わくわく CINEMA PARADISE 映画評論家・高澤瑛一のシネマ・エッセイ

半世紀余りの映画体験をふまえて、映画の新作や名作について硬派のエッセイをお届けいたします。

ポリス・アクションに化けた(?)「MW-ムウ-」

2009-06-28 17:58:41 | 映画の最新情報(新作紹介 他)

Img116 手塚治虫生誕80周年を記念して、1976~1978年まで「ビッグコミック」に連載された名作漫画「MW-ムウ-」が映画化されました(7月4日公開)。激動の1960年代、南の島で、ある国(米軍と思われる)が開発した毒ガスMWが漏れ出して、島民らが全員死に追いやられる。ところが、ある国の駐留軍と日本政府は、事件をもみ消して闇に葬る。だが、二人の少年、結城美知夫(映画では美智雄)と賀来巌(映画では祐太郎)が、その地獄を生きのびる。15年後、結城は復讐鬼として事件に関与した要人抹殺に暗躍、賀来は結城の行動に協力しつつも、神父として罪の意識に悩み続けるというシリアスな社会派ドラマだ。
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 原作の漫画には、重要な要素が幾つかあります。その①は、日本政府と米駐留軍の癒着の構造。駐留軍は日本に基地を持ち、当時ベトナム戦争で枯葉剤などを使用し、多くの人々を死に至らせた。その②は、原作では結城と賀来が同性愛関係にあって、肉体的にも精神的にも固い結びつきを持つ。30年以上前に、真っ正面から同性愛を取り上げた手塚さんは、やはりすごい人だ。その③は、MWを浴びて後遺症を持つ結城の、復讐鬼としての行動が徹底していること。彼は、残忍な殺人を繰り広げ、最終目的は隠されたMWを手に入れて、全世界を滅ぼすこと。そして、その④は、作品全体をおおっている主題-善と悪の問題。単純にいうと結城が悪、賀来が善なのだが、原作では、結城は単なる悪人でも被害者でもなく、価値観が混沌とした存在として描かれ、神父の賀来も宗教的偽善者のように思える。
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 一方、映画化のほうは、どうなったか。冒頭、所もあろうに、タイ(バンコク)でロケ撮影されたという誘拐犯・結城と警察との追いかけシーンが延々と続くくだりに、思わず、あ然。なんだ、こりゃ、ポリス・アクションか? その後、事件もみ消しに関与した要人を結城が抹殺し続けたり、女性新聞記者が事件を追ったりすることで、ドラマが進行する。だけど、全体の印象は、単なる犯罪ドラマといった感じ。つまり、原作のテーマには、ほとんどふれられない。特に、結城と賀来の同性愛はまったく抜き。それに、結城を演じる玉木宏も、賀来役の山田孝之もパワー不足。監督は、日本テレビのドラマ出身の岩本仁志。やはり、演出が大味なんだよなあ。手塚さんは、とても優しく温厚な人だったけれど、「MW-ムウ-」映画化の出来に対しては、さすがに天国で苦笑いしているんじゃないかな。

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清楚な白ユリ


痛快!「トランスフォーマー/リベンジ」

2009-06-26 17:38:45 | 映画の最新情報(新作紹介 他)

Img112「トランスフォーマー」のPART1(07年)をTV放映で見直してから、「トランスフォーマー/リベンジ」を劇場に見に行きました。これが、本当に面白かった! 地球の壊滅をめざして、宇宙の彼方から殺到するディセプティコン軍団の迫力。クライマックス、エジプトの砂漠に建つピラミッドをめぐって、オートボットと人間の連合軍との、すさまじい攻防戦。なんといっても、乗用車やトラック、戦闘機、ヘリコプターから携帯電話まで、あらゆるテクノロジー機器からトランスフォームする、宇宙から来た金属生命体の迫力には、いつ見ても圧倒され、楽しくて頬がゆるみっぱなし。スピルバーグ(製作総指揮)とマイケル・ベイ(監督・製作総指揮)の名コンビぶりは、いつもながら冴えています。
                   ※
 この金属生命体の原点は、日本のアニメの主人公となった「マジンガーZ」や「機動戦士ガンダム」にあるのでしょう。その流れが、1980年代に人気を得た日米合作のアニメ「トランスフォーマー ザ・ムービー」(85年)などになり、その実写化が映画「トランスフォーマー」になった。もっとさかのぼれば、「トランスフォーマー」の魅力の更なる原点は、SF映画の名作「宇宙戦争」(53年)にあると思う。原作:H・G・ウェルズ、製作:ジョージ・パル、監督:バイロン・ハスキンという名トリオが作り上げたこの作品は、熱線を放つ不気味な円盤と、乗組員である奇怪な火星人たちが地球を侵略するという話。05年には、スピルバーグがトム・クルーズ主演でリメイクしています。
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 つまり「トランスフォーマー」は、「宇宙戦争」の火星人を非情な機械生命体に置きかえた作品ではないか、ということです。ハイテク時代にふさわしく、宇宙人を、より現代的な生命体によみがえらせた。だから、ドラマやキャラが面白いのは当然のこと。「リベンジ」では、オートボットが人間さまべったりの存在になっていた点が物足りなく、むしろ凶暴なディセプティコンの親玉や、ユーモラスでイジワルなチビ機械のキャラがバツグンの魅力。このチビ機械たちは、スピルバーグとジョー・ダンテのコンビによる「グレムリン」シリーズ(84&90年)に登場したワル・グレムリンに似ていませんか? それはともかく、「リベンジ」を見終わって劇場から表通りに出たとき、走っている乗用車やトラックや自転車が、み~んな、ディセプティコンに見えたのが、おかしくて仕方がありませんでした。

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ベランダで甘い芳香を放つクチナシの花


大好き!モンスター・ウォーズ・サーガ

2009-06-24 16:50:23 | 映画の最新情報(新作紹介 他)

Img111 昨年公開された「ザ・フィースト」(05年)は、ベン・アフレックとマット・デイモン主催の新人発掘脚本コンテストから誕生したスプラッター・ホラーでした。製作総指揮はアフレック、デイモン、クリス・ムーア、ウェス・クレイブン。テキサスの田舎のバーで客とモンスターが繰り広げる凄惨な戦い。ブラック・ジョーク満載のホラー・ディテールが型破りだった。その続編「フィースト2/怪物復活」(6月27日公開)と「フィースト3/最終決戦」(7月4日公開)が連続上映される。舞台は、怪物の襲撃でゴーストタウンと化した街に移り、オバカ・キャラと、モンスターの血まみれの戦いが続く。監督は、ともにPART1と同じジョン・ギャラガー。PART2と3を同時撮影、情け容赦なし、血肉飛び散り、手足が吹っ飛ぶ、色気もたっぷりの超ハード・バイオレンス・シーンの連続なのだ。
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 でも、少しもドキドキしないし、ぜ~んぜん怖くもない。それは、映画が面白くないということではまったくない。あっとビックリのプロットの連続なのだけど、すべてがブラック・ジョークに彩られていて大笑い、ホラーとコメディの要素が巧みに融合されているからなのです。それに何よりも、作者たちはトンデモナイ映画マニアらしい。「イージー・ライダー」を思わせるカッコいいバイカー・クイーン一行、カッコつけてるけど冴えない登場人物たち、B級西部劇のようなドラマ展開、チーットも恐ろしくないモンスターたち。それに、監督の父親で、「バタリアン」「ヒドゥン」などのベテラン俳優クルー・ギャラガーが主要キャラのバーテンを演じて、映画の流れに重厚な(?)アクセントを与えている。
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 おまけに、ラストでは胸おどる(?)主題歌「フィーストのバラード」が流れ、サイレント映画でよく用いられたアイリス・アウトの手法(カメラの絞りが閉じるような形で終了する)が用いられる。脚本も、PART1同様、パトリック・メルトンとマーカス・ダンスタン(「ソウ4」「ソウ5」)。映画好きたちが、よってたかってハチャメチャなドラマ展開を楽しんでいる感じ。そうしたお遊びの姿勢は、まるで、型どおりの凡作があふれているハリウッド製の大作群を笑いとばしているように思われて、愉快、痛快! この続と続々編には、アフレックとデイモンは関係ないみたい。映画少年たちには、たまらないモンスター・サーガなのです。

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サボテンの花が咲きました


役所広司の初監督作「ガマの油」に魅せられる

2009-06-22 00:21:08 | 映画の最新情報(新作紹介 他)

124415948314816314502_gamanoaburanw 役所広司が初監督・原案・主演を兼ねた「ガマの油」。上映時間2時間13分という長尺なのに、思わず最後まで見入ってしまいました。日常的なリアリズムともいうべき斬新な映像と、リアリティのある軽妙な会話。とりわけ、冒頭の渋谷の雑踏に卓也(瑛太)の恋人・光(二階堂ふみ)が登場するシーンや、卓也の遺骨を抱いて拓郎(役所)と卓也の親友で少年院帰りの秋葉(澤屋敷純一)がキャンピングカーで放浪するくだりの、奥行きのある映像作りが素晴らしい。その映像感覚は、平板な大作群を生み出しているテレビ・ドラマ出身の監督たちに、爪の垢でも飲ませてあげたいくらい新鮮です。
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 さらに、自身の幼年時代の記憶や、人間の営み、生と死に対する考え方を、ユーモラスかつ幻想的につむぎ出す散文的な語り口に魅せられました。株のデイトレーダーとして巨額の金を動かすハチャメチャおやじの拓郎。つましく、しっかり者の妻・輝美(小林聡美)。茫洋とした心優しい息子・卓也。豪邸をかまえ、一見幸せそうに見える一家。卓也の恋人・光と、その祖母(八千草薫)との間に交わされる細やかな愛情。卓也と光、拓郎と光との携帯電話を通しての愉快なやりとり。拓郎の幻想として挿入される、彼が幼時に遭遇したガマの油売りのエピソード(これは役所広司自身の体験を反映したものらしい)。これらのドラマのモザイクが、卓也の突然の死によって、万華鏡のように回転し始める。
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 この作品を見ていて、イタリアの巨匠、故フェデリコ・フェリーニ監督の「8  1/2」(63年)を思い出しました。仕事に疲れた映画監督が、幻覚のなかで追想する少年の日々の思い出。フェリーニ自身の人生が、夢と幻想の中で意識下の巨大な宇宙としてよみがえる。役所広司自身は、もちろんフェリーニのことなど意識していないだろうけど、「ガマの油」には創作者としての、そんな内面の多様さを感じました。ハチャメチャで、軽率で、ノリが軽く、息子・卓也の死も、お祭にしてしまう拓郎の型破りの感性。だけど、心の底には、愛と人生への賛歌があふれている。監督として、俳優として、役所広司のキャラクターの奥深さと幅広さを垣間見た思いがします。

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アジサイが美しい季節になりました


ウッディ・アレン「それでも恋するバルセロナ」

2009-06-20 16:13:39 | 映画の最新情報(新作紹介 他)

Img106「それでも恋するバルセロナ」(6月27日公開)は、ウッディ・アレン(脚本・監督)にしては珍しいハリウッド・タッチのラブコメです。親友同士のクリスティーナ(スカーレット・ヨハンソン)とヴィッキー(レベッカ・ホール)が、夏の休暇を過ごすためにスペインのバルセロナにやって来る。ある日、彼女らはセクシーな画家ファン・アントニオ(ハビエル・バルデム)に出会う。情熱家のクリスティーナはひと目で彼と恋におち、婚約者がいる慎重派のヴィッキーも彼に惹かれる。そんなときに、ファン・アントニオの別れた妻で激情的なマリア・エレーナ(ペネロペ・クルス)が現れ、奇妙な四角関係が始まる。
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 恋愛に対して異なった姿勢を持つ3人の女性たち。「人生は無意味だから、貪欲に楽しむべきだ」という哲学を披瀝するファン・アントニオの女たらしぶり。そんな登場人物の愛の駆け引きが、陽光きらめくバルセロナの名所・旧跡を背景に、ジウリア・イ・ロス・テラリーニが歌い演奏するテーマ曲「バルセロナ」のメロディにのせて繰り広げられる。第66回ゴールデン・グローブ賞のミュージカル・コメディ部門で作品賞を受賞。第81回アカデミー賞では、エキセントリックな芸術家を演じたペネロペ・クルスが助演女優賞を獲得。
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 作品全体の印象は、観光めぐり的セックス艶笑譚といった感じ。アレン流の舌鋒鋭い自省的かつ自虐的なやりとりは、余り見られません。ただ、こんなセリフのやりとりが記憶に残っている。ヨハンソン演じるクリスティーナが、したり顔で「中国語は素晴らしい!」なんてことを言うと、「あなた、中国語がしゃべれるの」と聞き返されて、困った表情で「ニイ・ハオ・マ?」(ご機嫌いかが?)と答えるくだり。これには大笑い。
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 ウッディ・アレンの映画は余り好きではないけれど、「ボギー!俺も男だ」(72年)や「アニー・ホール」(77年)、「マンハッタン」(79年)はじめ、1970年代から80年代にかけての作品は、それなりに印象に残っています。でも最近は、独特のタッチが息をひそめて、洗練された作風を誇る巨匠になってしまったみたい。神経症的で、被害妄想的な言動と、機関銃のように繰り出される破滅的なモノローグが、いまでは懐かしくさえ思われます。

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黄金色に輝く金鶏菊(きんけいぎく)


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