手塚治虫生誕80周年を記念して、1976~1978年まで「ビッグコミック」に連載された名作漫画「MW-ムウ-」が映画化されました(7月4日公開)。激動の1960年代、南の島で、ある国(米軍と思われる)が開発した毒ガスMWが漏れ出して、島民らが全員死に追いやられる。ところが、ある国の駐留軍と日本政府は、事件をもみ消して闇に葬る。だが、二人の少年、結城美知夫(映画では美智雄)と賀来巌(映画では祐太郎)が、その地獄を生きのびる。15年後、結城は復讐鬼として事件に関与した要人抹殺に暗躍、賀来は結城の行動に協力しつつも、神父として罪の意識に悩み続けるというシリアスな社会派ドラマだ。
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原作の漫画には、重要な要素が幾つかあります。その①は、日本政府と米駐留軍の癒着の構造。駐留軍は日本に基地を持ち、当時ベトナム戦争で枯葉剤などを使用し、多くの人々を死に至らせた。その②は、原作では結城と賀来が同性愛関係にあって、肉体的にも精神的にも固い結びつきを持つ。30年以上前に、真っ正面から同性愛を取り上げた手塚さんは、やはりすごい人だ。その③は、MWを浴びて後遺症を持つ結城の、復讐鬼としての行動が徹底していること。彼は、残忍な殺人を繰り広げ、最終目的は隠されたMWを手に入れて、全世界を滅ぼすこと。そして、その④は、作品全体をおおっている主題-善と悪の問題。単純にいうと結城が悪、賀来が善なのだが、原作では、結城は単なる悪人でも被害者でもなく、価値観が混沌とした存在として描かれ、神父の賀来も宗教的偽善者のように思える。
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一方、映画化のほうは、どうなったか。冒頭、所もあろうに、タイ(バンコク)でロケ撮影されたという誘拐犯・結城と警察との追いかけシーンが延々と続くくだりに、思わず、あ然。なんだ、こりゃ、ポリス・アクションか? その後、事件もみ消しに関与した要人を結城が抹殺し続けたり、女性新聞記者が事件を追ったりすることで、ドラマが進行する。だけど、全体の印象は、単なる犯罪ドラマといった感じ。つまり、原作のテーマには、ほとんどふれられない。特に、結城と賀来の同性愛はまったく抜き。それに、結城を演じる玉木宏も、賀来役の山田孝之もパワー不足。監督は、日本テレビのドラマ出身の岩本仁志。やはり、演出が大味なんだよなあ。手塚さんは、とても優しく温厚な人だったけれど、「MW-ムウ-」映画化の出来に対しては、さすがに天国で苦笑いしているんじゃないかな。
清楚な白ユリ