43歳、独身、超肥満体のオタク、女性経験なし、シャイで冴えない大男の純情な恋の物語が、氷の国アイスランドからやってきました。ダーグル・カウリ監督・脚本のアイスランド=デンマーク合作「好きにならずにいられない」(6月18日公開)です。カウリ監督はフランス・パリ生まれで、アイスランド育ち。デンマークで映画を学び、2003年に「氷の国のノイ」で長編デビュー。映画製作のかたわら、自らのバンド“スロウブロウ”でミュージシャンとしても活動するという変わりダネ。今回も“スロウブロウ”名義で音楽も担当している。近年、デンマーク国立映画学校の監督養成プログラム主任にも就任。本作は、2015年北欧映画ナンバーワンを決定する映画賞“第12回ノルディック映画賞”に輝いています。
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アイスランド、レイキャビクに住む43歳で独身の冴えない大男フーシ(グンナル・ヨンソン)。母親とふたり暮らしで、空港の手荷物係として単調な毎日を送り、金曜日はなじみのレストランでパッタイを食べるという、日課通りの毎日を送っている。唯一の楽しみは、戦車や兵士の小さなフィギュアを集めてジオラマを作り、エル・アラメインの戦いを再現することと、大好きなヘビメタをラジオ番組にリクエストすること。そんな息子を見かねた母親と彼女の彼氏は、女性との出会いのチャンスを作ろうと、フーシの誕生日にカウボーイハットとダンススクールのクーポンをプレゼントする。その期待に応えようと、フーシはしぶしぶダンススクールに出かける。そして、そこで心に傷を負った小柄なブロンド女性シェヴン(リムル・クリスチャンスドウティル)と出会い、孤独だった人生に光と変化が訪れる…。
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己の世界に閉じこもり、滅多に誰とも話さないフーシは、他人に見下され、いじめられている。職場では、童貞とみなされてシャワーを浴びせられたり、パーティに誘われたかと思うとコールガールを押しつけられたり。同じアパートに住む孤独な少女と自分の家で遊んであげたり、ドライブに連れて行ったりすると、幼児虐待・誘拐と間違えられたり。とにかく、バカ正直で心優しいため、なにかと誤解される。このフーシを演じるグンナル・ヨンソンは100キロ超の巨体。TVや映画に出演しているが、カウリ監督とはパンケーキを焼くだけの1分の短編で知り合ったとか。バルト海を航海する貨物船で料理人として働いていた時、本作のオファーを受けたという。結果、繊細な演技で各国の映画祭で主演男優賞に輝く。
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そんな男が、陽気だが、どこか陰のある女性に恋をした! ダンススクールの帰途、シェヴンを車で家まで送り、次のレッスンに誘われて有頂天になるフーシ。やがて、パッタイの店で夕食をともにし、ラジオ番組に彼女お気に入りのカントリー音楽(ドリー・パートンの曲!)をリクエストしたり。そして、シェヴンが好きな旅行計画(暖かいエジプト行き)を立てるが、彼女が職場の花屋を辞めていることを知る。ふたりは一時いい仲になるが、なぜかフーシは彼女に交際を断られる。彼女には深い事情があるらしい。荒れ放題の家で閉じこもってしまったシェヴン。フーシは、彼女の新しい仕事(ゴミ収集)を肩代わりしたり、料理を作って持って行ったり。あげくに店舗を借りて改修し、シェヴンが憧れの花屋を開けるようにし、ひそかに鍵を彼女のアパートのポストに入れる。なんと心優しい男なんだろう!
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カウリ監督は言う。「どこか抜けてて、場違いな人間に興味がある。面白い状況に溶け込めず、浮いているような人たちだ。そこが主眼だね。登場人物と状況を描きたい」と。“フーシ”という名前は音声を逆に再生させると“イエス(・キリスト)”と聞こえるのだとか。平凡で凡庸で、コンプレックスのかたまりで、そして見つけた愛。フーシの心の優しさが、すべてを乗り越える。カウリ演出は、フーシの心の移ろいを繊細につづり、バカにされていた男が愛で人生にめざめる過程を巧みにとらえる。まるで、雪に閉じ込められたアイスランドの街の生活が、愛によって解放されるかのよう。大きな体に少年のような心が宿るフーシ。彼が迎えるラストが幻想的で、心に染み入る。まるで異次元の恋の物語。(★★★★+★)
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最近、北欧のミステリ小説に熱中しています。ダヴィド・ラーゲルクランツ著「ミレニアム4/蜘蛛の巣を払う女」(スウェーデン)はもちろん、ユッシ・エーズラ・オールスン著「特捜部Q」シリーズ(デンマーク)、そしてヘニング・マンケル著「北京から来た男」(スウェーデン)、「湿地」「声」などアーナルデュル・インドリダソン著の警察小説シリーズ(アイスランド)など。北欧ミステリは、設定もキャラもアブノーマルで、さすがヴァイキングのお国柄。そういえば、かつてマイ・シューヴァル&ペール・ヴァールー共著の「刑事マルティン・ベック」シリーズ(スウェーデン)に夢中になったこともあったな。
アメリカ出身のブライアン・ヘルゲランド監督が、イギリス=フランス合作で1960年代ロンドンを支配した双子ギャングの実録を映画化したのが「レジェンド 狂気の美学」(6月18日公開)です。クレイ兄弟は、ロンドン・イーストエンドの貧困家庭に生まれた一卵性双生児。10代から犯罪を重ね、暴力と政治力で裏社会を支配。生前からその生きざまが書籍・映画化(「ザ・クレイズ/冷血の絆」1990年)され、葬儀には約10万人が訪れるなど、いまも伝説として語りつがれている。このクレイ兄弟をひとり二役で演じるのが、「マッドマックス 怒りのデス・ロード」で話題を呼び、「レヴェナント:蘇えりし者」でアカデミー助演男優賞候補となったイギリス俳優トム・ハーディ。その強烈な個性が見どころだ。
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1960年代初頭、活気に満ちたロンドン。強い絆で結ばれた双子のギャング、レジー(兄)とロン(弟)(ともにトム・ハーディ)のクレイ兄弟は、その頭脳と暴力で街を支配していた。アメリカン・マフィアと手を組み、政治家やセレブリティと親交を深めた彼らは、一大犯罪帝国を築く。そんなとき、レジーは部下の妹フランシス(エミリー・ブラウニング)と出会い、恋に落ちる。レジーは、彼女に悪事とは手を切ると約束し、ナイトクラブの経営に専念するようになる。だが、それを快く思わないロンは、破滅的な行動を連発。組織内に不協和音が生まれ、さらには警察の執拗な捜査が迫り、兄弟の栄華が脅かされることになる。
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1960年代イギリスは、アート、ファッション、ロックなどの革新的な若者文化が花開き、首都はスウィンギン・ロンドンと称された。クレイ兄弟は、華やかなショービジネスにも手腕を発揮、政財界や芸能界のセレブとの人脈も誇った。本作にも、このあたりの時代の雰囲気が取り込まれている。とりわけ、時代を映す衣装と音楽に気が使われた。たとえば、ロンがダブルのスーツを着たアル・カポネの写真を仕立屋に持ち込んだこと、またレジーはイタリアのデザインを好んだことなどが、衣装に反映された。そして、腕っぷしが強くビジネスの才覚にあふれ、ハンサムなレジー(1933~2000)。同性愛者であることを公にし、キレると手が付けられないロン(1933~1995)。トム・ハーディが、兄弟をみごとに演じ分ける。
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ヘルゲランド監督は、「L.A.コンフィデンシャル」(1997年)でアカデミー脚色賞を受賞。本作の製作者たちは、「クレイ兄弟を題材に、米国スタイルのギャング映画を作る」という意図のもとに、ヘルゲランドを起用した。監督自身も、「クレイ兄弟の生き方は、多くの米国ギャングたちがたどった道でもある。私が心がけたのは、彼らと同じ視点に立つことだ」と語る。だから映画の語り口は、従来の新時代イギリス、フランス製ギャングものとは異なり、どちらかといえばノーマルな展開を見せる。派手な撃ち合いは少ないが、クレイ兄弟がプロボクサーあがりだということもあって、突発的な暴力シーンが迫力十分。セレブや議員、加えて警察まで手玉に取ったというレジナルド・クレイとロナルド・クレイの実像に迫る。
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しかし、所詮底の浅いギャングの世界。クレイ兄弟は、生前自伝じみたものを出版したり、映画が公開されたりした。いわばメディアの寵児であることを好んだのであり、それによって虚像をふくらませた。レジーと結婚したフランシスが、精神安定剤を大量に服用して自殺したり、最終的に兄弟が実刑判決を受けたりして、彼らの帝国はもろくも崩壊する。ギャングの末路とは、そんなものだ。登場する脇役も、渋く個性的でリアル。アメリカン・マフィアの手先を演じるチャズ・パルミンテリ、兄弟の財務顧問役デヴィッド・シューリス、敵対する組織のボス役ポール・ベタニー、ロンドン警視庁の刑事役クリストファー・エクルストンらがドラマを彩る。重厚なクライム・サスペンスであることは間違いない。(★★★★)
キアヌ・リーブスが主演と共同製作を兼ねた作品が、ヴィジット・スリラーといわれる「ノック・ノック」(6月11日公開)です。キアヌとコラボレーションを組んだのが、食人ホラー「グリーン・インフェルノ」(05年)で注目を浴びたイーライ・ロス監督。もとになったのは、コリーン・キャンプ主演、1977年公開の「メイク・アップ」。今回のロス版では、キアヌ演じる中年のオッサンと、iPhone世代の若い女性ふたりのエロチックな対決が見どころとなる。肉体改造して身体をブヨブヨにしたキアヌが、痛々しい拷問にかけられ、首から下を地面に埋められて喚くといった、おぞましい姿を見せるところが珍しく、可笑しい。また、オリジナル版に主演したコリーン・キャンプも製作に参加、カメオ出演をしている。
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建築家で平和な家庭を持ち、良き父親でもあるエヴァン(キアヌ・リーブス)。彼は、家族旅行に行く予定だったが、仕事の都合で留守番をすることになる。そして、アーティストの妻カレン(イグナシア・アラマンド)と子供ふたりを見送り、仕事に取り掛かる。その豪雨の夜、若き美女ジェネシス(ロレンツァ・イッツォ)とベル(アナ・デ・アルマス)が、突然エヴァンの家の扉を叩く。彼は、道に迷ったという、ずぶ濡れの彼女らを家に招き入れる。やがて彼女らは正体を現し、勝手放題をやらかしたあげくエヴァンを誘惑。それに負けたことで、彼は絶望の淵に追い込まれる。一晩の快楽から一転、理不尽なまでの破壊と暴力に身を任せる彼女たちの目的は、いったい何なのか? そして、エヴァンと家族の運命は?
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現代的なスリラーにふさわしい題材が次々と登場する。DJをやっていたときに集めたレコードを轟音でかけ、仕事に熱中するエヴァン。Facebookで行き先と連絡を取りたいので、PCを借りたいと言うジェネシスとベル。彼女らは断りもなくリビングに入り込み、乾燥機で濡れた衣服を乾かしたいと要求。大切なレコードを勝手にかけ、踊りはしゃぐ。やがて、バスルームに入った彼女らは、一糸まとわぬ姿で登場しエヴァンを誘惑。理性では抵抗するものの、エヴァンは誘惑に負ける。翌朝、彼女らの態度は別人のように豹変、破壊と暴力の限りをつくす。拳銃で脅してエヴァンを椅子に縛り付け、耳に当てたイヤフォンにレコードの大音響を流す。また、屋内や庭に飾られた妻カレン作の前衛アートをぶっ壊して回るのだ。
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イーライ・ロス監督は言う。「この作品では、人生をかけて築いた世界が、実際にはいかに脆いかを表現したかった。(登場する)彼女たちも誰かのゲームの被害者で、エヴァンに対しての行為は彼女たちにとってセラピーとなり得る。同時に、家というプライベートな空間で行ったことが、世界中にさらされるというSNS時代が生んだ<危険な情事>を楽しんでほしい」と。いわば、男の節操の無さを媒介にした、若い女性による小市民生活の偽善の摘出といってもいい。見る者は、エヴァンが受ける被害にハラハラする。だが、ジェネシスとベルが「芸術がなんだ? 家庭がなんだ?」と喚きつつカレンのアートをぶち壊して回るくだりになると、見るほうも「もっとやれ! もっとやれ!」という気になるから不思議だ。
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なによりも、娘っ子たちの目的が金や殺人ではない点がユニークだ(もっとも邪魔者を排除するくだりはあるけれど)。ラスト、彼女らは庭に掘った穴に、首から上を残してエヴァンの身体を埋めて立ち去る。そこへ、妻と子供たちが旅行から戻って来るのだが…。あとに残されたのは、SNSで流された、おぞましい性の饗宴…。それは、殺人よりもすさまじい今日的な恐怖を感じさせる。キアヌ・リーブスは語る。「ふたりの美女は、エヴァンに現実の鏡を見せつける。実は、その鏡は観客にも向けられているんだ。この物語は、心理的にも肉体的にも暴力的だ」と。でも映画としては、それ以上の域を出ない。あのキアヌが、こうした類いの作品に肩入れするとは、ちょっとオ・ド・ロ・キ、ですね。(★★★+★半分)
トルコ出身の女性監督、デニズ・ガムゼ・エルギュヴェンの「裸足の季節」(6月11日公開)は、新鮮な思春期ドラマに仕上がっています。同監督は、フランス国立映画学校の監督専攻で学び、本作で長編映画デビュー。2015年カンヌ国際映画祭でヨーロッパ・シネマ・レーベル賞を受賞。トルコ出身監督によるトルコ語作品ながら、アカデミー賞フランス映画代表に選ばれ、同外国語映画賞にノミネートされた。また、米バラエティ誌が選ぶ“注目すべき映画監督10人”にも選出。トルコ社会にひそむタブー、封建的な因習や人権無視、偏見に対して、地方在住の5人の姉妹が健気にも立ち向かっていく過程をとらえた作品です。
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首都イスタンブールから1000km離れたトルコの小さな村。そこに住む美しい5人姉妹の末っ子ラーレ(ギュネシ・シェンソイ=ナレーションも兼務)は13歳。10年前に両親を事故で亡くし、いまは祖母の家で叔父とともに暮らしている。学校生活を謳歌していた姉妹たちは、ある日、古い慣習と封建的な思想のおかげで、一切の外出を禁じられてしまう。電話を隠され、扉には鍵がかけられ、文字通り“カゴの鳥”となった彼女たちは、自由を取り戻すために奮闘する。だが、ひとり、またひとりと、祖母たちが決めた相手と結婚させられていく。そんななか、ラーレはひそかにある計画を立て、自分の生き方を貫こうとする…。
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姉妹が外出を禁じられるきっかけというのが理不尽だ。彼女らは下校途中、男子生徒と海で騎馬戦をして遊ぶ。無邪気に男子の肩にまたがって、はしゃぐ彼女たち。それが祖母の逆鱗にふれる。叔父は姉妹を病院に連れて行き、処女検査を強要。理由は「少しでも疑わしいと結婚できない」から。姉妹の純潔は証明されるが、以来外出は禁じられ、派手な洋服やアクセサリー、化粧品はゴミ袋へ。携帯電話、パソコンも没収、花嫁修業をさせられる。大のサッカーファンであるラーレは、スーパーリーグに行きたくて仕方ないが、叔父に拒否される。それでも試合が女性のみの入場となったとき、姉妹は祖母たちの目を盗んでサッカー観戦に大興奮。その後、祖母は広場に姉妹を連れ出し、花嫁候補のお披露目をする。家に、更なる囲いが取り付けられたのはもちろんだ。そして、当人たちを無視したお見合いが始まる。
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エルギュヴェン監督は、こう語っています。「トルコでは、これまでになく女性の地位が社会的な問題になっている。毎回帰国するたびに、驚くほどの閉塞感を感じる。女性であることに関するすべてが、絶えず性的なものに落とし込められている。女性を家事にだけ従事させて、子供を生産する機械に貶めるという社会的思考も現れています」と。ドラマ中の姉妹の転変が象徴的だ。はじめ結婚に抵抗していた長女ソナイは、逆にボーイフレンドに求婚されて幸せな結末に。次女セルマは結婚したものの、悲劇的な結果に。また三女エジェは、心理的に追い詰められ、なんと自殺。やがて、四女ヌルの婚礼の日、ラーレはついに強行する。自らの運命を切り開くために、ヌルとともにイスタンブール行きのバスに乗るのだ。
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本作では、トルコにおける女性の位置を描くと同時に、己を貫く革新の先鋭・五女ラーレの姿を通して、若い世代の自己主張や新時代への脱皮に未来を託す。それに対して、愛や自由な生き方を否定する旧世代への決別。それでも、姉妹を応援する若い男性の姿を点描することも忘れない。5姉妹を演じるのは、いずれもオーディションやスカウトによって監督が見出した新人。映画の原題である「ムスタング(MUSTANG)=野生の馬」そのものの溌剌とした魅力に溢れる。監督によると、「彼女たちはもっと気楽で、解放されていて、自分たちの人生をコントロールしている」とか。色鮮やかなビジュアルと光溢れる映像による演出も斬新。姉妹がひとりずつ脱落するなかで、いつラーレらが反乱・脱出するかと、見る方もハラハラ。世界ではいまでも、こんな不条理なことが起こっているのですね。(★★★★)
ハリウッドを代表する女優ジュリア・ロバーツとニコール・キッドマンの共演が実現しました。作品は、「ニュースの天才」で注目されたビリー・レイ監督・脚本「シークレット・アイズ」(6月10日公開)。物語のベースになったのは、2010年にアカデミー外国語映画賞を受賞したフアン・ホセ・カンパネラ監督のアルゼンチン映画「瞳の奥の秘密」。このオリジナル版は、25年前の未解決殺人事件を題材に小説を書き始めた主人公が、葬られた事件の真相と改めて対峙するという設定。刑事裁判所を定年退職した主人公が、かつての上司である女性検事と、暗礁に乗り上げた銀行員の妻暴行殺害事件の捜査を再開。そのショッキングなラストシーンが、当時話題になった。さて今回、ハリウッドでは、どう映画化されたか。
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2002年、ロサンゼルス。殺人事件の現場に駆け付けた、ニューヨークから派遣されたFBI捜査官レイ(キウェテル・イジョフォー)は、若い女性の遺体を見て絶句する。被害者は、テロ対策合同捜査班でのパートナーで、親友でもある検察局捜査官でシングルマザーのジェス(ジュリア・ロバーツ)の最愛の娘だった。レイは、エリート検事補クレア(ニコール・キッドマン)と捜査に乗り出し、一度は容疑者の男を捕らえる。だが、男がテロ組織の情報屋だったことから、上層部は男を釈放して自由の身にしてしまう。あれから13年、失意のもとにFBIを辞め、私立探偵を生業とするレイが、検事になったクレアと捜査主任に昇格したジェスを訪ねる。受刑者の写真を調べているうちに新たな手掛かりを見つけ、捜査を再開するために。やがて、想像を絶する真相が暴かれる…。
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今回のハリウッド版の特色は、2001年9月11日に起こったアメリカ同時多発テロ事件を伏線にしていることだ。2002年、ロサンゼルスの検察局にテロ対策合同捜査班が設置される。レイもジェスもクレアもチームに加わり、イスラム・モスクの監視を続けている。そんなときに起こった身近な殺人事件。犯人と特定された男は、捜査班の情報屋だったために釈放される。いわば、テロ捜査班上層部の思惑が一方的に絡んでいたわけだ。映画は、2002年と2015年の時制を交錯させて進行する。「これは、13年前に混乱の淵に突き落とされてしまった人々のストーリー」とレイ監督は言う。彼が何度も挫折しそうになったところを励ましたのは、オリジナル版の監督で今回の製作にも参加したカンパネラだったそうだ。
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執念深く犯人の行方を追うレイを演じるキウェテル・イジョフォーは、「それでも夜は明ける」でアカデミー主演男優賞にノミネートされた個性派。家族同然の親友の娘を救えなかったことに苦悩し、クレアへの愛も封印してしまった正義感あふれる男を人間味たっぷりに好演。彼とかかわる司法官に扮するニコール・キッドマンとジュリア・ロバーツも魅力的だ。特にジュリアは、娘を奪われた母親の怒りと悲しみを、ほぼノーメイクで演じ切る。はじめジェスというキャラクターは男性が演じる筈だったが、ジュリア・ロバーツが女性に書き換えてくれるなら演じたいと名乗り出たものだという。ともあれ彼女が、陰のある老け役演技に徹するところが見どころで、物語の中でもキーパースンの役割をつとめる。
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内容が過去と現在を行き来するので、その区別をつけるために、出演者はヘアスタイルや衣装を変えて時の隔たりを表現する。また、レイとクレアが容疑者に犯行の告白を迫るくだりや、満員のドジャー・スタジアムでの追跡シーンは迫力十分。それでも、時制の交錯や、犯人らしい男の出入りに分かりにくい部分があることは否めない。アルゼンチン版の「瞳の奥の秘密」は、全体が不吉な陰に覆われ、怨念に満ちた作品だったように思うけれど、今回のハリウッド版は異色の捜査劇に仕上がっています。ま、ニコール・キッドマンの美しさと、予想外のジュリア・ロバーツの性格派演技を楽しんで、よしとしましょうか。(★★★★)