時のポーランド社会主義政権の同化政策に利用され、やがて晩年はジプシーのコミュニティを追放されて、孤独を生きたという。しかし、パプーシャは、ポーランドを代表する女性詩人60人にも選ばれているといいます。
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 映画は、激動のポーランド現代史(ナチスによる蹂躙、戦後の社会主義国家の誕生など)と、差別・迫害されるジプシー社会の受難を背景に、パプーシャの人生の軌跡を追っていきます。なによりも特筆すべきは、書き文字を持たないジプシーの一族に生まれたパプーシャが、幼少時に言葉に惹かれ、文字に惹かれ、心の翼を広げて詩を詠んだことだ。彼女は、1921年、泥棒が木の洞に隠した盗品を偶然に見つけ、そこにあった文字が印刷された紙片に気を奪われる。ジプシーにとって、文字はガジョ(よそ者)の呪文、悪魔の力。だが、パプーシャは文字に惹かれる心を抑えきれず、町の白人に読み書きを教えてほしいと頼み込む。
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 やがて、パプーシャ(ヨヴィタ・ブドニク)は成長するや、森や川の情景、ジプシーの暮らしと悲しみなどを、独学で覚えた文字、それも詩という形で表現。1949年、秘密警察に追われる作家で詩人のイェジ・フィツォフスキ(アントニ・パヴリツキ)がジプシー社会に逃げ込み、彼女の口からこぼれた詩に驚く。やがてフィツォフスキは、パプーシャの詩と自らのジプシーの論考を収めた本を出版、パプーシャは大きな注目を集める。だが、このことがジプシー社会の秘密を明かす裏切り行為とされ、パプーシャと夫はコミュニティを追われる。物語は、パプーシャが15歳で年の離れたジプシー演奏家と結婚したこと、フィツォフスキとの出会いと別れなどを盛り込みながら、文化のはざまに立つ女性の受難を描く。
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 映画は、1910年から1971年まで、時代を前後させながら、言葉そのものが詩になっていくパプーシャの栄光と悲劇、ジプシー社会の内部の葛藤などを、美しいモノクロ映像で展開していく。なによりも映像のカッティングが素晴らしく、ジプシーの放浪生活と自然の情景を、ひと言では表現できないほどの絵画的な手法で叙事詩としてとらえます。特に印象に残るのは、大勢のジプシーたちが馬車で移動する姿をとらえたロングショット。自分たちの生活や文化を外部にもらさず、社会の迫害から逃れるように大自然のなかを放浪するジプシーたち。それを彩るのが、心湧きたつジプシー・ミュージック。だが、戦後樹立された社会主義体制は、ジプシーたちに定住化政策を強要し、彼らの文化を奪いました。
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「いつだって飢えて いつだって貧しくて 旅する道は 悲しみに満ちている とがった石ころが はだしの足を刺す…」。パプーシャは、詩が公刊されて、コミュニティから追放されたあげく、苦悩のあまり錯乱し、約8か月を精神病院で過ごしたそうだ。彼女の理解者で、戦中・戦後の抵抗者だった反骨の人フィツォフスキは回想する。「この邂逅がなかったならば、こんなにも美しい森の詩を、われわれが聞くことはなかったであろう。しかし、パプーシャ本人は、この邂逅がなかったならば、まちがいなくもっと幸せで、あれほどの苦難に遭うこともなかっただろう」と。
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 監督のクシシュトフ・クラウゼは、昨年12月、前立腺ガンのため61歳で永眠した。監督の言によると「この映画は、何よりも“詩を創造する”ということでコミュニティの規範を越境し、そのために多大な犠牲を払った女性の物語」だという。そして、当時のジプシー社会を再現することに苦労した。加えてクローズアップをできる限り使わないことにした。「パプーシャの感情にそった流れにしたかった。絶対に避けたかったのは、ハリウッド的な、設定/対立/解決の三幕仕立てでした」と、ヨアンナ・コス=クラウゼは語る。パプーシャこそ、20世紀の歴史における女性の悲劇の象徴といってもいいでしょう。(★★★★★)


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