江別創造舎

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屯田兵本部宅地造成着手

2010年07月29日 | 歴史・文化
 明治21年屯田兵本部は、屯田兵屋や学校維持費にあてるため今日でいう宅地造成に着手しました。

 現在の江別駅前の条丁目のうち、第一中隊(江別兵村)付番外地1万924坪の払い下げを受け、これを共用地として約80戸分(1戸=5間×15間、75坪)を区画し、月52銭5厘となりました。
 貸した相手は、主に商人でした。しかし、彼らは借地であるため、どうしても腰が定まらない。いわば、ここを墳墓の地として骨を埋める決心がつきませんでした。

「現今戸口は、本籍429戸2,307人(内男1,255人、女1,052人)寄留8部より1万坪を4千500円で譲り受け、区画のうえ競売に付することになりました。
 理由は、借地ではなく、自分お土地であればこそ地域発展の見通しもつこうというものでした。

 宅地競売広告(明治24年8月28日付北海道毎日新聞)によると、売却宅地は34戸、1戸の面積は75坪以上100坪以内で、希望者は9月4日まで江別村根本方へ入札しました。入札は、午前中までで、当日正午から開札し、ただちに売買契約を行うものでした。
 なお、広告を出したのは、江別市街地世話人となっています。
 世話人とは、当時の江別村総代人である大河原文蔵、井口善九郎、あるいはエ越後屋の柳町久造、それに入札先の根本(22年の総代人根本徳蔵)などです。

 これら有力者が中心となって計画的な街区建設の端緒がひらかれました。

(参考)
当ブログ2010年 7月27日(火)「鉄道郵便制度」
当ブログ2010年 7月25日(日)「幌内鉄道」
当ブログ2010年 7月15日(木)「江別駅開業」
当ブログ2010年 7月14日(水)「大河のほとり」
当ブログ2010年 7月12日(月)「江別村」
当ブログ2010年 7月 3日(土)「野幌報徳社発足」
当ブログ2010年 6月30日(水)「二大煉瓦工場進出」
当ブログ2010年 6月28日(日)「村の運営」
当ブログ2010年 6月21日(月)「関矢孫左衛門の力業」
当ブログ2010年 6月20日(日)「集団移民の最初の冬」
当ブログ2010年 6月17日(木)「障害を乗り越えた集団移民の実現」
当ブログ2010年 6月14日(月)「独立移民入植」
当ブログ2010年 6月12日(土)「北越殖民社が越後と交わした互換約定書」
当ブログ2010年 6月11日(金)「殖民社の創立」
当ブログ2010年 6月10日(木)「野幌兵村と日露戦争」
当ブログ2010年 6月 8日(火)「西洋屯田江別兵村」
当ブログ2010年 6月 7日(月)「屯田兵二足の草鞋」
当ブログ2010年 6月 3日(木)「ラッパの響き」
当ブログ2010年 6月 2日(水)「江別村の設置」
当ブログ2010年 5月31日(月)「制度の変遷」
当ブログ2010年 5月30日(日)「屯田兵移住のみちのり」
当ブログ2010年 5月29日(土)「屯田兵設置の目的」
当ブログ2010年 5月26日(水)「屯田兵の設置」
当ブログ2010年 5月24日(月)「集団帰還の前後」
当ブログ2010年 5月23日(日)「組合事業」
当ブログ2010年 5月20日(木)「共救組合設立」
当ブログ2010年 5月19日(水)「廃使置県・保護の打ち切り」
当ブログ2010年 5月15日(土)「海運の統一」
当ブログ2010年 5月13日(木)「石狩厚田の漁場」
当ブログ2010年 5月11日(火)「移民の保護と自立」
当ブログ2010年 5月10日(月)「小樽から対雁へ」
当ブログ2010年 5月 8日(土)「宗谷越冬と先遺隊」
当ブログ2010年 5月 7日(金)「日露樺太千島交換条約」
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当ブログ2010年 4月28日(水)「豊平川の流れ」
当ブログ2010年 4月27日(火)「幌内鉄道と村の衰退」
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当ブログ2008年 6月30日(月)「江別最初の学校ー対雁学校」
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当ブログ2008年 6月26日(木)「移民扶助規則2」
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当ブログ2008年 6月20日(金)「移民扶助規則設定」
当ブログ2008年 6月19日(木)「蝦夷地改称2」
当ブログ2008年 6月19日(木)「飛騨屋と石狩山伐木」
当ブログ2008年 6月16日(月)「蝦夷地から北海道へ改称ー蝦夷地は皇国の北門」
当ブログ2008年 6月12日(木)「村名選定ー江別村」
当ブログ2008年 6月11日(水)「江別屯田兵入地」
当ブログ2008年 6月10日(火)「地名解」
当ブログ2008年 6月 9日(月)「場所請負制の成立」
当ブログ2008年 6月 7日(土)「元禄御国絵図」
当ブログ2008年 6月 4日(水)「屯田兵制度の設置」

註:江別市総務部「新江別市史」187-189頁.
写真:現在の江別駅
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