わくわく CINEMA PARADISE 映画評論家・高澤瑛一のシネマ・エッセイ

半世紀余りの映画体験をふまえて、映画の新作や名作について硬派のエッセイをお届けいたします。

「なぜ、何のために戦っているんだろう?」――「運命は踊る」

2018-09-25 14:35:25 | 映画の最新情報(新作紹介 他)

 イスラエルの新鋭監督サミュエル・マオズが、「レバノン」に次いで発表した作品が「運命は踊る」(9月29日公開)です。同監督は、20歳になったばかりのころ勃発したレバノン戦争に砲手として従軍、壮絶な戦争体験をした。本作も、自らの体験をベースに、運命の不条理さ、人生のやるせなさを描き出したものです。とりわけ、ギリシャ悲劇を思わせるスタイルで、沈痛なファミリー・ドラマとして戦争の実相をとらえた点がユニークだ。イスラエルの社会状況を盛り込みながらも、普遍的な家族のドラマに仕上げた。その結果、ヴェネチア国際映画祭で審査員グランプリ(銀獅子賞)を受賞。本国でも、イスラエル・アカデミー賞であるオフィール賞で最多8部門受賞。各国の映画祭でも数々の受賞に輝いた。2018年、ヴァラエティ誌が毎年発表している観るべき10人の監督にも選ばれている俊才である。
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 ミハエルとダフナ夫妻のもとに、軍の役人が息子ヨナタンの戦死を知らせるためにやって来る。ショックのあまり、気を失う妻ダフナ(サラ・アドラー)。夫のミハエル(リオール・アシュケナージー)は平静を装うが、役人の対応に苛立ちをおぼえる。そんななか、実は戦死の報が誤りだったとわかる。安堵したダフナとは対照的に、ミハエルは怒りをぶちまけ、息子を呼び戻すように要求する。いっぽう、ラクダが通る索漠とした検問所。戦場でありながら、ヨナタン(ヨナタン・シライ)はどこか間延びした時間を過ごしている。ある日、若い男女が乗った車がやってくる。いつもの簡単な取り調べのはずが…。やがて、ヨナタンに帰宅命令が出される…。父、母、息子―遠く離れたふたつの場所で、3人の運命は交錯し、そしてすれ違う。愛する息子を連れ戻そうとする父、息子が生きていたことを喜ぶ母、戦場で悲痛な体験をする息子。彼らは、運命の渦に容赦なく呑み込まれて、翻弄されていく。
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 イスラエルのユダヤ人は、18歳になると男女を問わず兵役に就くという。若者にとって、兵役に就くことは“大人になる”ための通過儀礼でもある。徴兵期間が終わると、大学に進学したり就職したりする。兵役中は、検問所での監視や危険地帯でのパトロールなど危険と隣り合わせだとか。いわばヨナタンはそのひとりだ。イスラエル北部の国境付近。ぽつんとある補給路の検問所にいる若者たち。彼らの基地であるコンテナは、毎日ほんの少しずつ傾いている。ある兵士が、ふと漏らす―「なぜ戦っているんだろう。何のために?」。もしかしたら、検問所を通過する民間人と思える人がパレスチナ人かもしれない。劇中、そんな危機意識が、とんでもない結果をもたらす。就寝前、ヨナタンはベッドでスケッチブックに裸の女性のイラストを描く。映画は「ミハエル」「ヨナタン」「ダフナ」の三部構成から成る。親子それぞれが抱えるショックと幻惑。監督は、映画全体が哲学的パズルなのだという。
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 映画の原題は「FOXTROT(フォックストロット)」という。1910年代初めにアメリカで流行した社交ダンスのステップのこと。作品中、しばしば語られるステップ。「前へ、前へ、右へ、ストップ。後ろ、後ろ、左へ、ストップ」と、元の場所に戻って来る。どうあがいても、いくら動いても、同じ所へと帰って来る。動き出した運命は、変えることができないというように…。父親のミハエルが、母の暮らす施設を訪れた際、老人たちがフォックストロットのステップを踏んで踊っている。また検問所では、暇を持て余しているヨナタンに同僚の兵士が語りかける。“フォックストロット”の意味を? こうやるんだ。銃を手にして踊っているうちに、空想の音楽に合わせてマンボを踊る。緊張と弛緩の間に、そこはかとない可笑しみを漂わせるシーンだ。マオズ監督は言う―「フォックストロットは、人間が運命を踊るダンスなのです。多くのバリエーションがありますが、すべて出発点に戻って終わる。私にとって、典型的な運命のダンスに思えたのです。何が起ころうと、最終的には同じ位置に戻ってきてしまう」。さすれば、映画の皮肉な結末は、まさにそういうことなのだろう。
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 ドラマは、戦争、家族愛、ホロコーストの記憶など、すべてを交錯させて、抽象的な映像で登場人物の心理をとらえていく。まるで幻のような、悪夢のような映像世界。加えて、軍部批判も盛り込まれる。更に、イスラエルのなかの矛盾・疑問・衝突も。全体としての印象は、哲学的で文学的な語り口でもあり、映像は象徴的だ。本国イスラエルでの公開の際には、スポーツ・文化大臣を中心とした右寄りの政治家から、「イスラエルにとって有害な映画。政府機関であるイスラエル映画基金から、製作資金を与えられるべきではなかった」という攻撃を受けたとか。そのことで、かえってこの映画の物語が、いかに正確なものかを証明している、とマオズ監督は語る。「ミリ・レジェブ(スポーツ・文化大臣)は、イスラエルを常に保護される必要のある小さな子供と見なしてしまっている。彼女の攻撃の直後から、表現の自由、芸術を援助する必要性をめぐる戦いが始まっています」と。(★★★★+★半分)


火星に思いを馳せる―映画と、SF小説と…

2018-09-11 13:55:53 | 映画雑談

  去る7月31日、火星が地球に大接近。以後、晴れた夜には、火星・土星・木星の星座ショーを楽しみました。最近は、西に傾く時間が早いけれど、まだ火星くんの姿を楽しめます。ところで、その頃から火星を主題にしたSF小説も読み始めました。まずは、巨匠レイ・ブラッドベリの「火星年代記・新版」(ハヤカワ文庫・写真)。27編の短編から成る、ショート・ショート構成の火星クロニクル。はじめ人類は探検隊を送りますが、その人々はなぜか帰還しない。そこで描写される火星人は、硬貨のようにキラキラ光る眼と黒い肌を持っている。しかし、そのうち火星人は姿を消し、地球の人々が移住を開始。その背景には、地球で壊滅的な戦争が起こり、人類は火星に植民しなければならなくなるのです。SF小説なのに、なぜかリアルで、近未来での隣の惑星への人類の接近がスリリングで衝撃的なのです。
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 その少し前に読んだのが、アンディ・ウィアー著「火星の人」(ハヤカワ文庫)。火星に取り残された主人公が、不自由な条件下でサバイバルする話。彼は、次に地球からやって来る宇宙船と遭遇するために、長い旅路をたどります。いわば、火星ロードムービー。この作品は、リドリー・スコット監督、マット・デイモン主演で「オデッセイ」(2015)というタイトルで映画化されていますね。映画といえば、以前は火星人による地球来襲スペクタクルに胸をときめかせたものでした。代表作が、H・G・ウェルズの原作(1898)を映画化した「宇宙戦争」(1953)。飛来した隕石から円盤が現れ、巨大なタコかイカのような火星人が地球の街並みを襲うシーンに手に汗握ったものでした。この作品は、のちにスティーブン・スピルバーグ監督、トム・クルーズ主演「宇宙戦争」(2005)として再映画化。バイロン・ハスキン監督の1953年作には及びませんでしたが、SFマニアとして懐かしい思いで見ました。
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 傑作だったのが、ティム・バートン監督の「マーズ・アタック!」(1996)。原作は、1962年にアメリカで発行されたトレーディング・カードだとか。巨大な母船から現れた安手の円盤から出現した火星人たちが、手当たり次第に熱線銃で地球人を丸焼きにする。そこから出てくるのは、でかい脳味噌と骸骨のような顔、ぎょろつく目玉を持った火星人。奇妙な言葉で和平を主張しながら、人間を殺戮してまわるが、どこか憎めないのだ。ノーテンキなアメリカの大統領と、強欲な不動産業者の二役を演じるのがジャック・ニコルソン。瓦礫の山と化したホワイトハウスに侵入した火星人が、この大統領を襲う。容赦ない火星人たちが、無能な政府首脳や科学者、軽薄なキャスターや傲慢な事業家を徹底的に揶揄するくだりが痛快。クライマックス、小さなラジオ局が発する電波にのって、珍妙な音楽が流れ、火星人は全滅。なんと火星人たちは、ミュージカルの古典「ローズ・マリー」中のヒット曲「インディアン・ラブ・コール」を聞いて頭を破裂させるのだ。「宇宙戦争」で、火星人は地球のウィルスで全滅するのだが、なんと本作では甘いラブソングにノックアウトされるとは!ね。
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 やがて、テーマは“火星人襲来”から火星そのものへと移っていきます。ポール・バーホーベン監督、アーノルド・シュワルツェネッガー主演の「トータル・リコール」(1990)の原作は、フィリップ・K・ディックの短編「追憶売ります」。人間の無意識の世界に火星への憧れを埋め込んだ不思議な感覚の作品になっています。ブライアン・デ・パルマ監督の「ミッション・トゥ・マーズ」(2000)は、消息を絶った仲間の謎を解くために、火星に向かう宇宙飛行士たちのドラマ。余り印象に残っていませんが、「トータル・リコール」の斬新なイメージ作りのほうが強烈でした。そしていま、キム・スタンリー・ロビンスン著<火星三部作>(「レッド・マーズ」「グリーン・マーズ」「ブルー・マーズ」創元SF文庫)を読み始めています。赤い星が、緑から青に変貌していく。火星に入植した人類が、どんなふうに火星を変え、どんなふうに生きていくか。先行きが楽しみになっています。
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…と書きながら、ふと思うのは―近頃、身辺に起こる想定外の(?)現象です。超酷暑に、大型台風と激しい雷雨、そして天地を揺るがす大地震…。いま、老衰化した地球は、果てしなく壊れ始めているのではないか? やがて、この足元から崩れ去っていくのではないか? おまけに、オバカな首脳たちが核戦争の準備をしている…。それならば、なんとか隣の惑星・火星に移住する準備をしなくちゃ。なんともSF的な発想ですね。それには何世紀もかかるんじゃないか? ぼくらが生きているうちは、実現不可能でしょうね。と、妄想、妄想…です。


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