江別創造舎

活動コンセプト
「個が生き、個が活かされる地域(マチ)づくり」
「地域が生き、地域が活かされる人(ヒト)づくり」

飛烏山競馬場

2016年05月30日 | 歴史・文化

 山の緩い傾斜をのぼると、競馬場全体を見渡すことができ、観覧には絶好でした。

 しかし、それが肝心要のコース取りの支障となりました。
今までの草競馬ならともかくも、地方競馬に昇格したからには何とかコースを美しい楕円形にしたいものです。
そのためには、兵村ゆかりの山を崩さなければなりませんが、大家ともいうべき江別兵村区の承認をとることができるか、どうか。
やはり無理でした。
そのため、やむなく馬場は北のコースが歪む変形の卵形となりました。

 戦後、騎手として活躍したことのある西脇民治によると、
『よく馬が転んでね。儂、そんなの1回も2回もマミましたがね』
と苦笑するとおり、北の急カーブは、騎手や馬主からも非難の砲火を浴びていました。



註:江別市総務部「えべつ昭和史」804頁.
写真:江別競馬場<飛烏山>
 同上書805頁掲載写真を複写し、当ブログ掲載いたしております。

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