デューク・アドリブ帖

超絶変態ジャズマニア『デューク・M』の独断と偏見と毒舌のアドリブ帖です。縦横無尽、天衣無縫、支離滅裂な展開です。

スー・レイニーのここを聴け!

2011-05-29 08:00:44 | Weblog
 ♪ I'm as restless as a willow in a windstorm~When it isn't even spring 「春の如く」の一節である。5月も終りだというのに今頃この曲かい?と笑われそうだが、年中頭の中は春の陽気の小生でも春とは思えない冷たい風は身体に沁みる。先週はオホーツク海側で雪が降ったというが、例年にない寒い春を迎えた。これだけ寒いと歌詞のように春なのに春ではないと錯覚し、嵐の中の柳のように何だか落ち着かない。

 リチャード・ロジャースはロレンツ・ハートとの共同作業で数々のヒット曲を送り出したが、ハートを亡くしたあとオスカー・ハマースタイン2世と組んだコンビでも後世に残る曲を作っている。1945年の映画「ステート・フェア」のために書かれた「春の如く」は、同年のアカデミー主題歌賞を受賞したほどの傑作で、春になると陽気に誘われてつい口ずさみたくなるメロディだ。ハートとの仕事ではロジャースが先に作曲をする方式をとっていたが、ハマースタインに変わってからは歌詞が先で、それに曲を付けるようになったそうだ。何もヒントがないとろこから生み出すのが創造力なら、歌詞からイメージを膨らますのが想像力で、ともに優れた感性がないと名曲は生まれない。

 多くの名唱が脳裏をかすめるが、先月発売された「リッスン・ヒア」でスー・レイニーがこの曲を歌っていて、現時点では最も新鮮な春の風だ。ヴォーカルとアラン・ブロードベントのピアノという最小のフォーマットながらレイニーの魅力を最大限にひき出している。アランの低音を活かした短いイントロに音を重ねるような歌いだしはデュオの美を見るようだし、圧巻は中間部におけるスキャットで春風に乗って気持ちよく飛ぶ小鳥のさえずりのようだ。そしてまだ仕掛けがある。ラストで「Spring Will Be a Little Late This Year」「魅せられて」「アイ・ラヴ・パリ」「春が来たのに」から一節ずつ引用し、春に彩を添える小粋さだ。

 女性の年齢を記すのは甚だ失礼ではあるが、レイニーは録音時70歳である。とてもそんな年齢とは思えないほど声は若々しい。名盤「雨の日のジャズ」をキャピトルに残したあと、インペリアルでポップスに挑み、ディスカヴァリーでは自ら作詞作曲もしたりと意欲的だ。いつの春もその年だけの新鮮な春の空気を吸い込むことで身体の中から若返らせ、春の陽射しを浴びることで声の健康を保てのだろう。さぁ、外に出て春の息吹を感じてみよう。スーっとする。
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オレだってジャズをやれるさ、とドン・ランディはブルースを弾いた

2011-05-22 08:02:58 | Weblog
 「ベイクドポテト」から何を連想するだろうか。90%の方は表面がカリカリに焼き上がったジャガイモの料理を浮かべることだろう。欧米の料理だが、日本でも広く行き渡りレストランやご家庭の食卓で舌鼓を打ったことがあるかもしれない。9%の人は、ベイクドポテト派とも呼ばれるリー・リトナーをはじめとする70年代を席捲したフュージョンのサウンドが聴こえ、そして少数派の1%のへそ曲がりが挙げるのは・・・

 ロサンゼルスのジャズクラブ「ベイクドポテト」のオーナー、ドン・ランディだ、という何の根拠もない集計が出た。若い頃からドンと呼ばれたランディはジャズファンよりも、ロック史上屈指の名盤といわれるビーチ・ボーイズの「ペット・サウンズ」や、ナンシー・シナトラのレコーディングでポップスファンにつとに有名なピアニストだ。そのランディが、オレだってジャズを弾けるさぁ、と言ってパシフィックに吹き込んだのが「Feelin' Like Blues」で、タイトル通り延々とブルースを弾きまくっている。自作のタイトル曲の何と気持ちの良いこと、泥臭くなく、重くなく、それでいてブルースのツボを押さえてスウィングするピアノは誰かに似てはいないか。

 そう、巧みなブロックコードはガーランドを思わせ、強力な右手のシングルトーンはジーン・ハリスを彷彿させる。録音は60年だが、もし70年代以降に初めて聴くと、あぁ、これは日本のピアニストだなぁ、と90%の人は思うだろう。それほど日本人の琴線に触れる演奏だ。「チーク・トゥ・チーク」の高揚するアドリブが素晴らしく、憧れの女性と頬寄せ踊る喜びにあふれ、聴いているこちらは、歌詞のようにまるで天国にいるような気分にさえなる。惜しむらくはジャズセンスのないサイドメンで、おそらく同僚のスタジオミュージシャンと思われる。もしスタジオの仲間でも抜群のテクニックを誇るキャロル・ケイとハル・ブレインがバックだったなら、ピアノトリオの名盤に数えられただろう。

 最近、あるホテルのレストランでベイクドポテトを食べる機会があった。料理は見た目の美しさも重要で、白い皿に盛り付けられたジャガイモの存在感と、中に詰められたベーコンとそれにアクセントを付けるバターとパセリの彩りが食欲を誘う。甘い香りと味はワインとの相性も良く、気分までリッチになったものだが、ホテルを出たあと、居酒屋の暖簾を見たとたん肉じゃがが恋しくなった。お袋の味はブルースに似ているかもしれない。
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デヴィッド・マレイはアイラーの後継者に成りえたか

2011-05-15 08:08:55 | Weblog
 アルバート・アイラーが、1970年に謎の死を遂げたあと、後継者は誰だろう?という憶測がジャズジャーナリズムを賑わしていた。パーカーやブラウニーの例をみるまでもなく天才的なプレイヤーが急逝すると必ずささやかれる話題だ。両者の場合はともにその意志や音楽的方向性から枚挙にいとまがないほど名前が挙がったが、アイラーのときは決定的な名前どころか候補者すら見当たらない。

 それは折りしもフリージャズ・ムーブメントがピークを過ぎ、下火の一途を辿る時代性と、アイラーの強烈な個性によるものだが、未完に終わったアイラーのジャズ理論を引き継ぐ後継者の待望論があったのも確かだ。その待望論も忘れかけた70年代なかばに突如として現れたのはデヴィッド・マレイである。初リーダー作「フラワーズ・フォー・アルバート」のタイトル通り、往時のアイラーを彷彿させる音楽性は、生温いフュージョンに染まったジャズ・シーンにドライアイスを投げ込んだようなインパクトがあり、このスタイルがメインストリームになるとさえ思わせるほどそれは活力に漲っていた。

 デビュー以後、あまりにも多い作品のためマレイが目指す音楽性は曖昧に映るが、アイラーの革新性とジャズ本来の伝統性を重んじながら個性を出しているのは見逃せない。数ある作品でもビッグバンド編成の「サウス・オブ・ザ・ボーダー」は、後者の伝統に基づいた編曲とストレートな演奏で、それは「セント・トーマス」から伝わってくる。パーカッションの躍動的なリズムとラテン・タッチは原曲の持つ明るさを十分に活かしているし、何よりもマレイが無駄な装飾を削ぎ落とし、純粋な音とフレーズで勝負している点だ。仮にアイラーが生きていたとしても「セント・トーマス」を演奏するとは考えられないが、マレイは間違いなくアイラーの意志を継いでいたことに変わりはない。

 後継者といえば、平壌特派員の異名を取る韓国・中央日報記者の李永鐘氏が書いた「後継者 金正恩」(講談社刊)が話題を呼んでいる。自国の権威付けのためには他国への砲撃も辞さない隣国の後継者の素顔を描いたものだ。どうにもこの3代目の後継者は、長兄にさえ牙を剥く怪物王子らしい。いつかはこの後継者と各国の首脳が会談する日もあろう。机の上で握手をしながら下で足を蹴飛ばす後継者だと心得たほうがいい。

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ジーン・クルーパの武勇伝を聞いてみよう

2011-05-08 08:11:24 | Weblog
 当地も桜が咲き始め、このGWは花見の姿もみられる。まだ肌寒いとはいえ自粛ムードのなか安近短で楽しもうというわけだ。宴というと、どのグループにもいるのがジャケット写真の御仁だろうか。酔いが回り気分も良くなったところでレジメンタルタイを緩め、身振り手振りを交え、「その話、前にも聞きました」という部下の声を無視して若かりし頃の武勇伝を延々と語り、禁煙したと宣言しながら、いつのまにか横の上司のタバコを手にしている。

 その武勇伝に耳を傾けてみよう。「オレがドラムを叩くと女のコはキャーキャーいって大騒ぎでね、スティック回すと失神するのがいたりしてね、楽屋にドッと可愛いコが押し寄せるから選り取り見取りというわけさ、親分のキングより人気があるもんだから、むくれたオヤジをなだめるのが大変さぁ、ビル・クロウがどこかで書いていたけど、キングと呼ばれるだけあり気に入らないとギャラを下げるからね」。「キングは労働基準法を無視した酷いヤツですね、先輩」と部下が口をはさむ。「そうでもないさ、黒人を初めて雇ったのはキングだからね、当時は相当の勇気だったと思うよ、悪く言うやつもいるけど、名前の通り良い人だよ」

 さらに酔うほどに声も大きくなる。「アニタに自由に歌わしてスターにしたのもオレだよ、あっそうそう、ベンチャーズのメル・テイラーなんか、オレと握手したときは感激のあまり泣いてたぜ、キャラヴァンのドラムソロを教えたのもオレさ、エリントン先生がドラム・イズ・ウーマンと仰っておりましたが(何故かここだけ敬語)、ドラムってのは女と同じでね、身も心も優しくし扱わないと音がそれに応えてくれないわけよ、たとえばこんな風に・・・」と、さり気なく隣の女子社員の腰に手を回すと、「その手はないよ」とばかりに思いっきり叩かれた。どうやらこの酔っ払い、手がジーンと痺れて酔いが醒めたらしい。

 震災への配慮から自治体によっては花見の自粛を促しているという。被災地である東北地方の蔵元は、花見を盛り上げて東北の酒を飲んでほしい、と訴えていた。自粛ばかりでは経済が回らない。東北の酒を飲むことで間接的であっても支援につながる。但し、米の名産地である東北の酒はさわやかな口当たりと喉越し、そして五臓六腑に利くから飲み過ぎには注意だ。過ぎるとジーン・クルーパの姿になるかもしれない。

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春一番、クラーク・シスターズのシング・シング・シング

2011-05-01 07:37:21 | Weblog
 ♪春一番が掃除したてのサッシの窓にほこりの渦を踊らせてます・・・キャンディーズの最後のシングル盤「微笑がえし」の出だしである。毎年春になるとよく流れる曲で、春らしいうきうきするメロディだが、今年聴くこの曲は寂しい。アイドルには興味のない小生でもキャンディーズは別格で、抜群の歌唱力やハーモニーの美しさ、そして3人の見事なコーラスは、今どきのポッと出のアイドルでは足元にも及ばない。

 キャンディーズのコーラスを聴いて重ねるのはクラーク・シスターズだ。コーラスの美しさは違う音程が重なり合って単独では出せない厚みのあるハーモニーを創り出すことにあるが、両グループともそのハーモニーは、そのグループのひとつの「声」といえるほど完成されている。そしてイラストのジャケットでは少々わかりにくいが、クラーク・シスターズは美女揃いで見た目にも艶やかだ。グループでステージに立つ以上、それぞれの安定した表現力や阿吽の呼吸は勿論だが、メンバーが並んだときの美しい立ち姿も重要で、このふたつの条件が満たされてこそアイドルを超えたアーティストと呼ばれるのだろう。

 クラーク・シスターズの前身は、トミー・ドーシー楽団のフィーチャリング・カルテットだったザ・センチメンタリスツで、ザット・センティメンタル・ジェントルマンと言われたドーシーに由来している。ドーシー楽団のアレンジャーだったサイ・オリヴァーは、彼女らの才能を育てるためジャズ・コーラスの基本を徹底的に教え込んだという。それは楽団員のバディ・デフランコやチャーリー・シェイヴァースを手本とし、楽器の演奏者のように考え歌うことだと。クラーク・シスターズとして独立後、数枚のアルバムを残しているが、なかでも「シング・シング・シング」は才能が開花したコーラスをたっぷり楽しめる傑作だ。

 キャンディーズはデビュー当時、音程を掴むのに苦労していたというが、それがみるみるうちに成長する。その証はキャンディーズの歴史を折り込んだ最上級の歌詞がちりばめられた「微笑がえし」を、スタジオミュージシャンと同じように初見でレコーディングを行ったことだ。クラーク・シスターズと同じように才能を伸ばすには並々ならぬ努力があったことだろう。♪私達お別れなんですね・・・「微笑がえし」の一節が遠く聴こえる。スーちゃん、安らかに・・・

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