デューク・アドリブ帖

超絶変態ジャズマニア『デューク・M』の独断と偏見と毒舌のアドリブ帖です。縦横無尽、天衣無縫、支離滅裂な展開です。

ジェームズ・ボンドをベイシーで聴いてみよう

2013-01-27 09:19:10 | Weblog
 1962年にショーン・コネリー主演の「ドクター・ノオ」で始まった007シリーズは、最新作「スカイフォール」で23作を数える。主演のダニエル・クレイグも、この作品で3作目ということもありジェームズ・ボンドが板についてきた。今回の作品はシリーズ誕生から丁度50年にあたることから古くからのファンをニヤリとさせるネタが随所にちりばめられていて、第3作の「ゴールドフィンガー」を観たかたなら思わず拍手をしたくなるだろう。

 007シリーズというと息もつかせぬ展開、ボンドの派手なアクション、異様さが漂う悪役の人選、華を添えるボンドガール、そして映像と一体となった主題歌、これら娯楽映画の要素を全て満たしている。特にボンドガールはどこにこんな美女がいたのだろうとかと思うほど粒揃いで、「ロシアより愛をこめて」のダニエラ・ビアンキ、「カジノ・ロワイヤル」のエヴァ・グリーン、「007は二度死ぬ」の浜美枝・・・おっと、話がそれてしまった。話題は音楽だった。銃身の中から写した形の映像、いわゆるガンバレル・シークエンスのバックで流れるモンティ・ノーマン作曲のテーマは半世紀経った今でも心地良く響く。

 そのテーマ曲を中心に1枚のアルバムにしたのはベイシー楽団で、アレンジはチコ・オファリルとジョージ・ウィリアムスが担当している。65年の録音なので4作目の「サンダーボール作戦」までの曲だが、これら4作品は内容もさることながら主題歌は当時ヒットチャートを賑わしていた。耳に馴染んだメロディに大きく手を加えると原曲の持ち味を損なうものだが、ビッグバンドの躍動感が逆に原曲の美を引き出したといっていい。60年代のベイシーは映画音楽やビートルズを素材としたアルバムを発表したことから、商業的だとの批判もあったようだが、どんな曲を演奏しようともスウィングするベイシー楽団に変わりない。

 「スカイフォール」に、「ゴールドフィンガー」で走り回ったカーマニア御用達のアストンマーチンDB5が登場する。機関銃や可変ナンバープレートの秘密兵器が搭載されたボンドカーだ。それもボスである「M」を助手席に乗せてである。その憧れのボンドカーが敵の攻撃で破壊された。そして「M」も・・・まだご覧になっていない方もおられるだろうから、これ以上は書けないが、早く次回作を観たいものだ。
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50年代のビルボード誌には毎週パティ・ペイジの名があった

2013-01-20 08:51:08 | Weblog
 評論家の中村とうよう氏が編集長として健筆を奮っていたミュージック・マガジン誌だったか、書き下ろしの著書だったか定かではないが、「テネシー・ワルツ」を例に挙げ、声のコントロールはもとより、節回しの細かさ、正確な歌詞の発音、その歌詞の内容を踏まえた表現力、さらに完璧といえる歌唱力等々、評論家というより一ファンとして絶賛していた。1月1日に亡くなったパティ・ペイジが余程好きだったのだろう。

 「テネシー・ワルツ」が大ヒットしたことから、その後リリースされる曲に原題に関係なく「泪のワルツ」、「ワンワン・ワルツ」、「君待つワルツ」のタイトルが付けられ、すっかりワルツの女王の称号が似合うペイジだが、スタンダードを歌っても実に上手い。エマーシー盤の対をなす「The East Side」と「The West Side」は、ジャズヴォーカル・ファンに注目されたアルバムだが、同レーベルにもう1枚見逃せないアルバムがある。サラ・ヴォーンやキャノンボール・アダレイにも同じタイトルがあり、エマーシー・レーベルの専売特許ともいえる「In the Land of Hi-Fi」だ。タイトルだけでジャズファンなら手が出るだろう。

 アレンジは先に挙げた作品と同じくピート・ルゴロで、J.J.ジョンソンやピート・カンドリ、バド・シャンクが参加した豪華版だ。「Taking A Chance On Love」や「Love For Sale」といったミディアムテンポで歌う曲もスケールの大きさを感じさせるが、なんと言ってもパティの魅力はスロー・テンポでじっくり歌い上げるところにあり、ドラマティックな展開の「The Thrill Is Gone」は聴き応え十分である。興奮が覚めて、ときめきがなくなってしまったわ、という過ぎ去った恋を回想する歌だが、パティ自身そんな経験をしたのだろうか、と思わず顔を覗きたくなるような展開で、まさにスリルさえ走る。

 パティ・ペイジはバックコーラスを雇う予算がなかったため複数のパートを一人で歌って多重録音をした最初のシンガーとしても知られているが、先のヒット曲の他にも「モッキンバード・ヒル」や「ユー・ビロング・トゥ・ミー」、「ふるえて眠れ」等々、自身のウェブサイトによると、ビルボードチャートの40位までに入ったのは84曲にのぼるという。ポピュラー史の1ペイジを大きく飾った偉大なシンガー、享年85歳。テネシー・ワルツは永遠に流れる。
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52丁目ぶらり散歩

2013-01-13 09:34:46 | Weblog
 87分署シリーズで知られる作家エド・マクベインが、エヴァン・ハンターの別名で書いた「黄金の街」(原題Streets of Gold)は、マンハッタンの52丁目を舞台にしたジャズ小説でパーカーやパウエルをはじめ数多くのジャズメンが実名で登場している。52丁目には「バードランド」、「ヒッコリー・ハウス」、「フェイマス・ドア」等、ライブ盤にも記録されている著名なジャズクラブが密集していたことからジャズ・ストリートと呼ばれていた。

 ガレスピーは、「52丁目は私の母だった」と言っているが、その52丁目の雰囲気を曲にしたのはモンクで、「52nd Street Theme」というタイトルが付いている。どういうわけかモンク自身のリーダー録音はないが、弟分のバド・パウエルがこの曲を得意としていて、昨年マシュマロレコードから発売された「In Scandinavia」のコペンハーゲンのセッションでも演奏していた。ニールス・へニング・オルステッド・ペデルセンのベースと、ヨーン・エルニフのドラムによるトリオで、62年に録音されたものだが、この時期のパウエルとしては驚くほど快調で、絶頂期にみられた閃きと唸り声も聞かれる。

 唸り声についてはライナーノーツを執筆した拙コメント欄でもお馴染みの珈琲パウエルの店主が触れておられるが、「唸り声は彼の演奏の一部」という件は思わずウーウーとうなずいてしまった。この曲での唸りはベースラインが膨らむほど激しくなるが、当時16歳のペデルセンに刺激を受けたことは容易に察しがつく。パリ時代のパウエルを老いたセイウチと評したのは大江健三郎だったが、16歳の天才少年の目にバップを疾走したピアニストはどう映ったのだろう。たとえ老いたセイウチに見えたとしても、パウエルから学んだものは大きいはずだ。セイウチの牙は生涯を通じて伸び続けるという。

 直井明氏の「87分署インタビュー」(六興出版)によるとマクベインはこの小説を書き上げたあと、ピアニストのジョン・ミーガンに見せてジャズの技術的な精度について意見を求めている。「いいかね、この本には大切なものが欠けているよ。君が描いた主人公からジャズを演奏する歓びというものが感じられないんだ」と指摘され、書き足して完成させたそうだ。晩年のパウエルの演奏が絶頂期よりも人を惹きつけるのは、ジャズを演奏する歓びにあふれているからかもしれない。
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年の初めに聴いたビックス・バイダーベック

2013-01-06 08:25:56 | Weblog
 皆様、あけましておめでとうございます。早いものでブログを開設して8年目に入りました。ジャズが好き、というだけで先のことなど考えずに書き始めたブログですが、こうして長きに亘って続けることができたのは多くのジャズファンの皆様からアクセスをいただいているからです。そしてコメント欄で展開するベスト3企画に三度の飯よりもジャズが好きな皆様のご参加があったからこそです。

 さて、正月にはどんなアルバムを聴かれたでしょうか。幾つになっても年の初めは気持ちが引き締まりますし、襟を正して歩こうと思います。それは原点を見つめ直す機会かもしれません。そのような意識があったのでしょうか、私はビックス・バイダーベックを取り出しました。ルイ・アームストロングのトランペット・スタイルが主流だった1920年代に、まったく新しい表現方法でジャズ史上初めて白人ジャズを確立したコルネット奏者です。27年に黒人プレイヤーにまで影響を及ばしたといわれるサックス奏者のフランキー・トランバウアーと組んだ「Singin' The Blues」では張りのある艶やかな音色が聴けます。

 そして、ビックスの伝記映画「Bix」の邦題になっている「ジャズ・ミー・ブルース」に於ける感情がコントロールされたソロはご来光のような輝きと美しさを放っております。ビックスは28歳の若さで肺炎をこじらせて亡くなっておりますが、それは世界大恐慌で銀行に預金していた大金が水の泡になり、それが精神的に大きなショックを与え、また大酒がその肉体を蝕んだといわれております。精神的な不安定といい、アルコール依存といい、そして太く短い人生といい、ビックスが確立したジャズ・スタイルは今でも脈々と受け継がれておりますが、その生き方もジャズマンを代名するものだったのかもしれません。

 正月にビックスを聴いたのは懐疑的ではなく、時代を超えた新しさがあるからです。そこにはここから始まる、というメッセージも込められているように思います。今年もそんな何年経とうと色の褪せることがないジャズを話題にしていきます。ベスト企画が中心のコメント欄ですが、ジャズに関するご質問、ご感想もお待ちしておりますので、まだコメントをされていない方も是非ご参加ください。今年もよろしくお願いします。
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