わくわく CINEMA PARADISE 映画評論家・高澤瑛一のシネマ・エッセイ

半世紀余りの映画体験をふまえて、映画の新作や名作について硬派のエッセイをお届けいたします。

山田洋次監督シリーズ最新作「妻よ薔薇のように 家族はつらいよⅢ」

2018-05-28 14:23:29 | 映画の最新情報(新作紹介 他)

 名匠・山田洋次監督が、「男はつらいよ」シリーズ終了から20年の時を経て作り上げた喜劇「家族はつらいよ」。第1作(2016)は“熟年離婚”、第2作(2017)では“無縁社会”をテーマにしてきました。そして、シリーズ最新作のテーマは“主婦への讃歌”を底辺に据えた「妻よ薔薇のように 家族はつらいよⅢ」(5月25日公開)。気づかいの無さすぎる夫の言葉に、溜まりに溜まった不満が爆発。ついに家を出てしまった妻と、一家の家事をになう主婦がいなくなる、という緊急事態に直面した家族の大騒動。出演者として、2013年の「東京家族」からおなじみの“家族”を演じた8名の俳優陣が4度目の結集。さらに、シリーズおなじみの脇役陣も健在。ほろ苦くも、可笑しいドラマを繰り広げる。「男はつらいよ」で寅さんが見せたずっこけぶりと、マンネリズムの安心感を踏まえた家族コメディです。
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 史枝(夏川結衣)は、育ち盛りの息子ふたりと、夫・平田幸之助(西村まさ彦)、その両親とともに3世代で暮らす一家の主婦。ある日、家事の合間にうとうとしていた昼下がり、泥棒に入られて冷蔵庫に隠しておいたへそくりを盗まれた。夫から「おれの稼いだ金で、へそくりをしていたのか!」と嫌味を言われ、余りに気づかいの無い言葉に、それまで溜まっていた不満が爆発した史枝は、家を飛び出してしまう。一家の主婦が不在になった平田家は大混乱。体の具合が悪い富子(幸之助の母/吉行和子)に代わり、周造(幸之助の父/橋爪功)が掃除、洗濯、食事の準備と、慣れない家事に挑戦するが、そんなにうまくいくはずがない。家族そろって史枝の存在のありがたみをつくづく実感するのだが、史枝が戻ってくる気配は一向にない。そこで、家族会議を緊急招集! 平田家は、これで崩壊するのか、否か?
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 平田家の家族構成は……。周造は典型的な頑固おやじ、リタイア後の楽しみは酒とゴルフ。優しい富子は、カルチャー・クラブに通ってメロドラマを書くのが楽しみ。長男の幸之助は商社で働く中間管理職のサラリーマン、自分が家族全員を養っていると自負している。史枝は、家事から解放されてフラメンコ教室に通ってみたいと思っている(夏川結衣がチャーミング! 実際に、彼女がフラメンコを踊るシーンが登場する)。長女の金井茂子(中嶋朋子)は税理士で気が強い。その夫・金井泰蔵(林屋正蔵)は雑務をして妻の仕事をサポートしているが、どこか頼りない。次男の庄太(妻夫木聡)はピアノの調律師で、史枝の強い味方。妻の憲子(蒼井優)は看護師で、家族全員に可愛がられている。また、小林稔侍、風吹ジュンら、おなじみのメンバーが参加。その他、笹野高史(泥棒役)、立川志らく(刑事役)、笑福亭鶴瓶(タクシー運転手)らが脇役として登場し、意外なキャラクターを発揮している。
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 このシリーズの原点となった「東京家族」は、小津安二郎監督の名作「東京物語」(1953)をモチーフにして製作された。尾道から20年ぶりに上京した老夫婦(笠智衆と東山千栄子)が、子供たちの家を訪ねる。だが成人した子供たちは、それぞれの生活を守るために精一杯。ただひとり、戦死した次男の嫁(原節子)だけが、年老いた義理の両親に優しさを示す、という物語。山田版の「東京家族」では、原節子の役割を蒼井優がつとめた。そして、今回のタイトルは、女性映画の名手として知られた成瀬巳喜男監督の「妻よ薔薇のやうに」(1935)を思わせます。原作は、中野実が新派のために書いた舞台劇。妻がありながら別の女性と暮らす男と、その娘がからむ物語。誰ひとり悪人がいるわけではないが、うまくいかない家庭の微妙さをとらえた作品。山田洋次監督も、すでに87歳になる。小津安二郎や成瀬巳喜男へのオマージュともいうべき映画作り。それが、巨匠の到達した道というべきだろうか。
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 山田監督のコメント―「今回は妻への讃歌です。専業主婦の家事という仕事がどれだけ大変か、家族にとって主婦の存在がどれだけ重要な意味を持っているか。今回は(家族の)内側に内在していた夫婦の問題が噴出し、それに対して家族たちがどう対応し、オロオロしながらどう乗り越えていくか。このテーマは、ある種の重みを持っているので、そこをきちんと押さえて、楽しくも味わい深いどっしりとした喜劇を作りたいと思います」。撮影の主流がデジタルとなった現在、一貫してフィルムで行われるという山田組の映画作り。巧みに構成された登場人物のキャラクター。人情の機微をついたセリフと心理描写。そしてなによりも、展開と結末がすべて読めてしまうという映画作法。伝統と新しいモラルが交錯した語り口。つまり、誰でも安心して見られるファミリー・コメディといえるでしょう。(★★★★)


Made in 香港―フレッシュな女性映画「29歳問題」

2018-05-21 14:04:14 | 映画の最新情報(新作紹介 他)

 香港映画といえば、カンフー・アクションとかフィルムノワールの印象が強いが、最近、無名の女性監督によるデビュー作がヒットして、話題を呼んでいます。題して「29歳問題」(5月19日公開)。監督と脚本を手がけたのは、クロスメディア・クリエーターのキーレン・パン(彭秀慧)。演出・主演(二役)をつとめ、2005年に初演され、その後13年間繰り返し再演されている彼女の代表作である舞台「29+1」を自ら映画化したものです。女性が29歳から30歳になる特別な時を、オフィス・コメディの軽妙さでスタートさせる本作。次第に悩み多きヒロインの心情に寄り添い、思いがけない展開を示すラスト。ヒロインふたりの心のひだを繊細に描きながら、全編にチャーミングな仕掛けをこらし、伏線を鮮やかに回収していく手腕。その才能は内外で高く評価され、数多くの映画賞を受賞しています。
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 2005年、香港。30歳を目前に控えたクリスティ(クリッシー・チャウ)。勤め先の化粧品会社では、働きぶりが評価されて部長に昇進。長年付き合っている彼氏もいて、周囲も羨むほど充実した日々を送っている。だが実のところ、仕事のプレッシャーはきついし、彼氏とはすれ違いがち、実家の父親に認知症の症状が出始めたのも気がかりだ。そんなある日、住み慣れたアパートの部屋が家主によって売却され、退去を言い渡されてしまう。とりあえず見つけた部屋は、住人がパリ旅行に行っている間だけの仮住まい。エッフェル塔をかたどった壁一面のポラロイド写真や、女の子らしい小物でいっぱいのその部屋で、クリスティはそこに住んでいるティンロ(ジョイス・チェン)という女性の日記を見つける。偶然にも誕生日が同じだとわかって、がぜん部屋の主に興味を持ち始めたクリスティ。彼女は、そこに書かれているティンロのささやかな日常に、知らず知らずのうちに惹かれていく…。
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 このふたりの対照的な性格がドラマの要になる。クリスティはスレンダーなクール美人で、やり手のキャリア・ガール。“結婚”に悩み、父親の事故と死という不幸に見舞われる。忙しいだけの日常に、どんな意味があるのか?が、彼女が行き当たった疑問だ。演じるクリッシー・チャウは、グラドルから人気女優へと躍進した。いっぽう、元大家が紹介してくれた仮住まいの主ティンロは、ビデオメッセージでクリスティを迎える。明るく元気で天真爛漫。大ファンだというレスリー・チャンのレコードを手に、部屋を案内してくれる。オタク趣味で、中古レコード店勤務。ちょっと太めの体で、メガネ姿が特徴。演じるジョイス・チェンは“肥姐”の愛称で親しまれる人気歌手で女優。辛いことも笑顔で乗り越え、大好きな映画や音楽、温かな人々に囲まれて暮らす彼女の日常は、クリスティの目に新鮮に映る。キーレン・パン監督が、元のひとり舞台で、ふたりのアラサー女子をどう演じたのか興味深い。
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 この作品のもうひとつの魅力は、全編にちりばめられた香港映画への愛情たっぷりのオマージュだ。クリスティとティンロを結ぶ品となるのは、ウォン・カーウァイ監督の直筆サイン入り「花様年華」のポスター。ティンロはレスリー・チャンの大ファンで、レスリーが出演したドラマ「日没のパリ」に魅せられてパリに旅行することを夢見る。そして、それは人生の岐路にぶち当たって実現するのだ。ほかにも、人気グループBEYOND、レオン・ライなど、香港エンタメ・ファンにはたまらないネタが随所にひそむ。極めつけは、エンディング曲、レスリー・チャンが歌うバラード「由零開始」(ゼロから開始)。つまり、クリスティもティンロも、最後に新しい人生に歩み出す、というわけだ。人生のどん底に沈んだかのような彼女らは、果たして本当に自分の進むべき道を見つけることができるのだろうか?
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 30歳直前の女性の、人生の選択と悩み。キーレン・パン監督は、こうした主題を元気のいい女性ドラマに仕上げています。演出は斬新で、生き生きと躍動する。たとえば冒頭、オフィスガール、クリスティの単調な日常を、短いカットでつないで見せるユーモラスな手法。また、クリスティとティンロが画面上では出会っていないにもかかわらず、ふたりの人生が交錯し、現実と幻想が交わっていく語り口。同い年の正反対のキャラの彼女らが、ティンロの日記やビデオを通して関わり合っていく。また、ひとり芝居から飛び出したかのように、クリスティが観客に向かって語りかける場面もあります。総じて、語り口が明確で、カメラワークも新鮮。若い世代の本物の人生と現実の、スクリーンへの投影。それは、舞台女優で舞台演出家、クロスメディア・クリエーター、作家、脚本家として活躍するキーレン・パンの映像作法ともいえるでしょう。まさに、香港映画ニューウェーブの感覚です。(★★★★)


中山美穂主演+チョン・ジェウン監督=日韓合作「蝶の眠り」

2018-05-12 14:33:21 | 映画の最新情報(新作紹介 他)

 高齢化社会にあって、アルツハイマー病や認知症といった病と、どう向き合って人生の最後を迎えるのか。中山美穂主演、チョン・ジェウン監督の日韓合作「蝶の眠り」(5月12日公開)は、こうしたテーマで人間心理の深層をとらえた作品です。遺伝性アルツハイマー病を宣告され、自らの余命を知る女性小説家が、最後に自らの尊厳を守り、残る人々に美しい記憶を残そうとする紆余曲折をとらえたドラマだ。このヒロインを演じるのは、映画・TVで活躍する中山美穂。自身の年齢より年上の小説家役に挑み、透明な美しさのなかから、主人公の苦悩を浮かび上がらせる。彼女をそばで支える韓国人留学生役に、TVドラマ「コーヒープリンス1号店」などで人気を得たキム・ジェウク。彼の素朴な表情と流暢な日本語が、遺された者たちが患者とどう向き合うべきなのかを、見る者に突きつける役割を果たす。
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 売れっ子の小説家・涼子(中山美穂)は、夫と別れたあと、精力的に執筆を続けるが、母親と同じ遺伝性アルツハイマー病に侵されていることを告知される。病の進行に怯えながらも、最後の小説を書き上げたいと望むいっぽう、彼女は初めて大学の教壇に立ち、学生たちに文学の講義を始める。講義の初日、涼子は学生と訪れた居酒屋でアルバイトをする韓国人留学生チャネ(キム・ジェウク)と出会う。そして、最後となるかもしれない小説の執筆を彼に手伝わせることにする。華やかな日常の裏で、次第に自分をコントロール出来なくなっていく恐怖と、ひとりで死に立ち向う孤独感。そんなとき涼子は、愛犬トンボが行方不明になったことで正気を失う。そして、駆けつけてきたチャネと、いつしか年齢の差を超えて恋人同士のように惹かれ合う。病が進行するにつれて、涼子は愛と不安と苛立ちのなか、チャネとの関係を清算しようとするが、その思いはチャネには受け入れがたいものだった…。
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 ドラマには監督の好みらしく、文学や書籍への傾倒ぶりがちりばめられている。たとえば、涼子は、元夫との結婚生活を赤裸々につづったデビュー作「真夏の宴」を、大学の講義でテキストとして使用する。また、チャネの助けを得て書き上げた遺作「永遠の記憶」の内容が、劇中劇で再現される。病を宣告されてからの心情を吐露した作品だ。また、涼子の書棚には、松本清張はじめ日本の作家の書籍がぎっしり詰まり、彼女はそれらをチャネに入れ替えさせたりする。書物の背の色彩を基調に、グラデーションになるように、という具合に。更にチャネが、太宰治の「人間失格」、林芙美子の「放浪記」、森鴎外の「雁」を読んだりする。また、涼子の住む家として使用されたのが、建築家・阿部勤氏の邸宅。涼子が療養所に移り住んだのち、そこは街の人々に開放される図書館として生まれ変わる。書棚は、チャネが苦労してグラデーションに区分けしたまま残っている。書籍が楽しめる独特な空間である。
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 チョン・ジェウン監督は、01年の「子猫をお願い」で長編デビュー。また、12年には建築ドキュメンタリー「語る建築家」(未)が注目を集めた。「蝶の眠り」について、彼女はこう語る。「愛の記憶をテーマに、失われていく記憶を美しく留めようとする小説家の物語。自らの尊厳を守る女性の生き方にも共感していただけると思います。単純で説明的な語り口にならないよう、映画のなかに本・小説という要素を入れたともいえる」と。映像は、青や薄緑といった色調を基本にして、風景の透明感を通して涼子の心理状態を映し出す。また、涼子とかかわり合う男性たちも、それぞれ作家であるという点も知的な雰囲気を醸し出す。元夫の龍二(菅田俊)は、自分の出版記念サイン会で久々に涼子と会い、彼女の病を知ることになり、その行く末を見守っていく。私生活の愛と別れの体験をベースにした涼子の小説は、時にスキャンダルと非難の的にもなるが、文学的な価値も認められるという設定だ。
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 いっぽうチャネは、涼子の薫陶の甲斐あってか、韓国で作家として歩みだし、日本でも作品が出版されることになる。久しぶりに来日した彼は、涼子の最後の小説を手にして過去の記憶をよみがえらせる。そしてクライマックスは、彼が療養所を訪れ、車椅子生活となった涼子と再会するくだりだ。だが、監督の意図から、書籍や小説などという要素で彩りを加えたとはいえ、作品の全体的な印象は典型的な韓流メロドラマという感じ。アルツハイマー病を扱った過去の作品では、たとえばソン・イェジンとチョン・ウソン共演、イ・ジェハン監督の「私の頭の中の消しゴム」(04)を思い出す。チョン・ジェウン監督は「恋愛の永遠性を阻む要素が記憶喪失というのは新しい話ではない」ので、本・小説という要素を入れたというのだが。しかし、記憶を美しいとか透明感あふれるもの、と言っているかぎりは、やはり気取りの多いメロドラマになってしまうのは否めないと思います。(★★★+★半分)


ジョージ・クルーニー監督の挑戦「サバービコン 仮面を被った街」

2018-05-04 13:32:36 | 映画の最新情報(新作紹介 他)

 ハリウッドのリベラル派スター、ジョージ・クルーニーがコーエン兄弟の脚本を得て監督に専念したのが「サバービコン 仮面を被った街」(5月4日公開)です。1950年代アメリカの郊外住宅で実際に起きた人種差別暴動をモチーフに、ある家族の危機を交錯させながら、理想的なアメリカのメッキが剥がれていく過程をスリリングに描く。コーエン兄弟のひねりの効いたプロットを、ヒッチコックを思わせるサスペンスのスパイスを効かせて展開させるところがユニーク。マット・デイモンが、眼鏡をかけた平凡なファミリーマンの顔の裏に驚きの秘密を隠したクセ者の主人公に扮している。また、その妻と、双子の姉の二役に挑んでいるのがジュリアン・ムーア。どちらも腹に一物を秘めた役柄を演じわけています。
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 アメリカが最も輝いていた1950年代。舞台は、郊外に開発された理想の住宅街サバービコン。「明るい街、サバービコンへようこそ!」。そこは、6万人の白人家族が夢の生活を営む街。だが、そこに住むロッジ家の生活は、自宅に侵入した強盗によって一転する。足の不自由な妻ローズ(ジュリアン・ムーア)が亡くなり、幼い息子ニッキー(ノア・ジュープ)が遺される。仕事一筋の一家の主人ガードナー(マット・デイモン)は、妻の姉マーガレット(ジュリアン・ムーア二役)とともに、ニッキーを気遣いながらも前向きに日常を取り戻そうとする……。時を同じくして、この白人だけのコミュニティに引っ越してきた黒人一家の存在が、完璧だったニュータウンのもうひとつの貌を露わにする。彼らの受け入れをめぐって、自治会は紛糾。黒人家族に対する嫌がらせはヒートアップし、やがて暴動へと発展していく。こうした街の人々と、家族の正体に気づくのがニッキーだ。彼は、隣に越してきた黒人家族の息子と野球を通じて親しくなり、家族や街の人間の醜悪さを見通していく。
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 共同脚本を手がけたグラント・ヘスロヴは、本作の着想について語る。「ペンシルベニア州レヴィットタウンで起きた事件をベースにしたストーリーを、ジョージと書いていた。その背景を調べていくと、『Crisis in Levittown』という1957年のドキュメンタリーに行き着いた。マイヤーズ夫妻という初のアフリカ系アメリカ人一家が、レヴィットタウンへ越した時に何が起きたかを描いている」。近隣住民はマイヤーズ家の前庭に押しかけ、人種差別的な中傷を浴びせたり、隣の芝生に十字架を立てて燃やしたりしたという。この物語を練っている最中、クルーニーはコーエン兄弟が1999年に手がけた「Suburbicon」という脚本があったことを思い出した。「不幸な登場人物たちが、次から次へと判断を誤っていくさまを描くコメディ・スリラー。今回は、コメディ色を少し抑えて、怒りをもう少し前面に押し出したものにしたいと思った」とクルーニーは言う。そこで、コーエン兄弟の作品の舞台をレヴィットタウンに移して、マイヤーズ一家が越してきた1週間を描くことを思いついた。
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 映画は、ロッジ家に潜む陰謀と、隣人たちの黒人差別を並行させ、あるいは交錯させて描いていく。父母と叔母の薄暗い関係、それをすべて目撃するニッキー少年。死体がゴロゴロ、仕掛けの可笑しさ。大袈裟な恐怖描写と漂うブラック・ユーモアは、アルフレッド・ヒッチコック的なノワール・コメディを思わせます。仕掛けは案外簡単に見破れるけれども、マット・デイモンのワルぶりと、ジュリアン・ムーアの変わり身のみごとさが見どころでもある。また、黒人受け入れ反対派が、自宅とマイヤーズ家を隔てる高い壁の建設に着手するくだりがあります。このくだりは、明らかにアホ・トランプの“メキシコとの国境に壁を”という施策を反映させたものでしょう。リベラル派クルーニーの意図が、そのあたりにこめられているようです。しかし不思議なことに、嫌がらせをされるマイヤーズ夫妻は、意外に超然としている。そして、ニッキーとマイヤーズ家の息子(トニー・エスピノサ)が、柵をへだててキャッチボールをするシーンに、若い世代が差別を乗り越えていく姿が暗示されます。
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 監督・脚本・製作に専念したジョージ・クルーニーは語る。「映画の至る所に、ドキュメンタリー『Crisis in Levittown』の実録映像を散りばめている。ずっしりと訴えかけるために、本物の映像を見せないといけない時もある。そこに見られるさりげない偏見に、今日の観客はショックを受けるかもしれないが、考えてみればそう遠くない昔のことだ」と。また、「はたから見ると、申し分のない郊外生活。ただ、その表面を剥がしていくと、醜いものがあらわになる。それを見るのが面白い」と。芝生付きの同じような形の、絵葉書になりそうな郊外の住宅。映画では、こうした1950年代の画一的な街並みやファッションが再現されたそうです。ロッジ家の家屋は、当時よく使われていた淡い緑色に塗られ、ガードナーのうぬぼれと自己中心性から出てくる錆をほのめかすように錆色の縁取りがされた。またジュリアン・ムーアが、姉妹を演じる際にみごとな変わり身を見せるファッションも鮮やか。総じて型通りのドラマだけれども、時代を見抜くクルーニーの視線は確かです。(★★★★)


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