デューク・アドリブ帖

超絶変態ジャズマニア『デューク・M』の独断と偏見と毒舌のアドリブ帖です。縦横無尽、天衣無縫、支離滅裂な展開です。

ジャズ喫茶でルー・ドナルドソンをリクエストしただろうか

2024-11-24 08:31:33 | Weblog
 「ルーさんのプラスさん」という妙に語呂のいい駄洒落に、ジャケットが浮かぶ「ルウドナのロケット」、「イラストのルー」でも分かるのにピー・ウィー・マーケットよろしく「ルーダーナスンQQS」。11月9日に亡くなったルー・ドナルドソンのレコードをジャズ喫茶でリクエストする時の呼び名である。誰が言い出したのか分からぬが、舌をかみそうな名前なので簡略化されたのだろう。

 ブルーノートとアーゴに数多くのリーダー作があるのに日本のジャズファンの間では敬遠されている。先に挙げたブルーノート前期の作品はパーカーまっしぐらでよく歌い人気もあるのだが、63年以降のアーゴとブルーノート後期はそもそもジャズ喫茶に置いていない。コンガでリズムを刻むラテン調やオルガンをフューチャーしたソウル系は苦手な方が多いことによる。そして「Alligator Boogaloo」。大ヒッしたアルバムはコマーシャリズムだと批判されジャズに非ずという風潮があり、ジャズ評論の名著、粟村政昭「ジャズ・レコード・ブック」にルーは名前すら出てこない。

 小生のサラ回しの経験のなかで一番のリクエストはリード・マイルスのジャケット・デザインが印象的な「Lou Donaldson- Quartet/Quintet/Sextet」だった。ブラウニーと肩を並べた「バードランドの夜」とほぼ同時期の3つのセッションをまとめたもので盤としての統一性はないもののパーカーを凌駕するのではないかと思わせる立て板に水の流麗なアドリブが凄い。同世代のスティットやキャノンボール、マクリーンと比べても何ら遜色のないアイデアに富んだフレーズの連続だ。新人を支えるミッチェルにドーハム、シルヴァー、ホープ、ブレイキーの優しい雰囲気も伝わってくる。

 時代の流れに沿ってスタイルを変えたルーはR&Bやファンク系のファンに受け入れられジャズの間口を広げたのは間違いない。ソウル・ジャズから聴きだし「LD+3」や「Lou Takes Off」が愛聴盤の方もおられるだろう。「Light-Foot」に「The Time Is Right」、「Here 'Tis」とジャケットのルーは柔やかだ。笑顔が長寿の秘訣なのかも知れない。享年98歳。合掌。 
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クインシー・ジョーンズと関わったミュージシャンを並べると音楽人名辞典ができる

2024-11-10 08:28:27 | Weblog
 マイルスにエリントン、ベイシー、シナトラ、レイ・チャールズ、ダイナ・ワシントン、レスリー・ゴーア、ドナ・サマー、スティーヴィー・ワンダー、マイケル・ジャクソン・・・11月3日に亡くなったクインシー・ジョーンズと仕事をしたビッグネームだ。1950年以降のミュージシャンのほとんどがクインシーの編成したバンドに参加したり、編曲を依頼したり、プロデュースされている。

 アレンジャーに注目するのは音楽学校で編曲を学んでいる方か、吹奏楽を練習している人で、ほとんどのジャズリスナーはソロイストを目当てにアルバムを選ぶ。そのせいかトランペッターとしての実績がないだけにジャズファンの間で話題になることは少ないが、誰でもが知っている「Helen Merrill with Clifford Brown」の編曲はクインシーなのだ。メリルのため息がより艶っぽくなるスコアだ。特にイントロの数秒でそれとわかる「You’d be so nice to come home to」は素晴らしい。名イントロは数あれどこれほどインパクトが強いものはない。クインシー、何とこの時21歳。

 ジャズよりのレコードでは「This Is How I Feel About Jazz」に「The Birth of a Band!」、アート・ペッパーをフューチャーした「Go West, Man!」という傑作もあるが、生涯の作品で選ぶなら89年の「Back On the Block」だ。メンバーの豪華さに圧倒される。大御所ガレスピーにエラ、サラ。この時絶好調のハンコックにジョージ・ベンソン。ジェームズ・ムーディにボビー・マクファーリンという懐かしい名前もクレジットされている。クインシーの音楽人生の集大成ともいうべきスケールの大きなアルバムで、楽曲は勿論のこと練り上げられたアレンジと熱い演奏に聴き惚れる。

 ジャズからソウル、ヒップホップ、ボサノヴァ、ポップスまで音楽のジャンルを超えて幅広く才能を発揮し、活躍した音楽家はこの先出てこないかも知れない。マイルスの奥方フランシス・テイラーも惚れたというクインシーをマイルスが自伝で評している。「どの家の庭に入っても犬にかまれない新聞配達の少年がいる。クインシーがそれだ」享年91歳。合掌。
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黒岩静枝さんの歌手生活60周年と「DAY BY DAY」40周年を祝う

2024-10-27 09:16:48 | Weblog
 先週24日に黒岩静枝さんの歌手生活60周年とオーナーであるジャズクラブ「DAY BY DAY」のオープン40周年を記念したディナーコンサートが札幌パークホテルで開かれた。全国からお祝いに駆けつけた300人を超えるファンは、歳とともにますます磨きがかかったヴォーカルと、老舗ホテルの料理を堪能した。

 大きなブランクやスランプもなく60年のキャリアを持つシンガーは世界を見ても多くはいない。道内から東京、九州と各地で今も精力的にコンサートを開く。季節や天候、お客様の年齢層、その日の喜怒哀楽までをも考慮して2000曲持つレパートリーから最も相応しいナンバーを選ぶ。楽しい一日だった人は勿論、辛いことや悲しいことがあった方もステージが終わると笑顔に変わっている。歌手として勿論のこと、人として大きいからこそ為せる黒岩マジックに包まれたのだろう。

 そして「DAY BY DAY」。バブル前夜の1983年9月13日に開店した。間を明けて行くとビルのフロアを間違えたかと思うほど店が変わるススキノで40年、それも同じ場所で営業しているのは数店しかない。ハンク・ジョーンズ、アニタ・オデイ、ヘレン・メリル、渡辺貞夫、日野皓正・・・壁には所狭しにサインが並ぶ。また、多くのミュージシャンが黒岩さんに鍛えられて此処からプロとして、指導者として育っていった。この店は札幌のジャズの聖地なのである。

 翌25日に「DAY BY DAY」でオープンマイクが開かれ、パーティに参加した黒岩さんのレッスン生が歌って華を添えた。次の大きなコンサートは3年後の傘寿と決めている。今回の案内状に「老いるヒマなんかない」とあった。黒岩さんも歌を盛り上げるバック・ミュージシャンもファンも若くありたい。
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We Remember Benny Golson

2024-10-13 08:29:26 | Weblog
 トランペッターなら一度は吹く「I Remember Clifford」に、思わず歩速を揃えたくなる「Blues March」、レナード・フェザーが歌詞を付けた「Whisper Not」、カメオ出演したトム・ハンクス主演の映画「ターミナル」で演奏した「Killer Joe」、ジャズ喫茶で一番人気の「Five Spot After Dark」・・・作曲者のベニー・ゴルソンが9月21日に亡くなった。

 作編曲家として評価が高い一方、奏者としてはウネウネ・テナーと酷評され人気がない。コード理論はともかくこの「ウネウネ」こそ「シーツ・オブ・サウンド」の源流だと思う。アイラ・ギトラーが名付けたことからコルトレーンの象徴とされるが、形になるまでには高校の時一緒に練習したゴルソンのアイデアがあったからだ。功績を挙げたら切りがないが、JMは音楽監督のホレス・シルヴァーが56年に抜けたあと音楽的にも営業的にも不振に陥る。その窮地を数々の名奏者を輩出する名門バンドに立て直したのがゴルソンなのだ。

 更にコルトレーンがマイルス・バンドから独立し、コンボを組むときマッコイ・タイナーをメンバーにしたいとゴルソンに申し出る。ようやく育てたピアニストだが、友人の門出に快く送り出す。因みにコルトレーンとマッコイの出会いはジャズテットを編成するとき、ゴルソンが同郷の後輩マッコイを呼び寄せる。途中、車が故障したのでゴルソンの代わりに迎えに行ったのがコルトレーンだ。そしてエルヴィン・ジョーンズを薦めたのもゴルソンだ。ジャズ史に残るカルテットはこの立役者がいて誕生した。

 「Lee Morgan Vol. 3」に、サン・ジェルマンのJM、ウィントン・ケリー「Kelly Blue」、アート・ファーマー「Modern Art」、クインシー・ジョーンズ「 The Birth of a Band」、カーティス・フラー「Blues-ette」、サラ・ヴォーン「Sassy Swings Again」・・・ゴルソンのテナーなくして名盤と呼ばれなかっただろう。We Remember Benny Golson 享年95歳。合掌。  
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クリント・イーストウッドが愛した「Erroll Garner Classic Misty」

2024-09-15 08:36:34 | Weblog
 先週、NHKBSプレミアムシネマで1971年の作品「恐怖のメロディ」が放送された。日本で公開された73年頃に観て以来なので50年ぶりになる。ストーリーは覚えているものの、細かい部分は忘れていたので新作のように引き込まれた。アカデミー監督賞を2度受賞しているクリント・イーストウッドの監督デビュー作品である。

 原題はジャズファンなら「おっ!」と声が出る「Play Misty For Me」だ。タイトルは勿論のことイーストウッドのジャズ愛が全面に出ている。印象的なシーンを忘れないうちに記しておこう。70年のモントレー・ジャズ・フェスの映像がそのまま使われている。キャノンボール・アダレイがソプラノサックスを吹いているではないか。これは珍しい。キーボードはジョー・ザヴィヌルで、ウェザー・リポート結成直前だ。この時38歳。頭髪は・・・おっと失礼、WR時代帽子をかぶっているのでこれまた貴重なワンシーンかも知れない。

 女たらしのDJに扮するイーストウッドの曲紹介にグッとくる。「Erroll Garner Classic Misty」。ガーナーへのリスペクトだ。聞き込みに来た刑事が、「番組でマントヴァーニをかけてくれ」と言う。リスナーの多くはジャズよりもゴージャスなアレンジのポピュラーを聴くということだろうか。昭和時代の純喫茶でよくかかっていた楽団だ。劇中「Concert By The Sea」のジャケットに写っているような大きな岩がある海岸が出てくる。この風景も監督ならではの演出だろう。

 まだ公表されていないので詳しく書けないが、先日馴染みのジャズクラブで映画のエキストラとして呼ばれた。カチンコを入れる助監督にカメラマン、音声、照明、女優さんのメイク等々、クルーは20名を超える。監督は40代前半の人でスタッフの位置や出演者の台詞を指示しながら納得いくまでテイクを重ねる。俳優が一度はメガホンをとりたいというのがよくわかる。
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ジョージ・ウォーリントン・クインテット、凱旋門で記念撮影

2024-08-18 08:23:29 | Weblog
 札幌円山のジャズ喫茶「GROOVY」で月替わりに飾られる3枚のジャケット。今月はパリ・オリンピックに因んでジョン・ルイスの「Afternoon In Paris」。色合いのバランスからAtlantic 盤ではなくVersailles盤。ミシェル・ルグランの「Bonjour Paris」は窓越しにエッフェル塔が見えるコロムビア盤。そしてクレオパトラの針が印象的なMJQの「Concorde」。ナイス・チョイスだ。

 「凱旋門がなくてね」とマスターが言うので、すかさず「ジョージ・ウォーリントン」と答えた。マスターは怪訝そうに「カフェ・ボヘミアってニューヨークですよね」と。「当時人気のバンドだったのでサンジェルマンに呼ばれた時に記念撮影したのでしょう。プログレッシヴはマイナーレーベルなので専属のカバー・デザイナーもカメラマンもいなかったので、間に合わせにその時の写真を使ったのかもしれません」とアドリブでストーリーまで作る。もしかしてと思い調べるとワシントン広場の凱旋門だった!赤っ恥だ。知ったか振りでジャズを語っている身から出た錆である。

 広場と同じグリニッジ・ヴィレッジ地区にあるジャズクラブ「Café Bohemia」で録音した1955年当時、ボス30歳、メッセンジャーズに呼ばれる直前のドナルド・バード23歳、マイルスと共演したことで大きく成長したジャッキー・マクリーン24歳、コンボ加入初のポール・チェンバース何と20歳、既にベテランの域に達するアート・テイラー29歳。俺たちは今最先端のハードバップを演奏しているという熱気に満ちあふれている。AB面通して聴きたいレコードは数少ないが、間違いなく一気に両面聴きたくなるライブだ。1970年に再発されるまで幻の名盤の本命と呼ばれたのがよくわかる。

 日本選手団の本隊が13日に帰国した。海外開催では最多となる金メダル20個という。選手たちのはじける笑顔、成田空港で出迎えるファン、関係者の拍手、いつ見てもいい景色である。惜しくもメダルに届かなかった出場たちにも大きな声援を送りたい。4年後、ロサンゼルスの帰りにメダルを下げて凱旋門で記念撮影しよう。
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ユニクロのTシャツ「Somethin' Else」がかぶる確率

2024-08-04 08:29:09 | Weblog


 先週28日に「DAY BY DAY」のジャズ仲間と野球観戦に行ってきた。北広島エスコンフィールド行きのシャトルバスが出る新さっぽろ駅で待ち合わせたものの、先着で来場者プレゼントがあるらしく早い時間から長蛇の列だ。いつもは球場に着いてから青空の下で宴会をするのだが、ラインは更に伸び、雨も降っていたので、コンコースのベンチに陣取り早速缶ビールで乾杯だ。

 1時間ほど経って波が途切れたのでバスに乗り込む。満席になろうかという時、小生と同じTシャツを着た人が乗ってきた。3年前の夏にユニクロから発売されたブルーノート・シリーズで一番売れた「Somethin' Else」だ。「新宿ピット・イン」のTシャツが似合うベーシスト鈴木由一さんが、「ここでかぶる確率は一万分の一、もっとでしょうか?」と。ジャズ・フェスに向かう電車ならたまにあるケースだが、野球場に行く定員50人のバスとなれば一生に一度あるかないかの出会いだ。小生は応援グッズで膨らんだリュックを前に抱えていたのでその方は気付いていない。

 今更説明の要らない大名盤である。何百回聴いただろう。「枯葉」は千回を超えている。56年前に初めて聴いたときの感動と興奮は今も変わらない。これから何が始まるのかとドキドキする荘厳なイントロからマイルスのミュートが出てくる瞬間の美しいこと。聞き覚えのあるメロディを「♪C’est une chanson qui nous ressemble.」に沿って丁寧に紡いでいく。最近若手のミュージシャンがテーマを大きく崩したり、いきなりアドリブに入るのを聴いたが、面白くも楽しくもない。美しい曲はより美しくである。この「枯葉」がジャズ演奏の標準であり名演と呼ばれるのはそこにあるのだ。

 バスを降りその人を待つ。同じTシャツに驚いたようだが、ご家族の方共々笑顔で快く写真撮影に応じてくれた。小生と同じ世代なので、ジャズ喫茶の大音量でマイルスの洗礼を受けたに違いない。同じ服だと普通気まずいものだが、ジャズという連帯感が居心地を良くするのだろう。試合は9対0で贔屓のチームが勝った。「Somethin' Else」はスラングで、「今回は最高」である。
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白石かずこ「聖なる淫者の季節」を聴きながら・・・

2024-06-30 08:35:13 | Weblog
 詩を味わう文学的センスは持ち合わせていないが、アル中の被害妄想や強迫観念からくる乱暴な言葉が並ぶアルチュール・ランボーの「酔いどれ船」は、理解しているかは別としてジャズ喫茶でパーカーを聴きながら読んだ。紫煙漂う薄暗い空間と妙に同調する。茨木のり子の「自分の感受性くらい」は、ビル・エヴァンスのタッチに似ていて開いたページに思わず顔を埋めた。

 なかでも6月14日に亡くなった白石かずこの「聖なる淫者の季節」は強烈だ。アルバート・アイラーの不気味さとセシル・テーラーの不可解さで迫ってくる。この前衛的な詩人を知ったのは、1969年にジャズ・ピープル社から創刊された「jazz」だった。SJ誌がメインストリームをいくなか、フリージャズに目を向け杉田誠一が立ち上げたジャズ誌はアヴァンギャルド志向のリスナーが待ちわびたものである。同誌に掲載された白石のエッセイはその詩同様、口にするのを憚る性語が並ぶ。その単語から妄想が無限に広がり刺激で股間が爆発しそうだ。。

 1977年に録音された「ジョン・コルトレーンに捧ぐ」は、詩の朗読とその声の響きに呼応するサム・リヴァースとのセッションである。70年代に沖至や翠川敬基のフリージャズ・ミュージシャンと組んでポエトリー・リーディングの面白さを伝えてきた白石の集大成と言えよう。この時リヴァースはジャズクラブやコンサートホールに依存しないロフト・ジャズの中心的な存在だった。マイルスと来日したときの頼りない音や、ブルーノート時代の新主流の波に乗れないもどかしいフレーズは消え、迷いのないジャズ観に包まれ強く逞しい。異色ながら時代を知るうえで貴重な記録である。

 白石のライブを聴く機会はなかったが、どの会も大盛況だったという。現代詩を魅力ある文学に押し上げたこの催しから詩歌の世界に触れ、またジャズの魅力に取り憑かれた人もいるだろう。今でこそ詩と音楽のコラボレーションは珍しくないが、当時としては画期的だった。「日本のアレン・ギンズバーグ」と呼ばれた現代詩人白石かずこ。享年93歳。合掌。
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デヴィッド・サンボーンとマイルスが映画に出ていた

2024-06-02 08:33:35 | Weblog
 5月12日にデヴィッド・サンボーンが亡くなった。モダンジャズ中心のブログなのでフュージョンやスムーズジャズは聴かないのでは?と突っ込まれそうだが、その分野で三本の指に入るサンボーンだけに、「Straight to the Heart」や「Double Vision」、「Inside」のグラミー賞作品は持っている。あまりかけないがワイングラスを傾けたときは妙に心地いい。

 サンボーンが映画に出ていたのをご存じだろうか。テレビの洋画専門チャンネルで偶然観た。僅か1分ほどのシーンなのだが、共演者は何とマイルスとラリー・カールトンで、ストリート・ミュージシャンとして登場する。これには驚いた。1988年のビル・マーレイ主演「3人のゴースト」で、チャールズ・ディケンズの小説「クリスマス・キャロル」を現代風にアレンジした内容だ。86年のモントルー・ジャズ・フェスで共演した音源は聴いていたが、この映画は知らなかった。どのような経緯でオファーが来たのか謎だが、マイルスが亡くなる3年前の映像は貴重だ。

 マイルスは1980年に活動を再開した後、ジャンルを超えたミュージシャンとセッションしているが、サンボーンの共演者も多彩だ。アルバート・キングをはじめポール・サイモン、ローリング・ストーンズ、ジェームス・ブラウン、チャカ・カーン、エルトン・ジョン、カーリー・サイモン、ビリー・ジョエル、B.B.キング、ジェイムス・テイラー、イーグルス・・・おっとジャズ畑を忘れていた。ブレッカー・ブラザーズにスティーヴ・ガッド、メイナード・ファーガソン、ボビー・ハッチャーソン、そしてジャズマンなら一度は組みたいギル・エヴァンス。

 1970年代に台風のように押し寄せてきたクロスオーバーは80年代に一気に引く。多くのバンドは解散し、ブームに乗っかったジャズプレイヤーはスタンダードに戻り、実力のあるミュージシャンはスタジオに入った。そんな中、サンボーンは路線を外れることなく独自の音楽を創りあげた。享年78歳。合掌。
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猫変、いや豹変するキャット・アンダーソンの秘密

2024-05-19 08:22:43 | Weblog
 ジャズ誌「Jaz.in」に大久保管楽器店・店長水本真聡さんが、「愛器からみる管豪たちのジャズ外伝」を連載している。ホーンのスペシャリストの分析は興味深い。演奏する人はメーカーやモデルが気になるだろうし、手にしないジャズファンは繰り返しかけたレコードの聴き方が変わるかもしれない。視点を変えると今まで気づかなかった一音にハッとする。

 Vol.006号でキャット・アンダーソンが登場した。あのハイノートを分析しようというわけだ。ハイノート・ヒッターというとJATPで「鉄の肺を持つ男」と呼ばれたアル・キリアンや、スタン・ケントン楽団で活躍したバド・ブリスボイス、目立ちたい一心でそれだけが売り物のビッグバンドを結成したメイナード・ファーガソンの名手がいるが、なかでもキャットはずば抜けている。エリントン楽団でクラーク・テリーやレイ・ナンスと並んでアンサンブルの時は目立たないが、ひとたびステージの中央でソロを取ると天に抜ける高い音で聴衆を沸かす。猫をかぶっていたのだろうか。

 「Ellingtonia」はタイトル通り楽団メンバーとのセッションだ。録音した59年当時の仲間と、かつてツアーを共にした旧友たちとの再会である。何度か抜けたことはあるものの、そのトランペッター人生のほとんどをエリントン楽団で過ごしただけあり交友は広い。リーダー作となればエリントンがその自伝で「アクロバットのスーパー名人」と評したトリプル・ハイCで大暴れしているかと思いきや、中低音域でバラード中心だ。絶妙のソロ回しと歌心あふれるフレーズにうっとりする。じっくり俺のプレイを聴いてくれと言わんばかりだ。このアルバムでは借りてきた猫のようにおとなしい。

 キャットの愛器はC.G.Conn社製の「38B Connstellation」だという。これを持てばハイノートが吹けるものと多くを勘違いさせたそうだ。やはりあの高音で変幻自在のアドリブができるのはマウスピースにあった。自身の体型や唇の厚さ、肺活量から何度も試行錯誤のすえ完成させた特注である。楽器を使わないときは秘密を守るためマウスピースにハンカチがかけてあったという。
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