明治13(1880)年、幌内鉄道は手宮側から着工され、同11月、手宮ー札幌間が開通、運転式が行われました。
明治14(1881)年4月から江別からの敷設工事が始まりました。
この工事は、豊平川ー江別間を5工区に分け、それぞれ請負いに出したもので、江別、野幌には建設小屋が建ち、江別には出張所も置かれました。この工事(鉄道敷設)に使う木材供給林として野幌原始林110万坪が指定され、大量の原木が切り出されました。
幌内鉄道・札幌ー江別間は、明治15年6月試運転開始、同年11月3日手宮ー幌内鉄道間約90メートルが開通しました。
これは、新橋ー横浜間(明治5年)、京都ー神戸間(同10年)に次ぐ国内3番目という先進府県を飛び越えての開通となったのです。
ちなみに、東海道線新橋ー神戸間は明治22年、東北線上野ー青森間が同24年の開通でした。
明治16年、プラキストン線の構想を発表したトーマル・W・ブラキストンが開業間もない幌内鉄道を札幌から幌内へと向かいました。
以下、プラキストン著『蝦夷地の中の日本』を引用。
「線路は、トドマツが猛然とかなり広く茂った幾らか高くなっている土地を走るようになる。この土地はナポロ(野幌)と呼ばれている。単線の鉄道が深い峡谷にかかっている非常に危な気な格好の陸橋(註現在の大麻沢町大麻西公園付近)が敷設されているところを通り、そこからさらに数マイル森林を抜けると、いきなり江別川縁の草に覆われている地域の開けた小さな土地へ出る。
ここには、札幌から13マイル半離れている駅があって、この駅は、本流と江別川の合流点にある屯田兵の小さな村の便宜のため」設けられた江別駅である。この駅を過ぎると、江別川に架かっている橋は木造だが、杭を打ち込んだ構造である。そこから線路は石狩河畔に横たわる低い平地を通り、この辺り一帯が被る洪水を防ぐための小さな堤防の上にあがる」
プラキストンが車窓から眺めた江別駅(木造平屋、22坪)は、15年11月の開業です。
また、江別鉄道橋(橋長75.26メートル)は同13年に着工されました。
(参考)
当ブログ2010年 7月14日(水)「大河のほとり」
当ブログ2010年 7月12日(月)「江別村」
当ブログ2010年 7月 3日(土)「野幌報徳社発足」
当ブログ2010年 6月30日(水)「二大煉瓦工場進出」
当ブログ2010年 6月28日(日)「村の運営」
当ブログ2010年 6月21日(月)「関矢孫左衛門の力業」
当ブログ2010年 6月20日(日)「集団移民の最初の冬」
当ブログ2010年 6月17日(木)「障害を乗り越えた集団移民の実現」
当ブログ2010年 6月14日(月)「独立移民入植」
当ブログ2010年 6月12日(土)「北越殖民社が越後と交わした互換約定書」
当ブログ2010年 6月11日(金)「殖民社の創立」
当ブログ2010年 6月10日(木)「野幌兵村と日露戦争」
当ブログ2010年 6月 8日(火)「西洋屯田江別兵村」
当ブログ2010年 6月 7日(月)「屯田兵二足の草鞋」
当ブログ2010年 6月 3日(木)「ラッパの響き」
当ブログ2010年 6月 2日(水)「江別村の設置」
当ブログ2010年 5月31日(月)「制度の変遷」
当ブログ2010年 5月30日(日)「屯田兵移住のみちのり」
当ブログ2010年 5月29日(土)「屯田兵設置の目的」
当ブログ2010年 5月26日(水)「屯田兵の設置」
当ブログ2010年 5月24日(月)「集団帰還の前後」
当ブログ2010年 5月23日(日)「組合事業」
当ブログ2010年 5月20日(木)「共救組合設立」
当ブログ2010年 5月19日(水)「廃使置県・保護の打ち切り」
当ブログ2010年 5月15日(土)「海運の統一」
当ブログ2010年 5月13日(木)「石狩厚田の漁場」
当ブログ2010年 5月11日(火)「移民の保護と自立」
当ブログ2010年 5月10日(月)「小樽から対雁へ」
当ブログ2010年 5月 8日(土)「宗谷越冬と先遺隊」
当ブログ2010年 5月 7日(金)「日露樺太千島交換条約」
当ブログ2010年 4月30日(金)「対雁の市街地的発展から農村村形成」
当ブログ2010年 4月28日(水)「豊平川の流れ」
当ブログ2010年 4月27日(火)「幌内鉄道と村の衰退」
当ブログ2010年 4月22日(木)「函館・福山・江差」
当ブログ2010年 4月21日(水)「室蘭の状況」
当ブログ2010年 4月20日(火)「根室・釧路・厚岸の状況」
当ブログ2010年 4月19日(月)「小樽港の発展」
当ブログ2010年 4月18日(日)「札幌市街の発展」
当ブログ2010年 4月16日(金)「対雁駅逓所開設」
当ブログ2010年 4月15日(木)「対雁街道開設」
当ブログ2010年 4月14日(水)「ライマンが見た対雁」
当ブログ2010年 4月13日(火)「移民の挫折」
当ブログ2010年 4月12日(月)「最初の集団移民」
当ブログ2010年 4月11日(日)「従駕日録」
当ブログ2010年 4月10日(土)「開拓使の設置」
当ブログ2009年 7月29日(水)「大麻駅開設」
当ブログ2009年 6月30日(火)「夕張鉄道接続駅ー野幌駅」
当ブログ2009年 1月13日(火)「郵便業務の開始」
当ブログ2008年12月19日(金)「人力軌道」
当ブログ2008年11月 9日(日)「通信の発達」
当ブログ2008年11月 3日(月)「野幌市街地」
当ブログ2008年10月28日(火)「野幌駅の開業」
当ブログ2008年10月17日(金)「北海道炭礦鉄道会社から北海道鉄道株式会社へ改称」
当ブログ2008年10月 3日(金)「江別市章制定と江別市民憲章」
当ブログ2008年 9月11日(木)「最初の機関車 義経号.弁慶号」
当ブログ2008年 9月 3日(水)「要衝 江別港」
当ブログ2008年 8月 1日(金)「上川丸の就航」
当ブログ2008年 7月21日(月)「江別村商家」
当ブログ2008年 7月19日(土)「北海道三県の諸事業分割」
当ブログ2008年 7月10日(木)「空知集治監の開設」
当ブログ2008年 7月 5日(土)「対雁郵便局から江別郵便局へ」
当ブログ2008年 7月 4日(金)「駅逓所開設」
当ブログ2008年 7月 3日(木)「教頭頭取兼顧問ケプロンの北海道開拓」
当ブログ2008年 7月 2日(水)「札幌ー対雁ー江別ー岩見沢道路開通」
当ブログ2008年 7月 1日(火)「榎本武揚 顕彰碑騎馬像」
当ブログ2008年 6月30日(月)「江別最初の学校ー対雁学校」
当ブログ2008年 6月28日(土)「対雁学校の教育」
当ブログ2008年 6月26日(木)「移民扶助規則2」
当ブログ2008年 6月24日(火)「石狩川沿岸」
当ブログ2008年 6月23日(月)「北越殖民社の開拓」
当ブログ2008年 6月22日(日)「国内3番目に開通した幌内鉄道ー江別駅の誕生」
当ブログ2008年 6月20日(金)「移民扶助規則設定」
当ブログ2008年 6月19日(木)「蝦夷地改称2」
当ブログ2008年 6月19日(木)「飛騨屋と石狩山伐木」
当ブログ2008年 6月16日(月)「蝦夷地から北海道へ改称ー蝦夷地は皇国の北門」
当ブログ2008年 6月12日(木)「村名選定ー江別村」
当ブログ2008年 6月11日(水)「江別屯田兵入地」
当ブログ2008年 6月10日(火)「地名解」
当ブログ2008年 6月 9日(月)「場所請負制の成立」
当ブログ2008年 6月 7日(土)「元禄御国絵図」
当ブログ2008年 6月 4日(水)「屯田兵制度の設置」
註:江別市総務部「新江別市史」183-186頁.
写真:現在の江別駅
明治14(1881)年4月から江別からの敷設工事が始まりました。
この工事は、豊平川ー江別間を5工区に分け、それぞれ請負いに出したもので、江別、野幌には建設小屋が建ち、江別には出張所も置かれました。この工事(鉄道敷設)に使う木材供給林として野幌原始林110万坪が指定され、大量の原木が切り出されました。
幌内鉄道・札幌ー江別間は、明治15年6月試運転開始、同年11月3日手宮ー幌内鉄道間約90メートルが開通しました。
これは、新橋ー横浜間(明治5年)、京都ー神戸間(同10年)に次ぐ国内3番目という先進府県を飛び越えての開通となったのです。
ちなみに、東海道線新橋ー神戸間は明治22年、東北線上野ー青森間が同24年の開通でした。
明治16年、プラキストン線の構想を発表したトーマル・W・ブラキストンが開業間もない幌内鉄道を札幌から幌内へと向かいました。
以下、プラキストン著『蝦夷地の中の日本』を引用。
「線路は、トドマツが猛然とかなり広く茂った幾らか高くなっている土地を走るようになる。この土地はナポロ(野幌)と呼ばれている。単線の鉄道が深い峡谷にかかっている非常に危な気な格好の陸橋(註現在の大麻沢町大麻西公園付近)が敷設されているところを通り、そこからさらに数マイル森林を抜けると、いきなり江別川縁の草に覆われている地域の開けた小さな土地へ出る。
ここには、札幌から13マイル半離れている駅があって、この駅は、本流と江別川の合流点にある屯田兵の小さな村の便宜のため」設けられた江別駅である。この駅を過ぎると、江別川に架かっている橋は木造だが、杭を打ち込んだ構造である。そこから線路は石狩河畔に横たわる低い平地を通り、この辺り一帯が被る洪水を防ぐための小さな堤防の上にあがる」
プラキストンが車窓から眺めた江別駅(木造平屋、22坪)は、15年11月の開業です。
また、江別鉄道橋(橋長75.26メートル)は同13年に着工されました。
(参考)
当ブログ2010年 7月14日(水)「大河のほとり」
当ブログ2010年 7月12日(月)「江別村」
当ブログ2010年 7月 3日(土)「野幌報徳社発足」
当ブログ2010年 6月30日(水)「二大煉瓦工場進出」
当ブログ2010年 6月28日(日)「村の運営」
当ブログ2010年 6月21日(月)「関矢孫左衛門の力業」
当ブログ2010年 6月20日(日)「集団移民の最初の冬」
当ブログ2010年 6月17日(木)「障害を乗り越えた集団移民の実現」
当ブログ2010年 6月14日(月)「独立移民入植」
当ブログ2010年 6月12日(土)「北越殖民社が越後と交わした互換約定書」
当ブログ2010年 6月11日(金)「殖民社の創立」
当ブログ2010年 6月10日(木)「野幌兵村と日露戦争」
当ブログ2010年 6月 8日(火)「西洋屯田江別兵村」
当ブログ2010年 6月 7日(月)「屯田兵二足の草鞋」
当ブログ2010年 6月 3日(木)「ラッパの響き」
当ブログ2010年 6月 2日(水)「江別村の設置」
当ブログ2010年 5月31日(月)「制度の変遷」
当ブログ2010年 5月30日(日)「屯田兵移住のみちのり」
当ブログ2010年 5月29日(土)「屯田兵設置の目的」
当ブログ2010年 5月26日(水)「屯田兵の設置」
当ブログ2010年 5月24日(月)「集団帰還の前後」
当ブログ2010年 5月23日(日)「組合事業」
当ブログ2010年 5月20日(木)「共救組合設立」
当ブログ2010年 5月19日(水)「廃使置県・保護の打ち切り」
当ブログ2010年 5月15日(土)「海運の統一」
当ブログ2010年 5月13日(木)「石狩厚田の漁場」
当ブログ2010年 5月11日(火)「移民の保護と自立」
当ブログ2010年 5月10日(月)「小樽から対雁へ」
当ブログ2010年 5月 8日(土)「宗谷越冬と先遺隊」
当ブログ2010年 5月 7日(金)「日露樺太千島交換条約」
当ブログ2010年 4月30日(金)「対雁の市街地的発展から農村村形成」
当ブログ2010年 4月28日(水)「豊平川の流れ」
当ブログ2010年 4月27日(火)「幌内鉄道と村の衰退」
当ブログ2010年 4月22日(木)「函館・福山・江差」
当ブログ2010年 4月21日(水)「室蘭の状況」
当ブログ2010年 4月20日(火)「根室・釧路・厚岸の状況」
当ブログ2010年 4月19日(月)「小樽港の発展」
当ブログ2010年 4月18日(日)「札幌市街の発展」
当ブログ2010年 4月16日(金)「対雁駅逓所開設」
当ブログ2010年 4月15日(木)「対雁街道開設」
当ブログ2010年 4月14日(水)「ライマンが見た対雁」
当ブログ2010年 4月13日(火)「移民の挫折」
当ブログ2010年 4月12日(月)「最初の集団移民」
当ブログ2010年 4月11日(日)「従駕日録」
当ブログ2010年 4月10日(土)「開拓使の設置」
当ブログ2009年 7月29日(水)「大麻駅開設」
当ブログ2009年 6月30日(火)「夕張鉄道接続駅ー野幌駅」
当ブログ2009年 1月13日(火)「郵便業務の開始」
当ブログ2008年12月19日(金)「人力軌道」
当ブログ2008年11月 9日(日)「通信の発達」
当ブログ2008年11月 3日(月)「野幌市街地」
当ブログ2008年10月28日(火)「野幌駅の開業」
当ブログ2008年10月17日(金)「北海道炭礦鉄道会社から北海道鉄道株式会社へ改称」
当ブログ2008年10月 3日(金)「江別市章制定と江別市民憲章」
当ブログ2008年 9月11日(木)「最初の機関車 義経号.弁慶号」
当ブログ2008年 9月 3日(水)「要衝 江別港」
当ブログ2008年 8月 1日(金)「上川丸の就航」
当ブログ2008年 7月21日(月)「江別村商家」
当ブログ2008年 7月19日(土)「北海道三県の諸事業分割」
当ブログ2008年 7月10日(木)「空知集治監の開設」
当ブログ2008年 7月 5日(土)「対雁郵便局から江別郵便局へ」
当ブログ2008年 7月 4日(金)「駅逓所開設」
当ブログ2008年 7月 3日(木)「教頭頭取兼顧問ケプロンの北海道開拓」
当ブログ2008年 7月 2日(水)「札幌ー対雁ー江別ー岩見沢道路開通」
当ブログ2008年 7月 1日(火)「榎本武揚 顕彰碑騎馬像」
当ブログ2008年 6月30日(月)「江別最初の学校ー対雁学校」
当ブログ2008年 6月28日(土)「対雁学校の教育」
当ブログ2008年 6月26日(木)「移民扶助規則2」
当ブログ2008年 6月24日(火)「石狩川沿岸」
当ブログ2008年 6月23日(月)「北越殖民社の開拓」
当ブログ2008年 6月22日(日)「国内3番目に開通した幌内鉄道ー江別駅の誕生」
当ブログ2008年 6月20日(金)「移民扶助規則設定」
当ブログ2008年 6月19日(木)「蝦夷地改称2」
当ブログ2008年 6月19日(木)「飛騨屋と石狩山伐木」
当ブログ2008年 6月16日(月)「蝦夷地から北海道へ改称ー蝦夷地は皇国の北門」
当ブログ2008年 6月12日(木)「村名選定ー江別村」
当ブログ2008年 6月11日(水)「江別屯田兵入地」
当ブログ2008年 6月10日(火)「地名解」
当ブログ2008年 6月 9日(月)「場所請負制の成立」
当ブログ2008年 6月 7日(土)「元禄御国絵図」
当ブログ2008年 6月 4日(水)「屯田兵制度の設置」
註:江別市総務部「新江別市史」183-186頁.
写真:現在の江別駅