わくわく CINEMA PARADISE 映画評論家・高澤瑛一のシネマ・エッセイ

半世紀余りの映画体験をふまえて、映画の新作や名作について硬派のエッセイをお届けいたします。

才人・石井裕也監督が歴史の闇を照らす「バンクーバーの朝日」

2014-12-28 15:17:37 | 映画の最新情報(新作紹介 他)

「川の底からこんにちは」(10年)で石井裕也監督を知ったときは衝撃的だった。もがき苦しみ、叫ぶ若い女性の姿を等身大にとらえた斬新な筆致に、日本映画のニューウェーブ登場を確信した。そして昨年は「舟を編む」で、日本アカデミー賞の最優秀作品賞・最優秀監督賞を史上最年少で受賞し、一気に売れっ子監督になった。彼の新作が「バンクーバーの朝日」(12月20日公開)です。1914~1941年まで、カナダ・バンクーバーに実在した日系カナダ移民2世を中心とした野球チーム“バンクーバー朝日”を題材にした作品。貧困や人種差別と闘いながら、野球にかけた若者たちの姿を、時代色を再現しながら描いていきます。
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 19世紀末から戦前にかけて、貧しい日本を飛び出し、富を夢見てアメリカ大陸に渡った日本人たち。だが、そこで待ち受けていたのは、低賃金かつ過酷な肉体労働と人種差別だった。やがて、カナダ・バンクーバーに居を得た彼らは日本人街を作り、肩を寄せ合うように暮らした。そこで、ひとつの野球チームが誕生する。チームの名は“朝日”。しかし、体が小さく非力な選手たちは、最初白人チームのパワープレーにまったく歯が立たない。ところが、バント、盗塁、ヒットエンドラン、スクイズ、俊敏な捕球といった特性を生かした戦術を磨くことで、徐々に白人チームを負かし始める。“アリが巨象を倒す”―その姿に日本人だけでなく、白人たちも熱狂。彼らは、ついに西海岸の白人リーグを制するまでになる。
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 選手に扮する主な登場人物は5人。製材所で働く笠原(妻夫木聡)はショート兼キャプテン。移民1世の父親(佐藤浩市)は見栄っ張りで、稼いだ金のほとんどを日本の親族に送っている。おかげで母(石田えり)は内職に励んでいる。また高校生の妹(高畑充希)は、白人家庭でメイドとして働く。エースピッチャー永西(亀梨和也)は漁業に従事、父を戦争で亡くし病床の母の看護をしている。セカンド北本(勝地涼)は笠原と同じ製材所で働く。キャッチャー三宅(上地雄輔)は豆腐屋で働く所帯持ち。最年少の野島(池松壮亮)はホテルのポーターでサードを守る。悩みを抱えた彼らは、時に衝突しながら野球で結びついていく。
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 本作は、人種差別、過酷な労働、どん底の住環境&生活、そして戦争と、希望に満ちた当初の期待とは異なる移民社会の実態をとらえる。その中で、野球だけが移住者の心の支えとなり、白人に対する優越感を醸成する。「彼ら(主人公たち)が感じていた、生きていることの違和感とか閉塞感というのは、たぶん今の日本でも変わらないと思う」と、石井監督は言う。ドラマの最後、すべての日系移民は、1941年の日本軍の真珠湾攻撃によって強制収容所に移住させられる。だが2003年、“朝日”はカナダ野球の殿堂入りをして、名誉回復を果たした。また、戦前のバンクーバーを再現するために、栃木県足利市に巨大なオープンセットを建設。野球場はもちろん、日本人街、隣接する白人街などが建造された。
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 テーマは壮大で、野球をめぐる仲間や家族との関係にホロリとさせられるシーンもある。だが、登場人物が多いせいか、印象が弱い群像ドラマという感は免れない。内向的なキャプテンを演じる妻夫木聡を除いて、主要選手のキャラがはっきりしない。かえって、佐藤浩市、石田えりらが、さすが重厚な演技を見せる。更に言えば、当時、海外移住した人々は日本の国策で外地へ送られ悲劇を蒙った例が多いのだが、それらの要素は強く押し出されていない。ノスタルジックな移民社会の描写と、日本人を奮い立たせた野球チームの物語が焦点になる。才人・石井監督が一躍メジャーな存在になった作品の出来は……?(★★★+★半分)
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 今年のブログは、今日で打ち止め。映画を愛する仲間たちへ。どうぞ、よいお年をお迎えください。来年も、斬新な映画に出会えますように!!


クローネンバーグが挑むハリウッド怪奇の世界「マップ・トゥ・ザ・スターズ」

2014-12-21 15:46:01 | 映画の最新情報(新作紹介 他)

 デヴィッド・クローネンバーグ監督は、カナダ・トロント出身。代表作は、「スキャナーズ」(81年)、「ヴィデオドローム」(82年)、スティーヴン・キング原作「デッドゾーン」(83年)、ウィリアム・バロウズ原作「裸のランチ」(91年)など。超能力者や、日常の事物が歪曲する姿を怪奇・幻想的にとらえながら、社会に潜む不条理を摘出してきた。その彼が、シュールな映像と語り口でハリウッドの虚像の本質を暴き、断罪した作品が「マップ・トゥ・ザ・スターズ」(12月20日公開)です。怪奇趣味をテーマにしてきた、これまでの作風とは一見すると異なるように見えるけれども、ハリウッド・セレブの醜悪さをえぐり出す異常なドラマ作法は、クローネンバーグらしい筆致といえます。
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 ハリウッドに豪邸を構えるワイス家の人々は、成功を手にしたセレブ・ファミリー。家長スタッフォード(ジョン・キューザック)はセラピストで、有名人を顧客にしている。息子ベンジー(エヴァン・バード)はアイドル子役としてブレイク、母クリスティーナ(オリヴィア・ウィリアムズ)のマネージメントのもと、13歳にして巨額のギャラを荒稼ぎしている。そんな一家の日常が、絶縁状態だったトラブルメーカーの娘アガサ(ミア・ワシコウスカ)と再会することで崩壊し始める。いっぽう、アガサを個人秘書として雇った落ち目の大物女優ハバナ(ジュリアン・ムーア)は、亡きスター女優である母親の亡霊につきまとわれ、極度のノイローゼに陥っている。やがてプレッシャーに押しつぶされ、封印されていた秘密やトラウマが露わになったハバナは、為す術もなく破滅への道を転がり落ちていく…。
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 クローネンバーグは、傲慢なセレブの世界をすさまじい描写で断罪していきます。富と欲望に意欲を燃やすワイス一家。スーパーアイドルのベンジーは薬物依存から復帰中で、ライバルの子役の首を絞めるという事件を起こす。また顔や手に火傷のあとがあるアガサは、過去に放火事件を起こして療養所に収容されていたという。またハバナは、謎の焼死を遂げた母親の旧作の再映画化に出演することを望み、他人の不幸も顧みずに役を獲得しようとする。ドラマは、こうしたセレブ族の裸形に、火、焼死、亡霊、幻影、殺人といった要素をからめながら、クライマックス、ワイス一家とハバナの衝撃的な末路へと突き進んでいく。
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 本作は、脚本家ブルース・ワグナーが伝説的なハリウッド映画「サンセット大通り」にインスパイアされ、この街のリムジン運転手として働いていた頃の実体験を織り交ぜて創造したという。劇中にもロバート・パティンソン演じる、脚本家としての成功を夢見るリムジン運転手が登場、アガサやハバナらとかかわりセレブの素顔に接するさまが描かれる。とりわけ、キャリア喪失の危機に瀕した女優ハバナを演じるジュリアン・ムーアの演技に圧倒されます。底知れぬ野心、それと対照をなす不安や孤独、セレブの仮面の下に潜む醜い本性~露骨なセックス・シーン、トイレで示すあけすけな姿、監督への強烈な売り込み作戦、そして底なしの堕落。この体当たり演技で、ムーアはカンヌ国際映画祭最優秀女優賞を獲得した。
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 題名の「マップ・トゥ・ザ・スターズ」とは、直訳すると“スター(セレブ)への地図”となる。劇中には“星座”のイメージが登場するが、栄光のセレブへの階段を昇りつめた登場人物は、虚栄がもたらす悪夢の果てにどこへ行き着くのか? かつてロサンゼルスに行った際、ハリウッドヒルズに建つ有名なサイン“HOLLYWOOD”の文字を憧れの目で見たものです。本作にも、追放先のフロリダからやって来たアガサが、この看板を見るシーンがある。彼女は、ある種の怨念をこめて、このサインを見たのではないか。自己のスタンスを頑なに守るクローネンバーグ監督も、ワイス家と女優ハバナの存在を否定する破壊者アガサと視線を共有しているのではなかろうか、とも思われるのです。(★★★★+★半分)


人間愛を謳いあげるポーランド映画「幸せのありか」

2014-12-17 14:06:47 | 映画の最新情報(新作紹介 他)

 ポーランドの新鋭監督マチェイ・ピェブシツア(兼脚本)の「幸せのありか」(12月13日公開)は、障害のある人間が子供から青年へと、さまざまな経験を通して成長していく姿をとらえた感動ドラマです。同監督は実際の出来事にインスパイアされ、「生きるということ、死、真実、愛、そして普通とは何か、理解するとは? ということについての問いかけを試みた」と言います。なによりもユニークなのは、主人公の感情の襞に分け入り、「障害者をいかに理解するか?」という主題を、感情豊かに、丁寧に、かつ客観的に描いている点です。ポーランド映画賞では、観客賞、主演男優賞など主要5部門で受賞しています。
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 1980年代、ポーランドが民主化へと大きく揺れ動いた時代。脳性麻痺のマテウシュは、医師から“植物のような状態”といわれるが、家族の愛情を受けて多感な少年時代を過ごす。民主化勝利のあと、心から愛を注いでくれた父親の突然の死。だが、父から教わった星空を見上げる歓びを忘れることはなかった。更に、向かいのアパートに住む少女への淡い恋と、突然訪れる別れ。やがて彼は成長するとともに、次第に家族から疎まれていく。可愛がってくれた母親が入院し、残った姉は結婚を機に、マテウシュを施設に入れてしまう。その憤りを母や看護師にぶつけるが、美しい看護師マグダが現われ、心を通わせるようになる…。
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 マテウシュは、少年時代に人の手を借りずに移動する手段を思いつく。仰向けになり、腕を激しく動かして後方へ進むのだ。彼は知的障害といわれ、身体にも重度の障害があるが、内面は豊かな知性と感性を持つ。父親(アルカディウシュ・ヤクビク)は彼を普通の息子として接し、「男ってのは、怒りや異議を示すとき、テーブルに拳を叩きつけるんだ!」と諭す。母親(ドロタ・コラク)は車椅子を押してマテウシュをあちこち連れ歩き、キスと笑顔を彼に注ぐ。大人になったマテウシュ(ダヴィド・オグロドニク=好演!)は、知的障害者施設では女性のバストに対する好奇心を抱き、看護師マグダ(カタジナ・ザヴァツカ)とワルツを踊り、彼女のバストまで触らせてもらう。
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 マテウシュと父母、兄姉との関係から培われる豊かな表現力、女性への性的関心=恋と裏切り。その背後では、社会主義政権下のポーランド初の自由選挙が行われ、連帯が勝利する。やがてマテウシュは、ノートに書いてある記号を見てマバタキで質問に答え、その断片をつなぐことでコミュニケーションが出来る、という能力を示し始める。そして「ぼく、植物、ちがう」と応えるくだりがショッキングだ。これに対して、はじめ医師たちは知的障害と誤診。新しい施設に入るための面接では、面接官のひとりがマテウシュを「うすのろ」と評したのに対し、彼はよろよろと立ち上がり、父の言に従って机に拳を突き立ててみせるのだ。
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 いわば本作は、一個の人間マテウシュが自己表現を獲得するまでの挌闘の日々に密着した物語。彼の苦闘はTV番組で紹介され、やがて周囲の状況が変化していく。それはまるで、ポーランド民主化と歩調を合わせたかのようだ。ピェブシツア監督は、身体的なマテウシュの挌闘と並行して、ナレーションで心の声を吐き出させるという手法をとる。その内面の声は、きわめて知的で、周囲の無理解に対して冷笑的ですらある。そこには、いささか作為的な要素もうかがえるが、マテウシュの内面を際立たせるには有効な方法でもある。「限界の障害にぶつかっても人生を楽しむこと、幸せはひょんな瞬間から見つかることを信じる」と、ピェブシツア監督は言う。(★★★★)


加瀬亮がホン・サンスの異色作に主演「自由が丘で」

2014-12-13 17:22:28 | 映画の最新情報(新作紹介 他)

 ホン・サンス監督は、韓国映画界の鬼才と言われている人です。初の長編「豚が井戸に落ちた日」(96年)で絶賛され、以後「気まぐれな唇」(02年)、「映画館の恋」(05年)などを発表。独特の筆致で、皮肉な人間洞察を展開し続けています。2012年に来日した際の対談がきっかけとなって意気投合、加瀬亮とのコラボレーション「自由が丘で」(12月13日公開)が生まれたそうです。愛を求めてソウルにやって来た日本人男性が、坂と迷路の街に迷い込んでいくという物語。加瀬は、「求めていた監督、出会いたかった監督に出会えた」と言い、マネージャーや通訳の同行はなく、ひとりで撮影現場にのぞんだといいます。
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 想いを寄せる年上の韓国人女性クォン(ソ・ヨンファ)を追って、スーツケースひとつでソウルにやって来た男モリ(加瀬亮)。だが彼女は見つからず、彼女にあてた日記のような手紙を書き始める。そして、彼女を探してソウルの街を行ったり来たり。同じゲストハウスに泊まっているアメリカ帰りの男サンウォン(キム・ウィソン)と仲良くなり、毎晩のように飲んで語らう。更に、迷子になった犬を見つけたことで、カフェ<自由が丘>の女性オーナー、ヨンソン(ムン・ソリ)と急接近。ワインを飲んで、なんだか良いムードになる…。坂道と路地の多い街で、時間の迷路に迷い込むモリ。果たして彼は、彼女に出会えるのか?
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 ホン・サンス監督は、この作品で斬新な試みを行っています。クォンは、モリの手紙を受け取った際に、立ちくらみをして手紙を階段に落としてしまう。それらを拾うものの、日記風の手紙はバラバラになり、1枚は気づかずに拾い忘れてしまう。そして、バラバラに拾った順番のまま、手紙を読み始める。物語も、その通りに紡がれていき、モリの心を映すように時間軸が動き、乱反射し反復されていく。モリが常に持ち歩く文庫本も、吉田健一著「時間」である。「時間の流れから、その断片を少し解放させることで、私たちは同じ時間を少し違ったものとして体験することができる」と、ホン・サンス監督は語っている。
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 つまり本作は、時間軸から解き放たれた愛の寓話と言っていいでしょう。その上で、モリの意識の流れ、現実と夢想の混合が簡潔に映像化される。ときどき、モリは夢を見る。クォンと来たことのある水辺で聞こえる彼女の声。韓国滞在最後の日、モリは部屋で待つクォンと再会するが、それも夢なのか? 加えて、この作品には韓国の庶民の生活とモリとの交流、そこから派生する異文化の衝突と融合が描かれます。加瀬亮は、日本語でも韓国語でもなく、英語でコミュニケーションをとろうとし、相手もそれに合わせる。加瀬のきわめて自然で等身大で、ときどきファナティックな演技が、迷路に迷い込んだ男の心情を浮き彫りにします。
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 ホン・サンス監督は、毎朝、撮影前に脚本を渡すという製作スタイルをとったという。そのため、役柄については事前に準備することができず、加瀬は常に自分自身でいようと心掛けたとか。「撮影は順撮りされたが、時系列がバラバラになった完成作を見たときは驚いた」と加瀬は言う。そこにホン・サンスの独自の映画作り、エンタメとは一線を画す実験精神がうかがえる。ちなみに、登場するカフェの名は“JIYUGAOKA 8丁目”といい、クォンとモリの馴染みの店でもある。映画の原題は「hill of freedom」、つまり「自由の丘」。「登場するカフェの名前から派生したタイトルの意味が、映画理解への大事な入り口のような気がする」とは、加瀬の弁です。(★★★★)


シンガポール発の感動ドラマ「イロイロ ぬくもりの記憶」

2014-12-07 18:06:53 | 映画の最新情報(新作紹介 他)

 シンガポールから心温まる感動作が生まれました。弱冠30歳、アンソニー・チェン監督(兼脚本)の長編デビュー作「イロイロ ぬくもりの記憶」(12月13日公開)です。本作は、東京フィルメックスが東京都などと開催している映画人材育成プログラム「ネクスト・マスターズ2010」(現タレンツ・トーキョー)で最優秀企画賞を受賞したことから完成に至っており、日本の映画祭が世に送り出した作品ともいえる。スリリングかつ心温かいホームドラマであり、都会の人々の生活をリアルに描いた作品になっています。カンヌ国際映画祭では新人監督賞のカメラドールを受賞、台湾金馬奨では作品賞を含む4部門で受賞しました。
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 舞台は1997年のシンガポール。共働きで多忙な両親を持つ一人っ子の少年ジャールー(コー・ジャールー)は、わがままな振る舞いが多く、小学校でも問題ばかり起こしている。手を焼いた母親(ヤオ・ヤンヤン)の決断で、フィリピン人メイドのテレサ(アンジェリ・バヤニ)が住み込みで家にやって来る。だが突然の部外者に、ジャールーはなかなか心を開かない。やがて、仕送り先にいる我が子への思いを抑えつつ必死で働くテレサに、いつしか自分が抱える孤独と同じものを感じて、なついていく。そんな折り、父親(チェン・ティエンウェン)がアジア通貨危機による不況で会社をリストラされてしまう。また、息子がメイドに打ち解けたことで、安心した筈の母親の心にも嫉妬に似た感情が芽生えはじめる…。
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 監督の幼少時代を題材にした作品だそうで、小さな家族を描きながら、子育て・経済危機・移民や階層の問題などを盛り込んだ異色作になっています。わんぱくで孤独なジャールー、初めは憎らしいほどの存在だが、次第にメイドに親しんで愛が芽生えていくくだり。メイドのテレサは、故郷に残した子供を思いながら、日曜日には美容院でアルバイト、ジャールーにとっては母親的な存在になっていく。対して、ジャールーの両親は共働きで家にいないことが多く、夫婦仲も冷えている。母親は運送会社勤務で妊娠中、優しいところもあるが、ヒステリックな点も目立つ。父親は気弱で人が良く、営業職をリストラされ警備員の職につく。
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 シンガポールでは、人口約540万人のうち、外国人が約200万人を占めるという。中華系・マレーシア・インドなどの異人種が共存し、本作でも複数の言語が使われる。ジャールーの父親は妻のヒステリーからテレサをかばい、ジャールーの小学校の校長はどうやらインド系らしい。こうした環境の中で、フィリピン人メイドのテレサは、シャワー室や学校、食事などに付き合って、ジャールーと裸の触れ合いをしながら、少年の孤独感や怒りを癒していく。チェン監督は、余計な説明や感情移入を排して、省略法を用いたシーンをつなぎながら、登場人物の立場や環境・キャラを巧みにとらえ、突出した日常&心理描写を見せる。
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 チェン監督の、こうした丁寧な心理描写は、台湾の名匠ホウ・シャオシェンがかつて手がけた少年の映画を思わせる。そのせいか、東京フィルメックスの人材育成プログラムでの講師兼審査員がホウ監督であったとか。加えて、企画時に子供のイメージとして思い描いたのが、フランス・ヌーヴェルヴァーグの旗手の一人、フランソワ・トリュフォー監督の「大人は判ってくれない」だったという。タイトルの“ILO ILO(イロイロ)”とは、監督の家にいたフィリピン人メイドの故郷の地名だそうである。終幕、テレサがジャールーの家族のもとを去るとき、心を揺さぶられるラストシーンが用意されている。(★★★★+★半分)


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