デューク・アドリブ帖

超絶変態ジャズマニア『デューク・M』の独断と偏見と毒舌のアドリブ帖です。縦横無尽、天衣無縫、支離滅裂な展開です。

捧ぐるは愛のみ、と彼女に言ったのだろうか

2011-01-30 08:06:53 | Weblog
 定期的に立ち寄る中古レコード店への道すがらジュエリー店のショーウィンドを覘きこむ若いカップルを見かけた。なかなかにチャーミングな女性で、ガラスの向こうに輝く宝石と連れの男性を交合に見つめながら楽しそうに話している。私に似合うかしらとダイヤのブレスレットでもねだっているのだろうか。その男性の表情は窺えぬが、腕を組んだり、頭をかいたり、財布と相談して困った様子が遠目にも推測できる。

 若い二人の会話は聞こえぬが、おそらく「僕には今、こんな高価なものを買えるお金はないけれど、君のことをとっても愛しているよ」と、ニューヨークのティファニーでカップルが交わした内容と同じなような気がしてならない。1928年にこの会話を聞いて閃いたジミー・マクヒューが近くのスタインウェイのショールームに飛び込んで一気に書き上げたのが「I can't give you anything but love」で、世界大恐慌に突入した時代に大きな共感を呼んだという。恐慌であっても経済的に富んでいても今尚歌い継がれるのは、物質的な豊かさよりも心の豊かさを尊重する歌詞と、弾む珠玉のメロディにあるのかもしれない。

 本来、男性の歌だが、多くの女性シンガーが取り上げている。なかでもスウェーデンの歌姫モニカ・セッテルンドが、60年にニューヨークで録音された音源は行方不明になっていたことから幻と言われていた。ハノーヴァ社で録音されるも発売前に倒産し、そのテープはルーレット、さらに英EMIと紆余曲折があったもののようやく陽の目を見たまさに「ロスト・テープ」である。プロデュースしたのは、ドイツのピアニスト、ユタ・ヒップをアメリカに呼び寄せたレナード・フェザーで、何せ美人となると張り切る「エロデューサー」だ。モニカの身も案じられるがいらぬ詮索は止めにして、ヴァースから歌いだすゆったりとしたバラードに浸りたい。

 中古レコード店のエサ箱は多少入れ替えがあったようで、聴きたいレコードが何枚か箱の奥で輝いていた。札幌は東京と比べ値段が高いのは承知しているが、腕組みするもつい手が伸びる。店を出た後、よく考えると既に持っているレコードだと気付き頭をかいた。ジャズ痴呆症にはよくあることだ。馴染みのジャズバーにでも寄ろうかと財布と相談する姿は、先ほど見かけた連れの男性に似ていた。

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貴方はゲイリー・トーマスのエンジェル・アイズを許せるか

2011-01-23 08:13:43 | Weblog
 スティーヴ・コールマンやグレッグ・オズビーらが提唱したM-BASE理論は、変拍子の複雑なリズムを取り入れ、バップやモードというジャズの伝統的な語法を使用しないで演奏形式の革新を目指したものだった。そのM-BASE派のゲイリー・トーマスを最初に聴いたのは、ジャック・ディジョネットのスペシャル・エディションで、M-BASEの理論はともかくとしてそのテナーの音とメカニカルなフレーズはかなり強烈で、ジャズの革命児を思わせるほど斬新に聴こえる。

 そのトーマスがスタンダードを吹くとどうなるのだろう。スター・アイズやザ・ソング・イズ・ユーを取り上げた90年の「While The Gate Is Open」も過激で驚いたのだが、92年の「Till We Have Faces」にいたっては表現のしようがない。書かなければ先に進まないので続けるが、スタンダードという概念で聴くと耐えられないということだ。旧態依然としたジャズの耳だと笑われそうだが、幾多の音源を長く聴き続けたうえでの感想である。エルヴィンを思わせるポリリズムのテリ・リン・キャリトンのドラムに、これまた拍の一致しないリズムで追い討ちをかけるトーマスとの激しい掛け合いのイントロが続く。フランク・ロウやサニー・マレイのESP盤ならこのまま果てしなく闘いが続のだが・・・

 やおら聴き慣れたメロディが出てくる。よりによってマット・デニスが作曲したブルー・バラードの傑作、エンジェル・アイズだ。スタンダードをどのように演奏するかは奏者の勝手であり自由で、それが奏者としての個性であり、解釈を束縛しないジャズの魅力なのだろうが、基本的に美しいものは美しく表現してこそ真価が発揮されるというものだ。トーマスの作曲家としての才能やラップに挑戦する意欲、オルガンをフィーチャーしてオルガン・ジャズの新境地を開いたことは認めても譲れないものもある。スタンダードを「演奏してみようか」ではなく、「表現してみたい」という姿勢こそ作者への敬意であり、そこから名演が生まれる。

 M-BASEの理論は新伝承派以降のジャズ発展に指針を示したものであり、無機的なフレーズの連続であってもタイム感もあることから70年代のフリージャズとは音楽性が異なるが、やはり主流には至らなかった。破壊しては再構築するという一連の流れはジャズ革新に欠かせないものであるし、それがジャズの発展につながるのは承知しているが、いかなる理論を持ち出そうとそこにスウィングが欠けているならそれはジャズとは呼ばない。

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銜えタバコのシェリー・マン

2011-01-16 08:25:26 | Weblog
 いっときもタバコを放せない人をチェーンスモーカーと呼ぶが、シェリー・マンもその一人だ。ジャズ誌に載る写真はプレイ中でもオフでもほとんどタバコをふかしているし、スーザン・ヘイワード主演の映画「私は死にたくない」のクラブシーンでもジェリー・マリガンのバックで斜にタバコを銜えながらドラムを叩いていた。灰が飛び散らからないのだろうかと心配になるが、マンほどのドラマーになると上体が揺れることがないので心配無用というわけだ。

 ウェスト・コーストを代表するドラマーとして知られるが、生まれもプロデビューもニューヨークで、43年にコールマン・ホーキンスのシグネチュア・セッションに起用され、そこでみせた「ザ・マン・アイ・ラヴ」の華麗なブラッシュ・ワークは今でも語り草になっている。カリフォルニアに拠点を移したのは50年代初頭だったが、それは当時ニューヨークのジャズメンの間に蔓延していた麻薬の誘惑から逃れるためだった。体を蝕むだけで何のプラスにならないことを周りのプレイヤーから学んだマンは、麻薬なしでも最高のドラミングができる自信があったからに違いないし、個々のソロを優先するイーストよりアンサンブルを重視するウェストの音楽的気質に惹かれたのかもしれない。

 ホーキンスと約20年ぶりの共演になる「2-3-4」を企画したのは、かつてシグネチュアで名演を生み出し、当時インパルスの名うてのプロデューサーだったボブ・シールで、コンテンポラリーの看板スターを高いコストをかけてまで借り出したのだから熱の入れようがわかる。再会セッションといえば当時を懐かしむだけの焼き直しに陥り易いが、この20年間常にジャズ最前線を走ってきたシールとマンとホーキンスのアイデアは録音された62年当時、最も斬新なアイデアであった。デュオ、トリオ、クァルテットと様々な編成で、マンの多彩なドラミングを余すところなく捉えているばかりか、ジャズの方向性まで示唆した画期的な作品といえるだろう。

 ヘンリー・マンシーニのビッグ・バンドや、ポップスのレコーディングに度々呼ばれ、正確なリズムをキープするサイドマンとしても引っ張りだこのマンは映画のワンシーンも飾っていた。55年のシナトラ主演の映画「黄金の腕」にショーティ・ロジャースとともに出演していたが、2箱、3箱、4箱とタバコの量は増えたものの実に健康そうだった。体を蝕むならタバコも同じではないか、と言われそうだが愛煙家の小生はそれは聞かなかったことにしよう。

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ジョン・ミーガンのジャズ理論

2011-01-09 08:13:08 | Weblog
 「音とリズムの原則」、「ジャズのリズムとインプロヴァイズライン」、「スウィングと初期のプログレッシヴ・ピアノスタイル」、「現代のピアノスタイル」、並んだタイトルから今年はジャズ理論の講義でも開くのかい?と問われそうな仰々しいものだが、これは「ジャズ・インプロビゼイション」全4巻のサブタイトルだ。プロのジャズプレイヤーを志す人、特にピアニストなら一度は手に取り学んだことがあるかもしれない。

 著者はジョン・ミーガンで、ピアニストよりもジュリアード音楽院やイェール大学の音楽教師としてその名は知られている。ケニー・ドーハムと共演した「Casual Affair」やサヴォイ盤数枚しか残されていないこともありピアニストとしての知名度は著しく低い。サヴォイに残した55年の「リフレクションズ」は、ソロ5曲とデュオ5曲という構成でデュオの相手は驚くことにケニー・クラークだ。ピアノ・デュオで考えられる楽器はベースで、そのリズムはピアノのメロディラインを壊さないで、且つハーモニーを際立たせる相乗効果があるが、ビートを強調するドラムではピアノの左手のリズムに控え目に合わせるか、或いはドラムが歌うかである。

 そこは名手クラーク、ピアノの左手に同調するとともにメロディを膨らます繊細なドラミングで、曲にアクセントを付け、変則的なデュオでも怯むことはない。ミーガンのソロは理論が先走りした感じで「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」や「ナイト・アンド・デイ」というスタンダードでもクラシックの演奏タッチだが、ドラムが入ると、まるでクラークがかけたジャズマジックに掛かったように俄然とスウィングする。圧巻は「ザ・ソング・イズ・ユー」で、パウエルを彷彿させる起伏に富んだアドリブと、ミーガンが助手として仕事をしたテディ・ウィルソンのように歌い、理論を越え歌物が持つロマンとドラマを表現したといえるだろう。

 ジャズ理論だけではジャズを演奏できなければ、ジャズ理論なくしてもジャズは演奏できない。独学でピアノを学んだミーガンは、ニューヨークというジャズが生きているその場所でそれを肌で感じ取ったのだろう。現役で活躍しているジャズプレイヤーは現在たくさんいるが、次に担うプレイヤーが育っているだろうか。ミーガンがピアニストよりも教師の道を選んだのはジャズの次の世代を育てるためであったろう。ミーガンを師とするプレイヤーは多い。

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2011年ジャズ初め

2011-01-02 08:03:32 | Weblog
 皆様、あけましておめでとうございます。昨年は半年のアップに終わりましたが、多くの方にご訪問いただきありがとうございました。新規にコメント欄に参加されたかたもおり、こだわりのジャズ観が飛び交い賑わいました。ブログは自己満足の世界ですが、やはりコメントをお寄せいただくのが嬉しいですし、それが一番の励みになります。6年目に入るアドリブ帖ですが、今年も昨年同様、毎週日曜日更新を目標にしておりますのでよろしくお願いします。

 さて、今年の初聴きはどのアルバムでしたでしょうか。ここ数十年きまって「マレロのサンライズ」と呼ばれている「世界は日の出を待っている」に針を落とすのが年明けの習慣でしたが、今年はボビー・ハケットの「コースト・コンサート」を選びました。ビッグTことジャック・ティーガーデンと組んだ小編成のディキシーバンドですが、華やかで明るい演奏は新年に相応しい活力に漲っております。多くのビッグバンドで重宝されたハケットですが、端正なソフト・プレス奏法は小編成のバンドでソロが長いほどその魅力を最大限に発揮しますし、常に最高の音を追求する姿を最高の1年でありたいという想いに重ねたくなります。

 「ベイズン・ストリート・ブルース」や「マスクラット・ランブル」等、ディキシーランド・ジャズのスタンダード中心ですが、とりわけ素晴らしいのは「ザッツ・ア・プランティ」です。1914年に作られた曲ですので、ほぼ1世紀経ちますが、今尚色褪せない原色の輝きと美しさを持ったメロディ、そしてスウィングというジャズの核心ともいえるビートとリズム感を兼ね備えております。ハケットとティーガーデンの対話はお互いを尊重しながらときに熱く激しく、ときにユーモアを交えてディキシー・ジャズの魅力を伝えてくれます。今ではほとんど演奏されない曲になりましたが、「ビートが詰まった素晴らしいもの、それがジャズさ、ジャズの命さ」という歌詞の一節がこの曲とジャズの全てを語っているでしょう。

 そんな素晴らしいジャズの魅力を今年も宝箱から取り出します。モダンジャズを中心にディキシー、スウィングからフリージャズ、ヴォーカルまで幅広く話題していきます。メジャーな作品は出尽くした感がありますが、まだまだ聴かずに死ねない名盤、奇盤、珍盤はそれこそプランティです。ベスト企画にかかわらず、どしどしコメントをお寄せください。一人のプレイヤー、一枚のアルバムから広がるジャズ・ワールドをお楽しみいただければ幸いです。

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