わくわく CINEMA PARADISE 映画評論家・高澤瑛一のシネマ・エッセイ

半世紀余りの映画体験をふまえて、映画の新作や名作について硬派のエッセイをお届けいたします。

日本映画の原点を読む

2008-12-30 00:18:40 | 映画の本

Img039 30年前に購入したマキノ雅弘監督(19081993)の著書「映画渡世・天の巻」と「地の巻」(平凡社刊)をやっと読んだ。これがやたら面白い。同監督は、日本映画の父といわれるマキノ省三監督の長男で、父の作品(無声映画)に子役として出演。やがて、監督として「浪人街第一話・美しき獲物」(27年)などの秀作を発表。その後、時代劇や任侠映画を中心にエンタテインメント作品を量産。「次郎長三国志」シリーズ(6365)、「日本侠客伝」シリーズ(6469)などの監督といえば、わかりやすいだろうか。その生涯は波乱万丈。関西風べらんめぇ(?)口調で語られる映画作りの苦労や人間関係は、笑いと涙に彩られている。同時に、日本で映画がどういう風に誕生し成長をしたかが詳細に浮かび上がる。

 それに関連した近刊の高野澄著「日本映画の父マキノ省三ものがたり/オイッチニーのサン」(PHP研究所刊)を読んだ。マキノ雅弘の父・省三(18781929)の伝記を物語風に仕立てたもの。京都の劇場興行主だった同氏が、映画の誕生と共に活動写真(=映画)の世界に飛び込み、映画を興行として成り立たせていくくだりが、多くのエピソードと共につづられる。尾上松之助、阪東妻三郎らのスターや監督たちを育てた同氏の心に貫かれているのは、映画への情熱的な愛。その足取りを追うことは、日本映画の草創期を知ることになる。ちなみに、タイトルにある「オイッチニーのサン」とは、撮影開始の時に監督がかける号令「ヨーイ、スタート!」にあたる省三独特の表現だとか。

 次いで、マキノ父子と共に映画人生をスタートさせた内田吐夢監督(18981970)の自伝「内田吐夢/映画監督五十年」(日本図書センター刊)と、脚本家・鈴木尚之著「私説・内田吐夢伝」(岩波現代文庫刊)を読む。京都マキノ教育映画製作所に俳優兼裏方として参加。やがて監督となって、日中戦争時に旧満洲にわたり、満映(満洲映画協会)勤務を経て、戦後も含めて10年間中国に滞在。帰国して、「宮本武蔵」五部作(6165)、「飢餓海峡」(64)などの秀作を連発した。その無頼の人生と、映画にかける情熱に感動する。

 40年以上も外国映画に関連する仕事を続けてきて、肝心の日本映画のルーツを知る作業がおろそかになっていた。これを機会に、遅まきながら日本映画の原点を探り、その魂の核心部分に分け入っていくことにも全力を傾けていきたいと思っています。


ホームページも、是非ご覧ください!

2008-12-25 20:33:37 | インポート

このブログとともに、ホームページ「映画評論家・高澤瑛一の<わくわくCINEMA PARADISE>」も、是非ご覧ください。こちらには、新作映画の紹介コーナーなどがあります。アドレスは、http://www8.ocn.ne.jp/~wcinemap です。どうぞ、よろしく!


1960年代の星、ロバート・マリガン監督が死去

2008-12-25 19:22:03 | 映画の最新情報(新作紹介 他)

 1960年代に斬新でピリッとした感覚の作品を発表して注目されたアメリカの監督、ロバート・マリガン(Robert Mulligan)が、1220日、米コネティカット州の自宅で死去、83歳だった。死因は心臓疾患だったという。1925823日、ニューヨーク市ブロンクス生まれ。TV番組を手がけたあと、プロデューサーで、のちに社会派監督として知られるようになるアラン・J・パクラと出会い、「栄光の旅路」(57年)で映画監督デビュー。当時の人気スター、アンソニー・パーキンスが大リーガーの苦悩を演じた作品だった。

以後、パクラとのコンビ作「アラバマ物語」(62年)、「マンハッタン物語」(64年)、「ハイウェイ」(64年)、「サンセット物語」(66年)、「下り階段をのぼれ」(67年)、「レッド・ムーン」(68年)などの話題作を発表。特に「アラバマ物語」は、1930年代、田舎町での裁判をめぐる人種差別を描いた社会派ドラマで、アカデミー賞の作品・監督・脚色・主演男優・美術部門でノミネート。弁護士を演じたグレゴリー・ペックが主演男優賞を獲得、脚色・美術部門でも受賞した。また、ナタリー・ウッド、スティーブ・マックィーン共演の「マンハッタン物語」や、ナタリー・ウッド、ロバート・レッドフォード共演の「サンセット物語」では、都会的なセンスで若い世代の哀歓を鋭くとらえた。

だが、パクラとのコンビ解消後はパッとせず、リーズ・ウィザースプーン初主演の「マン・イン・ザ・ムーン/あこがれの人」(91年/劇場未公開・ビデオ発売)が遺作となった。アーサー・ペン監督の「俺たちに明日はない」(67年)を皮切りに台頭したアメリカン・ニューシネマの先駆けとして、新鮮で現代的な映像が特徴の個性派監督だった。


中国語会話に挑む~60の手習い

2008-12-20 22:19:44 | 中国語学習

ぼくが中国語会話の勉強を始めたのは、60歳を過ぎてからで、まさに「60の手習い」。5年半の間、塾に通い、やっと日本中国語検定協会の3級試験に合格。以後は、教科書で独学にはげんでいます。中国語を学ぼうと決心した動機は、好きな中国映画の監督や俳優と直接話せたらいいなあ、と思ったことから。特に、7年ほど前に北海道の“ゆうばり映画祭”で大ファンである台湾のホウ・シャオシエン(侯孝賢)監督にインタビューした際、通訳を介しての話が歯がゆく、映画祭から帰ってすぐ塾に通い始めたのです。その後、同監督とは会っていないし、中国語圏の映画人と直接対話するチャンスもないのが悔しい。まあ、チャンスがあっても「你好!」とか「謝謝!」ぐらいしか喋れる自信はないけど。

でも、新作の中国映画を見て、北京語のセリフなら少しはわかるようになったし、会話のニュアンスや、ドラマの背景も、以前よりは理解できるようになったと思う。これからは、何度か失敗している検定協会の2級試験突破をめざして、老いの身に鞭打って頑張るつもり。そして、いつか中国映画の仕事ができればいいな、というのが夢。こうしたチャレンジができるのも、映画が好きだからこそ。英語でも、フランス語でも、イタリア語でも、映画を突破口にして外国語の習得を目指すことができるのではないかな


2008年公開映画ベストテン

2008-12-17 18:40:21 | 映画の話 あれこれ

まず、ご挨拶がわりに、ぼくが独断的に選んだ2008年外国映画ベスト10と日本映画ベスト5を紹介しよう。順序はつけずに選んでみました。

<外国映画ベスト10

「モンゴル」

(監督:セルゲイ・ボドロフ/独・カザフスタン・ロシア・モンゴル合作)

「胡同(フートン)の理髪師」

(監督:哈斯朝魯=ハスチョロー/中国映画)

「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」

(監督:ポール・トーマス・アンダーソン/米映画)

「女工哀歌(エレジー)」

(監督:ミカ・X・ペレド/米映画)

「チェチェンへ/アレクサンドラの旅」

(監督:アレクサンドル・ソクーロフ/露・仏合作)

12人の怒れる男」

(監督:ニキータ・ミハルコフ/ロシア映画)

「潜水服は蝶の夢を見る」

(監督:ジュリアン・シュナーベル/仏・米合作)

TOKYO!」

(監督:レオス・カラックス他/仏・日・韓合作)

「マンデラの名もなき看守」

(監督:ビレ・アウグスト/仏・独・ベルギー・伊・南ア合作)

「ラスト、コーション」

(監督:アン・リー/米・中・台湾・香港合作)

<日本映画ベスト5

「ブタがいた教室」(監督:前田哲)

「歩いても歩いても」(監督:是枝裕和)

「アキレスと亀」(監督:北野武)

「山のあなた/徳市の恋」(監督:石井克人)

「ラストゲーム最後の早慶戦」(監督:神山征二郎)

外国映画部門には、ロシアの監督作品3本が入ってしまった。「モンゴル」は、浅野忠信が後のチンギス・ハーン、テムジンの青春時代を演じた作品で、大自然をバックに人間の原始的な愛と戦いを壮大なスケールで描く。「チェチェンへ/アレクサンドラの旅」は、紛争の地チェチェン共和国のロシア軍駐屯地を訪ねた兵士の祖母の姿を通して、戦争の意味を静かに問いかける。また「12人の怒れる男」は、1957年に発表されたアメリカ映画で、シドニー・ルメット監督の名作裁判劇の再映画化。今回は、殺人の容疑者である少年をチェチェン人に設定し、ロシアの人々が抱く失意と混乱をテーマとしている点がユニークだ。いずれも、ロシア映画伝統の映像作法が息づいている力作である。

ごひいきの中国映画では、「胡同(フートン)の理髪師」がダントツ。93歳の現役理髪師を主人公に、近代化が押し寄せる中で、北京の伝統的な細い路地=胡同に生きる庶民の姿をドキュメンタリー・タッチでつづる。また「女工哀歌」の監督ミカ・X・ペレドは、スイス生まれでイスラエル育ちの人だが、この作品では中国のジーンズ生産工場で働く貧しい少女たちの哀歓を丹念にスケッチし、傑作ドキュメンタリーに仕上げている。さて、みなさんの2008年のベストは、どんな作品でしたか?


ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村