デューク・アドリブ帖

超絶変態ジャズマニア『デューク・M』の独断と偏見と毒舌のアドリブ帖です。縦横無尽、天衣無縫、支離滅裂な展開です。

蕎麦屋の出前持ちがモーニンを口ずさんだ時代

2013-05-26 09:05:18 | Weblog
 1961年の正月にジャズ・メッセンジャーズが来日したのを機に日本に一大ファンキー・ブームが起こった。リー・モーガンにウェイン・ショーター、ボビー・ティモンズ、ジミー・メリット、そして御大アート・ブレイキーというジャズコンボ史に残る最強のメンバーだ。初日のコンサートの模様は81年に20年の時を経て発表されたのでお聴きになった方もあろう。圧巻はファンキーの代名詞ともいえるティモンズ作の「モーニン」である。

 油井正一氏が、「そば屋の出前持ちまでも、モーニンを口ずさんだ」と当時の様子を表現されていたが、同年に流行ったクレイジー・キャッツの「スーダラ節」や、フランク永井の「君恋し」に匹敵するほどの大ヒットだったのだろう。ゴスペルのコール・アンド・レスポンス形式に基づいて書かれた曲で、一度聴いたら忘れられないほど強烈なメロディでもあるし、アドリブでティモンズのブロック・コードが熱を帯びていく様は恍惚が頂点に達するエクスタシーに似ている。モーニン・ウイズ・ヘイゼルと呼ばれるクラブ・サンジェルマンの演奏で、ヘイゼル・スコットが歓喜の声を上げたのはこのトランス状態に陥ったからだ。

 ファンキー臭が漂うメッセンジャーズの代表曲は、アドリブの素材として魅力があるようで多くのプレイヤーがカヴァーしている。マーティ・ペイチがスマートなアレンジを施した演奏はとても同じ曲だとは思えないほど品があったが、やはり泥臭いほうが曲を面白くさせるようだ。ウエス・モンゴメリーのリバーサイド盤「ポートレイト」がその良い例で、ウエスの出身地であるインディアナポリス時代からの盟友、オルガン奏者のメル・ラインの参加でよりファンキー色を強めている。レコードに収録されたテイクは後に完全版が出たことからウエスの第2ソロ・コーラス部分がカットされたものとわかるが、それでも素晴らしい。

 ティモンズがこの曲を書いた1959年当時、ティモンズとリー・モーガン、そしてジョン・ヘンドリックスは同じ安アパートに住んでいた。毎夜誰かの部屋に集まっては、ジャズ議論を交わし、人生を語ったのだろう。ティモンズのピアノに合わせて即興でヘンドリックスは歌詞を付けた。日本のザ・ピーナッツが歌っていたのはこの歌詞である。ヘンドリックスでなくても蕎麦屋の岡持ちのように口ずさみたくなるテーマだ。
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トップ・オブ・ザ・ゲイトの秋吉敏子

2013-05-19 09:02:38 | Weblog
 昨年の暮れに馴染みのジャズクラブで、ジャズ批評誌にも寄稿されている札幌在住のライター、川田貞家さんにお会いする機会があった。何度もアメリカのジャズクラブを訪れている方で、たまたま持ち合わせていた出演者のメモ書きを見ながら毎夜熱いアドリブが聴けるスポットをご説明いただいた。そのなかにトップ・オブ・ザ・ゲイトがあり、初めて知ったのだが、ヴィレッジ・ゲイトの二階だという。

 ヴィレッジ・ゲイトはハービー・マンやクリス・コナーのライブ盤でよく知られたクラブだが、トップ・オブ・ザ・ゲイトとなるとライブ盤も少ないことから知名度が低い。ようやく見つけたのは秋吉敏子の68年のアルバムで、日本のジャズ専門レーベルの草分けとして知られるタクトからリリースされたものだ。ケニー・ドーハム、ロン・カーター、ミッキー・ロカー、そして後に夫となるルー・タバキンが参加したクインテットで、メンバー紹介とともに当時の秋吉人気が窺える大きな拍手が沸く。演奏された曲はほとんど自作曲だが、ライブらしくボサ・ロック調のリズムを用いた「黒いオルフェ」で盛り上げている。

 女性の年齢に触れるのは甚だ失礼とは思うが、アメリカというジャズの本場に単身で渡った勇気ある女性を称えるという観点でお許し願おう。秋吉がバークリー音楽院に留学のため渡米したのは56年のことで、卒業後もニューヨークに留まり演奏活動を続けている。このライブのとき、秋吉は39歳で、渡米してから12年経っている。年齢的には人生観がくっきり現れ、生活的にはアメリカのジャズ状況を知り尽くし、音楽的には自身のスタイルも完成したころだ。ライブとはいえ「黒いオルフェ」というバップ一筋の秋吉には似合わない選曲も余裕の表れだろう。アメリカで自立した音楽家の演奏はとても眩しい。

 川田さんは小生よりも一回りも年上の大先輩だが、矍鑠とされていて件のジャズクラブではアドリブが決まると大きな拍手を送っていた。そしてプレイヤーにかける声も一際大きい。今年いただいた年賀状には今年もアメリカのジャズスポットを巡ると書かれていた。またお会いしたときのレポートが楽しみだし、何といっても秋吉や渡辺貞夫が勉強を重ねていた日本のジャズ黎明期を知る方の体験は貴重だ。

敬称略
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ラッピングされたリー・スコットを味わう

2013-05-12 08:23:15 | Weblog
 5月に入っても高地や峠で雪が降るのは珍しくない北海道だが、東部では平地でも8年ぶりに積雪が観測されたという。ここ札幌では雪こそ降らないものの、連休中は天気が悪いうえ寒い。ここ数年この時期には咲いていた桜もその気配さえ感じられないほどだ。そんな寒い5月を題材にしたジェローム・カーンとオスカー・ハマースタインのコンビによるミュージカルがあり、そのなかの1曲が「オール・ザ・シングス・ユー・アー」である。

 うん?そのミュージカルは寒い5月ではなく、暖かい5月の「Very Warm for May」では?5月に一度話題にしようと思っていた曲なので、この際気温のことはご勘弁願おう。このミュージカルは失敗で、これが原因でカーンはブロードウェイを去ることになるが、曲は今でも歌われ演奏されるほどの大スタンダードだ。カーンは1939年当時のポピュラー音楽にそぐわないほど複雑な技法を用いて作曲したことにより自己満足したそうだが、転調を繰り返すこの難曲はプレイヤーからみると魅力があるとみえて一度は演奏している。一方、ヴォーカルとなると決定的な名唱がないといわれているし、実際これだ、というのを聴いたことがない。

 さて、その難曲をラップに包まれた美女が歌っている。タイトルは「Especially for you」で、「あなたのために特別よ」と言われると、躊躇なく中味度外視のジャケ買いだ。このリー・スコットというシンガー、声はジャケ同様甘いものの、温かみがあり、まるで柔らかい空気で包まれたようなぬくもりがある。ギターとフルートをバックにした歌い出しは滑らかで、どこか品があり清楚な感じさえ受けるし、ややフェイクをかけるもののメロディに忠実なあたり曲の持ち味を熟知しているのだろう。「ユー・ビー・ソー・ナイス」や「瞳は君ゆえに」、「ソング・イズ・ユー」といった奇を衒わない選曲はジャケットを飾っておくだけでは勿体ない。

 ♪ You are the promised kiss of spring time・・・「あなたは春の訪れを約束する口づけ」という歌詞のように、寒い寒いと言いながらも北海道にも春がやってきた。桜の開花予想日は例年より1週間ほど遅いが、札幌は今日12日である。♪ Time and again I've longed for adventure・・・ヴァースは「いつもいつも冒険に憧れてきた」と歌われる。さぁ、春の街を冒険しようか。リー・スコットのような美女と巡り会えるかもしれない。
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あら、これがアランフェス協奏曲なの

2013-05-05 08:31:49 | Weblog
 クラシック音楽しか聴かないという人でもジョージ・ガーシュウィンの名前を知っているという。「サマータイム」や「アイ・ガット・リズム」ではなく、「ラプソディ・イン・ブルー」の作曲家としてだ。同じように音楽とはジャズだと信じきっている小生のようなベートーベンもモーツァルトも同じに聴こえるクラシック音痴もスペインの作曲家ホアキン・ロドリーゴの名前だけは忘れられない。そう、あのマイルスで有名な・・・

 「アランフェス協奏曲」である。この曲とて、もしマイルスがビッグトーンで鳴らしたベーシスト、ジョー・モンドラゴンの家に立ち寄ったときにレコードを聴いていなければジャズファンは知らなかったかもしれない。モンドラゴンにギターのパートをトランペットで吹いてみたら、と勧められてのことだ。そのメロディに魅せられたマイルスは、音の魔術師であるギル・エヴァンスとタッグを組んで「スケッチ・オブ・スペイン」という一大絵巻を創り上げた。さまざまな楽器を配した大胆且つ緻密なギルのアレンジに、良くコントロールされたマイルスの音色が重なったときの美しさは、ジャズ芸術と呼ぶに相応しい。

 元はギターの曲ということもあり、ギタリストがよく取り上げているが、バルセロナ出身のテテ・モントリューが果敢にピアノで挑戦している。原曲の持ち味を損なわないようにテーマは物静かにソロで入り、そこにジョージ・ムラーツのベースとルイス・ナッシュのドラムがタイミングよくからむ。短い演奏だが最後まで美しさにこだわる演奏だ。そしてアップテンポの「星影のステラ」、バラードの「イージー・リヴィング」と鮮やかな選曲のコントラストである。かつてベン・ウェブスターは、「ヨーロッパで最もスウィングするピアニスト」とテテを褒め称えていたが、その言葉は決して社交辞令ではないことがわかるだろう。

 いつだったかクラシック音楽を愛好する知人の家でオーケストラをバックにナルシソ・イエペスが演奏するアランフェス協奏曲を聴く機会があった。知人はジャズしか知らない小生でも聴いたことのある曲という配慮だったのだろうが、なかなかあのメロディが出てこない。マイルスが吹いた哀愁を帯びた旋律は第2楽章だと知ったのは随分後のことだ。いつになってもクラシック音痴だけは治りそうもない。
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