デューク・アドリブ帖

超絶変態ジャズマニア『デューク・M』の独断と偏見と毒舌のアドリブ帖です。縦横無尽、天衣無縫、支離滅裂な展開です。

ケニー・バロンのピアノはブルー・ムーンのように静かに輝く

2014-04-27 09:28:38 | Weblog
 ガレスピーの「Something Old, Something New」、ジョー・ヘンダーソンの「The Kicker」、ボビー・ハッチャーソンの「Now!」、ロン・カーターの「Piccolo」、フレディ・ハバードの「Outpost」・・・これらのアルバムに参加しているピアニストをご存じだろうか。録音は順に1963年、67年、69年、77年、81年である。ガレスピー以外は新主流派だ。ハンコックか?マッコイか?

 60年代から80年代までジャズシーンにいるならリーダーアルバムもあるだろう、と言われそうなので、ほんの一部を挙げておこう。1968年の「You Had Better Listen」、73年の「Sunset To Dawn」、85年の「Scratch」・・・因みにレーベルは順にアトランティック、ミューズ、エンヤである。ジャズの分野ではメジャーばかりだ。サイド参加作品は水準以上の内容だが各プレイヤーの代表作ではないし、リーダー作もピアノ名盤と呼ばれるものではないので、何度も音を聴いたり、クレジットで目にしていても名前が出てこないかもしれない。  

 では、決定打を出そう。「People Time」でスタン・ゲッツと共演したピアニストである。おそらく名前も周知され、ピアニストとして評価されたのはこの作品だろう。死を直前にした体調の悪いゲッツを支え、名演を引き出したのはケニー・バロンのピアノだ。経歴の割に知名度は低いが、ゲッツがデュオという究極の形で録音する相手に指名するほどの器量を備えている。ゲッツに引けを取らない変化に富んだフレージング、主役を立てる控えめな音使い、そして対峙で問われる「間」、どれをとっても一流といえる。

 写真のアルバムはゲッツとのセッションから5年後の1996年に、今は閉店したジャズクラブ、ブラッドレイズで録音されたものだ。スタンダード中心の選曲で、とりわけ素晴らしいのは「Blue Moon」だ。10分近い長い演奏だが、グイグイ惹きこまれる。ライブによくある派手なパフォーマンスも、大袈裟な飾りもないが、今現在表現できうる全てのアイデアを引き出し、それを丹念に構築するピアノは長いキャリアの上に成り立っている。
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ロンリー・ウーマンの時代

2014-04-20 08:41:33 | Weblog
 スイングジャーナル誌に連載されていた「アイ・ラヴ・ジャズ・テスト」で、小川隆夫氏のインタヴューにアルトサックス奏者のケニー・ギャレットが答えている。「この演奏を聴けばわかると思うけれど、オーネットが登場したときにはあれだけ物議を醸したスタイルが、いまでは誰でも演奏するところまで来ている。要するに、オーネットは何十年も先を行っていたってことだ」と。

 ギャレットの意見はなかなか鋭い。この演奏とは1959年に発表された「ロンリー・ウーマン」である。まだフリー・ジャズの概念が確立されていなかった時代で、ニュー・ジャズという呼び方すら生まれていなかった。初めて聴いたときはハードバップとは明らかに違う新しさを感じたことを覚えている。よく言われるギクシャクした不協和音も不快感はなく、むしろメロディアスで心地良ささえ感じた。それはジョン・ルイスが付けたこの曲が収録されているアルバム名の「The Shape Of Jazz To Come」というタイトルと相俟って時代の先を行っているという自己満足が働いたからだ。

 発表されてから半世紀後の2010年に、アーチー・シェップがヨアヒム・キューンとのデュオという形で録音している。60年代の尖っていたニュー・ジャズの闘士ならともかく、歳とともに丸くなった二人となると、なあなあセッションの懸念もあるが、どうしてこれがなかなか意欲的なのだ。勿論、シーンを肩で風を切っていた時代の攻撃性は失われているが、楽曲としての「ロンリー・ウーマン」の持ち味を引き出すアタックはさすがといえる。60年代にもしこの二人が共演して、この曲を演奏したとしたら、絶対に折り合うことはない。半世紀という途轍もない時間の賜物といえるだろう。

 このアルバムはお互いの曲を持ち寄った形で構成されているが、「ロンリー・ウーマン」を挟むように「Harlem Nocturne」と、エリントンの「Sophisticated Lady」が収められている。この大スタンダードと比べても何ら違和感はない。ギャレットの言う通りオーネットのスタイルは50年先を行っていたことになる。ようやく時代がオーネットに追いついたということかもしれない。
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作詞家エドワード・ヘイマンのラヴソングを味わう

2014-04-13 08:26:00 | Weblog
 ♪ When I fall in love It will be forever Or I'll never fall in love・・・コーラスの頭をそのままタイトルにした曲に「When I Fall In Love‎」がある。邦題は直訳ながら曲調にピタリとはまる「恋に落ちた時」と付いたラヴソングだ。「恋をするときは永遠に続く恋をしたい」という歯の浮くような詞を書いたのはエドワード・ヘイマンだが、じっくり読むと全文を載せるスペースがないのが残念なほど味がある。

 作曲したのはヴィクター・ヤングで、1952年に朝鮮戦争の戦意を揚げるために制作された映画「零号作戦」の主題歌として使われたのを皮切りに、1957年にはエロール・フリン主演の「イスタンブール」に採用され、この映画ではナット・キング・コールが出演してこの曲を歌っていた。さらに1993年にトム・ハンクスとメグ・ライアンが共演した「めぐり逢えたら」、また1999年にはキューブリック監督の遺作になった「アイズ・ワイド・シャット」にも流れている。数あるラヴストーリーに似合う曲のなかでもトップクラスにランクされる曲といっていい。

 1952年に最初のヒットを記録したドリス・デイをはじめ、カーメン・マクレイ、レターメン、カーペンターズ、サム・クックとあらゆるジャンルのシンガーが取り上げている。原曲の持ち味を生かしてストレートに歌っても、フェイクしてジャジーに歌っても映える曲であり、どんなリズムやテンポでも崩れない曲だ。オーケストラをバックにドラマチックに歌うのはイーディー・ゴーメで、日本ではCMに使われた「ザ・ギフト」で知られるが、スティーブ・ローレンスとのおしどり夫婦としてアメリカでは絶大な人気を誇るシンガーだ。このアルバムを録音したのは58年、結婚したのは57年、かみしめるように歌っているのは新婚のせいかもしれない。

 作詞家は作曲家に比べ、あまり注目されることはないが、エドワード・ヘイマンが気になり調べてみると、ビリー・ホリデイの名唱が聴こえてくる「I Cover The Waterfront」をはじめ、プレスリーが格好良く決めた「Love Letters」、そして極めつけはもっとも美しいバラードと言われる「Body And Soul」を作詞している。メロディに詞が溶け込み一体となった曲は鼻歌でもいつの間にか歌詞を口遊んでいる。
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春の陽射しに包まれてアイク・ケベックは何思う

2014-04-06 08:34:00 | Weblog
 ブルーノートのアルバムに「From Hackensack To Englewood Cliffs」がある。ハッケンサックとは旧ヴァン・ゲルダー・スタジオがあった場所で、イングルウッド・クリフスは新スタジオの地名をいう。旧スタジオの最後と新スタジオの最初に録音したのはアイク・ケベックで、名門レーベルの影の立役者として手腕を奮ったケベックにライオンとゲルダーが感謝を込めての起用だ。

 ジャズ専門レーベルがスイング・ジャズからモダン・ジャズに録音のメインを移していくときにモダン派のミュージシャンをライオンに紹介したのがケベックで、非公式ながら音楽ディレクターも務めていた。言うなればケベックがいなかったら、ジャズレコード史に残る1500番台の名盤はなかったかもしれないのだ。テナー奏者としては麻薬のせいで大活躍はできなかったが、ソウルフルでよく歌うロングトーンは魅力があるし、ブルーノートに残された数枚のアルバムはロングセラーとして今でも売れているという。

 なかでも「It Might As Well Be Spring」は、この時期になると必ずターンテーブルに乗る。アルバムタイトル曲はリチャード・ロジャーズの名作として知られるが、ケベックの解釈が素晴らしい。決定的名演と言っていいだろう。闇を切るようなフレディー・ローチのオルガンのイントロ、それに絡むケベックの太い音、その絶妙なタイミング、柔らかい陽射しに包まれて静かに融ける雪のようなゆったりとしたテンポ、淡々と刻みながら、それでいて昂りもあるミルト・ヒントンのベースとアル・ヘアウッドのドラム、名演は飾らないところから生まれる。

 「アイクはブルーノートにとって大恩人のひとりだ。彼の貢献がなければ、わたしもブルーノートもとっくの昔にジャズのレコーディングを諦めていただろう。だから、アイクにはもっと正しい評価が下されてほしいと願っていた」、とライオンは語っていた。モンクとパウエルを発掘してきたのはアイク・ケベックである。この背景を知って聴くとテナー奏者としての評価も春の気温のように上がるだろう。
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