デューク・アドリブ帖

超絶変態ジャズマニア『デューク・M』の独断と偏見と毒舌のアドリブ帖です。縦横無尽、天衣無縫、支離滅裂な展開です。

貴方はゲイリー・トーマスのエンジェル・アイズを許せるか

2011-01-23 08:13:43 | Weblog
 スティーヴ・コールマンやグレッグ・オズビーらが提唱したM-BASE理論は、変拍子の複雑なリズムを取り入れ、バップやモードというジャズの伝統的な語法を使用しないで演奏形式の革新を目指したものだった。そのM-BASE派のゲイリー・トーマスを最初に聴いたのは、ジャック・ディジョネットのスペシャル・エディションで、M-BASEの理論はともかくとしてそのテナーの音とメカニカルなフレーズはかなり強烈で、ジャズの革命児を思わせるほど斬新に聴こえる。

 そのトーマスがスタンダードを吹くとどうなるのだろう。スター・アイズやザ・ソング・イズ・ユーを取り上げた90年の「While The Gate Is Open」も過激で驚いたのだが、92年の「Till We Have Faces」にいたっては表現のしようがない。書かなければ先に進まないので続けるが、スタンダードという概念で聴くと耐えられないということだ。旧態依然としたジャズの耳だと笑われそうだが、幾多の音源を長く聴き続けたうえでの感想である。エルヴィンを思わせるポリリズムのテリ・リン・キャリトンのドラムに、これまた拍の一致しないリズムで追い討ちをかけるトーマスとの激しい掛け合いのイントロが続く。フランク・ロウやサニー・マレイのESP盤ならこのまま果てしなく闘いが続のだが・・・

 やおら聴き慣れたメロディが出てくる。よりによってマット・デニスが作曲したブルー・バラードの傑作、エンジェル・アイズだ。スタンダードをどのように演奏するかは奏者の勝手であり自由で、それが奏者としての個性であり、解釈を束縛しないジャズの魅力なのだろうが、基本的に美しいものは美しく表現してこそ真価が発揮されるというものだ。トーマスの作曲家としての才能やラップに挑戦する意欲、オルガンをフィーチャーしてオルガン・ジャズの新境地を開いたことは認めても譲れないものもある。スタンダードを「演奏してみようか」ではなく、「表現してみたい」という姿勢こそ作者への敬意であり、そこから名演が生まれる。

 M-BASEの理論は新伝承派以降のジャズ発展に指針を示したものであり、無機的なフレーズの連続であってもタイム感もあることから70年代のフリージャズとは音楽性が異なるが、やはり主流には至らなかった。破壊しては再構築するという一連の流れはジャズ革新に欠かせないものであるし、それがジャズの発展につながるのは承知しているが、いかなる理論を持ち出そうとそこにスウィングが欠けているならそれはジャズとは呼ばない。

コメント (35)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする