30年前に購入したマキノ雅弘監督(1908~1993)の著書「映画渡世・天の巻」と「地の巻」(平凡社刊)をやっと読んだ。これがやたら面白い。同監督は、日本映画の父といわれるマキノ省三監督の長男で、父の作品(無声映画)に子役として出演。やがて、監督として「浪人街第一話・美しき獲物」(27年)などの秀作を発表。その後、時代劇や任侠映画を中心にエンタテインメント作品を量産。「次郎長三国志」シリーズ(63~65)、「日本侠客伝」シリーズ(64~69)などの監督といえば、わかりやすいだろうか。その生涯は波乱万丈。関西風べらんめぇ(?)口調で語られる映画作りの苦労や人間関係は、笑いと涙に彩られている。同時に、日本で映画がどういう風に誕生し成長をしたかが詳細に浮かび上がる。
それに関連した近刊の高野澄著「日本映画の父マキノ省三ものがたり/オイッチニーのサン」(PHP研究所刊)を読んだ。マキノ雅弘の父・省三(1878~1929)の伝記を物語風に仕立てたもの。京都の劇場興行主だった同氏が、映画の誕生と共に活動写真(=映画)の世界に飛び込み、映画を興行として成り立たせていくくだりが、多くのエピソードと共につづられる。尾上松之助、阪東妻三郎らのスターや監督たちを育てた同氏の心に貫かれているのは、映画への情熱的な愛。その足取りを追うことは、日本映画の草創期を知ることになる。ちなみに、タイトルにある「オイッチニーのサン」とは、撮影開始の時に監督がかける号令「ヨーイ、スタート!」にあたる省三独特の表現だとか。
次いで、マキノ父子と共に映画人生をスタートさせた内田吐夢監督(1898~1970)の自伝「内田吐夢/映画監督五十年」(日本図書センター刊)と、脚本家・鈴木尚之著「私説・内田吐夢伝」(岩波現代文庫刊)を読む。京都マキノ教育映画製作所に俳優兼裏方として参加。やがて監督となって、日中戦争時に旧満洲にわたり、満映(満洲映画協会)勤務を経て、戦後も含めて10年間中国に滞在。帰国して、「宮本武蔵」五部作(61~65)、「飢餓海峡」(64)などの秀作を連発した。その無頼の人生と、映画にかける情熱に感動する。
40年以上も外国映画に関連する仕事を続けてきて、肝心の日本映画のルーツを知る作業がおろそかになっていた。これを機会に、遅まきながら日本映画の原点を探り、その魂の核心部分に分け入っていくことにも全力を傾けていきたいと思っています。