わくわく CINEMA PARADISE 映画評論家・高澤瑛一のシネマ・エッセイ

半世紀余りの映画体験をふまえて、映画の新作や名作について硬派のエッセイをお届けいたします。

是枝監督のカンヌ国際映画祭受賞作「そして父になる」

2013-09-30 17:51:18 | 映画の最新情報(新作紹介 他)

Photo 今年のカンヌ国際映画祭で審査員賞を得た是枝裕和監督の「そして父になる」(9月28日公開)。同映画祭で審査委員長をつとめたスティーブン・スピルバーグ率いるドリームワークスによってリメイクされることになったとか。テーマは、赤ん坊の取り違え事件。是枝監督は、日本でも昭和40年代までは頻繁にあった取り違え事件を丹念にリサーチした上で、オリジナルの脚本を書き上げたという。取り違えが発覚した時、親たちは子供の交換をするのか。大切なのは産みの親か、それとも育ての親なのか、という問題に迫ります。
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 野々宮良多(福山雅治)は、一流大学を卒業、大手建設会社に勤め、都心の高級マンションで妻と息子と暮らすエリートだ。だが、ある日、病院からの電話で6歳の息子・慶多(二宮慶多)が取り違えられた他人の子だと判明。妻みどり(尾野真千子)は気付かなかった自分を責める。良多は戸惑いながらも、相手の家族と交流を始める。しかし、群馬県で小さな電気店を営む相手の斎木雄大(リリー・フランキー)とゆかり(真木よう子)夫婦の粗野な言動が気に入らない。狭い住居で賑やかな家庭を築いてきた斎木夫婦と、一人息子に愛を注いできた野々宮みどりは、育ての子を手放すことに悩む。それでも早い方がいいと言う良多の意見で交換が決まる。やがて、良多の父としての本当の葛藤が始まる…。
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 世間では100パーセント血のつながりを選んで交換すると強調する病院側。「両方とも引き取っちゃえよ」と無責任なことを言う良多の上司。都会のエリートと、地方の商人という二家族の階級差。病院の慰謝料を口にする斎木と、傲慢な良多の相克。いっぽう、みどりとゆかりは、同郷同士ということもあり電話で子供たちの情報を交換する。初めての宿泊の日、慶多は斎木家の賑やかな食卓や入浴に戸惑いながらも融けこんでいく。他方、斎木の息子・琉晴(黄升炫)は野々宮家の豪勢な食事に驚き、箸使いを正されたりする。真逆の家族間を行き来させられる子供たちの戸惑いは深くなるばかり。良多に向かって「なぜ、なぜ?」と問う琉晴。良多に不信感を抱く慶多。わずか6歳の少年たちの心を思うと胸が痛む。
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 映画は、二組の両親と子供たちの心理の移ろいを、日常描写の中でじっくりと凝視していく。でも、取り違えられた子供たちの交換は、本当に可能なのか? 特に、6歳という子供たちの気持ちを考えれば、どうなのか? こうした事件が起きた場合、ほとんどのケースが“血”を選んで、互いの子供を交換するという。是枝監督は、「映画の中で、もし“血”に閉じない着地点があるのなら、いまやる意味があると考えた」という。確かに、子供たちの来し方・行く末を考えれば、そりゃ、産みの親より、育ての親だろう、と思う。こうした結論が明らかに予想されるドラマ作りの難しさに、是枝監督は挑んだわけである。
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 ラスト、是枝監督は、ドラマの結論を出さないで終える。子供たちは育ての親の元に戻るのか、それとも両家が融合して大家族にまとまるのか? この作品の場合、群馬の病院で取り違えが起こった原因として出されるのは、かなり唐突なものだ。それに、問題作であることは間違いないが、子供たちの交換があっさり描かれてスッキリしない点も残る。ただし、6歳の少年を演じる二人の子役は名演で、心を締めつける。設定はほとんど同じだが、テーマがまったく異なる作品にフランス映画「もうひとりの息子」がある。こちらは10月19日公開なので、その時は、この問題を別の視点から考えてみよう。(★★★★)


心の闇を解き放つタンゴのステップ!「タンゴ・リブレ 君を想う」

2013-09-25 18:04:41 | 映画の最新情報(新作紹介 他)

Img026 タンゴをモチーフにした映画は数多く作られている。その中でも、ベルギー=ルクセンブルク=フランス合作の「タンゴ・リブレ 君を想う」(9月28日公開)は、きわめて異色な作品です。監督は、「ポルノグラフィックな関係」(00年)で評価を得たベルギー出身のフレデリック・フォンテーヌ。単なるタンゴ映画ではなく、タンゴの魂を謳い上げながら、人間の絆をひもといていくヒューマン・ドラマになっています。
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 J.C.(フランソワ・ダミアン)は刑務所の看守をしている。生活は平凡で、趣味は週に一度タンゴ教室に通うこと。ある日、教室に30代の女性アリス(アンヌ・パウリスヴィック)がやって来て、一緒にタンゴを踊ることになる。彼女は15歳の息子を持つ母親だったが、華やいだ雰囲気があった。翌日、J.C.は刑務所の面会用待合室でアリスの姿を見つける。彼女の面会相手はふたりいて、ひとりは夫で、もうひとりは愛人。男ふたりは犯罪の共犯者だった。やがてJ.C.は、欲望と自分のルールに従って生きているアンヌに心を惹かれていく。だが、看守は受刑者の家族とつきあってはいけないという決まりがある。しかしJ.C.は、これまでの人生や生活を捨てて、決まりなど破ってもいいと考えるようになる…。
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 アリスの夫フェルナン(セルジ・ロペス)が、妻とJ.C.がタンゴで結びつけられていることを知って嫉妬し、自分もタンゴを覚えようとするくだりが秀逸だ。やがて、タンゴ熱が受刑者間に広がり、男同士がカップルを組んでタンゴに夢中になっていく。刑務所内に轟く男たちのタンゴのステップ。そして、彼らをひそかに見守るJ.C.と、アリスと息子、彼女の夫と愛人の心の移ろい。各キャラが強烈で、互いに窺い合うような人間関係が面白く、タンゴのステップの中から緊迫した人間ドラマが浮かび上がるという仕掛けだ。
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 アルゼンチン出身のカリスマ・タンゴダンサー、チチョ・フルンボリらが俳優として参加、振り付けも担当した。劇中、床を踏み鳴らし、手拍子して熱狂する受刑者たちに、彼はつぶやく。「タンゴは魂の踊り、心の奥底を表現する。哀しみ、怒り、弱さ、優しさ。タンゴは大地であり、血であり、そして自由の舞いだ」と。アンヌが示すフリーな愛、ダイナミックなタンゴのリズムで意思をかよわせる受刑者たち。最後、J.C.が日常としがらみから解き放たれるとき、彼とアンナ一家に意外な結末が訪れる。タンゴの魂がもたらす幻想的で楽天的な自由へのいざない。見ているほうも快哉を叫びたくなる終幕だ。(★★★★)


台湾の青春映画「あの頃、君を追いかけた」

2013-09-21 14:57:19 | 映画の最新情報(新作紹介 他)

Photo 台湾のベストセラー作家ギデンズ・コー(九把刀)が、自伝的ネット小説を自ら初監督(兼脚本)した作品が「あの頃、君を追いかけた」(9月14日公開)です。時代背景は、1994年から2005年までの約10年間。主舞台は、台湾中西部の町・彰化。ケータイが出回る以前の頃、男子5人、女子2人のグループ交際を軸に、青春のほろ苦さ、悲しみ、人生の流転を、軽い笑いとともにノスタルジックなタッチでつづった青春ドラマです。
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 中高一貫校に通うコートン(クー・チェンドン)は、どこにでもいるような高校生。頭の中は、性への興味でいっぱい。将来のことなど考えず、同級生の仲間とつるんでバカなことばかりして、のんきな学生生活を過ごしていた。彼と仲間の憧れは、同クラスで成績優秀な女生徒シェン・チアイー(ミシェル・チェン)。コートンは、担任から自分のお目付けを仰せつかったチアイーをうとましく思いながらも、いつか胸がざわめき始める。だが、その思いをはっきり切り出せず、いつしか彼らは別々の大学に通うようになり、やがて社会人となって、それぞれの道を歩み始める…。
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 いかにも台湾らしい地方の町の、のんびりした情景。コートンの部屋にはブルース・リーのポスターが貼ってあり、女高生たちの話は死体がキョンシーになるという噂。また、コートンとチアイーが天燈上げをするシーン。更に、時代を経るにつれて入れ替わっていくヒット曲。そして、1999年に起こった9:21大地震。いままさに30代半ばになっている台湾の世代の不器用で懐かしい青春時代が浮かび上がってくる。
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 ギデンズ・コー監督は、日本の漫画を見て育った世代で、日本文化を吸収してきたという。劇中にも日本の人気アニメやAVが登場。加えて、ほぼ無名の出演者はすべて個性的で可愛い。でも作品の出来は、ネット小説の画一性を示すような平凡な学園青春コメディーになった。だが、台湾ではヒットして社会現象を巻き起こしという。かつて、侯孝賢(ホウ・シャオシェン)をはじめとする台湾ニューウェーブの監督たちは、ノスタルジックな作品に深い人間洞察を加えたものだが、青春のほろ苦さを軽いノリでつづってしまう本作の語り口は、今日的な感覚とでもいったらいいのだろうか?(★★★+★半分)


パトリス・ルコントの驚嘆アニメーション「スーサイド・ショップ」

2013-09-14 17:17:13 | 映画の最新情報(新作紹介 他)

Img025 愛の皮肉を主題にした「仕立て屋の恋」(89年)、「髪結いの亭主」(90年)などで脚光を浴びたフランスのパトリス・ルコント監督。彼の新作が、なんと初の長編アニメーション「スーサイド・ショップ」(9月7日公開)です。タイトルを訳すと「自殺用品専門店」。フランスの人気作家ジャン・トゥーレのベストセラー小説をもとに、作画担当チームを率いてユニークなキャラクターを造形、ミュージカル仕立てで描いた人生ドラマ。登場人物の名前が“ミシマ”や“マリリン”など自殺した有名人の名であるなど、ルコントの皮肉屋ぶりが躍如とした、ブラック・ユーモアに満ちた驚異の作品になっています。
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 ドラマの舞台は、絶望に覆われ、灰色に染まった大都市。人々は、生きる意欲も希望も見いだせず、次から次へと自殺をはかっている。そこで唯一、温かな灯をともし、繁盛しているのが、10代続く老舗の自殺用品専門店。店内には、首吊りロープ、腹切りセット、毒りんご、さまざまな種類の毒薬などが所狭しと並んでいる。店を営むのは超ネガティブ思考のトゥヴァシュ一家。父のミシマと母のルクレスはじめ、長女マリリン、長男のヴァンサン全員がクスリとも笑ったことがない。ところがある時、一家に明るく無邪気な赤ちゃんのアランが誕生したことから、家族の中で何かが崩れ始めていく…。
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 客も素っ頓狂な自殺志願者ばかり。お金が無くて自殺用品を買えない人には、店のレジ袋を渡し、頭を中に突っ込んで首のまわりをセロテープでとめて完成する窒息死を提案する。まさにサービス満点。あげくにミシマは、進んで息子にタバコを吸わせたりするのだ。そして「あなたを死なせること、それが私たちの幸せ」と主題歌「トゥヴァシュ家の歌」がうたいあげる。絶望した男を見て、彼が服毒自殺をしようとする瞬間に、サヨウナラの歌をうたってあげるシーンも妙に可笑しい。また、皮肉屋ネズミが人間どもの不幸を喜ぶコーラスをうたい上げたり、店のドア・チャイムがドクロの形をしているなど芸も細かい。
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 現代人のマイナス思考を徹底的に肯定し、死をブラック・ユーモアに昇華してしまうアイデアがベリー・グッド。それは都市の崩壊と自殺の蔓延=現代の暗喩であり、そこには死を逆手にとって人間の未来をのぞく姿勢がうかがわれる。それらを彩る各キャラのイメージが絶品だ。愛想がよく、典型的な商人気質の夫婦。父ミシマは美容師風のルックス、母ルクレスはバッチリおしゃれをして、店の奥の台所で毒薬の調合にいそしむ。長男ヴァンサンは瞼が重そうに落ちていて無気力な感じ、長女マリリンは自分がイケていないと考える太り気味の思春期の娘。ところが、生まれてきた息子アランは超ポジティブ思考、商品を次々と自殺できないものに変えていくため、店は経営危機に陥ってしまうのだ。
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 ルコント監督は、IDHEC(フランスの高等映画学院)で映画監督になる勉強をしたが、卒業後はバンド・シネの漫画家、イラストレーターとして漫画雑誌社で働いた経験を持つという。今回、小説をアニメ化した理由は「アニメーションなら、現実世界とは離れて違う宇宙に行けるし、新たに組み立てた世界を創造できるから」と言う。そして、「今回は破壊的で家族的なミュージカル・アニメーションを作ろうと思った」と語る。さてさて、少年に成長したアランは、腕白仲間とともに、このマイナス世界をどう変えていくのだろうか。見ていると、初めは自殺願望に巻き込まれていくような気がしますが、それが次第に笑いと温もりに変化していく過程が何とも不思議です。(★★★★★)


青山真治監督が芥川賞受賞小説を映画化「共喰い」

2013-09-09 15:56:29 | 映画の最新情報(新作紹介 他)

Img024「EUREKA ユリイカ」(00年)でカンヌ国際映画祭国際批評家連盟賞を、「東京公園」(11年)でロカルノ国際映画祭金豹賞審査員特別賞を受賞するなど、国際的に評価の高い青山真治監督。彼の新作が、田中慎弥の芥川賞受賞小説の映画化「共喰い」(9月7日公開)です。父と息子、そして夫婦の相克、家族の崩壊を、性と暴力という視点からとらえた異色作。脚本を手がけたのが、日活ロマンポルノから近作「大鹿村騒動記」(11年)まで、ユニークな作風を持つ荒井晴彦。特異な発想で、日本の男と女の関係に斬り込んでいきます。
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 舞台は、昭和から平成になる直前の昭和63年、山口県下関市。川辺と呼ばれる土地で、17歳の遠馬(菅田将暉)は、父・円(光石研)とその愛人・琴子(篠原友希子)と暮らしている。父には、セックスの時に女性を殴るという暴力的な性癖がある。そのため、産みの母・仁子(田中裕子)は、遠馬が生まれてすぐ家を出て行き、魚屋でひとり暮らしをしている。遠馬は粗暴な父親を疎んで生きてきたが、幼なじみの彼女・千種(木下美咲)と何度も愛を交わすうちに自覚していく。自分にも、確かに父と同じような忌まわしい血が流れていることを。そしてドラマは、この4人を中心に凄惨な結末に向かっていく…。
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 遠馬の母・仁子の存在が物語の重要なキーとなる。家庭を捨てて、川べりの小屋で魚をさばきながら生計を立てている年老いた女性。実は、彼女は戦争中に空襲に遭い、左腕の手首から先を失った、という設定になっている。クライマックス、仁子はその義手で円の腹を刺して拘置所に入れられる。そして、訪れた遠馬に「あの人、血吐いたんね?」と問い直す。恩赦があるから、判決まで生きとってほしいと。更に「あの人が始めた戦争でこうなったんじゃけ、それくらいはしてもらわんと」と。“あの人”とは、ドラマの最後、昭和64年1月7日早朝に逝去した昭和天皇のことである。演じる田中裕子に現実感がこもる。
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 映画は、下関の夏の自然の情景を巧みに挿入する。テーマは、性、暴力、家庭内の確執。更に、底流として浮かび上がるのが“昭和怨み節”とでもいうべきものだ。そのはざまから立ち上がってくるのが女性の活力である。忍耐を殺意に転化させ、昭和を呪詛する母・仁子。円を見限って逃げ出す愛人・琴子。円に犯されたあげく、遠馬に真の愛を求める千種。こうしたドラマの多重構造には、脚本家・荒井晴彦の思いがこめられているようだ。しかし、平成の社会の歪みのもとになった昭和に対する怨み節が感覚的で、もうひとつ突き抜けていかない。だから、語り口が時代遅れという感も免れない。可哀そうなのは、性の泥沼の中でアイデンティティーを失っていく遠馬少年の存在である。(★★★+★半分)

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連載記事「昭和と映画」

今回のテーマは「ハリウッド・ニューエイジ・スター<女優編>」


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