デューク・アドリブ帖

超絶変態ジャズマニア『デューク・M』の独断と偏見と毒舌のアドリブ帖です。縦横無尽、天衣無縫、支離滅裂な展開です。

アンディサイデッドの作者は?

2012-02-26 07:35:26 | Weblog
 ジャズファンなら一度は聴いているレコードがある。ジャズ喫茶通いをされていた方なら間違いなく耳だこだろう。「ブルースエット」このタイトルを聞くだけで蝶が舞うようなジャケットが浮かび、ゴルソン・ハーモニーの魔法にかかったファイヴ・スポット・アフター・ダークのメロディばかりかフラーやフラナガンのソロも聴こえてくるかもしれない。さて、次の曲は?と訊かれて迷わず答えられるだろうか。

 これが不思議なことにメロディは出てくる。それはおそらく「ブルースエット」という完成されたレコードが持つ心地良い音の流れであり、片面に収められた曲全てが1曲目からの延長といえるほどハーモニーに統一感があるからだ。その2曲目の「アンディサイデッド」の作者は?迷わずチャーリー・シェーバースと答える方は少ない。「アンディサイデッド」と「シェーバース」のキーワードでネット検索をしてみると拙稿がヒットするくらいで、あとは電気カミソリである。それだけ曲も作者も話題にならないのだろう。かく言う小生も若いころ作者は知らず、他の演奏で聴いたとき思わずゴルソンの曲だと言って笑われた。

 そのアルバムはスペックス・パウエルの「ムーヴィン・イン」である。パウエルはバップ初期から多くのセッションに起用されたドラマーで、その人望は厚く、ライナーノーツはガレスピーが担当したほどだ。またパーシー・フェイスやポール・ウェストンからも賛辞の声が寄せられていることから活躍の場は相当広かったのだろう。小編成のビッグバンドスタイルだが、レイ・コープランドをはじめジミー・クリーヴランド、サヒブ・シハブ、ハンク・ジョーンズ、ナット・ピアースという名手が参加し、「カンパニー」のボスを大いに盛り立てている。力強く、正確で安定したドラミングは派手さこそないが貫禄がありボスに相応しい。

 「アンディサイデッド」はスウィング期に作られた曲ということもあり、最近はあまり聴かれないがシンプルなメロディながら躍動感があり美しさも兼ね備えている。多くのバンドで名ソロを刻んできたシェーバースならではの曲だ。モダンスタイルで演奏しても何ら遜色のないこの曲の作者を訊かれたなら、「Undecided」には「迷う」という意味もあるが、迷わずチャーリー・シェーバースと答えよう。
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キャロル・カーに乗って

2012-02-19 08:37:10 | Weblog
 日産エスフローや、ホンダEV-STERの国内自動車メーカーの最新モデルをはじめ、ジャガーXJ、ポルシェ911カレラSの外車、ハーレーダビッドソンやMVアグスタのオートバイが眩い輝きを放って並んでいる。昨日、北海道で初となる「札幌モーターショー」を見てきた。北海道が自動車生産の拠点として成長していることをアピールするのが狙いで、賑わいをみるとその狙い通りだったのだろう。

 イベントに欠かせないのが華やかなコンパニオンで、各社のイメージモデルを鑑賞するのもまた楽しみのひとつである。さすがにジャケット写真のようにボンネットに腰かけているモデルはいなかったが、キャロル・カーのように可愛らしい女性が各ブースで微笑んでいた。名前の「Carr」からジャケットに車、そしてイギリス出身のシンガーなので車種は英国からの「Imported Car」であるトライアンフを用意するという、このストレートでイージーな発想は、毎週短絡なこじつけをするどこかのブログに似ていて大変好感が持てる。(笑)キャロルはバーニー・ケッセルをバックに歌ったドロシー・ケアレスの妹になるが、さて軽自動車の乗り心地は、いや歌声はどうだろう。

 アルバムトップは「They Can't Take That Away From Me」で、ガーシュイン兄弟がアービング・バーリンに敬意を評した曲である。艶と張りがある声はバディ・コレットも参加しているビッグバンドに自然と馴染み、バックと絶妙に呼応する歌唱はスケールの大きさを感じさせる。ジャケットからはハリウッドに進出したイギリスのシンガーのお披露目的要素が強いが、内容は競争の激しいアメリカで活躍できる実力をみせた形だ。この曲の名唱として知られるアニタ・オデイと聴き比べるとまるで違う歌詞にさえ聴こえるクイーンズ・イングリッシュの発音が美しく、歌詞の意味合いを学ぶなら最適のアルバムといえる。

 モーターショーに展示された車は電気自動車が多かった。いずれ枯渇する石油資源を見据えての開発だろうが、ガソリン車独特のエキゾーストノートが聞かれないのは寂しい。あの美しい音はレコードのノイズに似ている。そしてガソリンが焼ける排気の匂いは輸入盤のシュリンクを外したときに香るビニールのようだ。ガソリンを満タンにした輸入車で地平線まで延びる道路を走るのは夢なのかもしれない。
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さっぽろ雪まつりで聞いたガール・トーク

2012-02-12 09:03:17 | Weblog
 先週から北海道で最も大規模なイベントである「さっぽろ雪まつり」が始まった。日本全国や海外からの観光客が工夫を凝らしたタージ・マハルをはじめ、雪の水族館、ミッキーマウス等の大雪像に感嘆の声を上げる。雪国に暮らす人にとって、雪はとかく邪魔物扱いされるが、雪の降らない地方や暖かい国の方から見るとそれはロマンあふれるものだろう。今日が最終日だが、この祭りが終わると春は近い。

 開催期間中は200万人を超える人たちが訪れるだけに近辺の居酒屋はどこも賑わっている。たまに寄るジャズが流れる店に席を取ったが、ピーターソンの音が消されるほど近くの若い女性数名のテーブルは初めて見た雪像に感激したのかテンションが高い。そのうち男性の前では話せないような世間話に花が咲くのは女子会の常か。そんな様子を曲にしたのはベイシー楽団に多くの楽曲と編曲を提供したニール・ ヘフティだ。ロマンティックでわくわくするメロディは代表作であるリル・ダーリンに通じるものがあり、少しテンポを落として演奏するとより輝きを増す「ガール・トーク」である。

 この曲をギターソロで表情豊かに演奏したのは、チェット・アトキンスをして「現代最高のギタリスト」と言わしめたイギリスのマーティン・テイラーだ。前知識もなく聴くとそれこそレス・ポールが発明した多重録音かと思うほどで、メロディ、ベース・ライン、コードを同時に弾きこなす超絶技法に圧倒される。顔つきから見るとジェームズ・ボンドに追われるスパイのようだが、スタイルはジム・ホールに似た感じでどことなく品がある。ホールに品がないというわけではなく、それはアメリカと違ってブルースという環境に置かれていなかったため泥臭さがないという意味である。テイラーを聴くとギターはまだまだ無絃、いや無限の可能性を秘めていることに気付く。

 居酒屋には自分からぶつかっても謝りもしない某国や、空いているテーブルがあると自分の席だと言い張るどこぞの国の観光客もおり国際色豊かである。日本語以外知らない小生には何を喋っているのか分からないが、アルコールが回ったガール・トークも外国語と思って内容は知らないほうがいい。肴になるのは融通の利かない上司と浮気癖のある彼氏である。ハクション!雪まつり見物で風邪をひいたか。
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ジャスト・ワン・オブ・ゾーズ・シングスをフレンチスタイルで

2012-02-05 08:03:12 | Weblog
 常にジャズシーンをリードしていたマイルスは、56年に黄金のクインテットを一時解散している。コルトレーンとフィリー・ジョー・ジョーンズの麻薬が激しくなりバンドの維持が困難という判断だ。ジャズマンの麻薬依存は「よくあること」だが、完璧を求めるマイルスにとってそれはマイナス要因にしかならない。そんな時、フランス人のプロデューサー、マルセル・ロマーノからヨーロッパでのコンサートの声がかかった。

 単身パリに渡ったマイルスはフランスのミュージシャンとツアーを組むのだが、これも「よくあること」で計画通りにいかない。そこでロマーノは出来なくなった分のギグの埋め合わせにと映画音楽の仕事を持ちかける。それはツアーのメンバーと録音に臨んだ「死刑台のエレベーター」で、地元で集められたメンバーは旧友のケニー・クラークをはじめ、当時巷の話題になっていたテナー奏者バルネ・ウィラン、のちにバド・パウエルと共演したベースのピエール・ミシェロ、そしてフランス一のバップ・ピアニストといわれたルネ・ユルトルジュである。映画のサントラ盤ではほとんどソロを聴けないが、そのバップフレーズをたっぷり楽しめるのが・・・
 
 「HUM」で、ミシェロとフランス一のドラマーを夢見るダニエル・ユメールの頭文字をとったトリオ盤だ。トップに持ってきた曲は、「よくあること」という邦題が付いているコール・ポーターの「ジャスト・ワン・オブ・ゾーズ・シングス」で、ただでさえ印象的なテーマをドラムのビートに負けない強さで弾き出す。圧巻はユメールとの四小節交換で、ユメールもドラムという楽器が持てる音全てを巧みに叩きだすのだが、ユルトルジュの高音を生かしたソロもまた変幻自在だ。この火の噴くようなスピード感あふれる演奏にもかかわらず大変美しい。それはクラシックの素養というより楽曲の美しさを引き出す才能だろう。

 今ではアメリカのプレイヤーがふらりと外国に出かけ、その国のミュージシャンとレコーディングするのは「よくあること」だが、60年という時代では珍しいセッションだ。マイルスもおそらく期待していなかっただろうが、パリのジャズマンの実力の高さに驚いたかもしれない。ユルトルジュはパウエルに影響された「よくいる」ピアニストではなかった。そしてこのアルバムも「よくある」模倣の演奏ではない。
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