デューク・アドリブ帖

超絶変態ジャズマニア『デューク・M』の独断と偏見と毒舌のアドリブ帖です。縦横無尽、天衣無縫、支離滅裂な展開です。

銜えタバコのシェリー・マン

2011-01-16 08:25:26 | Weblog
 いっときもタバコを放せない人をチェーンスモーカーと呼ぶが、シェリー・マンもその一人だ。ジャズ誌に載る写真はプレイ中でもオフでもほとんどタバコをふかしているし、スーザン・ヘイワード主演の映画「私は死にたくない」のクラブシーンでもジェリー・マリガンのバックで斜にタバコを銜えながらドラムを叩いていた。灰が飛び散らからないのだろうかと心配になるが、マンほどのドラマーになると上体が揺れることがないので心配無用というわけだ。

 ウェスト・コーストを代表するドラマーとして知られるが、生まれもプロデビューもニューヨークで、43年にコールマン・ホーキンスのシグネチュア・セッションに起用され、そこでみせた「ザ・マン・アイ・ラヴ」の華麗なブラッシュ・ワークは今でも語り草になっている。カリフォルニアに拠点を移したのは50年代初頭だったが、それは当時ニューヨークのジャズメンの間に蔓延していた麻薬の誘惑から逃れるためだった。体を蝕むだけで何のプラスにならないことを周りのプレイヤーから学んだマンは、麻薬なしでも最高のドラミングができる自信があったからに違いないし、個々のソロを優先するイーストよりアンサンブルを重視するウェストの音楽的気質に惹かれたのかもしれない。

 ホーキンスと約20年ぶりの共演になる「2-3-4」を企画したのは、かつてシグネチュアで名演を生み出し、当時インパルスの名うてのプロデューサーだったボブ・シールで、コンテンポラリーの看板スターを高いコストをかけてまで借り出したのだから熱の入れようがわかる。再会セッションといえば当時を懐かしむだけの焼き直しに陥り易いが、この20年間常にジャズ最前線を走ってきたシールとマンとホーキンスのアイデアは録音された62年当時、最も斬新なアイデアであった。デュオ、トリオ、クァルテットと様々な編成で、マンの多彩なドラミングを余すところなく捉えているばかりか、ジャズの方向性まで示唆した画期的な作品といえるだろう。

 ヘンリー・マンシーニのビッグ・バンドや、ポップスのレコーディングに度々呼ばれ、正確なリズムをキープするサイドマンとしても引っ張りだこのマンは映画のワンシーンも飾っていた。55年のシナトラ主演の映画「黄金の腕」にショーティ・ロジャースとともに出演していたが、2箱、3箱、4箱とタバコの量は増えたものの実に健康そうだった。体を蝕むならタバコも同じではないか、と言われそうだが愛煙家の小生はそれは聞かなかったことにしよう。

コメント (32)
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