わくわく CINEMA PARADISE 映画評論家・高澤瑛一のシネマ・エッセイ

半世紀余りの映画体験をふまえて、映画の新作や名作について硬派のエッセイをお届けいたします。

オーストリア俊英女性監督の異色作「ルルドの泉で」

2011-12-31 14:38:32 | 映画の最新情報(新作紹介 他)

25 ルルドは、フランスとスペインの国境に位置するピレネー山脈の麓にある小さな村。「聖母マリア出現の地」「奇跡の水が湧き出る泉」で知られ、心身の安らぎを求めて年間600万人が訪れる世界最大の巡礼地だそうだ。オーストリアの俊英女性監督ジェシカ・ハウスナーが手がけた「ルルドの泉で」(12月23日公開)は、この聖地を舞台にした不思議な雰囲気をもつ作品です。ヴェネチア国際映画祭では、国際批評家連盟賞他5部門で受賞。ヨーロピアン・フィルムアワードなど、かずかずの賞を獲得し高い評価を得ている。
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 不治の病で長年車椅子生活を送ってきた女性クリスティーヌ(シルヴィー・テステュー)は、「奇跡の水が湧き出る」ことで有名な聖地ルルドへのツアーに参加する。ここには、病を抱えた人々、家族を亡くした孤独な老人、脳に障害を抱えた少女らが“奇跡”を求めて集まって来る。そんな中、熱心な信者とはいえないクリスティーヌに、なぜか奇跡が起こる。ルルドの泉の水を浴びた彼女が、突然立って歩けるようになったのだ。おかげで彼女は、おしゃれをしたり、恋をしたりと“普通の女性”としての喜びを感じるようになる。だが、その奇跡は周囲の人々の羨望や嫉妬といった、さまざまな感情の波を引き起こす…。
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 はじめは単なる巡礼映画かと思って耐えて見ていたけれど、次第に人間の感情の不条理な面が浮き上がってきて、思わずドラマに惹きこまれていく。クリスティーヌらの介護にあたるマルタ騎士団(ローマ・カトリック教会の騎士修道会)の若者たちのずさんな態度。不自由な心身の快復を願う人々がクリスティーヌに寄せる嫉妬心…。聖母マリアが出現したといわれる洞窟、天高くそびえる大聖堂、緑あふれるピレネーの山々。現地ロケでとらえられた聖地の静謐な風景と、それとは対照的な人間たちのエゴイズム。聖地の荘厳さの中で、奇跡を求めて動く人々を、カメラは華麗な儀式のように映し出す。
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「Lovely Rita ラヴリー・リタ」(01年)で長編デビューしたハウスナー監督にとって三作目に当たる。彼女は、本作ではデンマークの巨匠カール・ドライヤーの「奇跡」(54年)から映画の主題についてのヒントを得、「ぼくの伯父さん」(58年)で知られるフランスのジャック・タチからはユーモアの影響を受けたという。その結果、“奇跡”に群れる人々の真剣さと同時に、その滑稽さが浮きぼりにされる。「サガン‐悲しみよ こんにちは‐」で評価を得たフランス女優シルヴィー・テステューの演技がみごとだ。本作から得た格言は―「本当に奇跡が起こるかどうかは問題ではない。要は、私たち人間側の姿勢次第なのだ」
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 いよいよ大晦日。2011年は、3:11の東日本大震災が、ぼくたちに価値観の大転換をもたらしました。いまだに復興の道がつかない被災地、拡大する放射能汚染。あの日に得たトラウマは、いまだに癒えません。12年「よいお年を」というよりは、「来たる新年は怒りをもって、この不幸に立ち向かいましょう!!」。


いまなぜ真珠湾攻撃なのか?「聯合艦隊司令長官 山本五十六」

2011-12-27 18:43:08 | 映画の最新情報(新作紹介 他)

24 山本五十六(1884~1943)は、1941(昭和16)年12月8日、日米開戦のきっかけとなったハワイ真珠湾攻撃の指揮をとった海軍の軍人である。「聯合艦隊司令長官 山本五十六‐太平洋戦争70年目の真実‐」(12月23日公開)は、彼の足跡を中心に、当時の日本の軍隊や世論の動きをとらえた戦争スペクタクルです。真珠湾奇襲攻撃、ミッドウェー海戦、ガダルカナル奪回作戦、そしてブーゲンビル島上空での撃墜死まで…日本と米国の国力の差を熟知していたという山本が、なぜ日米開戦の先鞭をつけたかがテーマになっている。
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 暗雲垂れこめていた昭和初期、海軍次官だった山本は、日独伊三国同盟に対して強硬に異議を唱えたという。そうなると日米開戦が不可避になるからで、そこには欧米の文化を熟知していた開明派・山本の良識が投影されている。映画ではまず、そんな山本(役所広司)らに対する陸軍や世論の風当たりが描かれる。とりわけ、メディア(映画では東京日報)が好戦的な論調を展開するのが興味深い。それでも、ナチス・ドイツの侵攻によって欧州で第2次世界大戦が起こるや、日独伊三国軍事同盟が締結。やむなく山本は、戦争に勝つためではなく、敵の戦意を失わせるほどのダメージを与え、講和(和平)の道を探り、一刻も早く戦いを終わらせるために、海軍350機による真珠湾攻撃を行ったという。
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 ここがドラマのポイントであり、また不可解なところでもあります。戦争を早く終わらせるために、後世まで恨みが残った真珠湾攻撃を行ったって? 一体、そんなことがあるだろうか。一歩退いて、山本五十六の苦渋の選択に思いを致すのだけれど、どうも映画では歴史のうねり(悲劇)と、日本が抱えていた矛盾の中での山本の苦衷の心情が描き足りていません。オールスター・ドラマのせいか、聯合艦隊、軍令部、海軍省、東京日報、山本の家族描写など、間口が広すぎて総花的になっている。肝心の真珠湾攻撃のスペクタクルも、なにか物足りない。観客は、この一点に興味を集中させるかもしれないのに。
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 要するに、この作品は山本五十六に扮する役所広司の“顔”でもっている、といっても過言ではないでしょう。「常在戦場」(常に戦場にいる心構えで事に臨め)という四文字を好み、時に孤愁の陰りを漂わせる男。役所のほかには、山本に傾倒していく若い記者を演じる玉木宏、真珠湾攻撃の際に山本との確執の深さを見せる南雲忠一役の中原丈雄が好演。監督は「孤高のメス」「八日目の?」の成島出。「山本五十六」を発表している作家の半藤一利が監修者として参加。それにしても、なぜいま山本五十六であり、「坂の上の雲」なのでしょうか。本作のラスト、空襲で崩壊した東京のシーンが3:11の悲劇を思わせます。


西島秀俊が映画への情熱を叩きつける!「CUT」

2011-12-23 18:55:57 | 映画の最新情報(新作紹介 他)

22_2 西島秀俊がアート系の映画監督を演じ、イラン映画界出身の鬼才アミール・ナデリが監督・脚本(共同)・編集を手がける。この異色コンビによる日本映画が「CUT」(12月17日公開)です。この企画は、自身も熱心な映画ファンである西島が、05年の東京フィルメックスで審査員としてナデリ監督と出会ったことから始まったそうだ。その際、西島はナデリ監督に「お前の魂はオレによく似ていて、その内面には怒りやエネルギーがあるはずだ」「日本映画を変えるような作品を一緒に作ろう」と言われたという。その通り、直截すぎるほどストレートな、映画愛にあふれた作品が出来上がった。
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 西島が演じるのは、ほとんど陽の目を見ることのない映画を撮っている独立系の監督・秀二。資金は、ヤクザの世界で働いている兄から借りている。そのため、兄は借金のトラブルで命をおとす羽目になる。そこで秀二は、兄の借金を返すためにヤクザの事務所で組員の面々から、一発幾らで殴られることになる。陰ながら彼の面倒を見るのは、ヤクザ相手にバーの仕事をする陽子(常盤貴子)と、組員の一人である中年男のヒロシ(笹野高史)。命がけの殴られ屋として傷だらけになりながらも、秀二は映画への愛を捨てない。
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 秀二が映画青年を集めて自宅で自主上映会を開いたり、「シネコンで上映される映画ではなく、もっとアート作品を見よう!」と、たった一人で拡声器を持って街頭で呼びかけるシーンが秀逸だ。加えて、殴られてめげそうになるたびに、愛する映画監督たちが撮った作品を思い浮かべ、名匠・名作の名前を口ずさんで痛みに耐える。借金返済の最終日、秀二が100回殴られる際には、100本の名作のタイトル・監督名・年度がスーパーインポーズで流れる。小津安二郎、溝口健二、新藤兼人、黒澤明、ロベール・ブレッソン、バスター・キートン、ジョン・フォード、オーソン・ウェルズら巨匠へのオマージュ…。
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 そうした映画への限りない愛は、ナデリ監督が内包するものだ。「『CUT』は私自身だ。映画は売春ではない。映画は芸術です。われわれは映画を尊敬するべきだ」と同監督は言う。ナデリは、アッバス・キアロスタミやモフセン・マフマルバフらとイラン映画が脚光を浴びるきっかけを作った。スチール・カメラマンなどを経て、71年に監督デビュー。その後、アメリカに移住し「サウンド・バリア」(05年)や「ベガス」(08年)などを発表。現在はNYを拠点に活躍する。「映画は芸術である」という、ぶれない姿勢。それを殴られ屋という肉体的行為で具現化する視点。近年まれにみる異色作といっていいと思います。


痛快なブリティッシュ・ノワール「ロンドン・ブルバード」

2011-12-19 19:06:04 | 映画の最新情報(新作紹介 他)

21 コリン・ファレルとキーラ・ナイトレイ共演の「ロンドン・ブルバード‐LAST BODYGUARD‐」(12月17日公開)は、歯切れのいいグッド・テイストなブリティッシュ・ノワールです。「ディパーテッド」で米アカデミー脚色賞を受賞したウィリアム・モナハンの監督デビュー作。同監督が、ノワールの詩人と呼ばれるアイルランドの作家ケン・ブルーエンによる、ハリウッドの名作「サンセット大通り」を下敷きにした小説「ロンドン・ブールヴァード」を自ら脚色した。映像とカット割りがシャープで、色彩の用いかたもグッドな作品に仕上がっている。
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 3年の刑期を終えて出所したミッチェル(ファレル)は、裏社会から足を洗おうとしている。そんな時、彼はいまだにパパラッチに追われている元女優シャーロット(ナイトレイ)のボディーガードを務めることになる。だが、かつてのギャング仲間からの荒仕事も断りきれないでいる。そんな彼の仕事ぶりがギャングのボス、ギャント(レイ・ウィンストン)の目にとまり、ミッチェルを仲間に引き入れようとする。そして、手段を選ばないギャントの魔の手は、ミッチェルはおろか周囲の人々にまで迫っていく…。
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 ドラマのもとになったビリー・ワイルダー監督「サンセット大通り」(Sunset Boulevard・1950年)の舞台はハリウッドのサンセット大通り。荒れた邸宅に、落ちぶれたサイレント映画時代の大女優ノーマ(グロリア・スワンソン)が、元夫で執事のマックス(エリッヒ・フォン・シュトロハイム)と住んでいる。女優復帰を夢見るノーマは、若い脚本家ジョー(ウィリアム・ホールデン)を寵愛、復帰作の脚本の修正を任せる。やがてノーマは、若い女性を愛するようになったジョーを殺害。狂ったノーマが、ニュース映画のカメラやフラッシュを本物の映画の撮影と思い込み、サロメの扮装で登場するラストが凄絶だった。
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 これに対して「ロンドン・ブルバード」は、南ロンドンの裏社会と西ロンドンの上層社会を対照的にとらえる。更に、失業者、ホームレス、若者たちの暴力、セレブに対するパパラッチの執拗な追跡といった社会背景が織り込まれている。優しさと暴力性を併せ持つ孤高の元ギャングを演じるコリン・ファレルが、なんともカッコいい。また悩み戸惑いながら、ロサンゼルスでの女優復帰を望むシャーロット役のキーラ・ナイトレイの繊細さも素敵。音楽も、オリジナル曲のほかに、ヤードバーズやザ・ローリング・ストーンズ、ボブ・ディランらのヒット曲が用いられ、雰囲気を盛り上げている。唯一不可解なのは、邦題が「~ブールヴァード」ではなく「~ブルバード」になっていることです。


名画が動く!? 息を吹き返す!「ブリューゲルの動く絵」

2011-12-17 18:35:20 | 映画の最新情報(新作紹介 他)

16 ポーランド出身のレフ・マイェフスキが脚本・監督・製作・撮影監督・編集・作曲を兼ねた「ブリューゲルの動く絵」(12月17日公開)は、16世紀中期のネーデルランド(主として現在のベルギー、オランダ)で活躍したフランドル絵画の巨匠ピーテル・ブリューゲル(1525/30年頃~1569年)の描いた<十字架を担うキリスト>をモチーフにした作品です。この名画は、十字架を背負いゴルゴダに向かうキリストの受難の物語を、1564年のフランドルを舞台に描き出したもの。驚くべきことに、この絵画が映画の中でライブ感覚で動き出すのです。
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 16世紀フランドルの夜明け、農村の一日が始まる。若夫婦は仔牛を売りに出かけ、岩山の風車守りの家族は風車を回し小麦を挽く。そんなのどかな村の様子とはうらはらに、支配者は異端者を無残に迫害する。アートコレクターのヨンゲリンク(マイケル・ヨーク)は、画家のブリューゲル(ルトガー・ハウアー)にこのありさまを表現できるかと問いかける。それに応えて、ブリューゲルが風車の回転をとめると、すべての風景が動きを止める。すると、フランドルの風景の中に、キリストや聖母マリア(シャーロット・ランプリング)らが過去から舞い戻り、聖書の「十字架を担うキリスト」の物語が始まる…。
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 ここに住むブリューゲルは、朝露に濡れた蜘蛛の巣に絵の構図のヒントを見出す。数百人の人々がひしめき合い、当時の生活の様子と聖書の物語が絡み合いながら、キリストやマリアを中心に「十字架を担うキリスト」の壮大な構図を形成していく。こうした一幅の絵画の成り立ちを、実景で再現していく試みが斬新だ。しかも、庶民の生活風景をパントマイム的な動きで静謐かつ詳細に追う。主役3人のモノローグのほかにセリフはほとんどない。観客は、絵画の中に入り込んで旅するように、アートの世界を体感することができる。
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 マイェフスキ監督は、映画監督のほかにアーティスト、詩人、舞台演出家などの顔を持つ。1995年には、原案・共同プロデューサーとしてジュリアン・シュナーベル監督「バスキア」に参加した。アート界でも評価される彼の作品を見た美術評論家マイケル・フランシス・ギブソンがその映像に魅了され、<十字架を担うキリスト>を分析した自著「The Mill and the Cross」を送ったのが本作の始まりで、ギブソンも脚本に協力。だから、ブリューゲルの伝記ではない。当時の庶民の生活とキリストの受難、そして反権力の姿勢が相まって、最新のCG技術と3Dエフェクトを使いこなし、遠近法に従って絵画の風景の中を俳優が動き回るという、静止画と動画の共演、絵画と映像が融合した空間が紡ぎ出される。
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 名画から湧き出す豊饒な想像力。宗教的異端者を認めない支配者に仕える兵士によってなぶり殺される罪のない若い男。ひしめき合う人々の中に埋もれるイエスの姿。陽気な音楽を奏でる道化たち…。そこからは、現代にも通じるテーマが導き出される。配役も懐かしい顔ぶれだ。ブリューゲルに扮するのは、オランダ出身で「ブレードランナー」などでマッチョな悪役を演じたルトガー・ハウアー。絵画のコレクター、ヨンゲリンクを演じるマイケル・ヨークは、シェークスピア劇で知られるイギリス出身の名優。そして、マリア役のシャーロット・ランプリングは、やはりイギリス出身で「愛の嵐」「さらば愛しき人よ」などの異色女優。彼らが奏でる寓話の世界が不思議な雰囲気を醸し出しています。


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