わくわく CINEMA PARADISE 映画評論家・高澤瑛一のシネマ・エッセイ

半世紀余りの映画体験をふまえて、映画の新作や名作について硬派のエッセイをお届けいたします。

一少女の尽きせぬ夢を追う「夢は牛のお医者さん」

2014-03-26 18:59:57 | 映画の最新情報(新作紹介 他)

Img006  新潟県のローカル局TeNYテレビ新潟が、26年前からローカル・ニュースの継続企画として放映、話題になった番組が映画化された。タイトルは「夢は牛のお医者さん」(3月29日公開)。新潟県松代(まつだい)町(のちの十日町市)出身の少女の、夢の始まりから現在までの26年間を、同局の時田美昭監督が密着取材したドキュメンタリーです。少女の名は高橋知美(のちに結婚して丸山姓に)。小学校で牛の世話をしたことをきっかけに、岩手大学農学部獣医学科に入学、卒業後、国家獣医師試験に合格し、家畜の診療をする仕事につくまでの奮闘ぶりが記録される。それは、ひたむきに夢を追って実現させた女性の感動物語にもなっています。
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 1987(昭和62)年、新潟県の山あいにある小さな小学校に3頭の子牛が入学した。素朴な木造校舎、児童は9人だけ、やがては廃校になる運命。そんななかで、当時小学3年生だった知美さんが、牛の世話をするなかで抱いた夢は「牛のお医者さん」になること。彼女は、親しんだ牛との辛い別れを皮切りに、家族や周囲の支えと故郷への強い思いを胸に刻み、難関を突破して家畜の医者となる。高校時代は親元を離れて猛勉強、大学も一発で合格、そして獣医師に。彼女はやがて母となり、かけがえのない命と向き合いながら今日も闘っている。
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 映像は、編年的に知美さんの信念や、一途な生きかた、たくましさを追っていきます。小学校時代につちかわれた牛との信頼関係。やがて、成長した牛が卒業して引き取られていくときの悲しみ。少数の学校仲間との交流と別れ。獣医学部を目指すため、親元を離れての下宿生活で遠い高校へ通う。高校入学直後の成績順位が最下位近くだったことにショックを受け、「3年間テレビを見ない」と誓って猛勉強。卒業間際には、学年トップ15に入るほど成績をあげる。そして、大学卒業後は新潟県上越市にある家畜診療所に勤務。平成20年に結婚し、いまでもふたりの男の子を育てながら獣医を続けている。
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 しかし、感動作ながら、少し引っかかる部分もあります。その1は、少女時代の知美さんの成長過程を切り取る映像が、いかにもTV的な視点に支えられていること。つまり、少女の具体的な日常の感情描写が少なく、型通りのお涙シーンが強調される。その2は、ナレーション(横山由依 AKB48)の過多で、余計な感情が誘導される恐れがあること。そのせいか、獣医になったあとの知美さんの奮闘ぶりがリアルに感じられる。大雪のなか、牛の診療に出かけたり、出産に立ち会ったり。また、新潟中越地震にあった山古志村で、泥濘にはまった牛を救出するくだり。それらの場面には、まぎれもない臨場感と迫力があふれている。
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 そんななかで印象に残るのが、故郷の農家に尽くそうとする知美さんの姿勢だ。彼女の家は、もともとコメ農家で、数頭の牛も飼育していたが、冬の出稼ぎに出なくても暮らせるように牛を10数頭に増やしたという。やがて、獣医になった知美さんの評判を同業者から聞くにつれ、父の勝美さんも奮起。全国でも突出した高級和牛を育て上げた。そうした農家の意気込みを反映してか、知美さんが牛の飼育を経済的な視点から見ている点がユニークだ。それは、単なる“牛のお医者さん”というだけではなく、農家のための利益という観点も考慮に入れているのだ。それこそ、時田監督が言う「家族・故郷・仕事の喜びと現実」を反映させた26年間の成果であるにちがいない。(★★★★)


アウトロー・カップルの愛の転変「セインツ-約束の果て-」

2014-03-21 19:22:06 | 映画の最新情報(新作紹介 他)

Photo_2 1967年、アーサー・ペン監督の「俺たちに明日はない」がアメリカン・ニューシネマの口火を切った。男女の強盗、ボニーとクライドの壮絶な人生。クライマックス、官憲の銃弾を浴びて、ふたりがこと切れるシーンが“死のバレエ”と呼ばれて話題になった。この作品と設定が似ているのが、インディーズの若手監督(兼脚本)、デヴィッド・ロウリーの「セインツ-約束の果て-」(3月29日公開)です。ただし、こちらは男女の愛の転変を緻密に描いて、ボニーとクライドのケースとは似て非なるドラマに仕上がっています。
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 1970年代のテキサス。窃盗・強盗を繰り返すカップル、ボブ(ケイシー・アフレック)とルース(ルーニー・マーラ)。ルースの体に新しい命が芽生えたことをきっかけに、ふたりは最後の仕事をして真っ当な人生を歩もうとするが、ついに警察に逮捕される。ボブは、ルースの身代わりとなって刑務所入りするが、彼女が娘を出産したことを知って脱獄。警察や、かつて裏切った組織からも追われる。そんなボブを待ちながら、ひとりで大事な娘を育てるルース。更に、陰で彼女を見守り、ひそかな恋心を抱く地元の保安官パトリック(ベン・フォスター)。3人のそれぞれの思いが交錯し、彼らには切ない結末が待ち受ける…。
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 ボブとルースとの間に愛の結晶がもたらされ、異なる道を歩むふたり。かつてルースが放った銃弾に傷つけられた保安官パトリックの、彼女に対するひそかな恋心。加えて、ボブとルースの育ての親に扮しているキース・キャラダインの登場が懐かしい。歌手・作曲家の顔も持つキャラダインは、本作のエンディング曲を演奏している。保守的で閉鎖的なテキサスという風土の中で追い詰められ、それぞれの生きる道を求める男と女。久しぶりに見るアメリカのローカル・アウトロー・ドラマであり、サスペンスフルなラブ・ストーリーでもある。
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 デヴィッド・ロウリー監督は独学で映画作りを学び、“インディペンデント映画の新しい顔25人”のひとりに挙げられた。またバラエティ紙でも、2013年の“注目監督10人”のひとりに選出された。本作は、長編映画2作目となる。「この作品は、西部時代が薄れゆく時期を舞台に、無法なアメリカ人ふたりの破滅的な愛を描いている」と、同監督は語る。そして、登場人物の心理の推移を、静かなタッチで巧みにとらえる。彼らの素朴で、ひたむきな生きざまは、現代社会に対するアンチテーゼといっていいかもしれない。特に、ベン・フォスター演じる保安官のナイーブさが心に残る。(★★★★)


全米を揺るがせた事件の映画化「フルートベール駅で」

2014-03-17 18:18:46 | 映画の最新情報(新作紹介 他)

Img005  2009年のニューイヤーズ・デイ。新年を迎えて賑わうサンフランシスコのフルートベール駅で、22歳の黒人青年が鉄道警官に撃たれて死亡した。銃を持たない丸腰の彼が、なぜこのような悲惨な死を迎えたのか? 事件は大きな波紋を巻き起こし、全米で抗議集会が行われるほどだった。この出来事をもとに、青年が事件に巻き込まれる前の“人生最後の日”を追ったのが、27歳の新鋭黒人監督(兼脚本)ライアン・クーグラーが手がけた「フルートベール駅で」(3月21日公開)です。2013年サンダンス映画祭で作品賞と観客賞をダブル受賞、カンヌ国際映画祭では、ある視点部門フューチャーアワード賞を受賞した問題作だ。
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 サンフランシスコのベイエリアに住むオスカー・グラント(マイケル・B・ジョーダン)は、出所したてで職がないが、人生を前向きにやり直したいと思っている。2008年12月31日、彼は恋人ソフィーナ(メロニー・ディアス)と、愛娘タチアナとともに目覚める。そして、大晦日の晩は家族・親戚そろって食事をし、母ワンダ(オクタヴィア・スペンサー)の誕生日を祝った。やがてオスカーとソフィーナは、新年を祝いに仲間たちとサンフランシスコへ花火を見に行くことにする。オスカーは、仲間と電車内でカウントダウンを祝うが、帰りの車中でケンカを売られて乱闘となり、そこへ鉄道警察が出動。オスカーたちはフルートベール駅のホームに引きずり出され、聞く耳を持たない白人警官に撃たれてしまう。
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 フルートベールの周辺には、貧しい黒人たちが住む貧民街=ゲットーが広がっているという。オスカーには犯罪歴があり、ドラッグの売人という顔も持つ。だが、なんとかまともに生きようと努力するが、遅刻が原因で勤務していたスーパーマーケットを解雇されたばかり。そんな時に、ベイエリア高速鉄道の中で刑務所仲間にケンカを売られる。駆けつけた警官たちは、何もしていないと必死に懇願するオスカーに耳も傾けず、彼をうつ伏せにして手錠をかけ、あげくに彼に発砲する。この事件に対して、全米で抗議やデモが起きるが、殺人を犯した警官には懲役2年の判決しか下らず、わずか11か月で釈放されたそうである。
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 事件当時、クーグラー監督自身もクリスマス休暇で学校からベイエリアに戻っていて、元日にニュース映像を見て心を動かされたという。いまだにアメリカに根強く残る人種差別と、貧困と犯罪と暴力。オスカーを撃った警官には、彼を同等の人間とみる視点が欠け、社会から排除しようとする衝動にのみ突き動かされたのだろう。クーグラーが書いた脚本は、サンダンス・インスティテュート・スクリーンライターズ・ラボに選出された。そして、黒人の名優フォレスト・ウィテカーが製作に名を連ねて、僅か20日間で撮影を完了した。
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 結果、久しぶりに真っ向から社会悪に切り込むアメリカ映画が誕生。カメラが街中で躍動し、主人公オスカーの心理と軌跡を鮮やかに映し出し、かつてのアメリカン・ニューシネマ作品を思わせる斬新な作品となった。そして、アメリカを支える多民族社会と、そこに潜む矛盾―定着できないヒンキー青年、黒人への差別などが鮮やかに浮きぼりにされる。本作は、全米公開時には7館からスタートし、大ヒットによって1063館で拡大上映されたそうだ。こうしたインディーズ作品のエネルギーこそ、映画界を活性化させる起爆剤となるにちがいない。(★★★★+★半分)


名女優ジュディ・デンチが好演「あなたを抱きしめる日まで」

2014-03-11 18:39:32 | 映画の最新情報(新作紹介 他)

Img004  イギリスのインディーズ作品としてヒットした作品が、スティーヴン・フリアーズ監督の「あなたを抱きしめる日まで」(3月15日公開)です。今年開催された米アカデミー賞では、作品・主演女優・脚色などの部門にノミネートされた。2009年にイギリスで出版された、実在するアイルランド人主婦・フィロミナの物語。50年間隠し続けてきた秘密を告白し、奪い去られた息子を捜す旅に出たフィロミナの数奇な人生を描く。原作(マーティン・シックスミス著)に惚れ込み、原作者を演じているイギリスの人気コメディアン、スティーヴ・クーガンが、製作と共同脚本も手がけている。
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 あるとき、フィロミナ(ジュディ・デンチ)は、娘のジェーン(アンナ・マックスウェル・マーティン)に50年間隠してきた秘密を打ち明ける。1952年のアイルランドでのこと。十代で未婚のまま妊娠したフィロミナは家を追い出され、修道院に入れられる。そこでは、同じ境遇の少女たちが保護と引き換えにタダ働きをさせられていた。フィロミナは男児を出産、アンソニーと名付けるが、面会は1日1時間しか許されない。やがて修道院は、3歳になったアンソニーを金銭と引き換えに養子に出してしまう。以来、わが子のことを忘れたことがない母のために、ジェーンは元ジャーナリストのマーティン(スティーヴ・クーガン)に義兄捜索の話を持ちかける。そして、愛する息子にひと目会いたいフィロミナと、その記事に再起をかけたマーティンの旅が始まる。
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 この作品は、カトリック教会による人身売買という恐るべきテーマが土台になっている。かつてアイルランドでは、婚外子をみごもった女性は家族・社会の恥とされ、女子修道院が営む施設に送られ、生まれた子供たちは養子として主にアメリカ人に引き取られたという。1940年代から70年代にかけて行われた、これら養子斡旋事業の詳細をカトリック教会は公表しておらず、寄付として教会に渡された金額などは明らかにされていない。2003年公開の「マグダレンの祈り」は、ダブリンの女子修道院の敷地から、強制労働に従事させられた数多くの女性の遺体が発見された実話の映画化だった。近年、アイルランド共和国では、こうした事実が明らかにされ、教会の倫理基準に対抗する動きが広まってきたそうだ。
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 テーマは悲劇的だが、映画ではフィロミナとマーティンの息子捜しの旅を軽妙なタッチでつづる。イギリスからアイルランド、そしてアメリカへ…。善良な田舎の主婦で元看護師のフィロミナ。彼女はロマンス小説の愛読者で、機内サービスの酒を楽しみ、高級ホテルではしゃいでみせる。そんな老齢の女性を、ジュディ・デンチが好演。最初は疑心暗鬼で、次第にカトリックの偽善に怒りを増していくインテリ、マーティン役のスティーヴ・クーガンも味わいのある演技を見せる。いわば、労働者階級の女性と中流階級の男性の奇妙な道行きといっていい。ふたりの怒りは、修道院が記録を焼き、アメリカ人に赤ん坊をひとり1000ポンドで売っていたことを知るや、頂点に達する。
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 そして、フィロミナとマーティンがアメリカで知った意外な事実とは? 映画のモデルとなったフィロミナ・リーさんは、息子の同性愛を肯定し、自分と同じく十代で子供を産んだ娘ジェーンを助け、自分を不当に扱った修道女たちを許し、神に祈っているという。しかし、「クィーン」などでアカデミー賞候補になったスティーヴン・フリアーズの演出は、やや型通り。息子アンソニー捜しの過程で、アメリカ移民局のファイル捜索や、息子の同性愛相手の話などのエピソードが登場するが、それらが簡略化されていて不明な点もある。映画の原題は「PHILOMENA」、対する邦題はなんとも大甘ですね。(★★★+★半分)


衝撃の告白「北朝鮮強制収容所に生まれて」

2014-03-05 15:51:32 | 映画の最新情報(新作紹介 他)

Img002  2005年、ひとりの青年が北朝鮮の政治犯強制収容所から脱出した。当時22歳のシン・ドンヒョク(申東赫)である。彼は、1か月かけて中国との国境地帯に移動。06年、北朝鮮脱出に成功。中国各地を転々とし、上海の韓国領事館に保護され、韓国入国を果たした。彼の告白を軸に、収容所での驚愕すべき暮らしと出来事を描き出したドキュメンタリーが、ドイツ映画「北朝鮮強制収容所に生まれて」(3月1日公開)です。監督は、ドイツ出身のドキュメンタリー作家マルク・ヴィーゼ。シンは、多くのジャーナリストの中からヴィーゼ監督に真実を語ろうと決めた。その結果、自身の囚われの生活、拷問、母親や兄の死について語るシンの姿が撮影され、加えてCGIアニメーションによって記憶に命が吹き込まれた。
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 シン・ドンヒョクは、1982年11月19日に北朝鮮の政治犯強制収容所で両親の〈表彰結婚〉(模範的な収容者同士を結婚させる制度)により、政治犯として生まれた。彼が子供時代と青年時代を過ごした〈14号管理所〉は、事実上、死の収容所だった。子供たちは6歳から労働を強いられ、飢えや暴力、拷問にさらされて生きている。常に看守たちの気分で扱いを決められ、鉄条網の外の世界について何も知らされない。やがて、22歳のとき、年上の収容者の助けによって収容所を脱出。北朝鮮から中国に入り、何か月も逃げ続けたのちに韓国にたどり着き、まったく見知らぬ世界に出会う…。
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 映画は、狭い部屋で行われたシンへのインタビューを中心に展開される。だが、収容所生活や脱出の過程の詳細については、なかなか核心を引き出せない。それは、彼が収容所時代のトラウマから脱け出せないでいるからであり、新しい価値観を受け入れられないからでもあるのだろう。両親が政治犯だったというだけで、収容所内の世界しか知らない青年。彼の脱出の動機は、「十分な食事をしたい、外の世界を見たい」からだったという。そして彼の証言によって、収容所内の見取り図や拷問・公開処刑の様子がアニメーションで再現される。シン自身が母親と兄を密告して死に追いやったと証言するくだりが悲痛である。
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 更にヴィーゼ監督は、収容所の元管理者ふたりへの取材にも成功、彼らの罪の告白も引き出している。収容者たちへの虐待、拷問、殺人、管理所内部を撮影した映像。彼らは、かつて拷問した人々が自分を捜しに来るのではないかと恐れている。現在、シン・ドンヒョクは人権保護団体LiNKに協力し、ときどき国際会議に出席する。「私たちは、収容所の規則に従って生き、そして死ぬだけでした。そこは外部の人々から“完全統制区域”と呼ばれる場所でした。知っていたのは、私たちの両親や先祖に罪があるということ、そして、その償いのために重労働をしなくてはならないということだけでした」と、シンは語る。
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 映像は、なかなかアイデンティティーをつかめずに、ソウルの町を走り抜け、路地をさまようシンをとらえる。最後に、彼は驚くべき発言をする。「故郷に、収容所に帰りたい」と。それは「シンが拷問の経験を繰り返したいわけではなく、新しい人生に足がかりがないのだろう。新しい環境にまったく馴染んでいないようなのだ」と、ヴィーゼ監督は言う。更に、シンは「韓国は拝金主義にまみれている。それに比べると収容所生活は純粋だった」と述べる。それは、現代社会に対する大いなるアイロニーでもある。恐怖の独裁国家と、マネーに毒された文明。世界には、そのふたつの社会しか存在しないのだろうか?(★★★★)


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