デューク・アドリブ帖

超絶変態ジャズマニア『デューク・M』の独断と偏見と毒舌のアドリブ帖です。縦横無尽、天衣無縫、支離滅裂な展開です。

難曲コンファメーションを如何にスライドさせるか

2012-03-25 07:43:32 | Weblog
 チャーリー・パーカーは多くのバップナンバーを残しているが、なかでも難曲といわれるのが「コンファメーション」である。テンポの速さに加え音階も広く、さらに目まぐるしくコードも動く。楽器のガすら知らない耳にも難しいことは容易に察しがつくが、それを難なく演奏するパーカーには聴くたびに驚いてしまう。パーカーに憧れたアルト奏者は勿論だが、プロなら一度は挑戦したい曲である。

 パーカーを超えないまでもそれに肉薄する多くの名演が残されているが、左利きのトロンボーン奏者、スライド・ハンプトンもそのひとつだ。2トランペットと2トロンボーン、テナー、バリトン、ベース、ドラムスというピアノレスのオクテット編成で、幻の名盤と呼ばれたパテ・マルコーニ・レーベルの「ザ・ファビュラス」と同じくパリ録音である。ハンプトンはメイナード・ファーガソン楽団のメンバーとしてヨーロッパをツアーした際、そのままヨーロッパに留まり西ドイツの放送局のスタッフ・ミュージシャンになったほどこの地が気に入ったようだ。自分に合った環境は益々腕に磨きをかける例のひとつといっていい。

 スリルのあるテーマから滑り出すようにトロンボーンのソロが出てくるのだが、これがずば抜けているから短いテーマをはさんで2番手にソロを取るジョージ・コールマンや、3番手のジェイ・キャメロンが可哀想にみえてくる。ソロの間にテーマをはさむスタイルというとウィントン・ケリーのケリー・ブルーがあった。ベニー・ゴルソンのソロが素晴らしいにもかかわらず、その前のナット・アダレイの天下一品のフレーズに霞むようなもので、コールマンとキャメロンのソロを切り取るとアイデアに富んでいるのだが、ハンプトンに続けて聴くと見劣りする。それだけハンプトンが凄いということだろう。

 「コンファメーション」は42年に作られたというからパーカーが41年にミントンズ・プレイ・ハウスでガレスピーをはじめモンク、パウエル、チャーリー・クリスチャン、ローチらとジャム・セッションを重ね、ビバップを確立した時期にアイデアが湧いたのかもしれない。「Confirmation」は「確認」とか「確証」という意味だが、この難曲を吹けたらバップ・プレイヤーとして認めてやる、そんなパーカーのメッセージのような気がしてならない。
コメント (30)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヘイリー・ロレンの息づかいが聴こえた

2012-03-18 08:31:38 | Weblog
 戦後最悪の災害となった東日本大震災の発生から1年が過ぎ、追悼式には消えることのない悲しみを抱えながらも前を向いて生きていく被災者の様子も伝えられた。発生直後から国内はもとより海外からも寄せられた多くの支援が励みになったのかもしれない。そのなかにチャリティとして配信限定で「イン・タイム」を発表したヘイリー・ロレンがいる。「時が経てば回復するわ」という歌詞は心強い。

 2010年にロレンが「青い影」でデビューしたときは衝撃を受けた。ジョン・レノンをして「人生でベスト3に入る曲」とまで言わしめたプロコル・ハルムの大ヒット曲のカバーである。ディスコのチークタイムでこの曲に合わせて彼女を抱きしめた方もいよう。ポップスのジャズアレンジは珍しくないが、そのほとんどはポップスという原曲の枠を超えないまま、伴奏を4ビートにすることでジャズ風に聴かせるスタイルをとっている。曲の作りが違うのだからこの手法に頼らざるを得ないが、ロレンはあたかもジャズの楽曲であるかのように歌う。それは意識してジャジーに表現するというのではなく、ロレンが持つ天性のジャズ感によるものだろう。

 「イン・タイム」を収録した「ハート・ファースト」は、昨年発売された数あるヴォーカル・アルバムのなかでも作品として高い評価を受けたばかりか、録音の素晴らしさからジャズ批評誌のジャズオーディオ大賞の金賞に輝いている。ジャズは良い音で録ることが必ずしもジャズの本質を捉えるとは限らないが、ヴォーカルは息づかいもその表現のひとつとして重視される以上、音は良いほうが伝わるものも大きい。特にロレンのようにハスキーでありながら透明感のある声は音がクリアなほど歌詞の端々に込められたニュアンスや、伴奏者との阿吽の呼吸までもがダイレクトに感じ取れる。

 アルバムトップに収録されている「テイキング・ア・チャンス・オン・ラヴ」に、「Things are mending now, I see a rainbow blending now」という一節があった。大量のがれき処理や、拡散した放射性物質への対応など被災地が抱える課題は山積みしているが、がれきを受け入れる自治体も名乗りを挙げ、徐々にだが物事は良い方向に動き始めている。景観を取り戻した東北にかかる虹を一日でも早く見たい。
コメント (23)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

掛け値なし、ヴィト・プライスのビューティフル・ラブ

2012-03-11 07:15:52 | Weblog
 1949年に映画の主題歌としてヴィクター・ヤングが作曲した「マイ・フーリッシュ・ハート」は、封切されたに翌年に6ヴァージョンがヒットチャートを賑わすほど大ヒットしている。古くからスタンダードとして定着しているもののカバーするのはヴォーカルか、ストリングス入りの甘いオーケストラだったが、ジャズの楽曲としても十分に通用することを証明したのはビル・エヴァンスだ。以降レパートリーにしたプレイヤーも多い。

 エヴァンスはヤングの曲を気に入っていたとみえて「ビューティフル・ラブ」も取り上げている。ワルツ・キングと呼ばれたウェイン・キングと、「林檎の木の下で」の作者として知られるエグバート・ヴァン・アルスタインとの共作だが実質ヤングの曲といっていい。31年に作られた曲で、作者の一人であるキング楽団の持ち歌のひとつだったが、さしてヒットはしていないようだ。タイトルの如く美しいメロディを持っているため、ともするとイージーリスニングになる楽曲だが、それを聴かせる演奏にまで昇華させたのはエヴァンスが持つ、いや正確に言うとエヴァンスだけしか持ちえぬ耽美性だろう。

 エヴァンスの影響もありピアニストに人気がある曲だが、テナーで一気に吹き上げたのはヴィト・プライスだ。アート・ムーニーをはじめ、ジェリー・ウォルドやチャビー・ジャクソンの楽団で活躍したテナーマンで、大きな脚光を浴びたことはないがビッグバンドを背にした豪快なプレイは定評ある。このアルバムはプライスの唯一のリーダー作で、ルー・レヴィやマックス・ベネット、フレディ・グリーンという手堅いリズム陣をバックに気持ち良さそうに吹いている。リーダー作、それも初となると力が入るものだが、ジャケットのように路上で閃いたフレーズを奏でる感じだ。たった1枚のリーダー作は自然体のほうがトレンチコートのように格好が良い。

 エヴァンスがこの曲を取り上げたのは61年の「エクスプロレイションズ」だったが、プライスはそれよりも早く、58年に録音している。もしかするとエヴァンスはプライスに触発されたのかもしれない。プライスが在籍していたジェリー・ウォルド楽団で、エヴァンスは54年に初レコーディングをしている。スウィングの糸は輪のように繋がっているではないか。プライスのアルバムタイトルは「Swingin' the LOOP」という。
コメント (24)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ジャック・トレーシーが見つけたジーン・ロジャース

2012-03-04 07:29:33 | Weblog
 ボブ・シャッドが立ち上げたマーキュリー・レコードの傍系レーベル、エマーシーはクリフォード・ブラウンをはじめヘレン・メリル、サラ・ヴォーン等、永遠の名盤と呼ばれる作品をリリースしている。そのシャッドがタイム・レーベルを興すため退社した後を引き継いだのはジャック・トレーシーだった。シャーロック・ホームズ研究家と同じ名前だが、このトレーシー氏は探偵の如く毎夜ジャズクラブに現れる。

 それはシャッドがプロデュースした以上の作品を録るためのプレイヤーを探す目的だ。あるクラブで指が動くピアノを聴いたトレーシーは、食指が動いたとみえて話しかけると、ジーン・ロジャースと名乗るその男は語り出した。「オレは16歳のときにキング・オリバーのオーケストラで初録音したあと、コールマン・ホーキンスのブルーバード・レーベルの録音、そうそうボディ・アンド・ソウル、有名なあれだよ。それからベニー・カーターのバンドでも仕事をした」「華々しい経歴だけどリーダー作は?」「48歳になるけれど・・・」「では、Introducing を出そう」このような経緯で録音されたのがこのアルバムだ。

 遅咲きの初リーダー作のトップを飾るのはハリー・ウォーレンの「There Will Never Be Another You」である。原曲はスローバラードだがアップテンポで演奏するのがモダン期に慣わしになったようにロジャースも速い。トレーシー自身が書いたライナーノーツはアート・テイタムに結び付けてベタ誉めしているが、テイタムというよりテディ・ウィルソンに近いタッチで、スウィング期のスタイルにモダンのスパイスを足した感じだ。録音されたモダンジャズ全盛期の58年という時代にはやや古さを感じさせるが、13鍵を押さえるというテクニックはジャズピアノの華麗なスタイルとして倣うピアニストも多い。

 トレーシーが引き継いで間もなくエマーシーは消滅し、マーキュリー本体に吸収されたが、トレーシーはそこでも多くの録音に携わった。シャッドが送り出したほどの名盤はプロデュースできなかったが、ジャズクラブで毎夜熱い演奏する無名に近いプレイヤーを発掘し、世に出したことは評価されるだろう。ホームズなら、「ワトスン君、そのレコードが名盤と呼ばれる日がくるかもしれないよ。誰でもが知っている有名な人より意外な人物が犯人だったりするように」と言うかもしれない。
コメント (12)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする