「進駐軍のアーミーホール(軍人会館)では、私、とっても気に入られました。将校クラブなので、みなさんとっても静かに歌を聴いてくださるところだったんです。私の場合は、ともかく英語の発音をどなたにも褒められるんです、向こうの人に。そのころはまだ全然行ったこともないのに、『アメリカに住んでいたのか?』って聞かれるんです。」
5月14日に亡くなったマーサ三宅さんが日本音楽学校に通いながら歌っていた昭和26年当時を回想している。著書「星空にスウィングを」(婦人画報社)から引いた。50年ほど前に聴いている。大橋巨泉氏の奥さんであることは知っていたもののレコードを聴く機会はなかっただけに驚いた。大人のジャズヴォーカルとはこれなのだろう。当時売り出し中の若手シンガーには出せないえも言われぬ趣がある。何より発音が奇麗なので歌詞がダイレクトに響く。すっきりとした目鼻立ちからマーサというのは本名で「hafu」だと思った。
ステージで度々取り上げるナンバーで構成する昭和35年録音の「My Favorite Songs」に「Don't Explain」が入っている。同書で「たとえば出だしの“hush now”( シーッ黙って)は本当に静かに。“Don't explain”はちょっといさめるような、強い調子で。だけど声は大きくなく、アクセントをつけて。・・・」と詳しく解説している。ANミュージック・スクール、ヤマハ、そして自身のヴォーカル・ハウスで、こうして細やかに指導して大橋純子や今陽子、芹洋子をはじめ多くのシンガーを育て上げたのだろう。
ジャズに出会う前はキャバレー「銀座ハレム」の舞台に立ち、昭和28年に「黒い薔薇」や「月光のチャペル」を録音している。ベニー・グッドマン楽団の歌手マーサ・ティルトンから拝借したマーサだが、本名の三宅光子で歌謡曲を歌っていても大成したに違いない。享年92歳。星空を眺めてみよう。マーサのジャズソングが聴こえてくる。
5月14日に亡くなったマーサ三宅さんが日本音楽学校に通いながら歌っていた昭和26年当時を回想している。著書「星空にスウィングを」(婦人画報社)から引いた。50年ほど前に聴いている。大橋巨泉氏の奥さんであることは知っていたもののレコードを聴く機会はなかっただけに驚いた。大人のジャズヴォーカルとはこれなのだろう。当時売り出し中の若手シンガーには出せないえも言われぬ趣がある。何より発音が奇麗なので歌詞がダイレクトに響く。すっきりとした目鼻立ちからマーサというのは本名で「hafu」だと思った。
ステージで度々取り上げるナンバーで構成する昭和35年録音の「My Favorite Songs」に「Don't Explain」が入っている。同書で「たとえば出だしの“hush now”( シーッ黙って)は本当に静かに。“Don't explain”はちょっといさめるような、強い調子で。だけど声は大きくなく、アクセントをつけて。・・・」と詳しく解説している。ANミュージック・スクール、ヤマハ、そして自身のヴォーカル・ハウスで、こうして細やかに指導して大橋純子や今陽子、芹洋子をはじめ多くのシンガーを育て上げたのだろう。
ジャズに出会う前はキャバレー「銀座ハレム」の舞台に立ち、昭和28年に「黒い薔薇」や「月光のチャペル」を録音している。ベニー・グッドマン楽団の歌手マーサ・ティルトンから拝借したマーサだが、本名の三宅光子で歌謡曲を歌っていても大成したに違いない。享年92歳。星空を眺めてみよう。マーサのジャズソングが聴こえてくる。