わくわく CINEMA PARADISE 映画評論家・高澤瑛一のシネマ・エッセイ

半世紀余りの映画体験をふまえて、映画の新作や名作について硬派のエッセイをお届けいたします。

元NFLスター選手の栄光と闘い「ギフト 僕がきみに残せるもの」

2017-08-26 14:03:24 | 映画の最新情報(新作紹介 他)

 難病ALS(筋委縮性側索硬化症)を宣告された元NFLスター選手スティーヴ・グリーソン。彼が、生まれてくる息子に贈るために撮影し始めたビデオダイアリーが、感動のドキュメンタリー映画になった。それが、クレイ・トゥイール監督「ギフト 僕がきみに残せるもの」(8月19日公開)です。子供が話せるようになる頃、自分はもう話せないかもしれない。そのため、自分の過去や、夫婦で病に立ち向かう姿、日々の生活のありのままをドキュメントして息子に残すという理由から撮り続けられたものだ。グリーソン自らが撮影した映像と、旧友で介護にも関わったふたりの撮影者が撮った1500時間のビデオが素材になった。
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 アメリカン・フットボールの最高峰NFL。ニューオーリンズ・セインツのスティーヴ・グリーソンは、特別なヒーローだった。ハリケーン“カトリーナ”に襲われたニューオーリンズの災害後初の、市民が待ちに待ったホームゲームでチームを劇的な勝利に導いたからだ。2011年1月、すでに選手生活を終えていたグリーソンは、病院で信じられない宣告を受ける。「あなたはALSです」と。そして同じ頃、妻ミシェルの妊娠がわかった。初めて授かった子供。だが、自分は生きている間に、わが子に会うことができるのだろうか。生まれてくる子のために、自分は何を残せるのだろうか。グリーソンは決めた。いまだ見ぬ子供に贈るために、毎日ビデオダイアリーを撮り続けると。そして、波瀾に富んだ生活が始まる。
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 日々の日常的な記録のひとつひとつが胸を打ちます。グリーソンが経験する旅やイベントに始まり、火を起こす方法、デートの仕方など、体験したことをすべてわが子に残す。人生を全力で生きると決意し、トライアスロンに参加したり、夫婦でアラスカへの旅もした。また、自分の父親とのぎくしゃくした関係の修復。自らビデオカメラを使ってインタビューし、父を理解しようとする。また、介護に疲れた妻とのケンカもあり、生きることに絶望する日もある。それらをありのままに見せ、ユーモアを忘れずに日々を乗り越えていく。そして、ついに息子リヴァースが誕生。以後、その成長の記録が加わる。スティーヴは、声が出なくなる日に備えて声を録りだめ、視線入力と音声合成機器を使い始め、車椅子生活になる。
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 とりわけ印象に残るくだりがある。スティーヴの伝説的なパントブロックの銅像が、スーパードームに建てられる。家族は序幕セレモニーに参加。歴史的な偉業を称えられるスティーヴ。だが、祝典から家に帰れば、「ヒーローと言われる自分と、パンツにウンコをためてトイレに運ばれる自分がいる」。それは、もうひとつの現実。選手(有名人)としての栄光と、病の淵にいる己との落差の激しさ。監督は言う―「家に帰ったのち、彼は自分で排便をコントロールできなかった。これこそが、いまの彼の生活の現実だ。このような病を抱えるという経験が、本当はどういうことかを掘り下げたかった」と。まさに、ドラマでは到底不可能な、ドキュメンタリーならではの生々しさが、こうしたシーンと告白に現れています。
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 病に挑む身として、スティーヴは確かに恵まれた状況にあったともいえる。広々として自由に動き回れる住宅環境、金銭がかかる医療機器も手に入る。だが同時に、ALSと診断された人々を応援したいと発言、非営利法人チーム・グリーソンを設立した。目的は、ALS患者のためにサービスや機器を提供、彼らが豊かな人生を送られるようにすること。2013年、音声合成機器が保険適用の対象外になろうとしていた。そこでチームは、援助を失った患者に機器の購入費を援助、保健福祉省に働きかけ音声合成機器が保険適用されるように直訴。それはスティーヴ・グリーソン法と呼ばれ、やがてオバマ大統領が署名し承認された。本作は、難病克服ドキュメントであると同時に、家族や友人同士の愛を描いたパーソナル・ドキュメントであり、なによりもユーモアを忘れない点が心を温かくしてくれます。(★★★★)


郷愁を誘うベトナム新世代作品「草原に黄色い花を見つける」

2017-08-19 13:30:49 | 映画の最新情報(新作紹介 他)

 ヴィクター・ヴー監督のベトナム映画「草原に黄色い花を見つける」(8月19日公開)は、1980年代後半、ベトナム中部の貧しい村に生きる兄弟と幼なじみの少女との淡い感情の揺れ動きをとらえた佳作です。原作は、人気作家グエン・ニャット・アインのベストセラー小説。思春期の悩みや嫉妬、別れの痛みなど、少年から大人になる瞬間を詩情あふれる映像で表現している。ヴィクター・ヴー監督は、アメリカで生まれ育ち、ハリウッドで映画を学んだあとに、父母の祖国ベトナムに戻って、若くしてヒットメーカーとなった。大学の映画専科に進んでからも、ベトナム人の家族を描いた短編映画ばかり作っていたといいます。
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 ティエウ(ティン・ヴィン)とトゥオン(チョン・カン)は、いつも一緒にいる仲の良い兄弟だ。思春期を迎える12歳の兄ティエウは、近所に住む少女ムーン(タイン・ミー)が気になっているが、うまく想いを伝えることができない。そんなある日、ムーンが家の不幸から兄弟の家に身を寄せることになる。一緒に過ごすうちに、ティエウの恋心はつのるばかり。だが、急接近したトゥオンとムーンの仲に嫉妬したティエウは、ついに取り返しのつかないことをしてしまう…。ドラマは、甘く、ほろにがく、そして幻想的な結末を迎える。
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 原作は81章の断片的なエピソードから成り立っていて、はっきりした筋らしきものはないという。また、メインの登場人物のほかに大勢の村人が登場、それぞれの背景が描かれている。そのため、ストーリーを再構築し、登場人物を取捨選択する必要があったと、監督は言う。無邪気な弟とムーンとの関係に嫉妬し、思わず残酷な仕打ちをしてしまうティエウ。やがて、ムーンが村を去る日がやって来る。その間、田舎での暮らしが点描される。森林や野原が形作る景観、洪水や祭り、学校の状景。美しい自然の中で、昆虫や植物に接する3人。兄弟の両親や若い伯父さん、村の人々の生活、言いがかりをつけてくるいじめっ子も登場。とりわけ興味深いのは、カエルとお姫様のおとぎ話や、古木とライオンの寓話、森にこもった少女がお姫様に擬せられるエピソードなど、幻想的なシーンが挿入されるくだりです。
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 ほんのりと、そのくせ残酷な面も垣間見せる少年・少女期への郷愁。演出は心優しく、静謐に少年期の心を描き出します。父親と森にこもったニーという少女が不思議な存在です。お姫様に擬せられた彼女と接触するティエウとトゥオン兄弟。ニーは黄色い花を撒いて、兄弟を家から森にいざないます。お兄ちゃんに傷つけられたトゥオンは、ニーに接近したことで快方に向かう。心を癒す黄色い花。題名の由来は、このあたりにあるのでしょうか。「この物語は、まるで12歳の頃の日記をめくるようで、記憶の断片のように、無邪気さと不思議、孤独と混乱に満ちていた世界を明らかにしてくれる。ティエウとトゥオンの兄弟の感情の起伏。彼らの関係の変化、伝統的な家族の力関係、周辺の美しい環境や雰囲気。それが、子供の目線で見た世界として描かれている」と、ヴィクター・ヴー監督は語っています。
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 1960年代から1975年まで、凄惨なベトナム戦争が起こりました。そのことについては、監督は触れていないし、ドラマでも語られることはない。ですが、思春期への郷愁、孤独と混乱、おとぎ話にこめられた暗喩は、そんな暗黒の歴史の陰も感じさせます。1980年代の寒村にも、その影響はあったにちがいない。貧しい生活、人々の間に漂う諦観。そんな光景を見ると、ふとそう思うのです。監督は言います―「ベトナムの人々にとって、80年代は生活が非常に厳しかった時代として記憶されています。できるだけ忠実に描きたいと思い、自分の両親をはじめ、当時を知る人たちの話を聞くなど、多くの時間をリサーチに費やした」と。そんな理屈は抜きにしても、この作品は、台湾の名匠ホウ・シャオシェン(侯孝賢)がかつて発表した「冬冬(トントン)の夏休み」(1984)や「童年往事/時の流れ」(1985)などを思わせる。どこか懐かしいアジアの状景が、そこにあるのです。(★★★★+★半分)


史実の映画化「ハイドリヒを撃て!『ナチの野獣』暗殺作戦」

2017-08-13 14:56:06 | 映画の最新情報(新作紹介 他)

 イギリスの監督ショーン・エリス(兼脚本・撮影)が手がけた「ハイドリヒを撃て!『ナチの野獣』暗殺作戦」(チェコ=イギリス=フランス/8月12日公開)は、第2次世界大戦中に実施された<エンスラポイド作戦>をベースにした作品です。同作戦は、大英帝国政府とチェコスロバキア駐英亡命政府によって計画された“ユダヤ人問題の最終的解決”推進者ラインハルト・ハイドリヒ暗殺計画のコードネーム。類人猿作戦とも訳される。ヨゼフ・ガブチーク曹長、ヤン・クビシュ軍曹ら7人の男によってプラハ(チェコスロバキア)で実行された。その後、ヒトラーの血の報復命令により1万人以上の市民が殺されたという。“金髪の野獣”と称されたハイドリヒ暗殺事件は、いままでにフリッツ・ラング監督「死刑執行人もまた死す」(1943)、ルイス・ギルバート監督「暁の7人」(1975)でも映画化された。
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 第2次世界大戦中期、ナチスがヨーロッパのほぼ全土を制圧していた頃。1941年冬、イギリス政府とチェコスロバキアの亡命政府が協力して極秘作戦を練る。その指令を受けて、ふたりの軍人ヨゼフ・ガブチーク(キリアン・マーフィ)とヤン・クビシュ(ジェイミー・ドーナン)が、パラシュートでプラハに潜入。当時、チェコの統治者でホロコースト計画を推し進めていたのが、ヒトラー、ヒムラーに次ぐナチスNo.3と言われたラインハルト・ハイドリヒ。ふたりの目的は、ナチス親衛隊長ハイドリヒの暗殺、コードネーム<エンスラポイド(類人猿)作戦>だ。ヨゼフとヤンは、チェコ国内に潜伏するレジスタンスの協力を得て、ハイドリヒの行動を徹底的にマークして狙撃する機会をうかがう。1942年5月27日、ついにハイドリヒを狙撃するが、彼らを待ち受けていたのは壮絶なナチスの報復だった…。
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 前半はスローな展開、クライマックスは撃ち合い。映画はドキュメンタリー風にヨゼフとヤンの足取りを追う。ふたりは、レジスタンスの案内で協力者モラヴェツ家に匿われる。ヤンはその家のお手伝いマリー(シャルロット・ルボン)に、ヨゼフは連絡係のレンカ(アンナ・ガイスレロヴァー)という美しい女性に惹かれる。ふたりは、同志と綿密に暗殺計画を練る。いつもの通勤経路で、車上のハイドリヒが減速してゆっくりと角を曲がる時がチャンスだ。やがて、その時がやってくる。自決用の青酸カリが仕込まれた木彫りの人形をモラヴェツ夫人に手渡すヤン。そして、決行の日がくる。だが、ヨゼフの銃が故障し発射できないというアクシデントに見舞われる。その後、激しい銃撃戦が始まる。やや気の弱いヤンと、リーダー型の意志の強いヨゼフ。そのふたりに恋愛模様が加わって、ドラマは進行する。
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 このドラマのユニークな点は、暗殺と抵抗運動がもたらすものが指摘されていることです。抵抗組織の幹部のひとりは言う。「奴を殺せば、ヒトラーはこの街を潰す。家族や知人は皆殺しにされるぞ」と。また、レンカとマリーは「私たちの行動は正しいの」と問う。更に、幹部のひとりは「チェコが地図から消えるのが怖い」と呟く。報復として、市民たちがナチスの生贄にされることを怖れるのだ。これに対して、ヨゼフは「愛国者なら、国のために命を落とす覚悟が必要だ。なにを怖れているんだ」と反論。イギリスからは作戦中止の知らせも届くが、作戦は強行される。イギリス政府とチェコ亡命政府の指令の是非とジレンマ。事件後、プラハには非常事態宣言が出され、街は完全に封鎖。ナチスの親衛隊が大勢の市民に銃を向けて報復を始め、ヨゼフとヤンもレジスタンス仲間の裏切りで追い詰められる。こうした無謀な作戦によって、逆にチェコ国民が窮地に追い込まれるという矛盾を衝く。
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 ショーン・エリス監督は、2001年にエンスラポイド作戦のドキュメンタリーを見たのがきっかけで事件を知り、作戦に関わった兵士たちの勇敢さに惹かれたとか。以後、膨大な歴史的資料を調べ、製作のための準備に15年の歳月を費やした。また、当時のプラハの雰囲気を再現、物語に真実性を持たせるため、撮影は全編プラハで敢行。そしてクライマックス、教会での戦闘シーンで75年前に起こった悲劇を生々しく再現。しかし、この種の反ナチス映画を見て、いつも思うことがある。やたらにドイツ兵士をなぎ倒していく連合軍&抵抗勢力。加えて、報復による市民の犠牲。ナチスの幹部を血祭りにあげるのはいい。でも、ドイツ人兵士にも家庭があり、恋人がいるのではないか。戦争という名の大量殺戮がもたらすもの。見ていて、こうしたジレンマに陥ってしまうのだが、如何だろう?(★★★+★半分)
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★そして“いま、そこにある危機”とは……アホ・トランプvs.気狂い正恩の対決、and
その間でうろうろするオバカ晋三……という構図ですね。


大戦が引き起こしたポーランドの悲劇を女性の視点で…「夜明けの祈り」

2017-08-05 13:50:16 | 映画の最新情報(新作紹介 他)

 フランスの女性監督アンヌ・フォンテーヌが手がけた「夜明けの祈り」(8月5日公開)は、第2次世界大戦末期から戦争終結直後にかけてのポーランドで医療活動に従事した女医マドレーヌ・ポーリアックの実話の映画化です。大戦中のポーランドはナチス・ドイツとソ連に分割占領された。ナチス敗退後は、ソ連を後ろ盾とする共産政権が誕生。だが、事実上はソ連に支配され、駐留地での暴行や略奪が頻発。本作のモチーフであるレイプは、こうした異様な空気と規律の緩みのなかで起こった衝撃的な事件だった。ヒロインは、フランス国籍保持者の捜索・保護・引き揚げ支援のため派遣されたフランス赤十字の一員。フォンテーヌ監督は、女性がこうむった例えようもない悲劇を通して、戦時の混乱をあぶりだします。
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 1945年12月のポーランド。赤十字の施設で負傷兵への医療活動を行う若きフランス人女医マチルド(ルー・ドゥ・ラージュ)のもとに、悲痛な面持ちのシスターが助けを求めてやってくる。マチルドは、担当外であることを理由に一度は願いを断る。だが、凍てつく空の下で何時間もひたむきに神への祈りを捧げる姿に心を動かされ、遠く離れた修道院へと出向いて行く。そこでマチルドが目の当たりにしたのは、戦争末期にソ連兵の蛮行によって身ごもり、神への信仰と残酷な現実の狭間で苦悩する7人の修道女の姿だった。マチルドは、かけがいのない命を救う使命感に突き動かされて、多くの困難に直面しながらも激務の合間をぬって修道院に通い、この世界で孤立した彼女たちの唯一の希望となっていく…。
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 この事件は、大戦末期に敗走したドイツ軍と入れ替わりに占領軍として入ってきたソ連軍兵士たちが修道院に押し入って、数日間にわたる蛮行を働いた結果である。まずマチルドは、身ごもって苦痛に泣き叫ぶ若い修道女ゾフィアに帝王切開をほどこし赤ん坊を取り出す。そして、産気づいたシスターたちから次々と新しい命を救い出す。厳格なカトリック修道院では、たとえどんな理由があろうとも妊娠・出産などとはとんでもないことだ。マチルドは、決して口外しないと約束させられ、同僚のユダヤ人男性医師サミュエル(ヴァンサン・マケーニュ)に協力を求め、赤ん坊の尊い命を守り抜く。これに対して、シスターたちは「私たちを見捨てないで。あなたは救世主よ」と、涙ながらに感謝の気持ちを伝えてくる。だが、頑なな修道院長はゾフィアの子供を雪が積もる野原に置き去りにするという暴挙に出る。
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 主な舞台は修道院だが、決して宗教くさい暗鬱なドラマではない。それは、戒律厳しい修道院で修業するシスターたちが、信仰に縛られながらも妊娠することで女性の性(さが)を表に出してくるくだりに示される。信仰と妊娠が相容れないという矛盾のなかで、表面に滲み出る女の素顔。それは、いつの時代にも存在する苦悩であり、普遍的なテーマでもある。さらに、勇気ある医師を演じる新進女優ルー・ドゥ・ラージュの清々しい魅力が、重苦しいドラマに新鮮な空気を送り込む。フォンテーヌ監督は、こうした女性たちの心理を鮮やかに浮かび上がらせる。重厚な演出と静謐な映像で、宗教と母性との相克をあぶりだす手並みは鮮やかだ。同監督は言う――「残念なことに、この種の残虐行為は今日もなおはびこっています。女性たちは、世界中の戦争国でこうした非人道的な扱いを受け続けているのです」と。
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 フォンテーヌ監督は、映画に登場するのと同じベネディクト会に属するふたつの修道院を訪れ、最初の修道院では観察者として過ごし、2番目の修道院では修練者として生活したとか。その上でポーランド・ロケに臨み、北部の田舎で同国の女優たちに囲まれて撮影を行った。背景にソ連軍と共産政権という要素がある悲劇という点で、故アンジェイ・ワイダ監督の遺作「残像」と対をなす作品だともいえる。ラスト、この地を去る間際のマチルドの提案により、修道院では戦争孤児を引き取ると同時に、シスターたちが産んだ赤ん坊を育てることになる。子供たちには、戦争も国籍も宗教も関係ない! この締めくくりからは、こんな作者の叫びが聞こえるようだ。マチルドのモデルになったマドレーヌ・ポーリアックは、1946年2月にワルシャワ近くで任務遂行中に事故死をとげたという。(★★★★+★半分)


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