わくわく CINEMA PARADISE 映画評論家・高澤瑛一のシネマ・エッセイ

半世紀余りの映画体験をふまえて、映画の新作や名作について硬派のエッセイをお届けいたします。

名作映画のラストシーンに酔う!(4)「太陽がいっぱい」

2014-07-10 15:08:43 | 名作映画・名シーン

「太陽がいっぱい」(1960年・フランス/イタリア)
 金持ちの友人を殺害した青年トム・リプレー(アラン・ドロン)。彼は、富も美しい女性も手中にしたつもりで、輝く太陽の下、浜辺で極上の酒に酔いながら満足感にひたっている。そのとき、友人のヨットが検査のために陸に引き揚げられる。そして、まずヨットのスクリューにからまったロープが現れ、その先に結びつけられた友人の死体があがる。だが、トムはまだそれを知らずに、完全犯罪の夢に酔い痴れている。やがて、刑事に呼び寄せられ、なんの屈託もなく海辺の店に入っていくトム。その背後には、のどかで真っ青な海が広がっている。公開当時、まったく予想外のどんでん返しが話題を呼んだラストシーンである。
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 パトリシア・ハイスミスの小説を、フランスの名匠ルネ・クレマンが映画化した。貧しいアメリカ人青年トムが、友人で金持ちの息子フィリップ(モーリス・ロネ)を、父親の依頼で連れ戻すためイタリアのナポリにやって来る。だが、フィリップはトムを軽蔑し、婚約者マルジュ(マリー・ラフォレ)との仲を見せつけたりする。やがて、トムの妬みと憎悪は殺意に変じ、フィリップを刺殺、死体をシーツで包んで海に放り込む。陸にあがると、トムはフィリップになりすまし、身分証明書を偽造、サインや電話の声まで真似て、彼の金で贅沢な生活を始める。そして、マルジュまでだまして、フィリップの遺産を手にしようとする…。
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 主演のアラン・ドロンは、この作品でスーパースターの座についた。デビューから3年、25歳の若さであった。まばゆい太陽と海。それに背を向けるように、背徳の深淵に落ちる青春像。明晰な頭脳を持ちながらも、貧しさゆえに卑屈で鬱屈した青春を過ごすトム・リプレー。裸身を陽にさらし、「太陽がいっぱいだ!」とつぶやくドロンには、青春の輝きと陰りが共存した。当時は、世界中で若者たちが体制に反逆し、反乱を起こした時代。フランスでは、ヌーヴェルヴァーグと呼ばれる若い監督や俳優たちが、反逆する青春像を造形した。クレマン監督は、彼ら若い世代に対抗するかのように本作を手がけたといわれる。
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 アラン・ドロンの甘いマスクに秘められた孤独感と、やり場のない怒り。それは、当時の女性ファンをはじめ、若い世代を魅了した。そうした彼のキャラクターは、父母との縁がうすく、世界各地を放浪した前歴がもたらしたものかもしれない。以後、ドロンは「若者のすべて」(1960年)、「サムライ」(1967年)、「暗殺者のメロディ」(1972年)などで、陰りのある容貌で人気を得た。ドロンの相手役であるモーリス・ロネは、ルイ・マル監督「死刑台のエレベーター」(1958年)などヌーヴェルヴァーグ作品で脚光を浴びる。マルジュに扮したマリー・ラフォレは、これがデビュー作。大きな瞳と妖精的な容姿で一世を風靡した。
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 とりわけ「太陽がいっぱい」を有名にしたのは、イタリアの作曲家ニーノ・ロータが手がけた哀愁を含んだ甘美な主題曲である。この曲は日本でも大ヒット。ロータは、「道」(1954年)をはじめ、イタリアの巨匠フェデリコ・フェリーニ作品のほとんどを担当、映画音楽作曲家としてもっともポピュラーな存在になった。のちに手がけたフランシス・フォード・コッポラ監督「ゴッドファーザー」(1972年)の「愛のテーマ」も、余りにも有名である。2011年には生誕100年を迎え、さまざまなイベントが行われた。(原題「Plein Soleil」)



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