江別創造舎

活動コンセプト
「個が生き、個が活かされる地域(マチ)づくり」
「地域が生き、地域が活かされる人(ヒト)づくり」

れんが百年

2015年01月05日 | 歴史・文化

 平成2年10月、江別市コミュニティセンターで野幌窯業百周年記念祝賀会が開催されました。

 江別の煉瓦は、明治24年現在の東光町覚良寺付近で操業を開始した江別太煉化石製造所をもって嚆矢としました。
その後、明治31年北海道炭礦鉄道株式会社野幌煉瓦工場、同33年の館脇煉瓦工場と野幌2大煉瓦工場が出現、以降大正12年の関東大震災から昭和初期にかけての停滞、戦時戦後における特筆大書の活況、そして20年代後半からの新建材の普及による低迷など、時代の大きな波の中で活況と停滞を繰り返しながら、全国的にも名の知られた江別の地場産業として特異な位置を占めてきました。

 昭和50年代後半に入り、それまでの窯業界の技術革新、新製品開発の蓄積と『コンクリートにはない煉瓦の温かみや味わいが見直され』(平成2年8月23日付北海道新聞)、用途も従来のものからビルの外壁や商店街、公園、遊歩道の舗道、あるいはモニュメントなどとおおきく広がり、みたび活況の節を迎えました。

 江別市においても野幌公民館、市コミュティセンター、市立情報図書館、グリーンモール、四季のみち、など多くの公共施設において『街の美観性』や『地場産業の振興』の観点から、積極的に煉瓦を取り入れることになりました。

 こうした上昇気流の中におけるれんが100年でしたが、今後における課題も少なくありませんでした。
 都市化の伸展に伴い、ますます困難となってきた良質原土の確保、そして品質の向上、新商品の開発、積職人の不足を補う工法開発の具体化などを積極的に推進しなければならない状況にありました。
加えて、引き続き、設備の改良、原材料の共同購入、企業の集約化、共同販売等の商取引の改善など、安定した基礎を確保するための努力が期待されました。



註:江別市総務部「えべつ昭和史」644頁.
写真:平成2年10月れんが百年セレモニーの模様
 同上書644頁掲載写真を複写し、当ブログ掲載いたしております。


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