デューク・アドリブ帖

超絶変態ジャズマニア『デューク・M』の独断と偏見と毒舌のアドリブ帖です。縦横無尽、天衣無縫、支離滅裂な展開です。

トミー・フラナガンは金環日食を見たか

2012-05-27 08:12:53 | Weblog
 先週21日に観測された幻想的な金環日食をご覧になっただろうか。天文学の進歩で100年先まで観測地と年月日まで計算されているとはいえ、天候に恵まれなければ見ることができないのでこの天体ショーに出会うのは奇跡といっていい。首都圏で見られるのは173年ぶりというから計算した天文学者でさえ日本で目の当たりにするのは初めてだろう。ここ札幌では部分日食だったが、早朝から多くの方が空を見上げていた。

 日食ときいて取り出したのはトミー・フラナガンの「エクリプソ」だが、よくタイトルを見ると「Eclypso」で、日食の意味である「Eclipse」とは少し違っている。ならばビリー・コブハムの「Total Eclipse」に変更しようとも思ったが、既にレコードがターンテーブルに乗っているので今週はこの名盤にしよう。フラナガンと親交がある寺井珠重さんによるとフラナガンの代表曲でもある「エクリプソ」は、「Eclipse」と「Calypso」を合わせた造語だという。一種の言葉遊びだが、日食を思わせる神秘的なメロディとカリプソのリズムが溶け合った曲に相応しいタイトルで、タイトルひとつにもフラナガンの思い入れがあるのだろう。

 77年の録音でエルヴィン・ジョーンズが参加していることから57年の大名盤「オーヴァーシーズ」を思い起こさせるが、よくありがちな焼き直しではない。トップは数あるロリンズのオリジナル曲でもバップの風味が強い「オレオ」で、流麗なタッチに加え鍵盤の奥から響き渡る低音がツボを刺激し、えも言われぬ快感が襲ってくる。マイルスが異なるフォーマットで何度も録音しているが、編成を変えてまで挑みたくなるのがこの曲の奥深いところだ。それを最小のピアノトリオで最大の表現をできたのは、「サキソフォン・コロサス」でロリンズと共演したフラナガンが作者の意図を汲んでいたからに違いない。

 今年は天体ショーがいくつか発生する当たり年だそうで、6月には金星の日面通過が見られるという。この現象が次に観測できるのは105年後というからまさに世紀の天体ショーである。100年に一人しか現れないフラナガンやロリンズと同じ時代を生きている我々はよほど恵まれているのだろう。そして100年に1枚の傑作「オーヴァーシーズ」と「サキソフォン・コロサス」を聴けるのは奇跡かもしれない。
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リーダー作1枚で消えたアール・アンダーザとは何者か

2012-05-20 08:03:46 | Weblog
 リーダー作はなくてもサイドメンとして多くのセッションに名を連ねているプレイヤーは数多くいる。リズムを刻むことに徹したベーシストやドラマーが多いが、十分な実力とアイデアもあり、リーダーとしての資質を持っているホーン奏者でもその機会に恵まれなかった人を挙げればきりがない。ところがサイドメンとして一度も起用されたことがないのにリーダー作を1枚残しているプレイヤーがいた。

 アール・アンダーザというアルト奏者だ。知名度の低いプレイヤーや一般受けしないジャズは、マイナーレーベル或いは自費出版という形でレコード化されるが、発売レーベルは名門のパシフィック・ジャズである。いきなりリーダー作を出すほど期待されていたのが窺えるが、原文ライナーノーツを頼りに謎の人物像を探ってみるとパーカーとともに最も影響を受けたのはリー・コニッツだと語っている。そして兄弟子にあたるエリック・ドルフィーと一緒に音楽教師ロイド・リースに師事したという。これらの資料を基に推測するとパーカーのアイデア、コニッツの理論、そしてドルフィーの前衛性が柱になっていると思われる。

 さて、肝心のアルバムを聴いてみよう。「オール・ザ・シングス・ユー・アー」や「ユード・ビー・ソー・ナイス」というスタンダードとオリジナルの程よい選曲で、懸命な聴き方ではないとはいえ他のプレイヤーと比較しやすい内容だろう。パーカーに通じる閃き、コニッツのような瑞々しさ、ドルフィーにみられるアヴァンギャルド性、確かに豊富なアイデアに恵まれているようだ。そしてバラードは歌心を量るうえで重要な選曲だが、ここでは「ホワッツ・ニュー」を吹いている。テーマをドラマティックに歌いあげるあたりはバラード解釈も見事といえよう。少々耳障りな高音が続くのが気になるが、これはオーネット・コールマンの語法ともいえる。

 ジャズ評論家のアイラ・ギトラーが高く評価していたことが肯ける内容だが、何故この作品1作だけを残して表舞台から姿を消してしまったのだろう。憶測の域を出ないが、あらゆるスタイルを身に着けてしまったため自身の方向性が見つからなかったのではないか。そしてパシフィック・ジャズが求める62年当時の「正統派の音」ではなかったのかもしれない。多才な人はときにその才能につぶされるという。
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アナ・マリア・アルバゲッティをモデルに美しい顔の要素を検証してみよう

2012-05-13 07:32:12 | Weblog
 心理学者のカニングハム博士は美しい顔の要素を研究するため、顔の各部の計測値と魅力との間の相関を調べている。それによると大きければ大きいほど魅力的なのは、目の縦幅と横幅、両目の間隔、鼻の両穴の間隔、頬骨の位置と顔の幅、目から眉毛までの距離、瞳孔の大きさ、開き具合、口の横幅だそうだ。そして特に重要なのは、目が大きいこと、鼻が小さことこと、口が大きいこと、顎が尖っていることだという。

 さて、ジャケット写真のアナ・マリア・アルバゲッティをモデルにこれらの要素をどれだけ満たしているか調べてみよう。正面からだと平面的になり判りにくいが、このアングルだとより輪郭が明らかだ。なんとこれが理想的な顔で、女性の顔の好みは人それぞれとはいえ、アナ・マリアに魅力を感じない男性は少ないと思われる。高級なワインがすすむイタリア料理のような名前から想像付くようにローマ生まれだが、その美女をハリウッドが放っておくわけがない。1950年にカーネギー・ホールでアメリカ・デビューを果たしたアナ・マリアはステージやテレビ、映画に出演するとたちまち評判が立つ。

 この可愛らしい表情でタイトルの「貴方には抵抗できないわ」なんて言われたら卒倒しそうだが、声もまた「天使の声」と形容されるほど透明感があり美しい。幼い頃から声楽を学んでいただけありクラシック的な発声だが、そのオペラ的歌唱が映えるゆったりとしたバラード中心の選曲とヴァン・アレキサンダーの編曲が心憎い。オープニングはジミー・ドーシーの「アイム・グラッド・ゼア・イズ・ユー」で、ストリングスに溶け込むように歌いだすのだが、とても21歳の歌唱とは思えないほど落ち着いている。清純さからイタリア版ジョニ・ジェームスと喩えられるように爽やかで気品があり、歌い方も丁寧だ。

 カニングハム博士は男性が魅力を感じる特徴として大きな目や小さな鼻といった「幼児性」、突起した頬骨、細面の「成熟性」、そして満面の笑みという「表現性」を挙げている。これら全てに当てはまり、さらに美声、ジャケットは上半身だけだが、脚もスラリと長く抜群のスタイルである。このような美女は外見は完璧でも性格に問題があるのではないか等と粗探しをしたくなるものだが、芯もしっかりしているようだ。これをイタリア語でアルデンテという。うん、あれはスパゲッティか。
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J.R.モンテローズのレコード全てが幻だった時代

2012-05-06 07:34:31 | Weblog
 1974年に発売されたスイングジャーナル増刊「幻の名盤読本」の巻頭グラビアページにマニア垂涎のレコードが並んでいる。当時でも状態が良ければ10万円を越えるものばかりで、国内はおろか海外でも再発されたことがないものばかりだ。そのなかにJ.R.モンテローズのJARO盤「The Message」が紹介されている。JAROというレーベル自体、5タイトルしかリリースしていないだけに希少性も高い。

 さらにモンテローズのリーダーアルバムは少ないうえ、今でこそ簡単に聴けるブルーノート盤でさえこの本に載るほど珍しい時代だった。そしてもう1枚、プレス数が1000枚にも満たない超貴重盤が「あるらしい」とささやかれていたのが、先日CDで発売された「イン・アクション」である。ロック・アイランドにあったマイナー・レーベル「studio 4」によって64年に録音されたものだが、モンテローズが当時活動拠点としていたナイトクラブで売るために作られたものでレコード店ではほとんど売られていない。その「あるらしい」という噂はたまたまアメリカ帰りのジャズファンが自慢げにジャズ喫茶に持ち込んだことから広まったようだ。

 このアルバムはVSOPレーベルで80年に再発されているので既に聴かれている方は多いと思われるが、地元のトリオをバックにしたワンホーンの噂に違わぬ名演をとらえている。チャールス・ミンガスの「直立猿人」で聴かれる攻撃性と、ケニー・ドーハムのジャズ・プロフェッツでみせた繊細なプレイは、全米はもとよりヨーロッパまでテナー1本を携えて放浪したモンテローズならではの奔放さがあり、中央のジャズシーンよりも地方で活動することを好んだ束縛されないジャズ観が滲み出ている。レコード会社の指示に従い広く売れるアルバムを作るのもジャズが支持されるために必要なことだが、信念を貫くのもジャズのひとつの在り方だろう。

 「幻の名盤読本」にはその当時入手困難な700枚のアルバムが挙げられているが、今ではそのほとんどを聴くことができる。その全てが名盤とは限らないものの陽の目を見たことで生涯欠かせないコレクションが増えた人や、ジャズの素晴らしさを発見された方もいるかもしれないが、この本で紹介されているのはほんの一部にしか過ぎない。掘り出せばまだまだ幻の名盤は存在する。だからジャズはやめられない。
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