デューク・アドリブ帖

超絶変態ジャズマニア『デューク・M』の独断と偏見と毒舌のアドリブ帖です。縦横無尽、天衣無縫、支離滅裂な展開です。

夏の終わりに流れる「砂に書いたラブレター」

2015-08-30 09:07:17 | Weblog
 ♪On a day Like today we passed the time away, Writing Love Letters in the Sand・・・ラジオだったり、ビアガーデンだったり、中古レコード店だったりと、夏を惜しむかのようにパット・ブーンの「砂に書いたラブレター」が流れる。夏限定、それも夏の終わりにこれほどはまる曲は他にない。ブーンの都会的な甘い声と、少しばかりセンチメンタルになるメロディーがほど良くかみ合っている。

 作詞はニック・ケニーとチャールズ・ケニーで、作曲したのは多くのヒットソングを書いているフレッド・コーツだ。ポップス系が多いことからコーツの曲をジャズメンはあまりレパートリーにしないが、人気があるナンバーにビリー・ホリデイの熱唱で知られる「For All We Know」がある。そしてヘイヴン・ガレスピーの詞も付けられているが、インストの名演が多いのは「You Go To My Head」だ。一音一音が天才の響きを放つバド・パウエルをはじめ、ブルーノートの初録音ながら歌声あふれるクリフォード・ブラウン、あまりにも美しいという欠点以外は完璧なアート・ペッパー・・・

 そして、ジェームス・ムーディー。エディ・ジェファーソンがムーディーのアドリブ・フレーズに詞を付けた「Moody's Mood For Love」がタイトルのアルバムで、ジャケット写真のようにフルートでこの曲に挑んでいる。アルトやテナーサックスはパーカー派ながら実にムーディーな味を醸し出していたが、フルートに持ち替えると少しばかりスタンスが違うようだ。フルート独得の蝶が舞うような音色を生かしながら、フレーズは獲物を一直線に追う矢のように鋭い。もしパーカーがフルートを持ったならこんな感じだろうか。40年代後半から50年代にかけてソニー・スティットとしのぎを削っただけのことはある。

 おっと大事な曲を忘れていた。コーツが同じくヘイヴン・ガレスピーと組んだ曲に「Santa Claus Is Comin' to Town」がある。毎年歌われるコーツ最大のヒット曲だ。夏の終わりに吹く朝夕の風は秋の心地よい香りを運びながらも少しばかり肌にしみる。サンタクロースがやってくるのも近い。年齢を重ねるほど、一年が過ぎる速さが増すジャネーの法則を実感する。
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ウェイン・ショーターの足跡はどこまで続く

2015-08-23 09:21:49 | Weblog
 音楽ライターのミシェル・マーサーがウェイン・ショーターの評伝(新井崇嗣訳、潮出版社)を書いている。本人のインタビューは勿論のこと、75人にも及ぶ友人や関係者の聞き取りから引き出されたエピソードは、既にマイルスの自伝等で紹介されたもののあるが、あっと驚くものもあり興味は尽きない。ジャズ・メッセンジャーズやマイルス・バンド、ウェザーリポートのメンバーとして書かれたものはあるが、ショーターの目線からのジャズシーンは新鮮だ。

 「マイルスにギグ用に何か欲しいと言われて作った」とショーターが言った曲がある。マーサーのこの曲の印象が書かれているが、見事な表現に唸った。「抑制されたメロディーが静かに打ち寄せる波のように穏やかに上り、そして穏やかに下っていく。そのあたりがなんとも心地良いこの曲は、まさにマイルスのサウンドそのもと言える」と。文学的でありながら作曲家としてのショーターの才能、そしてマイルスの本質を衝いている。曲は「Footprints」で、この曲が収録されている「Miles Smiles」を語ったものだ。なるほどと膝を打った方もおられるだろう。

 次世代のスタンダードともいえる曲は多くのプレイヤーが取り上げていて、マイルス版に倣いリズミカルで浮遊感を出したものや、優雅なメロディーラインを強調したもの等、様々なアレンジが面白い。70年代にデビューしたころはイタリアのビル・エヴァンスと呼ばれ、静謐、耽美、叙情という形容がよく似合うエンリコ・ピエラヌンツィが、1995年録音の「Seaward」で取り上げている。ショーターの書いた曲はこんなにも美しかったのかとハッとするほどだ。当時のマイルス・バンドで映える曲は、美的センスにあふれているからこそ今でも取り上げられ、この時代のマイルスが支持されるのだろう。

 アメリカで2004年に発刊されたこの書は、「Footprints: The Life and Work of Wayne Shorter」が原タイトルだ。ショーターが「Footprints」を作曲したのは1966年のこと。この時点でマイルス・バンドの中核を担っているから既に大きな足跡を残しているわけだが、このタイトルを付けたのはその後のジャズシーンにも自分の足跡を刻む意味があったのかも知れない。事実そうなっている。
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内容最高、音最悪の復刻盤、バーニー・ケッセル On Fire

2015-08-16 17:56:26 | Weblog
 さて、このバーニー・ケッセルの「On Fire」を見て何を思われただろうか。「長年探し歩いているが、一度もエサ箱で見たことがない」、「ようやく見付けたが、手の出るようなki金額ではなかった」、「大枚を叩いて買った」とコレクター諸氏は仰るかもしれない。1974年にSJ社から発売された「幻の名盤読本」に掲載されているレコードだ。今ではCDで簡単に聴けるが、当時は珍しい1枚だった。

 チープなジャケットで、同書で紹介されなければ中古レコード店の正面に飾られていたところで誰も見向きもしないが、演奏内容が素晴らしいことと、Emerald という超マイナー・レーベルの希少性から注目を浴びることになる。このレーベルの親会社はビートルズのプロデュースで知られるフィル・スペクターが興したフィレス・レコードで、Emeraldのジャズレコードはこれ1枚というのもコレクターの蒐集欲を煽る一因だった。数あるケッセルのアルバムでも5本の指に入るほどの内容で、これがもしコンテンポラリーからジャズの香りがするカヴァーで出ていたならケッセルの評価も人気ももっと上がっていたと思う。

 1965年にハリウッドのジャズクラブ「PJ’S」でライブ録音されたもので、ジェリー・シェフのベースとドラムのフランキー・キャップのサポートを得て活き活きとしたソロを聴かせる。テクニックを駆使した「Slow Burn」で始まり、「いそしぎ」や「リカード・ボサノバ」というライブ定番のポピュラーな曲をはさみ、次は味わい深いメロディの「Who Can I Turn To」をじっくり聴かせる。そしてラテンタッチの「One Mint Julep」でしめるというプログラムだ。「PJ’S」にレギュラー出演しているラテンジャズ・ピアニスト、エディ・カノのリスナーに配慮した選曲は心憎い。

 このレコードが復刻されたのは80年代の初めで、それはそれは酷い音だった。米盤なら所謂、風邪ひき盤と呼ばれるプレスミスも珍しくないが、徹底した品質管理の日本で新品のレコードからノイズが出ることなどあり得ない。マスターテープが行方不明でディスクからダビングしたことによるものだが、買ったばかりのレコードを返品する騒ぎもあったという。購入者は烈火のごとく怒ったとか。「On Fire」だけに。

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アラン・デールのヒット予想は当たったか

2015-08-09 09:01:11 | Weblog
 シナトラやハリー・ベラフォンテの伝記の著者でジャズ評論家としても著名なアーノルド・ショーが書いた「The Jazz Age: Popular Music in the 1920's」は、禁酒法やギャングを背景にジャズが花開く狂乱の20年代を描いている。この時代を題材にした小説や論文に度々引用されるほど洞察力は鋭い。その中に演劇評論家のアラン・デールが新聞に寄稿した音楽評が紹介されている。「この曲が世界中でヒットしなかったら私は帽子を食ってみせよう」と。

 その曲とはコーラスの頭の歌詞をタイトルにした「Sometimes I'm Happy」だ。ヴィンセント・ユーマンスが1925年に作った曲で、当初オスカー・ハーマン二世が作詞したものの紆余曲折あり、アーヴィング・シーザーが書いた詞で現在歌われている。27年のフランクリン・バウアを皮切りにルイーズ・グルーディとチャールズ・キングのデュオ、ベニー・グッドマン、サミー・ケイ等々、ヒットチャートの上位を飾っているので、世界中とまではいかないもののアメリカではヒットしたことになる。どんなテンポでもいける曲で、90年経った今でも歌い継がれている大スタンダードだ。

 名唱はいとまがないが、一番ジャージーなものといえばサラ・ヴォーンのチヴォリ・ガーデンのライブ盤を挙げたい。ミスター・ケリーズ、ロンドン・ハウスと並ぶサラがマーキューリーに残したライブ傑作である。この63年のチヴォリでは、放送禁止になりそうな「Misty」で有名だが、この曲も凄い。超アップテンポでメロディをくずして1コーラス終えると、今度はスキャットだ。今更サラのテクニック云々は失礼だが、常人がいくら練習したところで絶対に追いつけない域で、ジャズヴォーカルの神が降りてきたとしかいいようがない。そのスキャットにはユーモアもウィットもインテリジェンスもある。

 「帽子を食べる(eat my hat)」とは、「絶対にない」という慣用的な言い回しだが、もしヒットしなかったらアランはどうしただろう。普段から辛辣な批評をしているアランのこと、酷評された俳優や脚本家から詰め寄られることもある。機知に富んだ文章を書くアランならハットに乗せたポークパイを食べたかもしれない。人を食った話だと翌日の新聞を賑わしすことだろう。
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そういえばB面しか聴いたことがない Demon's Dance

2015-08-02 10:02:53 | Weblog
 「Demon's Dance」というアルバムタイトルに黒魔術を思わせるジャケット、よく見るとコミック的でユーモアのセンスもあるとはいえ、やはり薄気味悪い。日本の柳の下から現れる幽霊ほどではないが、それでも肝が冷える夏向きのデザインである。数あるブルーノート盤、いやジャズレコード全体を見回してもこんなにおどろおどろしいのは珍しい。レコード店ならジャズより宗教音楽のコーナーに置いておくほうが売れるかもしれない。

 ジャッキー・マクリーンのブルーノート最終作である。アルバムタイトルはマクリーン自身が作った同名の曲がトップに収録されているので、致し方ないとして、ジャケットは「童顔で天使のイメージで売っている俺に合わない」とでも言えば変更されたかもしれないが、「お前の音は悪魔的だ」とライオンに言われたか。今となってみれば「あの悪魔ジャケット」で通じるのでブルーノートの販売戦略は成功したのかも知れない。注目すべきはジャック・ディジョネットの参加だ。育て上げたトニー・ウイリアムスをマイルスに引き抜かれて気落ちしているときに起用したドラマーがとにかく凄い。

 このレコード、ジャズ喫茶では決まってB面しかかからない。間違ってA面に針を落とそうものなら客から悪魔のような罵声が飛んでくる。このアルバムにも参加しているウディ・ショウが作った「Sweet Love of Mine」が目当てだ。タイトル通りの美しいメロディで、一番手のマクリーンのソロはそれに哀愁という翳りを付け、続くショウは自信作だといわんばかりに高々とラッパを鳴らし、その後ファンクに向かうピアノのラモント・ジョンソンが畢生のソロを取る。ジャズレコードはアルバム中一曲でも話題になればヒット作だが、ライブでボサノヴァを演ろうといえばこの曲か「Blue Bossa」なので大ヒットといえる。

 マクリーンはブルーノートと再契約をせず、このアルバムを最後に活動を休止する。その間、後進の指導にあたっているという情報もある一方、死亡説も流れた。再びマクリーンが姿を現したのは5年後の1972年だった。デンマークのスティープル・チェイスから出た「Live At Montmartre」はシーンから遠ざかっていた鬱憤を晴らすような元気なプレイが聴ける。きっとそこには天使がいたのだろう。
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