デューク・アドリブ帖

超絶変態ジャズマニア『デューク・M』の独断と偏見と毒舌のアドリブ帖です。縦横無尽、天衣無縫、支離滅裂な展開です。

古希のエリントン

2007-04-29 08:07:33 | Weblog
 厚生労働省が公表した日本人の平均寿命や年齢ごとの死亡率をまとめた完全生命表によると、平均寿命は男性が78.56歳、女性は85.52歳だそうだ。過去最高で今や70歳の古希を迎えられる方もめずらしくない。古希は唐の詩人杜甫の曲江詩「人生七十古来稀」に由来し、古来は70歳まで生きるのは希であったことから、長寿の祝いとされている。

 小生が敬愛する1899年生まれのデューク・エリントンは、69年に古希をイギリス楽旅中に迎えた。「70th Birthday Concert」と題された2枚組みのアルバムは、誕生日に重なったコンサートの記録で、ジョニー・ホッジス、ハリー・カーネイ、クーティ・ウィリアムス等エリントニアン、そしてエリントンの自信に溢れた音が会場を沸かす。ジャケットの隅に「Limited Edition」と飾られ、お祝いの記念ともいえる特別なアルバムともなればファンのひとりとして嬉しいものだ。「私の楽器はピアノではなく私のオーケストラ」だと名言を残したエリントンのソロから始まり、オーケストラが一斉にテーマを奏でる瞬間は何度聴いてもゾクゾクする。    

 エリントンは24年にバンド結成以来、一貫して自作曲を自分のオーケストラで演奏するという姿勢を崩さず、コンサート形式の演奏会に力を入れている。楽旅中の列車やホテルで作曲し、生涯残した曲は2000曲ともいわれ、ジャズメンのみならず、ポップス界でもしばしば取り上げられる稀代な作曲家でもあるのだ。ハーレムの有名な「コットン・クラブ」の専属バンドだった30年代は、クラブのバンドは踊るために用意されていた。エリントンはその時代から踊るための音楽という形式を踏まえながら鑑賞に値する音楽を目指している。その高い音楽的志向が今のジャズの発展に結びつき、ジャズが芸術に昇華したものといえよう。  

 活動が長い音楽家は歳を重ねると、よく枯れた味わいと表現されるが、エリントンは初録音の24年も、古希の69年もその年、その歳毎に新しい味わいがある。毎週アドリブの如く思い付くまま書いているブログも本稿が70稿目にあたる。読み返してみると支離滅裂で忸怩たる思いだが、3度の飯より好きなジャズだけに止まることを知らない。エリントンのように毎回新鮮であるよう努めたいものだ。
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パリの四月

2007-04-22 07:49:20 | Weblog
 「ケ・セラ・セラ」のヒットで知られるドリス・デイが主演した映画「パリの四月」が製作されたのは53年だった。映画でドリスが同名の主題曲を歌っていたので、コールマン・ホーキンスの名演はその後かと思ったら45年録音と映画より古い。通常、映画の主題曲がヒットしたあと多くのプレイヤーが取り上げるケースが多いので、調べてみるとオリジナルは更に古く、32年のミュージカル「ウォーク・ア・リトル・ファスター」に遡る。

 カウント・ベイシーの「one more time!」という掛け声で何度も繰り返されるエンディングでお馴染みの「パリの四月」は、その美しく洗練されたメロディから名演、名唱は数多い。フリーマンと署名のあるジョー・ウィリアムスをデフォルメしたジャケットは、63年のニューポート・ライブ盤だ。「パリの四月」も収録されていて、ジョーはメロディラインをストレートを歌いだし、クラーク・テリーはその美しいラインに彩りをつけ、続くホーキンスは聴衆を包み込むような大きさでかつての名演を彷彿させる。他にもハワード・マギー、ズート・シムズも参加したセッションはアンコールの声が止まず、ニューポートの興奮が伝わってくる素晴らしさだ。

 今も昔も女性ヴォーカルが持てはやされ、男性陣の影が薄いジャズ・ヴォーカル界は寂しいものがある。女性にしか表現できないものがあるように、男だけが持つ逞しい表現と、男ならではの魅力もあるものだ。ジョー・ウィリアムスはベイシー・バンド専属歌手の経験から、スウィング感は抜群で、伸びのある声質はビッグバンドに映える。ピアノトリオをバックにしっとりと歌い上げるヴォーカルも味わい深いが、管楽器を配したダイナミックでリズミカルなジョーの歌は足取りが軽くなる四月にはうってつけだろう。

 「ケ・セラ・セラ」、「ボタンとリボン」、「モナ・リザ」等、日本でも親しまれた曲を作詞したレイ・エバンズは、今年92歳で亡くなっている。「ケ・セラ・セラ」はラテン語で、「なるようになる」という意味だ。スローライフが唱えられる今、なるようになるとのんびりした生き方が長寿の秘訣らしい。
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ウッズのブランド

2007-04-15 08:00:15 | Weblog
 当地のイオングループ生活百貨店にCD店があり、ジャズコーナーも充実していることから良く利用する。昨日ついでにとばかりに食料品の買い物を頼まれ、めったに行かない売り場を覘いてみた。土曜日の午後という混み合う時間帯でいくつかあるレジも行列だ。並びながら奥様方のバッグをウォッチングするとヴィトン、シャネル、エルメス、実にブランド品が多い。ご近所らしいエプロン姿の奥様も財布はしっかりグッチだったりする。

 凡そブランド品には縁がないが、ピエール・カルダンは小生も持っている。ブランド自慢といきたいところだが、こちらはレコードの話。フィル・ウッズとヨーロピアン・リズム・マシーン(ERM)の「Live at Montreux 72」はピエール・カルダン・レーベルの「Chromatic Banana」に次ぐ2作目で、72年のモントルージャズ祭のライブ盤だ。角を円くカットしたジャケットはカルダン・ブランドに恥じない洒落たデザインになっている。ライブらしく1曲25分に亘る組曲が収録されていて、複雑な演奏ながらソロリレーは見事な展開で、この年のグラミー賞最優秀ジャズグループに初めてノミネートされたことも頷ける。

 50年代はパーカー派のアルトとして歩んできたウッズであったが、60年代にヨーロッパに渡り新境地を開くことになる。温かく迎えたくれたパリの風土が合っていたとみえ、実に伸びやかで、この地で結成したERMはウッズにとって理想的なバンドといえよう。68年の「アライヴ・アンド・ウェル・イン・パリス」は、アメリカ時代不遇なビッグバンド仕事の不満を一気に飛ばす力演だった。かつての線の細いパーカー・スタイルにかわって、力強く逞しい。この音こそウッズ・ブランドである。

 保守系右派の論客として知られるマークス寿子さんは、著書「とんでもない母親と情ない男の国日本」で、ブランド品に狂う日本人を痛烈に批判していた。小学生の子どもにまでブランド品を着せ、給食費を払わない母親は論外だが、少なからずブランド品への依存は否定できない。フランスではヴィトンのバッグを持つ女性は電車に乗らないそうだが、ヴィトンを提げ長ネギを覗かせたスーパーの買い物袋を持つのが日本のブランドかもしれない。
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バップ・クラリネット・トニー・スコット

2007-04-08 07:57:07 | Weblog
 ニューオリンズ・ジャズやスウィング期に欠かせない楽器にクラリネットがあり、ジョージ・ルイス、ベニー・グッドマン、アーティ・ショウ、クラリネット奏者は当時の花形であった。木管楽器特有の柔らかい音色はどこか飄々とした感じで心地好いが、サックスに比べ音のぬけが悪く、音量も小さいせいかモダン期に入り急速にクラ奏者は激減している。バディ・デフランコというモダン・クラリネットの第一人者もいるが、サックス奏者の持ち替え楽器程度にしかきかれないのは寂しい。

 デフランコと並びモダン期に活躍した人にトニー・スコットがいて、共にチャーリー・パーカー直系のバップをクラリネットで表現したプレイヤーだ。デフランコは一時グレン・ミラー・オーケストラのリーダーを務め、伝統を継承するスタイルを築いているのに対し、スコットはヨーロッパ、アフリカ等海外で暮らし、ジャズの表現力に幅を広げた。60年代初頭には日本に滞在し、禅に魅せられ、尺八の山本邦山氏とも共演している。ジャンルを超えた音楽性は斬新であったが、ベースはパーカーでありバップの延長上にあったと思う。

 写真は56年7月のカルテット、テンテット、オーケストラのセッションを収録したもので、スコットの流麗なソロが素晴らしい。数多いスコットのアルバムでは目立たない作品なのだが、意外に人気がある。その人気はスコットではなく、サイドで参加しているビル・エヴァンスによるものであろう。56年7月と記したのは、同年9月にエヴァンスの初リーダー作「ニュー・ジャズ・コンセプション」を録音しているからであり、僅か2ヶ月前となるとエヴァンス・ファンならずとも気になる。栴檀は双葉より芳し、エヴァンスの美しいタッチはさすがだろう。録音年、月、時には日も重要な意味を持ってくるのがジャズの魅力でもある。

 パーカー生誕80年にあたる2000年に日本チャーリー・パーカー協会主催の「Bird 2000」が開かれ、講演と演奏のため長い髭を蓄えたスコットが来日したのは記憶に新しい。3月28日にトニー・スコットが85歳で亡くなった。そして跡を追うようにパーカー協会会長、辻バードさんが2日後の30日に75歳で旅立たれた。パーカーを愛したおふたりのご冥福をお祈りします。
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スプリング・イズ・ヒア

2007-04-01 08:13:06 | Weblog
 プログラムに入れるデータの入力ミスが原因で、気象庁の桜開花予想が狂う話題があった。開花に合わせてイベントを組んだ観光、サービス業等、直接商売に結びつくケースもあり悲喜交々だ。蕾も見ぬこちらでは異国の話に聞こえるが、降っては融ける淡雪もやがて雨に変り、北国の遅い春も近い。

 スウェーデンの歌姫モニカ・セッテルンドの「スプリング・イズ・ヒア」と題されたアルバムは、スウェーデン・コロムビアに58年から60年に吹き込んだものからセレクトしたもので初期のモニカを聴くことができる。ビル・エヴァンスと共演した「ワルツ・フォー・デビー」でその名が広く知られる前の貴重な音源だ。ジャケット写真の構図も変っていて、カトリーヌ・ドヌーヴに似た美しい横顔で歌うモニカと、それを真剣な目で見る観客が写っている。女優でもあるモニカの美貌に釘付けになっているのだろうか。

 タイトル曲の「スプリング・イズ・ヒア」はヒット・メイカー、ロジャース&ハートがミュージカルに書いた美しい曲で録音数も多い。モニカは発音が舌足らずの面もあるが、それが初々しい色気になっている。注目すべきはドナルド・バードの参加で、歌詞は春が訪れたのに私には愛する人がいないという悲しい歌なのに、バードのソロは明るくいち早く春がきたようだ。以前、拙稿「ロイヤル・フラッシュ」でバードに触れたが、美女を前にして張り切る姿は小生同様、単純にできている。(笑)

 明日2日は入社式を開く企業が多い。真新しいスーツに身を包んだ初々しい新入社員の姿は春の景色でもある。景気回復の兆しが見えたとはいえ、未だ企業を取り巻く環境は厳しい。データの入力ミスなきよう大きく美しい桜を咲かせて頂きたいものだ。
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