デューク・アドリブ帖

超絶変態ジャズマニア『デューク・M』の独断と偏見と毒舌のアドリブ帖です。縦横無尽、天衣無縫、支離滅裂な展開です。

夜も昼も

2007-05-27 07:04:55 | Weblog
 DVDが商用化されてから早や10年経ち、今ではコンビニ、雑貨店どこにでも置いている。書店にも並んでいて背のタイトルを追ううちケイリー・グラント主演の映画「夜も昼も」を見つけた。作曲家コール・ポーターの半生を描いた46年公開作品で、題名は記憶にあったものの観るのは初めてのことだ。DVD発売当初5000円だったものが、旧作はワンコイン500円で楽しめる。

 映画「夜も昼も」は、最もアメリカ的センスを持つポーターの作品を鏤めながら作曲家としての苦悩と成功を描いた作品で、当時の映画らしくボーイ・ミーツ・ガール・ストリー仕立てだ。名曲「夜も昼も」の印象的なヴァース部分「beat beat beat」、「tick tick tock」、「drip drip drop」、そしてあの「night and day~」と続く洗練されたメロディが生まれた背景をメインに展開し、名フレーズが閃くシーンは興味深い。最初にこの曲を歌ったフレッ ド・アステアはじめ唄物、インスト共に録音数は多く、どのバージョンも甲乙付け難い出来でポーターの曲作りの大きさがしれよう。   

 声帯の震えまでもが伝わってくるジャケットはセルマ・グレイセンで、「夜も昼も」の名唱を聴ける。セルマの経歴は不明だがジューン・クリスティやクリス・コナーあたりを思わせるヴォーカルセンスは魅力的で、厚みのあるジョージ・オールドのテナーやリズミカルなギターのバーニー・ケッセルをバックに快適にスウィングするあたりはベテラン歌手の領域だ。近年CDでも発売されたが、セルマが唯一残したアルバムという貴重性、オリジナルは「EmArcy」の傍系レーベル「Wing」という希少性、スタンダード中心の選曲、そして官能的なジャケットからマニアが昼夜問わず探した折り紙つきの幻盤であった。   

 04年にケビン・クライン主演でポーターの生涯を描いた映画「五線譜のラブレター」が公開されたのは記憶に新しい。この作品では「夜も昼も」では触れられなかったポーターの性癖である同性愛についてもかなりの部分で取り上げていた。当時はタブーだったのかも知れぬが、ポーターという偉大な作曲家、その曲を楽しむには「昼」だけではなく、「夜」を知ることで大きな理解と感動を得られる。
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ファンキーという姓

2007-05-20 15:18:24 | Weblog
 漢字の字体の違いや読みの違いを考慮してカウントした場合、日本の姓は27万種あるといわれている。名もその時代々々で流行がありクラスに同じ名の方がいることもままあれど、やはり数多い。その組み合わせの姓名となると想像も付かない数だが、よほど珍しい姓と名でない限り同姓同名の人は全国にいるものだ。

 ジャズも100年の歴史となれば同姓同名のプレイヤーも珍しくない。今年の富士通スペシャル 100 GOLD FINGERS は、秋吉敏子を始めジュニア・マンス、ケニー・バロン、ドン・フリードマン等ビッグネイムが並ぶ。そのメンバーの一人に Benny Green がいる。チャーリー・ベンチュラのバンドで脚光をあび、50年代に活躍したトロンボーン奏者は Bennie Green 。スペルも違い多少発音の違いもあるが、カタカナ表記では共にベニー・グリーンである。その名を見聞きすると小生はトロンボーン奏者のグリーンを思い浮かべるが、最近のジャズファンはグリーンというとピアニストらしい。

 Benny Green はアート・ブレイキーのジャズ・メッセンジャーズに参加し、知名度を得たピアニストで、63年生まれの比較的若い世代ながらそのスタイルはオーソドックスなものである。メッセンジャーズの伝統でもあるファンキー・フィーリングに溢れ、スウィング感はグリーンをホール目指して飛び上がるゴルフボールのように鮮やかなラインを持っている。ここ一番聴かせどころの壺を心得たテクニックも申し分なく、オスカー・ピーターソンが自分の後継者に指名したのも頷ける。

 「FUNKY!」と題されたアルバムは、ファンキーという姓を持つようなベニーの本領を遺憾なく発揮した快作だ。「マーシー・マーシー」、「ディス・ヒア」、「ワーク・ソング」等、お馴染みのナンバーが並んでいる。思わず足が踊り、体が揺れる同姓同名はファンキーという心地よく響く名であった。
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ダントツのベイカー

2007-05-13 08:36:31 | Weblog
 逆風の中、対立候補を大きく引き離してダントツの投票数で3選を果たした東京都知事、石原慎太郎氏の小説に「ファンキー・ジャンプ」がある。40年以上前の作品で音楽を文章で表現しようと試みたジャズ小説だ。最近はクラシックがいいと言っている石原氏だが、当時はチャーリー・パーカーが好きだったようでジャズと麻薬の関係にも触れていた。多趣味でジャズばかりでなくテニス、スキューバダイビング、そしてヨットレースと幅広い。

 ジャズと麻薬とヨットと言えばこれしかない。遂に登場したのはチェット・ベイカー、そしてクルー。ウィリアム・クラクストンのジャケット写真は凝りすぎの感もあるが、ベイカーなら絵になる。56年の作品でベイカーがウエスト・コースト・ジャズの典型的なイメージを覆したハードバップ作品という仕上がりで興味を引く。なるほど「モーニン」で知られるファンキーなボビー・ティモンズがピアノだ。とはいってもティモンズがジャズ・メッセンジャーズに参加する前のセッションで、まさにファンキーという蕾が開こうとしている時期であろう。

 ジャズ界のジェームズ・ディーンとまで言われたベイカーの容姿は羨ましい限りだが、一方、暗の部分は壮絶の一言に尽きる。この時代のジャズメン誰でもがそうであったようにベイカーもまた麻薬に侵されていた。ジェリー・マリガンがヨーロッパ・ツアーに行くときに、金にうるさいベイカーを外しボブ・ブルックマイヤーを連れて行ったエピソードも残されている。結局マフィアに麻薬の金を払えなっかたベイカーは、麻酔なしでトランペッターの命ともいえる歯を抜かれたそうだ。麻薬の影響があったにせよ妖しい魅力のある歌と比類なき美しいトランペットはダントツであった。

 ダントツという言葉は石原氏が広めたもので、63年の「文藝春秋」に寄せたヨットレース体験記に、「スタートからダントツ(断然トップ)で出た」とある。カッコ内に意味を注記しているのはそれが新語であることに配慮したもであろう。ヨットレースのように追い風に乗ったダントツの政治手腕を発揮して頂きたいものだ。
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ヒルの出発点

2007-05-06 07:54:41 | Weblog
 一般的な知名度やリスナーによる評価は低くても、ミュージシャンの間で評価の高いアーティストのことを「ミュージシャンズ・ミュージシャン」と呼ぶ。ジャズ界にもそのようなプレイヤーは多いが、今年4月20日に75歳で亡くなったピアニストのアンドリュー・ヒルもまたその一人であったろう。アルバムのほとんどが自作曲だけに、とりわけミュージシャン間ではコンポーザーとして評価されているようだ。

 ヒルはブルーノートに63年から64年の数ヶ月間に4枚のアルバムを録音しているが、それも正式にデビューを飾る前であることから期待の大きさがうかがい知れる。ブルーノート創立者、アルフレッド・ライオンはヒルを聴いたときの感想を、セロニアス・モンクを初めて聴いたときのような感動と言っていた。その4枚はいずれも意欲的な作品で、とても短期間で制作されたとは思えないほど密度は濃く、溢れんばかりの才能を具現化したものであろう。モダンとフリーの感覚を併せ持つ音楽性は新しいスタイルであり、60年代のジャズシーンの方向性をも示唆している。

 その4枚の中に「Point Of Departure」というアルバムがあって、とにかく脇を固めるメンバーが凄い。死の3ヶ月前のエリック・ドルフィー、ジョー・ヘンダーソン、ケニー・ドーハム、リチャード・デイビス、そしてまだ18歳だったトニー・ウイリアムス、このパーソネルの意外さにおいても特筆すべきものであり、それは当時の最前線の音でもある。アルバムを埋める全ての曲はヒルのオリジナルでアイデアに富んだ斬新なものばかりだが、ラストに収められている「デディケイション」では歌心溢れるプレイを聴ける。ヒルの出発点はダイナ・ワシントンの伴奏者だ。新感覚のジャズとて歌心失くして成立しえない。

 60年代のジャズシーンはジャズ・ロック、フリー、モードが同時に混在し、誰もが新しい方向性を模索している時代だった。ヒルの作品にヴァイブのボビー・ハッチャーソンを加えた革新的な「Judgement」という作品がある。判断、評価という意だ。新しいジャズをつくり、シーンを生きたアンドリュー・ヒルの歴史的評価は容易に定まりそうにない。
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