わくわく CINEMA PARADISE 映画評論家・高澤瑛一のシネマ・エッセイ

半世紀余りの映画体験をふまえて、映画の新作や名作について硬派のエッセイをお届けいたします。

ベン・アフレックが実話の映画化に挑戦「アルゴ」

2012-10-29 18:04:58 | 映画の最新情報(新作紹介 他)

14 ハリウッド・スター、ベン・アフレックは映画製作にも積極的だ。1997年には、親友マット・デイモンと脚本を手がけた「グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち」でアカデミー脚本賞を受賞。07年の「ゴーン・ベイビー・ゴーン」(日本未公開)で監督業に進出(兼脚本)。10年の「ザ・タウン」でも監督・脚本・出演を兼ねた。新作「アルゴ」(10月26日公開)も監督・主演を兼ねた意欲作です。プロデューサーには、リベラリストのジョージ・クルーニーも参加している。テーマは、ホメイニ師を指導者とするイラン革命勃発後の1979年11月4日に起こり、世界を震撼させたイランのアメリカ大使館人質事件です。
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 この日、イランの過激派がテヘランのアメリカ大使館を占拠、大使館員を人質に取った。彼らの要求は、失脚してアメリカに入国した前国王パーレビの引き渡しだ。大混乱の中、裏口から6人の大使館員が脱出、カナダ大使邸に身を隠す。見つかれば、彼らと人質の命が危ない。この状況を打破するため、CIAの人質奪還のプロ、トニー・メンデス(ベン・アフレック)が呼ばれる。彼の案は、ウソの映画製作を企画、6人をロケハンに来たカナダの撮影スタッフに仕立てて出国させるという作戦だ。物語は、トニーの作成遂行、彼らを捕らえようとする革命側、国際情勢と大統領選に左右されるCIAの三つ巴の構成をとる。
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 アメリカが長年封印してきた最高機密を明かす実話の映画化だそうだ。事件発生から18年後、当時の米大統領クリントンが機密扱いを解除、この人質救出作戦が世に明かされたという。なによりも、イランの砂漠でSFファンタジー「アルゴ」を撮影するという偽企画が面白い。トニーの案は、「猿の惑星」でアカデミー賞を得た特殊メイクの第一人者ジョン・チェンバース(ジョン・グッドマン)や、大物映画プロデューサーのレスター(アラン・アーキン)らを巻きこんで、プロジェクトを本物に見せようというもの。トニーが、6人をバザールに連れ出して、群衆にもまれ、敵中でロケハンをするくだりがスリリングだ。
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 アフレックの演出はスピーディーに展開。だが、スピーディー過ぎて、脱出劇の細部が御都合主義になっている。イラン革命の実写フィルムを用いたりして、革命側の描写はリアル。しかし、実話とはいうものの、いかにもハリウッド的なサスペンス・エンタテインメントに終始し、革命側の描写も一方的な悪役のイメージ。やはり、大国アメリカ、バンザイ!の精神が底流にあるようだ。トニーがTVで「猿の惑星」を見ている息子との電話での会話で作戦を思いついたり、革命防衛隊が子供を使ってシュレッダーにかけられた6人の名簿を復元したり、部分的には面白いエピソードもあるのだが…。それにしても、この映画のチラシはなんじゃ!? まったくイマジネーションを喚起しないね。(★★★+★半分) 


現代によみがえったフリーシネマの精神「思秋期」

2012-10-23 17:25:40 | 映画の最新情報(新作紹介 他)

20 イギリスにはリアリズム映画の伝統がある。庶民生活の哀歓を冷徹なカメラで見据え、社会の矛盾をあぶり出す。ケン・ローチやマイク・リー監督の作品が、その代表だ。そしていま、素晴らしい若手監督が加わった。「ボーン・アルティメイタム」などで俳優としても知られるパディ・コンシダインである。彼が監督・脚本を兼ね、長編映画監督デビューを果たしたのが「思秋期」(10月20日公開)です。深い孤独と傷を背負った中年男女の出会いを通して、人間の心の温もりを描き出す。サンダンス映画祭で監督賞と審査員特別賞、英国アカデミー賞で新人作品賞を得るなど、世界で絶賛されるインディペンデント映画だ。
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 ジョセフ(ピーター・ミュラン)は、失業中の男やもめで飲んだくれ。キレやすく、酒を飲んでは大暴れを繰り返す。自分ではどうにもならない衝動的な怒りと暴力。妻を亡くし、家族とも疎遠で、自己崩壊寸前に追い込まれている。ある日、彼はいつものようにいざこざを起こしたあげく、チャリティー・ショップに駆け込む。キリスト教にかかわるこの店で、彼は従業員の女性ハンナ(オリヴィア・コールマン)と出会う。ジョセフの傷の手当てをし、心を癒してくれる彼女の存在は、次第に彼の心を溶かしていく。だが、ハンナも夫の暴力という闇を抱えている。やがて、二人の人生に衝撃をもたらす事件が起こる。
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 冒頭から示されるジョセフのキャラクターが凄まじい。酔って他人にからんでは、わめきちらして暴力をふるい、まとわりつく自分の愛犬すら蹴り殺す。ぎりぎりまで荒みきった中年男を、「マイ・ネーム・イズ・ジョー」(98年)でカンヌ国際映画祭男優賞を得たピーター・ミュランが好演。一方、夫と不仲ながら信心深く、ジョセフの心を優しく包もうとするハンナに扮するのは、「マーガレット・サッチャー/鉄の女の涙」(11年)でサッチャーの娘キャロルを演じたオリヴィア・コールマン。コンシダイン監督は、ギリギリに追い詰められた中年男女の触れ合いと現実との対決を、妥協のない人間凝視で映像化した。
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 映画の原題は、邦題「思秋期」とは異なり「Tyrannosaur(ティラノサウルス)」という。ジョセフは、夫に虐待されているハンナを匿った際に「妻をティラノサウルスと呼んでいた…ひどいだろ」と懺悔する。かつて、存命中の妻が階段を上がってくるとき、部屋のコップの飲み物が揺れたからだと。故に、「ジュラシック・パーク」から引用したあだ名をつけた。ジョセフの冷酷さと同時に、皮肉なユーモアが伝わるエピソードだ。ジョセフが打ち解けることの出来る相手は、ハンナと前の家の少年だけだ。母親がクレージーな愛人と過ごすたびに、少年は屋外に出される。この隣人関係も、ドラマにほろ苦さを与えている。
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 コンシダイン監督は「憧れの監督はケン・ローチ」と語っている。研ぎ澄まされた感性と、リアルな映像。それらはむしろ、ケン・ローチやマイク・リーの世界もさることながら、1960年代に“怒れる若者たち”とか“フリーシネマ”と呼ばれたイギリス映画の新しい波、トニー・リチャードソンやカレル・ライス監督の作風を彷彿させます。加えて、主人公のジョセフのキャラクターは、コンシダインの実父をモデルにしたものだとか。そして、非情ながら、思わず心が温められるような胸に染み入るラスト。ついにジョセフが人間性を取り戻すくだりに、監督自身の救済の念が込められているようです。(★★★★★)


園子温監督が原発事故の悲劇に挑む「希望の国」

2012-10-17 17:08:11 | 映画の最新情報(新作紹介 他)

13 園子温監督は、「愛のむきだし」(09年)、「冷たい熱帯魚」(11年)、「ヒミズ」(12年)などで常にセンセーショナルなテーマに挑んできた。性と暴力、家庭の崩壊。画面を切り裂くエネルギッシュなパワーと、斬新な映像は、いままでの日本映画には見られなかった衝撃を与えてくれた。特に「ヒミズ」では、彷徨する若者の姿に昨年3:11以後の被災地の荒廃を重ね合わせた。同監督が、本格的に大地震と原発崩壊問題に焦点を当てたのが「希望の国」(10月20日公開)です。彼は「ヒミズ」を撮影した石巻や福島で取材。「真正面から3:11以降の映画を撮ろうと思った。特に原発に関する作品が撮りたかった」と語る。
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 物語の舞台は、東日本大震災から数年後の某県。酪農を営む小野泰彦(夏八木勲)は、妻の智恵子(大谷直子)、息子・洋一(村上淳)と嫁のいずみ(神楽坂恵)と満ち足りた日々を送っている。だが、ある日、マグニチュード8.3の地震と原発事故が起こり、生活が一変する。原発から半径20キロ圏内が警戒区域に指定され、隣の鈴木家は強制的に家を追われるが、小野家は道路ひとつ隔てただけで区域外となる。しかし、泰彦は洋一夫婦を避難させ、自らは家に留まる。そして、妊娠しているいずみは、見えない放射能への恐怖をつのらせる。やがて原発は制御不能となり、泰彦の家も強制避難区域に指定される…。
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 道一本隔てただけで、避難の基準が異なるという矛盾。「国の言うことなんか当てになるか」と、息子に避難を説得する泰彦。逃れてきた町で、いずみは家の中でも防護服に身を包み、「そこいら中に飛び交っているの、見えない弾が」と言う。泰彦のもとにやって来て、頭ごなしに牛の殺処分と退去を求める町役場の職員。更に遠くまで逃げようとする洋一といずみ。泰彦は牛を猟銃で処分したあと、認知症の妻とともに、ある決断をくだす。加えて、退去した隣家の息子・ミツル(清水優)と恋人のヨーコ(梶原ひかり)が、瓦礫に埋もれた海沿いの町をさまよい、行方不明のヨーコの家族を捜すくだりが並行して描かれる。いわば本作は、家族の群像を通して悲劇を浮き彫りにする手法をとる。
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 いつもの激情的な筆致とは異なり、園監督は絶望的な終焉の時を登場人物の心理に分け入って淡々とつづっていく。「別にメッセージ性のあるものを作りたかったわけではない。被災地の情緒や情感を記録したかった」と監督は言う。そのあたりがやや物足りなく、国家や権力を否定する言辞も弱い。3:11震災による福島原発事故が撒き散らした放射能は、日本全国どころか世界規模で拡散しているはずなのに。でも、タレントを起用した大ボケ大作が主流の日本映画界にあっては、タブーに挑戦した初の作品であることは間違いない。製作資金調達も大変で、結果、海外資本の協力を得て日本・イギリス・台湾合作となっている。タイトルとは裏腹に“絶望の国”に対する決別を宣言する異色作だ。(★★★★)


北野武流バイオレンス・ドラマ第2弾「アウトレイジ ビヨンド」

2012-10-13 19:14:36 | 映画の最新情報(新作紹介 他)

12 2010年に北野武監督が発表した「アウトレイジ」は、ヤクザ社会の下剋上戦争の果てに、ほとんどの人物が往生を遂げるという凄惨な結末を迎えた。そのバイオレンス描写は、むしろ快い笑いを呼ぶほど徹底したものであった。その続編「アウトレイジ ビヨンド」(10月6日公開)は、同じ組織を土台にした内部抗争と、組織暴力壊滅を企てる警察との争闘に焦点を当てている。相変わらず、北野監督(兼脚本・編集)の演出は巧みだ。屋外・屋内を問わず対象を凝視する映像、人物のからみや、やりとりの緊迫感。すべてにおいて円熟味を漂わせ、前作のクレイジーさにくらべると、落ち着いた展開を見せる。
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 前回の抗争から5年。関東一円を取り仕切る暴力団“山王会”は、先代を亡き者にした加藤(三浦友和)が会長となり、元大友組の石原(加瀬亮)が若頭になって新体制を組み、政界にまで手を伸ばしている。巨大組織の壊滅を目論む警察は、山王会の勢力拡大に業を煮やし、関西の雄“花菱会”との対立を画策。そのために、裏で策略を仕掛けるのが、山王会にも通じているマル暴担当刑事・片岡(小日向文世)だ。彼は、獄中で死んだことになっていたヤクザ・大友(ビートたけし)を出所させ、暴力団潰しに利用しようとする…。
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 西田敏行、中尾彬、神山繁ら大物スターの起用。セリフの銃撃戦とでもいうべき大量のダイアローグ。激しい怒鳴り合い。でも、今回、ある意味での主役は小日向演じる刑事・片岡だ。山王会に情報を流し、賄賂を受け取りながらも、警察の思惑を果たすために、大学の先輩である大友を裏切ろうとする男。彼が、山王会と花菱会、関東と関西の両組織の間で姑息に立ち回る姿を見ると、一番のワルは彼ではないかと思われる。大友は「ヤクザも刑事も同じだ」と言うが、それは昨今の警察の不祥事連発に重ね合わせることができる名セリフだ。案の定、片岡は最後に断罪されるが、それが北野監督の意図だろう。
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 もう一人の、どうしようもないワルは、元大友組の金庫番で、先の見えない大友組を裏切り、加藤と手を組んで山王会の若頭に出世した石原だ。頭脳戦を推進し、時代遅れの古参幹部を罵倒、額に青筋立てて気に入らない者をぶちのめす。実は小心で、会長の笠を着て権力をふるう石原を演じる加瀬亮のキャラがみごとだ。こうした組織人間は、どこの世界にでもいるもの。彼と片岡、この姑息人間二人の末路が最大のモチーフといってもいい。「アウトレイジ」2作は、いわば日本版「ゴッドファーザー」。でも、そろそろ暴力団映画は打ち止めにして、北野監督にはシビアな恋愛映画でも手がけてほしいものだ。(★★★★)


南三陸町の被災ドキュメント「生き抜く/南三陸町 人々の一年」

2012-10-09 18:37:39 | 映画の最新情報(新作紹介 他)

19 昨年3:11の東日本大震災発生直後、大阪の毎日放送(MBS)取材班は、東北を目指して出発したという。28時間後にたどり着いたのは宮城県南三陸町。その壊滅した被災地で、取材班はただちに被災者にマイクとレンズを向け、記録し始めた。それがドキュメンタリー番組となって、各方面から高い評価を得た。震災一年後の今年3月11日に放送されたのが「映像’12 生き抜く~南三陸町 人々の一年」だった。この映像に約30分のシーンを盛り込み、構成にも変更を加えて、今回映画版となったのが、製作・井本里士、監督・森岡紀人による「生き抜く/南三陸町 人々の一年」(10月13日~10月26日・東京のポレポレ東中野で2週間限定公開)です。
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 本作は、被災地の惨状のドキュメントではなく、カメラが数人の人々に密着して、彼らの心理の推移と未来への展望を映しとっていく。最愛の妻を亡くし、隣町に移り住み、男手ひとつで幼い二人の子供を育てる男性。避難所でのストレスと孤独に苛まれ、仮設住宅の抽選に望みをかける女性。行方不明の一人娘を捜すために、いち早く海の仕事を再開させて網を投げ入れる漁師。町の防災担当だった夫を失い、骨組みだけになった防災対策庁舎を訪れては夫に語りかける女性。映像はナレーションもなく進行し、カメラを向ける側の控えめな質問に、被災者たちが応え、彼らの悲しみの姿と行動を追っていく。
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 作品を見ていて、取材の困難さと粘り強さには惹きつけられます。だが、やはり仕上がりが、いかにもTV報道的。肉親を失い、生活を破壊され、未来を見失い、絶望した人々の姿が、余りにも美しく、きれいにまとまった姿としてとらえられているのです。大げさに言えば、破滅的な状況を美化しているような感じもする。そこには、被災者と報道側の怒りというものが欠如しているように思われる。たとえば、仮設住宅の抽選をめぐって、入居先が決まらない町民が同じ立場の町役場職員に罵声を浴びせるくだりがあります。そして、なかなか抽選に当たらない女性は、結果として町の中心部から遠い仮設に入ることになり、「もう希望もない、明日もない」と力なく語る。だけども、こうした争いや諦めの声にすら感傷が漂います。
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 震災現場でのカメラと取材対象との関係は難しい。取材側は「記録とは寄り添い続けること」「既存メディアへの静かなるアンチテーゼ」「被災地の真実を伝えることにこだわった」と言う。でも、被災者同士が仮設住宅をめぐって言い争い、娘を失った漁師が「震災を忘れるためにTVを見続けるんだよ」とつぶやく現実。この背後には、いまだに被災地の復興を進められない政府や行政機関の無力さ、被災地以外での震災の風化という状況がある。記録といい、アンチテーゼといい、真実というならば、それらが無為なこの国への怒りによって裏打ちされるべきではないだろうか。その怒りは、どう表現されるべきか? 敢えて、この労作ドキュメントに苦言を呈したいと思います。 (★★★+★半分)


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