江別創造舎

活動コンセプト
「個が生き、個が活かされる地域(マチ)づくり」
「地域が生き、地域が活かされる人(ヒト)づくり」

スポーツが生活に定着した時代

2010年02月08日 | 歴史・文化
 昭和40年代以降昭和50年代後半は、スポーツ少年団やママさんスポーツ、ウインタースポーツ、歩こう会など老若男女が気軽に参加できる市民スポーツの新しい流れがみられました。
 このような市民スポーツと共に競技スポーツも盛況でした。

 昭和43(1968)年9月、江別高校女子バトミントン部が第20回全道高校大会で優勝しました。この前後数年は、男子を含め江別高校バドミントン部の全盛時代でした(中略)。
 また、江別高校バスケット部の活躍も眼を見張るものがありました。
昭和32(1957)年に男子が全道大会で優勝、全国大会に初出場しました。また同校女子バスケット部は、昭和41年、43年、46年、49年と全国大会へ駒を進めました。

 陸上競技では、昭和46年の第26回国民体育大会(和歌山県)で、江別高校出身の藤井正紀が青年走り幅跳びで2メートル6の大会新で優勝しました。この好記録は、当時ようやく普及しはじめた背面跳びを習得したこによるもので、北海道記録を31年ぶりに更新するものでした。そして、この藤井の活躍に刺激されて、以降背面跳びが北海道でも走り幅跳びの主流を占めることになりました。

 昭和40年代以降の市民スポーツは、かつてどの時代にもみられなかった多種多様の広がりをみせました。この時代は、種目にしても、参加層にしても、そして水準の高さにおいても、眼を見張るものがありました。
 まさに、スポーツが生活の中に定着した時代といえます。

(参考)
当ブログ2010年1月28日(木)「自然の中で育む市民交流の輪の広がり」
当ブログ2010年1月26日(火)「江別冬のスポーツ」

註:江別市総務部「新江別市史」667-668頁.
写真:同上書図9-2「藤井正紀の活躍」
 同上書668頁掲載「図9-2藤井正紀の活躍」を複写掲載いたしております。
コメント
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