わくわく CINEMA PARADISE 映画評論家・高澤瑛一のシネマ・エッセイ

半世紀余りの映画体験をふまえて、映画の新作や名作について硬派のエッセイをお届けいたします。

アルゼンチンから故郷ポーランドへ…「家(うち)へ帰ろう」

2018-12-27 16:50:16 | 映画の最新情報(新作紹介 他)

 アルゼンチン出身パブロ・ソラルス監督(兼脚本)の「家(うち)へ帰ろう」(12月22日公開)は、ナチスによるユダヤ人に対するホロコーストの記憶を大衆レベルで簡明に描いた快作です。アルゼンチンに住むユダヤ人の老人が、スペイン、フランスを経てポーランドへ向かう旅に出る。目的は、第2次世界大戦のホロコーストから逃れる際、自分の命を救ってくれた親友に自ら仕立てた“最後のスーツ”を手渡すこと。監督は、自分の祖父の家で“ポーランド”という言葉がタブーであったことから発想を得、自身のアイデンティティーを確認するために避けて通れないテーマを、感動のロードムービーとして完成させたという。その結果、2017年釜山国際映画祭World Cinema部門や、SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2018国際コンペティション部門に出品されるなど、世界各国から注目されることになった。
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 アルゼンチンに住む88歳の仕立屋アブラハム(ミゲル・アンヘル・ソラ)。彼は最近、気分が冴えない。なぜなら、冷たい家族が仕立屋兼自宅を引き払わせて、彼を老人施設に入れようとしていたからだ。そこでアブラハムは、最後に1着だけ残ったスーツを見て、あることを決意する。そして深夜、家を抜け出してブエノスアイレスからマドリッド行きの航空券を手配し、早速飛行機に乗り込む。目的は、70年以上前にホロコーストから命を救ってくれた親友に“最後のスーツ”を手渡すこと。こうして、ブエノスアイレスからマドリッド、パリを経由して、ポーランドに住む友人を求めて旅立って行く。彼は、決して“ドイツ”と“ポーランド”という言葉を発せず、紙に書いて行く先を告げる。途中、さまざまな人々と出会い、彼らの助力を得る。やがてたどり着いた先は、70年前と同じたたずまいをしていた。アブラハムは、そこで親友と再会できるのか、人生最後の旅に“奇跡”は訪れるのか…。
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 70年余前、アブラハムの青春時代の回想。ナチスに痛めつけられ、収容所入りを逃れた彼を、親友である仕立屋の弟子の息子が救う…。やがてアルゼンチンに渡った彼は、ナチスを生んだドイツを徹底的に嫌う。むしろ、その存在すら否定しているといっていい。だから、ポーランドに行くのにドイツを経由したくない。紙に書いて行く先を告げる姿は、悲痛であると同時に、どこか可笑しさも漂わせる。飛行機で隣り合わせた青年を除いて、そんな彼を援助するのが女性たちだ。マドリッドのホテルの女主人(アンヘラ・モリーナ)。パリからドイツを通らずポーランドへ列車で訪れることができないかと、四苦八苦しているところを助けるドイツの文化人類学者。彼女は「ドイツ人も後悔している。新世代も変わった」と説く。そして、目的地ポーランドのウッチまで案内してくれるワルシャワの介護師。彼女らは、アブラハムの力になろうと自然体で受け入れることで、彼の頑なな心を和らげていく。
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 パブロ・ソラルス監督は回想する―「私が初めて“ポーランド”という単語を聞いたのは、6歳の時です。父方の祖父フアンおじいちゃんの家では、その“悪い言葉”は禁じられていると知った。一族の集まりの時に、誰かが“ポーランド”と言った途端、非常に緊迫した沈黙が流れ、それがとても怖かったことが記憶に深く刻まれている」と。その祖父の出身地であるウッチのゲットーには、20万人近くのユダヤ人が住まわされて、やがて強制収容所へと送られたという。フアンおじいちゃんはユダヤ人であることで、ポーランドを離れなければならなかった。監督自身がユダヤ人であると知ったのも、この時だったという。更に、監督は語る―「ある日、私がカフェで朝食を食べていると、70代くらいの男が、90歳になる彼の老父が周囲の反対を押し切ってハンガリーに向かったと話しているのを耳にした。その目的は、ナチスから彼を自宅にかくまってくれたカトリック教徒の友だちを見つけることだった」。その他の取材を経て、脚本から撮影まで12年近くの歳月を費やしたという。
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 ソラルス監督は、演劇学校を卒業し、アルゼンチンとメキシコの舞台で活躍。その後、シカゴで映画を学んだ。今回は、長編映画2作目となる。彼の演出の特徴は、シリアスなテーマを、良い意味でのメロドラマ調で浮きぼりにする点にある。語り口は、まさに情感たっぷり。頑固老人の表裏と、人々との微妙な触れ合いが細やかに描き込まれる。そしてラスト、70年ぶりの親友との再会シーンが実に感動的だ。影響を受けたポーランドの監督は、アンジェイ・ワイダとクシシュトフ・キェシロフスキだとか。加えて、ドラマを盛り上げるのが、アブラハムを演じるミゲル・アンヘル・ソラの名演だ。ブエノスアイレス生まれで、舞台を経て映画の世界に入る。「タンゴ」(98)で魅力を発揮、本作では老けメイクで頑固老人を熱演し、シアトル国際映画祭最優秀男優賞を得た。また、マドリッドのホテルの女主人を演じるアンヘラ・モリーナ(「シチリア!シチリア!」09)も懐かしい。(★★★★+★半分)


人種暴動の実話をもとにした感動ドラマ「マイ・サンシャイン」

2018-12-14 13:35:19 | 映画の最新情報(新作紹介 他)

 1970年代、ロサンゼルスの街を車で走っていると、路傍で燃える車両を目撃したものです。同行者によると、人種暴動の現れだということでした。トルコ出身の女性監督デニズ・ガムゼ・エルギュヴェンが手がけた「マイ・サンシャイン」(12月15日公開)は、1990年代初頭に起こった大規模な人種暴動をもとにしたヒューマン・ドラマ。1991年、LAでふたつの事件が起きた。黒人男性が、白人警官たちから理不尽な暴行を受けたロドニー・キング事件と、15歳の黒人少女が万引きと間違えられて韓国系の女店主に射殺されたラターシャ・ハーリンズ射殺事件。後者は、保護観察処分と500ドルの罰金という収監なしの判決が下る。人の命を奪っておきながら、事実上無罪のような判決に怒りが湧き上がるLAの街。映画は、これらの事件を背景にヒロインと家なき子らとの心の交流に迫った感動ドラマです。
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 1992年、LA・サウスセントラル。ミリー(ハル・ベリー)は、家族とともに暮らせない子供たちを育てている。貧しいけれど、彼女の愛情は光に溢れ、誰もが居場所を見つけていた。隣人のオビー(ダニエル・クレイグ)は、騒々しいミリーたち家族に文句をつけながらも、実際は彼らを見守っている。だが、黒人が犠牲になった事件に対する不当な判決が出たことによって、LAで暴動が始まる。ロドニー・キング事件の公判では、集団暴行をした4人の警官に無罪の評決が出る。黒人少女射殺事件と、キング事件への不当な判決に、街の怒りは頂点に達する。そして、白人と韓国系商店を標的としてLA暴動が発生。やがて、ささやかに暮らしていたはずのミリー一家の生活にも変化が訪れる。一緒に暮らしていた少年や子供たちも暴動に加わろうとしたため、ミリーとオビーは街を奔走する羽目になるのだ。
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「チョコレート」(01)でアカデミー主演女優賞を得たハル・ベリー。「007」シリーズで超タフなボンド役を演じたダニエル・クレイグ。本作では、このふたりは悪いけれども点景的な存在に甘んじている。本当の主役は、ミリーの世話になる子供や少年たち。そのほとんどが黒人だ。母親が逮捕され、帰る家を失った少年ウィリアム(カーラン・ウォーカー)は血の気が多く、暴動に加わろうとする。ジェシー少年(ラマー・ジョンソン)は、それを止めようとする。しかし、子供たちは、暴徒と化した市民が商店から略奪している映像をTVで見て、店に向かう。小さな子供たちだけが家に残される。その行為は、ミリーがパイを作って販売したり、下働きをして、ささやかに稼いでいることに対する応援だったのかもしれない。ミリーとオビーは、彼らを守ろうと必死に混乱を極めた街を奔走する。こうして、ささやかに暮らしていたはずのミリーたちの生活は一変し、暴動の渦に巻き込まれていく…。
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 エルギュヴェン監督は、フランス、トルコ、アメリカをまたぎ、都会的に育った。ヨハネスブルグ大学で文学、同大学院修士でアフリカの歴史を専攻後、フランス国立映画学校の監督専攻で学んだ。長編デビュー作「裸足の季節」(15)が絶賛される。本作の製作動機について、彼女は語る―「ここで描かれるシーンは、すべて現実をもとにしている。みな実在の人物なのです。ミリーも実在します。サウスセントラルで運命的に出会いました。そして、友情が生まれた」と。更に、テーマについてはこう述べる―「いまでも、ふたつの問題が片付いていません。まず、アメリカの人種問題。たとえば、ニュー・オーリンズは奴隷制の痕跡が深く残る街。また、世界中での移民難民への対応が顕著ですが、出自や肌の色に基づいて、命に価値がある人と、そうでない人を分けている。このふたつは、現在に続く問題です」と。まさに、人種差別主義者アホ・トランプの姿勢をも暗示しているように思われます。
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 劇中、ニュース映像を多用し、サウスセントラルでのLA暴動が俯瞰されます。演出はパワフルでダイナミック、斬新で切れ味鋭いドキュメンタリー・タッチで展開。当然のことながら、人種差別、白人至上主義をバックにして、ショッキングなシーンも多発します。そんななかで、子供たちに対するミリーの無償の愛が新鮮な感性をもって浮きぼりにされる。映画の原題は「KINGS」。警官に暴行されたロドニー・キングを意味しているのはもちろんです。加えて、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア(1929~1968)のことも暗示しているようです。彼は、1963年8月28日に行われたワシントン大行進で、リンカーン大聖堂の前で行った演説の一節「I have a dream」で有名。非暴力主義による公民権運動を指導した。64年にノーベル平和賞を受賞。1968年4月4日、テネシー州メンフィスで、白人男性ジェームズ・アール・レイに暗殺された。フランス=ベルギー合作。(★★★★)


“ギターの神様”の壮絶な人生「エリック・クラプトン―12小節の人生―」

2018-12-01 14:16:34 | 映画の最新情報(新作紹介 他)

 グラミー賞を18回受賞、ロックの殿堂入りを3回果たすなど、長年音楽界を牽引し続ける世界的スーパースター、エリック・クラプトン(1945~)。彼の壮絶な生きざまを振り返ったドキュメンタリーが、リリ・フィニー・ザナック監督のイギリス映画「エリック・クラプトン―12小節の人生―」(11月23日公開)です。ジェフ・ベック、ジミー・ペイジとともに、世界3大ギタリストのひとりにあげられているクラプトン。お金や名声よりも音楽性を優先し、愚直なまでにブルースに身を捧げ、天才の名をほしいままにしてきた。だが、私生活では欲望と愛情、快楽と幸せの区別もつかないまま、いつも“何か”を探してさまよい続けてきたという。そして、酒、ドラッグ、女、音楽、すべてのものに溺れていく。1960~70年代のミュージックシーンを再現、本人自身の率直な告白も交えた激烈な記録だ。
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 祖父母によって育てられ、実の母親から拒絶されるなど、幼少期のトラウマとなった複雑な家庭環境から、自己破滅的な怒りと世間に対する不信感を抱くようになったというクラプトン。その寂しさ、怒り、拒絶という感情を和らげるため、ラジオ番組で紹介されていたブルース・ギターの世界に奥深く逃げ込む。チャック・ベリーらから、時代を遡るようにしてブルースへの関心を深め、16歳のときに初めて聞いたロバート・ジョンソンの存在は決定的だった。やがて、レコードやスタジオを相手に、ひたすら模倣の日々を続け、自分のスタイルを確立する。意見の相違から、さまざまなバンドを転々とし音楽の魂を追求する。ともにギターの腕を競い合った仲間たちの喪失、親友ジョージ・ハリスンの妻パティ・ボイドへの苦悩に満ちた恋。そして最愛の息子コナーの死。どん底に転落した人生の転変…。
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 映画には、ジョージ・ハリスンやジミ・ヘンドリックス、B.B.キングをはじめ、若いころのザ・ローリング・ストーンズ、ザ・ビートルズ、ボブ・ディランなど、豪華アーティストも登場する。また、デレク・アンド・ザ・ドミノス時代のライブ映像をはじめ、邸宅ハートウッド・エッジでのプライベート映像、デュアン・オールマンとの「いとしのレイラ」のレコーディング風景、ザ・ビートルズとともに「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」をレコーディングするフィルム映像、ジョン・メイオール&ブルースブレイカーズをTVで見ていたボブ・ディランが、ギター・プレイを絶賛しているシーンなど、貴重な映像が音楽的なストーリーに彩りを添える。こうしたアーカイブ映像の処理、モンタージュがみごとであり、最大の見どころとなる。ファンにはたまらない音楽シーンである。
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 また、長年にわたるクラプトンのプライベート映像のかずかず。ヤードバーズ、ジョン・メイオール&ブルースブレイカーズ、クリーム、ブラインド・フェイス、デレク・アンド・ザ・ドミノスとのグループ活動、そしてソロへというミュージシャンとしての変遷。更に、私的な日記や手書きの手紙、デッサンなどを取り入れ、その時々の心情をクラプトン自らがナレーションで率直に語る。関係者のインタビューを極力排除し、自分自身を見つめ、誠実に波瀾に満ちた人生を赤裸々に映し出す。ジョージ・ハリスンの妻を寝取り、病的なまでの女性遍歴を持ち、あげくドラッグとアルコールに溺れ、ステージ上では観客に向かって喧嘩腰の発言をするなどしていた反逆時代。そして、1980年代はじめに復帰を果たすが、4歳の息子コナーがマンションの53階から転落して亡くなってしまう。だが逆に、そのことがクラプトンを正気に返らせたという。音楽が再び痛みを和らげ、以後は亡くなった息子を思いながら生きるという覚悟のもと、音楽生活に没頭。これで音楽と節制、健康で幸福な人間関係に拠り所を、生きる力と癒しを見出していくくだりは、少し呆気ない気もするけれど。
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 リリ・フィニー・ザナック監督はアメリカ出身。型破りな題材を見つけ、ヒット作に変える才能を持ち、映画業界でも創造的な製作者・監督として脚光を浴びる。1978年に、プロデューサーのリチャード・D・ザナックと結婚。89年の「ドライビング Miss デイジー」ではアカデミー作品賞を受賞。クラプトンとは25年来の友人だとか。そして、ドキュメンタリー製作はフィクションとはまったく違うと言う。インタビューや記録物から有機的に物語を紡いでいくと。彼女は語る―「何時間にもわたるエリックへのインタビューは、かなり普通とは違うものになった。“彼をよく知っている”という前提には立たないように心がけ、そのことが互いに功を奏したと思います」と。クラプトンは、1974年に初の来日公演を行った。以来、2016年まで、これまでに21回、公式な形で日本にやってきた。本作は、クラプトンの生きざまを通して、その時代を浮きぼりにした衝撃作だ。(★★★★+★半分)


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