デューク・アドリブ帖

超絶変態ジャズマニア『デューク・M』の独断と偏見と毒舌のアドリブ帖です。縦横無尽、天衣無縫、支離滅裂な展開です。

人生の秋にセプテンバー・ソングをリクエストしよう

2011-09-25 08:07:59 | Weblog
 今は無きスイング・ジャーナル誌がジャズ・ジャーナリズムを独占していた頃、読者の投票からリストアップしたリクエスト・アルバムの企画があった。一部のジャズファンからは冷ややかな目で見られていた読者に迎合する企画だが、今思えばジャズ誌が生き残るための策だったのだろう。企画の是非はどうであれ、一方的な発信である活字媒体に読者が参加し、その声が音になるのは画期的だった。

 その寄せられた曲を演奏するのはバド・シャンクと、サイラス・チェスナット、ジョージ・ムラツ、ルイス・ナッシュで編成されたリズム・セクションである。題してバド・シャンク・ミーツ・ザ・リズム・セクション、リーダーを変えるとあの57年の名盤で、往年のファンなら思わず笑ってしまうタイトルだが、これも企画物ならではのアイデアであろう。リクエストされたなかにベサメ・ムーチョがあり、ついぞ本家と比べたくなるが、このアルバムに限ってはそんな比較は無駄といえる。録音時、シャンクは70歳で後世に残る名盤を作ろうとか、斬新な切り口でスタンダードを料理しよう、といった意気込みはないからだ。それが良いのである。

 アルバムのトップはクルト・ワイルの名作セプテンバー・ソングだ。ミュージカルに書かれた曲で俳優のウォルター・ヒューストンの声域に合わせて作られたという。歌手ではないのでその声域は広くない。これが誰にでも口ずさめ、人気曲の所以なのだが、アドリブとなると音域の幅がないことから逆に難しくなる。通常バラードで演奏されるが、シャンクはテンポを速めにとりメロディラインに減り張りを付け一気に起伏のあるアドリブに持っていく。派手さもなければ飾りもないが、実に味がある。人は肩の力を抜いたときに自然体の本領が発揮できるもので、そこにあるのは経験に裏付けされた人生観と音楽観の反映なのかもしれない。

 セプテンバー・ソングは人の一生を一年の12箇月に喩えた歌で、9月という月の持つ季節の移ろいを残りの人生に重ねる意味合いもある。当時はリクエスト・アルバムの企画に否定的だった小生も、あれから15年も経つと人生の季節は秋を過ぎたであろう。リストアップされた曲はエンジェル・アイズ、アイ・リメンバー・ユー、テンダリー等、哀愁を帯びたメロディが並ぶ。さて、人生の秋に何をリクエストしようか。
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マーガレット・ホワイティングの作詞作曲家交遊録

2011-09-18 07:57:14 | Weblog
 ジョージ・ガーシュインをはじめ、コール・ポーター、ジェローム・カーン、ハリー・ウォーレン、ジョニー・マーサーという大物の作詞作曲家が毎日のようにやって来る。音楽出版社ならよくある光景だが、そこは「ミス・ブラウン・トゥ・ユー」や「シーズ・ファニー・ザット・ウェイ」の作者として知られるリチャード・ホワイティング邸だった。その大物たちが出来上がったばかりの曲をピアノで弾きながら試しに歌ってみてよ、と娘のマーガレットに声をかける。

 よほどの音痴でない限り、幼いころから一流の音楽環境で過ごすとシンガーの道を選ぶのだろう。14歳のときに父を亡くしたマーガレット・ホワイティングがプロ・デビューしたのは16歳で、以来多くのヒット曲に恵まれポピュラーシンガーとしての地位を確立した。ジャズファンには馴染みが薄いが、50年に「マイ・フーリッシュ・ハート」の6ヴァージョンがヒットチャートを賑わしたなかでもベストに入る歌唱がマーガレットで、この曲が話題になると必ず出てくる名前だ。親の七光りという言葉があるが、才能がなければ光は一瞬にして消える。それだけ親の名前以上に並々ならぬ実力もあったのだろう。

 キャピトルに残した「For the Starry Eyed」は、マーガレットが45年に大ヒットさせ、彼女の自伝のタイトルにもなっている「It Might as Well Be Spring」の歌詞の一節「I am starry eyed and vaguely discontented」から取ったもので、タイトル通り夢見る少女の想いを歌った曲を集めている。なかでもハロルド・アーレンの名作「レッツ・フォール・イン・ラヴ」が素晴らしい。ヴァースからの歌いだしは可憐で、コーラスに入ると恋する気分をうっとりする声で表現している。このアルバムを録音したときマーガレットは32歳だったが、既にベテランといえる貫禄がありながら恋する乙女心を失ってはいない。87歳で亡くなるまで可愛い人だったという。

 曲の意図するところや表現方法を一番知っているのは作者自身であり、その作者から直々にレッスンを受けたマーガレットの歌唱が際立っているのは当然だが、それも作者に愛されないシンガーなら熱心に指導はしない。多くの作者に贔屓されたマーガレットは作者を尊敬し、その作者の仕事も熟知していたのだろう。邸宅を訪れた作詞作曲家のなかにウォルター・グロスとジャック・ローレンスもいたが、この二人は全く面識がなかった。その二人を引き合わせたのはマーガレットで、この邂逅から名曲「テンダリー」が生まれたそうだ。
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タッド・ダメロンの作曲法、そこには大きな五線譜があった

2011-09-11 07:54:21 | Weblog
 寛いだ格好で譜面にペンを走らせるのはタッド・ダメロンだ。作曲をするときはピアノやギターで一音一音探りながら曲を完成させるのが通常のスタイルだが、楽器がなくとも閃いた音符を五線譜にのせるだけで素晴らしい曲ができる。エリントンはツアーに向かう列車の席で多くの楽曲を書いているし、エロール・ガーナーは飛行機の窓から霧を見ながら名曲を生み出しているが、ダメロンはこのスタイルで曲を書いていたそうだ。

 ピアニストとして評価を受けたことはないダメロンだが、Record Review誌や、All Music Guide の編集を務めジャズの楽曲に精通しているスコット・ヤナウ氏が、「バップ時代を明確にした作編曲家」と絶賛したほど作編曲家としての評価は高い。バップナンバーというと喧しく騒がしいのが相場だが、ダメロンの曲の素晴らしさはその喧騒と程遠いものの、それでいてバップの本質を見事に備えている点だろう。挙げるときりがないが代表作でありサラ・ヴォーンの愛奏曲でもある「イフ・ユー・クッド・シー・ミー・ナウ」は、バップ特有の転調を巧みに使ったコード進行でありながら美しいバラードとして完璧な作品といっていい。

 「ザ・マジック・タッチ」はダメロンが、48歳で亡くなる3年前のアルバムで、短いジャズ人生の集大成といえる。クラーク・テリーをはじめチャーリー・シェイヴァース、ジミー・クリーヴランド、ジョニー・グリフィン等々という強力なフロント陣とビル・エヴァンスの参加が注目されるビッグバンド作品だ。全曲ダメロンの曲で、編曲も指揮を手がけており細部に行き渡るアレンジのペンさばきは見事なオーケストレーションを描き出している。アレンジひとつで如何様にも曲は変化するものだが、聴き慣れたバップナンバーとは思えないほどの芸術的な組み立てと、随所に光るソロイストの配置が素晴らしい。まさにマジック・タッチだ。

 さて、ダメロンの作曲時のスタイルだが、これはピアノがない環境でしばしば曲を書いていたからと推測される。この時代のジャズマンが誰でもがそうであったようにダメロンもまた麻薬に染まり長い刑務所暮らしを経験しており、それがピアニストとしての評価につながるのだろう。ピアノは弾けなくても譜面を起こすのは刑務所でもできる。編曲は楽譜を縦に書くと言われるが、この格好で鉄格子を縦や横に見て音を想像していたのかもしれない。
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コルトレーンの別テイクか?と思うほど似ていたファラオ・サンダース

2011-09-04 08:24:41 | Weblog
 この「アイ・ウォント・トゥ・トーク・アバウト・ユー」の出だしを聴くとほとんどの方はコルトレーンと思うだろう。しばらく聴く進むとどこか違うことに気付き、コルトレーン・ファンならまず思い付くのは未発表音源か?という疑問だが、ライブ音源ならまだしもスタジオ録音となると「ソウル・トレーン」しかないはずだ。では、別テイクか?と推理を巡らせてみても合い間に入るピアノはガーランドのそれとは違う。

 よく歌い、運指もスムーズなのでコルトレーン研究家のアンドリュー・ホワイトではない。では誰か?ファラオ・サンダースである。60年代後半から70年代にかけてのインパルスやストラタ・イーストの諸作を聴き慣れた耳にそれは別人にしか聴こえないが、日本の企画とサンダースの年齢、そしてジャズを取り巻く現状況と重ねると、これも宜なるかなと納得してしまう。この曲はビリー・エクスタインが自らのバリトン・ヴォイスを売りにするため書き下ろした傑作だが、コルトレーンが取り上げたことにより一躍有名になったバラードで、度々ライブで演奏したコルトレーンの変遷を知る上で重要視されている。

 サンダースが師であるコルトレーンの重要なレパートリーを取り上げても何ら不思議はないし、その演奏内容が似ていても驚くことではないが、注目すべきはコルトレーンのプレスティッジ時代の演奏手法だろう。アルバムタイトルの「The Creator Has A Master Plan」は、サンダースの傑作と評される「Karma」からの一曲で、こちらは再演とはいえ嘗ての湧き立つリズムとアヴァンギャルドな手法で健在振りをアピールしているので、当然この曲にしてもその展開が自然なのだが、敢えて初期のスタイルに倣ったのはコルトレーンの原点に回帰しようとする試みだったのかもしれない。

 コルトレーン初期のバラード・プレイはマイルスが絶賛したほど素晴らしいだけに、手本とするプレイヤーは数多く存在するが、その精神性には誰一人として近づけなかった。唯一人、受け継いだのは後期のコルトレーンと行動を共にしたサンダースである。この曲があまりに似ているのは単なる模倣ではなく、師の精神性までをも表現しているからなのだろう。アルバート・アイラーはトレーンが父なら、ファラオが子だと評した。
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