明治15年(1882)年に開通した幌内線は、その後経営母体の変遷を経て、39年10月に国有化され、いわゆる国鉄が誕生しました。
そして、函館線を中心に複線化が進められ、明治42年8月25日の銭函ー札幌間を皮切りに順次開通しました。
同年8月26日に野幌ー江別間、同年12月6日に札幌ー野幌間、江別ー岩見沢間の複雑化がなり、鉄路の便は飛躍的に伸びました。
一方、通信はどうだったでしょうか?
明治25年12月現在、江別郵便局(三等局・現在の特定郵便局)は江別村一番地一号の松本祐之の宅にありました。
局長は、2代目の松本海門で、局員は1名でした。
郵便受取所1、切手販売所5、ポストは7でした。
この年の取扱件数は、収集が約3万4千、配達が5万余、計8万4千405件、一日平均231件の取扱数となります。それに郵便為替の事務件数は、23年3千841件、24年4千746件、と急増しています
これを少ない局員でこなすのは、並大抵のことではありませんでした。
明治26年9月、江別郵便局内に電報取扱所が設けられました。
28年度取扱数は、発信1千399件、着信1千315件、計2千714件の実績を残しています。
その後、30年に電信事務の取り扱いが開始されるなど、商業上の通信手段の充実が図られていました。
明治32年2月、札幌電話交換局がおかれ、翌33年3月から一般の電話交換の取り扱いが始まりました。
順次、函館、小樽などへの交換局設置が進みましたが、特に40年以降の普及は目覚しいものがありました。
江別郵便局内に特設電話交換局が設けられたのは42年でした。
その時の加入者は21人、加入申込者(待機)13人でした。
同5月1日、札幌ー江別間の開通により、札幌局経由で小樽、室蘭、留萌、旭川方面への市外通話も始まりました。この時代、農産物集散地で雑穀仲買商が軒を並べていた江別商界にとり、待望久しいものでした。
消費地問屋からの受注、その回答には欠くことのできぬものであっただけに、以降商業界の利便性は大きく伸びました。
なお、幌内鉄道の全線開通の翌16年9月、札幌ー幌内間鉄道専用電話線が架設され、札幌、江別、幌向太、幌内の各停者に電話機が取り付けられました。
これが、北海道最初の電話でした。
写真:明治12年(1879年)4月開設した対雁駅逓所の跡地の松
同上書125頁掲載写真3-3を複写・掲載いたしております。