わくわく CINEMA PARADISE 映画評論家・高澤瑛一のシネマ・エッセイ

半世紀余りの映画体験をふまえて、映画の新作や名作について硬派のエッセイをお届けいたします。

豊饒なイマジネーションのきらめき!「光りの墓」

2016-03-29 16:47:14 | 映画の最新情報(新作紹介 他)

 タイのアピチャッポン・ウィーラセタクンは、映画作家であると同時に美術作家であり、独特のイマジネーションとシンボリズムで視覚世界を創り出している。シカゴ留学時代に、アッバス・キアロスタミ、ホウ・シャオシェンらの映画に夢中になり、ジョナス・メカス、アンディ・ウォーホルらの実験映画と出会う。その結果、商業映画とは異なる映画のあり方を知り、個人的な映画を作ることを決意したという。彼の作品に共通するのは、故郷ともいうべきタイ東北部イサーン地方の町コーンケンへの思いです。風習も言葉も、音楽、文学、料理なども独特で、土着信仰も根強い。暗い森と精霊に彩られたスピリチュアルな世界。代表作「ブンミおじさんの森」(2010年)は、カンヌ国際映画祭パルムドールを受賞した。新作「光りの墓」(3月26日公開)も、豊饒なイマジネーションのきらめきに満ちた異色作だ。
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 タイ東北部イサーン。かつて学校だった仮設病院。ここに松葉杖をついた主婦ジェン(ジェンジラー・ポンパット・ワイドナー)が、知り合いの看護師を訪ねてやって来る。病院には原因不明の“眠り病”にかかった兵士たちが収容され、色と光による療法が行われている。ジェンは、孤独な兵士イット(バンロップ・ロームノーイ)の世話をすることになる。また、死者や失踪者の魂と交信、前世を見たりする特殊能力がある若い女性ケン(ジャリンパッタラー・ルアンラム)とも親しくなる。そして病院のある場所が、はるか昔に王様の墓であったことを知り、兵士たちの“眠り病”に関係があると気づく。同時に、目覚めた際のイットと心を通わせるようになり、ケンに乗り移ったイットの魂から不思議な場所に案内される。
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 すべてが、あたかも夢幻の世界のように進行する。病床の脇に設置された、アフガニスタンの米兵にも効果があったという機器。兵士の頭上高く伸びた蛍光灯のような灯りは、青・緑・赤…と色を変える。またジェンは、若く美しい女性ふたりと出会う。彼女たちは、お堂に祭られた王女の変化で、その話によると、このあたりでは何千年も前、王国の間で戦があり、病院の場所には王たちの墓があるという。王たちの魂が兵士の生気を吸い取って、いまも戦を続けている。だから、兵士たちは眠っているのだと。また、ケンに乗り移ったイットが、ジェンを王宮に案内する。まばゆい大広間、化粧室、ヒスイの浴槽…。この物語は、監督が読んだニュース記事から発想を得たとか。そこに、タイ東北部、病院、森、前世、記憶といったモチーフが重ねられ、近年のタイにおける政治状況に対する思いも込められる。
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 アピチャッポンの映画を、理屈で見てはいけないのだろう。眠り、夢、特殊能力、色と光、瞑想、王女像、王の墓、樹木や水といった自然の造形。そこには、美術作家としての視点(造形美)が溢れ、無意識=潜在下の世界が広がる。同監督は、クローズアップをほとんど用いず、ミディアム&ロングショット中心に夢幻世界を構築する。眠る兵士、王たちの戦い-それらが象徴するのは、軍事独裁政権下にある現代のタイに対する拒否の姿勢なのかもしれない。それをストレートに描かずに、対立する精神世界を繰り広げて見せる…いかにもタイらしい文化を思わせ、アピチャッポン映画の特色でもある。そして、すべての要素(=主張)が、ヒロイン=ジェンの視線に凝縮されていく。いわば、世界の片隅に生きる庶民の視点だ。
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 アピチャッポン監督は語る。「この3年間、タイの政治は行き詰まった状況だった(今に至るまで)。僕は眠ることに魅了され、夢を書き留めることに熱中した。それは、現実のひどい状況から逃げる方法だったのだと思います」と。だが、「僕は、銃や血の映像で話をしたくない。恐怖と悲しみが映画を作らせる真の力であったとしても、人間的なユーモアの形で表現したい」とも言う。2014年の軍事クーデターでは、イサーンでの抗議デモを抑え込むためにタイ軍の部隊が派遣されたという。だが、アピチャッポン監督は、そんな現実をみごとな抽象映像に昇華してみせます。今年、日本ではアピチャッポン作品の特集上映が行われ、各地でワークショップや美術の個展が開催の予定だそうです。(★★★★+★半分)


名匠モレッティが紡ぎ出す女性監督の光と影「母よ、」

2016-03-24 14:04:16 | 映画の最新情報(新作紹介 他)

 イタリアの名匠ナンニ・モレッティは、自身の監督作品のほとんどで製作・脚本・出演も兼ねる才人です。代表作は、「ジュリオの当惑(とまどい)」(1985年)、「親愛なる日記」(1993年)、「息子の部屋」(2001年)など。登場人物の身近な問題を主題にしながら、人間の感情を掘り下げていく。その結果、ベネチア、ベルリン、カンヌなどの国際映画祭で受賞を果たした。彼の新作が、親の生と死を通して、家族とは、人生とは何かという普遍的なテーマに挑んだ「母よ、」(3月12日公開)です。とりわけ、主人公が女性の映画監督で、彼女の撮影現場での苦闘と、病を得た母親の最期を並行して描きながら、エリート女性の光と影、陽と陰に迫っていく展開が斬新。モレッティ自身の体験を投影した作品だそうです。
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 映画監督のマルゲリータ(マルゲリータ・ブイ)は、恋人と別れたばかり。離婚した夫との間にできた娘は、反抗期の真っただ中にいる。かつ、新作映画の撮影は思うように進まない。だが、もっとも心配しているのは、兄ジョヴァンニ(ナンニ・モレッティ)とともに世話をしている入院中の母アーダ(ジュリア・ラッツァリーニ)のことだ。やがて、アメリカから到着した主演俳優バリー(ジョン・タトゥーロ)が撮影に加わるが、シーンやセリフを間違えてマルガリータを戸惑わせる。気性が激しく自己主張が強いという共通点を持つ監督と主役は、なにかと現場で言い争うようになる。そんな折り、母が余命わずかだと宣告され、なんの助けにもなれないマルゲリータ。そして、彼女が心を落ち着けて選んだ道とは?
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 冒頭、マルゲリータの街頭での撮影現場が紹介される。やり手の社会派監督が描く労働争議の映画。だがスタッフともめて、思うような映像が撮れない。到着した主役のバリーは、意味不明の発言で周囲を煙に巻き、台詞を間違えては「クソくらえ!」「クソ台詞」などと逆切れ。マルゲリータも「私に勝手をさせないで。監督は傲慢なクソったれよ」と怒り出し、スタッフを唖然とさせる。あげく、元恋人からは「君は注意深そうで身勝手。無神経で、避けられても気づかない。不満の塊で、自分と他人の仕事をぶち壊す」といさめられる。また、名優ジョン・タトゥーロ演じるバリーが、スタンリー・キューブリックからオファーがあったなどと大風呂敷を広げ、軽薄なハリウッド俳優ぶりを怪演(?)しているのが可笑しい。
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 こうした映画撮影の裏面をとらえた部分も興味深いが、やがてドラマの比重はマルゲリータと母親との関係に傾斜していく。兄ジョヴァンニは、入院中の母に手作りの料理を差し入れて甲斐甲斐しく世話している。見舞いに来たマルゲリータに、母は「病院はイヤだ。家に帰りたい」と嘆く。ラテン語教師だった聡明な母親が、物忘れがひどくなってきたことに対するショック。更にマルゲリータは、休職して母の世話に当たる兄の深い思いに胸を衝かれる。つまりマルゲリータは、元恋人の言う通り、いままで仕事に没頭するあまり、家族には余り気を使わなかったというわけだ。そのあたりを、モレッティ監督は、人情の機微を交えて、家族の愛と絆、それを忘却してきたマルゲリータの心理を鮮やかに描き出す。そして、母が余命わずかと宣告されたとき、彼女は母を自宅に引き取り、死を看取ることを決意する。
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 モレッティ監督は、映画の中で描かれていることが自分の人生でも起こったとき、本作の執筆に入ったという。そして「きっちりと構成されたマルゲリータの映画と、彼女が経験している非常に微妙な瞬間を矛盾させたかった」と語る。そのため、映画撮影シーン(及びその内情)と、病床の母を思う感情をディテール細やかに描き出す。そこには、真摯な映画作りの姿勢がうかがわれる。ヒロイン役のマルゲリータ・ブイは、知性と複雑な感情を交錯させて好演、人(母)の生と死に真剣に向き合う女性像を造形した。彼女は、「はじまりは5つ星ホテルから」(2013年)でも印象的な演技を見せた知的でチャーミングな女優だ。本作では、ダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞の主演女優賞に輝いている。(★★★★+★半分)


スペイン発、サイコロジカル・フィルムノワール「マジカル・ガール」

2016-03-16 14:28:11 | 映画の最新情報(新作紹介 他)

 カルロス・ベルムトは、いま36歳、スペイン出身の新進監督です。イラストレーター、漫画家としてキャリアをスタート。日本の漫画、アニメ、映画を愛し、「ドラゴンボール」にオマージュを捧げて再解釈したコミックも出版した。年に4か月は東京に住み、新宿の飲み屋街・ゴールデン街がお気に入りだそうだ。彼の劇場デビュー作となる「マジカル・ガール」(3月12日公開)は、そんな日本マニアぶりを反映させたサイコロジカル・フィルムノワールです。ブラック・ユーモアに満ちた独創的なストーリー、先読みできない巧みな構成、スタイリッシュな映像、そして想像を絶するラストで、映像的な挑戦を試みた異色作だ。
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 白血病で余命わずかな少女アリシア(ルシア・ポジャン)は、日本のアニメ「魔法少女ユキコ」(架空のアニメ)の大ファン。彼女の願いは、そのコスチュームを着て踊ること。娘の願いをかなえるため、元教師で失業中の父ルイス(ルイス・ベルメホ)は、高額なコスチュームを手に入れようと決心する。この彼の行動が、心に闇を抱える女バルバラ(バルバラ・レニー)と、彼女と過去を共有する引退した教師ダミアン(ホセ・サクリスタン)を巻き込んでいく。彼らの絡み合いのきっかけがユニークだ。ルイスは、ふとしたことから精神医の夫を持つバルバラと関係を持ち、彼女を脅して金を手に入れ、娘のコスチュームを入手する。そこに、過去にバルバラとつながりがあったダミアンが出所して、ルイス父娘と対決する。
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 映画は<世界><悪魔><肉欲>という暗示的なパートで進行する。精神不安定で睡眠薬を飲んだ末、鏡で額を傷つけ血を流すバルバラ。「浮気を旦那にバラすぞ」と、彼女を恐喝するルイス。かつての仲間を訪れ、金を手に入れるため肉体を提供し無間地獄に身を投じるバルバラ。彼女の相手をするのは、豪邸内の黒トカゲのマークがついた部屋で待つ車椅子の男。バルバラの裸体は傷だらけだ。やがて、バルバラのために服役していたというダミアンが登場。彼はルイスを尾行、彼女のための復讐を始める。冒頭、12歳のアリシアが、鏡の前で軽快な日本語の歌(長山洋子のデビュー曲「春はSA-RA  SA-RA」)に合わせて踊る。このアリシアが象徴する無垢さと、3人の男女のダークで悪魔的な心理が好対照をなす。
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 ドラマの底流をなすのは、愛と欲望、善意と悪意、理性と衝動、悦びと悲しみ…それらが、ダミアンが手がけるパズルのコマのように、悲劇をつないでいく。自己破滅的な登場人物、背後に存在する不条理なSEX。更には、教職から落ちこぼれたルイスとダミアンが示すように、スペイン経済の崩壊、スペイン社会に対する弾劾の姿勢も暗示される。ルイスが娘のために現金を手に入れようと、大切な蔵書を売りに行くが、貴重な本もキロ買いされるような文明の末路。そして、随所にちりばめられた日本テイストのアイテム。「魔法少女ユキコ」のキャラをはじめ、長山洋子の曲、謎の車椅子の男の豪邸にある黒いトカゲのマークは、江戸川乱歩の「黒蜥蜴」へのオマージュか。更にエンディングには、ピンク・マルティーニがカバーした美輪明宏作詞・作曲の、映画「黒蜥蜴」の主題歌「黒蜥蜴の唄」が流れる。
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 そして何よりもユニークなのは、ドラマから極力説明を排除し、事象だけを投げ出すような手法だ。ベルムト監督は言う。「僕は作家ではなく監督だし、かつては漫画家だった。だから、映画のルーツ、まだ無声の映像だけで物語っていた頃に戻ることが重要だと思った」と。また、「映画とは、映画内の時間と共に人物の間に存在する関係を語っているもので、しばしば本人の理解を超えたところまで行ってしまう。だからこそ、情報の省略が重要なのだ」とも語る。加えて、シュールな語り口で人間の本質をつく映像的な挑戦。かつてスペイン映画は、フランコ独裁政権から解放された際に優秀な権力抵抗ドラマを生み出したが、カルロス・ベルムトこそ、今日のスペインのニューウェーブといっていいだろう。本作は、サン・セバスチャン国際映画祭でグランプリと監督賞を獲得している。(★★★★+★半分)


山田洋次監督のファミリー・コメディー「家族はつらいよ」

2016-03-10 14:35:01 | 映画の最新情報(新作紹介 他)

 山田洋次監督が、「男はつらいよ」シリーズ終了から20年ぶりに取り組んだ喜劇が「家族はつらいよ」(3月12日公開)です。三世代同居の家族の主である老いた夫婦が離婚の危機に陥ったことから起こる人情コメディー。同監督が、小津安二郎監督「東京物語」にオマージュを捧げた「東京家族」(13年)のキャストが再結集。山田監督は、「家族というのは、厄介で、煩わしくて、無くてもよいと思うこともあるのだけれど、やはり切り捨てるわけにはいかない。そのつらさを何とか切り抜けていかねばならない、そのためにあくせく大騒ぎをする。そんな滑稽で不完全な人間を、表現したいと思いました」と語っています。
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 東京の郊外で暮らす三世代同居の平田一家。隠居生活を送る主の周造(橋爪功)と妻の富子(吉行和子)は、結婚50年を迎えようとしている。たまには妻に誕生日のプレゼントでも買ってやろうかと、周造が欲しいものを聞いてみると、富子の答えはなんと…「離婚届」を受けて欲しいということ。突然起きた、まさかの熟年離婚騒動に、子どもたちは大慌て。何とか解決策を見つけようと<家族会議>を決行し、離婚問題について話し合おうとするものの、事態は思わぬ方向に発展する。モーレツ・サラリーマンだった夫の無関心・わがままに愛想をつかした富子。彼女は、趣味の創作教室に通い、小説を書くことに没頭している。
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 家族の問題に無頓着な長男・幸之助(西村雅彦)は困惑するだけ。その妻・史枝(夏川結衣・チャーミング!)は、一家の世話をやくしっかり者。長女・成子(中嶋朋子・ケタタマシイ!)は税理士で気が強く、頼りない夫・泰蔵(林屋正蔵)と夫婦喧嘩が絶えない。次男の庄太(妻夫木聡)はピアノ調律師で実家暮らしを続けており、父母の離婚話に心を痛める。彼には、看護師をしている恋人・憲子(蒼井優)がいる。泰蔵は、周造の浮気が原因ではないかと疑い、探偵・沼田(小林稔侍)を雇う。沼田は、周造なじみの居酒屋に潜入、仲睦まじげな周造と女将・かよ(風吹ジュン)の様子を激写。果たして、この家族はどうなるのか?
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 とりわけ、事件の元になる周造を演じる橋爪功が好演。かつてはモーレツ・サラリーマン、いまは美人女将・かよの居酒屋で女房の悪口を言い、盛り上がって帰宅する。そんな彼に腫れ物に触るように接する家族たち。泥酔して帰宅した彼は、妻に離婚の意思を再確認したあげく自棄になり、もっと酒を飲もうとドタバタと居間に下りてきて、孫にも愛犬トトにも八つ当たりして大暴れ。このあたりのワンマンぶりの味が、なんともいい。山田監督は、本作にも小津監督「東京物語」の影響を投影させる。周造が居酒屋で勝手なことをぼやく場面。彼がTVで「東京物語」を見て、笠智衆のひとり言に聞き入るくだりも挿入される。また素直で愛想がいい次男の恋人役・蒼井優が、「東京物語」の原節子的な役回りをつとめます。
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 しかし、全体の出来は無難なファミリー・コメディーといった感じ(脚本:山田洋次・平松恵美子)。こんなシーンがあります。家族会議で、家族同士が不満の言い合いになる。そのとき、周造が道楽者の長女の婿・泰蔵に「髪結いの亭主!」という暴言を吐く。そこでカッとした泰蔵は、義父の浮気の証拠(?)を突きつける。周造は激昂して倒れてしまう。林屋正蔵演じるこの婿あたりが、寅さんのような徹底した壊し屋役をこなすことができれば、もっと笑いの質が増幅しただろう、と思われる。家族の厄介さ、煩わしさというものは、破壊精神がなければ対処できないものではないか? あげくに本作は、予想可能で、常識的なハッピーエンドを迎える。毒気が少ない、残念な仕上がりになっています。(★★★+★)


破天荒で前衛的な純愛ドラマ「ロブスター」

2016-03-03 17:08:08 | 映画の最新情報(新作紹介 他)

 ギリシャ出身のヨルゴス・ランティモス監督が手がけた「ロブスター」(3月5日公開)は、実に風変わりな純愛ドラマです。同監督は、ギリシャで「籠の中の乙女」(12年)を発表、カンヌ国際映画祭“ある視点”部門でグランプリを受賞。今回が初の英語作品となり、全編アイルランドで撮影された。アイルランド、イギリス他の合作で、出演者もアイルランド、イギリス、アメリカ、フランス出身と国際色豊かだ。作品も、独特の世界を構築。ユートピアとは逆のディストピアともいうべきイメージが次々と展開されていきます。
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 舞台は、とある時代の、とある場所。主人公デヴィッド(コリン・ファレル)は妻に捨てられたばかり。彼は、急に現れた係官によって、自分が“兄”と呼ぶ愛犬とともに、前時代的な避暑地のようなホテルに連行される。その時代、独り身でいることが禁じられているのだ。そして、デヴィッドに対してルールが告げられる。ホテルに滞在できるのは45日。期限内にパートナーを見つけなければ、“希望する”動物に変身させられる。もしくは、逃亡して森で暮らす“独身者”たちを狩って麻酔銃で撃てば、ひとりにつき期限が1日延びること。相手を見つけたらダブルルームに移り、クリアすれば湾内のヨットで過ごす試用期間に入る。問題が起きれば子供が派遣され、間を取り持つ。そして、晴れて街に戻ることになる。
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 この時代、国家が国民にルールを押しつけ、市民はそれに従っている。ひとたび独身者になると矯正施設に送られ、おかしなパートナー教育が行われる。ドラマは、ふたつのパートで展開される。まずはホテル内。独身者に押し付けられる奇妙なパートナー賛歌。デヴィッドは、残酷で狩りの成績も優秀な“心のない女”とカップルになるが、愛犬の“兄”を殺され、彼女を麻酔銃で撃ち動物に変えてしまう。もうひとつのパートは、デヴィッドが逃亡して逃げ込む森の独身者たちの世界。だが、“リーダー”(レア・セドゥ)が支配する森にも、やはり厳しいルールがある。恋愛禁止、スキンシップ禁止、ダンスもひとりで踊ること。しかし、デヴィッドは“近視の女”(レイチェル・ワイズ)と相思相愛になってしまう…。
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 本作には、この世のルールや規制に対する風刺や比喩がみなぎっています。ホテル(カップル推奨)VS.森(独身者)の世界の対立。とはいえ、どちらもリーダーが強制する規制は同じように不寛容きわまりない。あげく、ホテルでは思わず吹き出してしまうようなカップリング強制の儀式が行われ、森は暴力的な雰囲気意に支配されている。ドラマ設定、キャラ、劇中のルールと称するもの、すべてが破天荒でポップ。言い換えれば、保守とリベラル、両極端の世界だが、いずれも矛盾とアホな倫理観に満ちている。制度に反対しているはずが、いつの間にか同じルールに縛られてしまうという皮肉。そして、悲劇をつきつめていく先に生じる笑い。ユーモアと、悲しみと、暴力と。それは、いまの世の暗喩のように思えます。
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 劇中、動物変換部屋なるものが登場する。デヴィッドが飼っていた犬のボブも、かつて彼の実兄だった。このボブ(ボーダーコリー)は、カンヌ国際映画祭で“パルム・ドッグ賞 審査員賞”を得たとか。その他、ロバ、ウサギ、クジャク、フラミンゴ、ラクダ、ブタ、ポニー、野犬などが登場。デヴィッドが変身願望するのは、なんと“ロブスター”、つまり“エビ”ですね。そして、デヴィッドとの関係を疑われた“近視の女”は、秘密裏に失明の手術を施される。これに対して、愛を貫くためにデヴィッドがとった策とは? それは見てのお楽しみ。ぼってり肥った中年男を演じるコリン・ファレル、盲目のレイチェル・ワイズの可憐な魅力。みごとにアバンギャルドな愛の寓話が完成します。それにしても、こんなに突飛なお話を思いつくとは、作者たちはどんな感性をしているのだろう?(★★★★+★半分)


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