デューク・アドリブ帖

超絶変態ジャズマニア『デューク・M』の独断と偏見と毒舌のアドリブ帖です。縦横無尽、天衣無縫、支離滅裂な展開です。

弘田三枝子が大絶賛されたニューポート・ジャズ祭1965

2020-08-02 08:53:59 | Weblog
 前稿でレナウンのCMソング「ワンサカ娘」を話題にした。映像と相俟って1965年のシルヴィ・ヴァルタンがイメージ強いが、61年のかまやつひろし、次いでデューク・エイセス、ヒデとロザンナ、アン・ルイスと、多くのシンガーが艶やかなドレスのバックで歌っている。その中に7月21日に亡くなられた弘田三枝子さんがカバーしたものがある。はち切れんばかりの若さとパンチのある歌唱に驚く。

 69年に日本レコード大賞の歌唱賞を受賞した「人形の家」を口ずさむ方が多いが、団塊とその前後の世代は洋楽のカバー曲を歌うかもしれない。ヘレン・シャピロの「子供ぢゃないの」をはじめ、コニー・フランシスの「ヴァケーション」に「渚のデイト」、ミーナの「砂に消えた涙」、ジリオラ・チンクェッティの「ナポリは恋人」、フランス・ギャルの「夢みるシャンソン人形」…アメリカのポピュラーソングからカンツォーネ、シャンソンと幅広い。当時はそれだけ日本語の歌詞を付けてまでカバーに値する楽曲が世界中にあったということだろう。どの曲もオリジナルに負けない圧巻の歌いっぷりだ。

 そしてジャズファンが真っ先に思い出すのは、65年のニューポート・ジャズフェスの出演である。日本人では57年に秋吉敏子が出演しているが、シンガーとして招待されたのはミコが初めてだ。大絶賛である。拍手が鳴りやまない。誇らしい。数あるアルバムから「Miko In New York」を選んだ。フェスで共演したビリー・テイラー・トリオがバックで、ジャズ唱法を指導したのはベースのベン・タッカーだ。さぞ教え甲斐があったことだろう。歌唱は勿論のこと、スウィング感、タイミング、リズム感、どれをとっても18歳のシンガーとは思えない。Jポップだかのぽっと出の連中は足もとにも及ばない。

 カバー曲としては異例の20万枚売れた「ヴァケーション」を聴いたのは小学校低学年のころだ。「日本のポピュラー史を語る 時代を映した51人の証言」(シンコーミュージック刊)を編纂した村田久夫氏によると日本人が馴染みやすい英語っぽい日本語を考え出したのは弘田三枝子だと言う。当時、「V・A・C・A・T・I・O・N」とスペルまで覚えた子どもは多いはずだ。享年73歳・・・合掌。
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ステイホームでシルヴィ・ヴァルタンの「Comin' Home Baby」を聴く

2020-05-24 08:11:22 | Weblog
 ステイホームに従い自宅で過ごしている。本を読みジャズを聴く毎日だが、いつになくテレビを観るようになった。ロケもスタジオ収録もできないことから再放送や編集番組が多い。これはこれで普段テレビを観ないので逆に新鮮なのだが、繰り返し入るCMに閉口する。しゃべる犬に、眼鏡を置いたソファーに座るホステスに、気持ち悪いダンスを踊る少年に、ぐるぐる回転する画面に、上から目線の自動車保険・・・

 テレビを消したくなるが、昭和の時代は番組よりもCMが待ち遠しいものがあった。先日破綻したアパレル大手レナウンが、シルヴィ・ヴァルタンを起用したワンサカ娘は今でも脳裏に焼き付いている。シンプルな背景で歌って踊るだけなのだが、これが魅力的だ。流れたのは1965年で、前年発売された「アイドルを探せ」が大ヒットしていた頃だった。思春期ということもあり色っぽい流し目に、欧米では歯の隙間から福が舞い込んでくると言われているキュートなすきっ歯、そして何より艶っぽいブロンドのボブ・カットに強く惹かれた。大人になったらこんな素敵な女性と付き合いたいと思ったものだ。

 今でも現役のヴァルタンは多くのアルバムをリリースしているが、ジャズファンにお薦めの1枚といえば「Twiste Et Chante」だろうか。タイトルのビートルズ・ナンバー「Twist And Shout」をはじめ、カスケーズの大ヒット曲「悲しき雨音」やポール・アンカがヴァルタンのために作った「I'm Watching」等、お馴染みのナンバーばかりだ。バックは兄のエディ・ヴァルタン率いるオーケストラで、イエイエの女王の魅力を余すところなく引き出している。なかでも「Comin' Home Baby」が素晴らしい。メル・トーメの歌唱スタイルがスタンダードになっているが、エディの粋なアレンジで作者のベン・タッカーも驚くだろう。

 レナウンのCMといえば70年代にアラン・ドロンを起用している。最近のCMではトミー・リー・ジョーンズやオーランド・ブルーム、ロバート・デ・ニーロ、ブルース・ウィリスと外国の俳優が登場するのは珍しくないが、当時は驚きだった。大人になってダーバンのスーツを着て、「D’urban, c’est l’élégance de l’homme moderne」と気取ってみても終ぞシルヴィ・ヴァルタンのようなブロンドのいい女と付き合ったことがない。
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トニー・ウィリアムスの緊急事態宣言はいつ解除されるのか

2020-04-26 08:44:17 | Weblog
 北海道も桜が咲きはじめ、ここ札幌の満開日は5月1日だという。春の風は柔らかいものだが、今年はコロナ禍で景色が暗いせいか風さえも刺すように痛い。いつもの年ならこの時期は札幌ドームで贔屓のチームを応援した後、仲間とススキノに繰り出して宴会をするのだが、緊急事態宣言で一変した。営業自粛要請もあり馴染みのジャズバーや、根城にしている「DAY BY DAY」も臨時休業となれば外出を控えるしかない。

 こんな時は派手なジャズに限る。迫力のあるアンサンブルに度肝を抜かれるビッグバンドや、めくるめくソロに七転八倒するハードバップもいいが、うってつけの1枚があった。「Emergency!」だ。トニー・ウィリアムスがマイルス・バンドを脱退後、結成した「Lifetime」のファーストアルバムである。ドラム、ギター、オルガンのトリオ編成とは思えない重厚感のある音にまずやられる。そして、トニーのシンバルレガートのスピードに負けないジョン・マクラフリンの高速フレーズと、「オルガンのコルトレーン」と呼ばれたラリー・ヤングのモーダルな旋律を彩るまさに緊急事態を思わせる不気味な音色が強烈だ。密度の濃い3人、いわゆる「3密」である。

 発売された当時、ロックだのマイルスの呪縛から脱却できないだのという批判もあったが、ジャズシーンが混沌としていた時代に一つの方向を示唆した作品だ。このバンドに例えばロッド・スチュワートやロバート・プラント、イアン・ギランというヴォーカルが加わればハードロックの名盤になっていたかもしれない。録音は「Bitches Brew」と同じ1969年だが、マイルスは8月で、こちらは5月だ。トニー加入後のマイルスが、トニーのスピードに対抗する形で同じ曲でも年を追うごとにテンポが速くなったように、常に新しいスタイルを模索していたマイルスが、この作品から影響を受けた可能性もあるだろう。

 スポーツ、コンサート等のイベントは中止になり、居酒屋やバーも閉まっている。5月6日までの緊急事態宣言と営業自粛要請ではあるが、延長すべきとの声も上がっている。いつまで続くのか先が見えない不安と、行動を制限された日常でストレスはたまる一方だが、いつかはコロナが消え、気持ちのいい春風を感じる時がくるだろう。それまでの辛抱だ。トニーのブルーノート・リーダー作に「Spring」がある。
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フォードの誇り、フェラーリの矜持、チャーリー・ヘイデンの信念

2020-02-02 09:19:54 | Weblog
 「フォードvsフェラーリ」・・・カーマニア、それもレースファンならタイトルだけでワクワクする映画だ。1966年のル・マン24時間レースの実話を元にしたストーリーで、 マット・デイモン扮するレーシングカー・デザイナーのキャロル・シェルビーも、クリスチャン・ベールが演じるレーサーのケン・マイルズも実在の人物である。手に汗握るレースシーンは勿論のこと、人間ドラマとしても丁寧に描かれており車に興味がない方でも楽しめるだろう。 

 序盤、当時、フォード社のマーケティング責任者だったリー・アイアコッカが重役陣を相手に、若い世代に車を売るためには何が必要なのかを説くシーンがある。ここで資料として出したのは「勝利のキス」という写真だ。タイムズスクエアで第二次世界大戦終結を喜び合っているなか、看護婦と水兵がキスをしている瞬間をとらえたものだ。撮影したのは報道写真家の草分け的存在として知られる写真家のアルフレッド・アイゼンスタットである。当時、ライフ誌の表紙を飾ったもので、終戦を象徴する写真といえばこれを思い出す。後にクライスラー社の会長に就任する切れ者が、ユーモアを交えながら展開するプレゼンはなかなかに面白い。

 チャーリー・ヘイデンがジャケットにこの写真を使った作品を出している。1995年の録音で、アーニー・ワッツにアラン・ブロードベント、そして何とローレンス・マラブルが参加している。この時66歳。ウエスト・コーストを代表するドラマーではあるが、唯一のリーダー作「Tenorman」は、タイトルばかりかジャケットもジェームス・クレイのリーダー作と間違えるような作りだ。実力がありながら不遇なドラマーを起用したヘイデンに拍手を送りたい。「Now Is The Hour」のタイトル通り、今こそ好機とばかりに遺憾なくいぶし銀のテクニックを披露しているし、サポートするヘイデンもお見事。リーダー作だからといってベースを前面に出す必要がないことをよく知っているベーシストである。

 シェルビーとマイルズは勿論のことヘンリー・フォード2世、エンツォ・フェラーリ、映画では憎まれ役のフォード社副社長レオ・ビーブにしても車への情熱は計り知れないし、何より自社の車と仕事に大きな誇りを持っている。そういえばプライドの欠片もない金の亡者が日本の車メーカーにいた。会社を財布にした挙句、海外逃亡とは呆れる。「Ghosn has gone」では日本の司法が世界に嗤われる。
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DAY BY DAY Jazz Quartet 2020

2020-01-05 08:48:09 | Weblog
 明けましておめでとうございます。気になるレコードがまだまだありますので、今週は書こう、来週こそ更新しようと思いながらもサボり癖が付いてしまい、昨年は僅か3本しかアップできませんでした。そんな目新しいものがないなか毎日多くのアクセスをいただきました。古くからの読者の皆さんは勿論のこと、検索エンジンでヒットしたのをきっかけにご覧いただいた多くの方々に感謝申し上げます。

 不定期更新ですが、外せないのが正月恒例の福笑いです。私の隣は毎年ユニークなジャケットを考え出すベーシストの鈴木由一さんです。繊細且つ大胆な低音の響きは脳天を直撃するでしょう。そして札幌で一番頼りになるドラマー、佐々木慶一さんです。昨年は黒岩静枝さんのサポートは勿論のこと、山岡未樹さんの道内ツアーや自己のユニット「4S」を率いて多くのライブを開催しました。隣はギタリストの志藤奨さんで、私がリクエストする難曲に果敢に挑戦してくれます。練習量がステージにそのまま反映されますので聴くたびに魅了されるでしょう。私が根城にしているジャズスポット「DAY BY DAY」の素敵なメンバーです。

 拝借したジャケットはSAVOYの「Modern Jazz Quartet」です。ミルト・ジャクソンのリーダー・セッションとして、1951年にディジー・ガレスピーのレーベル「Dee Gee」に吹き込まれたものと、52年にマイナーレーベルの「Hi-Lo」に録音したものを集めたオムニバス盤ですが、52年に結成してから20年以上も継続する名門コンボMJQの土台になった作品といえるでしょう。MJQとして形作られた美は完成されておりませんが、ともにガレスピー楽団で切磋琢磨したジャクソンのブルージーなヴァイブと、ジョン・ルイスの折り目正しいピアノの絡みは、ビバップから一歩抜け出した新鮮な空気を感じ取れます。

 今年はチャーリー・パーカー生誕100周年にあたります。ジョン・ルイスにデイヴ・ブルーベック、シェリー・マン、ペギー・リーもともに1920年生まれです。ジャズ史を彩ったビッグ・アーティストを不定期ですが話題にしようと思っておりますので、時折ご覧いただければ幸いです。また、過去の記事で気になるものがございましたら何なりとご意見、ご感想をお寄せください。今年もよろしくお願いいたします。
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ジョン・コーツJr.はペンシルベニア州の片田舎にいた

2019-11-24 09:26:36 | Weblog
 おそらく札幌市民の誰一人として2020年東京五輪のマラソンと競歩が札幌移転になるとは思っていなかったろう。9月末にドーハで開催された陸上世界選手権の女子マラソンで、高温多湿の影響により4割のランナーが途中棄権した事態を考慮してのことらしい。準備してき小池都知事や都民の怒りはわかるが、「ドーハの悲劇」(どこかで聴いたなぁ)を招くと開催地ばかりかIOCの責任問題にも発展するのでベストではないがベターな判断と思う。

 一連の報道で度々耳にしたお名前が、IOC副会長のジョン・コーツ氏だ。ここから久しく忘れていたピアニストとレコードを思い出した。The Jazz Piano of John Coates Jr.・・・嗚呼、とあのキース・ジャレットに似たスタイルを思い出された方もおられるだろう。録音は1974年で、国内盤の発売は遅かったもののリアルタイムで輸入盤が出回り、随分と話題になったものだ。74年というとキースはアメリカでデューイ・レッドマンやチャーリー・ヘイデンと組む一方、ヤン・ガルバレクとヨーロピアン・カルテットを結成した絶頂期なので、早速キースのそっくりさんが現れたのかと思ったが、何と影響を受けたのはキースというから驚きだ。

 ペンシルベニア州の片田舎のジャズ・クラブでハウス・ピアニストとして活動していたコーツをキースが聴いたのは高校生の時だったという。個性的なハーモニーやメロディーライン、動と静が織りなすリズムにキースが憧れたのもうなずける。これだけのピアニストが何故、この場所に甘んじていたのか不思議ではあるが、中央に出たからといって誰でもが録音の機会に恵まれ、名声と人気を得るわけではないし、音楽的な才能を伸ばせるとは限らない。都会の喧騒に邪魔されず、ミュージシャン間の競争に要らぬエネルギーを費やすよりも、空気の馴染んだ生地でひたすら自己の音楽を研鑽するのもジャズ・ピアニストとしての生き方のひとつだ。

 マラソン開催の依頼があったとき、札幌市長は二つ返事で引き受けたという。市民の半数以上が開催に反対している2030年の冬季五輪の誘致につながると思ったのだろうか。警備態勢やボランティアの確保、そして費用負担と課題は山積みだ。更に短い札幌の夏を満喫できる大通公園のビアガーデンも発着点となるため開催が危ぶまれている。言わば市民を締め出す形だ。イベント成功と市民感情への配慮、日本ハムファイターズを札幌ドームから追い出した「実績」のある札幌市の手腕が見ものだ。

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カーネギー・ホール階上の高級アパートに暮らすドン・シャーリーとは何者か?           

2019-03-10 08:51:10 | Weblog
 グリーンブック・・・今年のアカデミー作品賞を受賞した映画のタイトルであり、黒人が利用できるホテルやレストラン、ガソリンスタンド等の施設を記した本のタイトルでもある。この旅行ガイドブックの名前は、「JAZZ」で知られるノーベル文学賞作家のトニ・モリスンや、「Jazz Poet of the Harlem Renaissance」のラングストン・ヒューズ、「黒人はこう考える 人種差別への警告」のジェイムズ・ボールドウィンらの小説に出てくるので黒人文学を愛読されている方はご存知だろう。

 映画の内容は多くのレビューに紹介されているので省くが、ジャズピアニストのドン・シャーリーが主人公だ。カーネギー・ホールの上にある高級アパートに住み、ケネディ大統領に招かれてホワイトハウスで演奏したほどの著名な音楽家だが、ビッグネイムとの共演がないため日本では全く知られていない。ではレコードは?アンディ・ウィリアムスやエヴァリー・ブラザーズのヒット曲を出している Cadence レーベルから多くのアルバムがリリースされているものの、国内盤が出たことは一度もない。偶に輸入盤のバーゲンの箱に紛れ込んいることもあるが、スタンダードが収録されていてもチェロの入った編成のためイージーリスニングと思いスルーする。

 実際シャーリーはどのような演奏をしているのか。映画をご覧になった方はお分かりと思われるが、クラシックとジャズを融合した格調の高いスタイルだ。日本、特にジャズ喫茶世代は敬遠するタイプだが、「モーニン・ウイズ・ヘイゼル」で知られるヘイゼル・スコットもこの形で何枚ものレコードを残しているので、本国では好まれるのだろう。映画の影響でCD店には多くのタイトルが並んでいる。このベスト盤はスタンダード中心で馴染みやすい。ストラヴィンスキーが「彼の技巧は神の領域だ」と言わしめたほどのテクニックを聴けるが、何よりもスウィングしているし、シャーリーの人間性や人生観、音楽観、また敢えて差別がきつい南部にツアーに出た理由を知って聴くと味わい深い。

 どのアカデミー作品も批判されるのが常だが、この映画では舞台の1962年当時のアメリカ南部の差別の実態を考えると甘すぎるという意見があるそうだ。確かにその通りかも知れないが、劇中紹介されるナット・キング・コールが襲われた話だけでも差別の凄まじさが見えてくる。全部見せるのが映画ではない。1935年にテディ・ウィルソンを雇ったベニー・グッドマン、1958年にビル・エヴァンスを誘ったマイルス、この白人と黒人のロードムービーからグッドマンとマイルスの偉大さを再認識した。 
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Presenting DAY BY DAY ALL-STARS

2019-01-06 09:11:48 | Weblog
 明けましておめでとうございます。一人でも多くの方にジャズの魅力を伝えるため始めたブログも早いもので14年目に入ります。昨年の3月までは毎週欠かさず日曜日にアップしてきましたが、諸々の事情により更新も不定期になり、記事数も大幅に減りました。気まぐれなブログにもかかわらず以前と変わらぬアクセスをいただき感謝しております。お寄せいただいたコメントは大きな励みになりました。

 どこかで見たジャケットですが、よく見ると顔が違いますね。体型そのままの私の隣はピアニストの佐藤香織さんです。鍵盤から匂い立つバラードの甘い薫りにうっとりとします。中央はバンドリーダーの佐々木慶一さんです。絶妙なシンバルの一撃とボディブローのように効くバスドラムにノックアウトされるでしょう。ベーシストは毎年この福笑いジャケットを制作している鈴木由一さんです。背骨にズシーンとくる太いビートは堪りません。笑い過ぎて眼鏡がずり落ちているのはギタリストの志藤奨さんです。めくるめくフレーズとメリハリのあるピッキングに時を忘れます。私がこよなく愛するジャズスポット「DAY BY DAY」の素敵な仲間です。

 元のジャケットはジュリアン・キャノンボール・アダレイの初リーダー作「Presenting Cannonball」です。1955年の作品で、チャーリー・パーカーがこの年に亡くなったことから当時は「パーカーの再来」と呼ばれていました。売り出すための宣伝文句ですが、立派にパーカー亡き後のジャズシーンを牽引したのは間違いありません。セッションに参加したのは70年代にキャノンボールとともに流行の波に乗ったナット・アダレイ、生涯スタイルを貫いたハンク・ジョーンズとポール・チェンバース、ヨーロッパに活動の場を移したケニー・クラークです。常に第一線で活躍した錚々たるメンバーです。

 今年も不定期ですが更新する予定です。過去に600本以上アップしていますので、興味がわく内容やご意見があればどの記事からでも構いませんのでコメントをお寄せください。ジャズに関するご質問、ご感想もお待ちしております。タイムリーな話題を織り交ぜながらモダンジャズを中心にディキシー、スウィング、フリージャズ、ヴォーカルまで幅広く話題にしますので、時折ご覧いただければ幸いです。 
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ジェリー・マリガンを尊敬しているとアストル・ピアソラは言った

2018-12-16 09:16:04 | Weblog
 上映中やこれから封切予定の作品にシンガーやミュージシャンのドキュメンタリーと彼らを題材にしたものが並んでいる。狂気の天才と呼ばれたチリー・ゴンザレスの「黙ってピアノを弾いてくれ」、クイーンの「ボヘミアン・ラプソディ」、「エリック・クラプトン 12小節の人生」、レディー・ガガ主演の「アリー スター誕生」、ホイットニー・ヒューストンの素顔に迫る「オールウェイズ・ラヴ・ユー」、スキャンダルとバッシングの「私はマリア・カラス」、チケット完売神話の「バルバラ セーヌの黒いバラ」・・・

 そして、「ピアソラ 永遠のリベルタンゴ」。タンゴ界の革命児アストル・ピアソラの生の声が聞ける。タンゴといえば「ラ・クンパルシータ」、ピアソラというとバンドネオンの知識しかなかったが、ジェリー・マリガンとの共演盤「Summit」でピアソラをじっくりと聴いた。哀愁漂うバンドネオンの音色が渇いたバリトンの低音とほど良くマッチして夜の巷を徘徊するような自由と孤独に浸れる。タンゴの情熱や色気と、ジャズの即興と興奮を期待すると手も足もリズムのバランスを崩してしまうが、それぞれの分野で活躍し、楽器を極めた二人のセッションはジャンルを超えた一つの音楽として立派に成立している。

 劇中二人の演奏シーンもあって興味深い。ここでピアソラは尊敬するマリガンと共演できて嬉しい、そして何よりも自分の曲をマリガンが演奏してくれたことに感謝していると語った。ニューポート・ジャズ・フェスティバルの創設者ジョージ・ウェインに言わせると、マリガンは相当な目立ちたがり屋なので、「Line For Lyons」や「Walkin' Shoes」を持ち込みそうにみえるが、この「Summit」にしてもマリガンのは1曲だけで他のトラックはピアソラの曲で占められている。そういえばモンクとの共演でもモンクの曲が中心だった。マリガンは相手に華を持たせる控え目な男だったのかも知れない。

 踊るタンゴを聴くタンゴに変えたピアソラは保守的なファンからバッシングを浴びる。フロアで踊るスウィングジャズから客席で聴くビバップに変わった時と同じだ。その前衛的なタンゴも即興演奏が主体のビバップもやがて主流になる時代がくる。ピアソラがタンゴ革命の可能性を探り、エレキギターを取り入れた楽団を結成したのは1955年のことだ。奇しくもチャーリー・パーカーが亡くなった年である。
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前田憲男さんがウエスト・ライナーズで活躍したころ

2018-12-02 09:24:47 | Weblog
 先月25日に亡くなられた前田憲男さんがジャズ界で注目されのは、昭和32年に「西条孝之介とウエスト・ライナーズ」に参加してからだ。「日本のジャズ史」(スイングジャーナル社刊)から当時の様子を抜粋してみよう。「メンバーは五十嵐兄弟=武要(ドラムス)、明要(アルト・サックス)、原田忠幸(バリトン・サックス)、前田憲男(ピアノ)、今泉俊明(トランペット)、金井英人(ベース)の七名で・・・」錚々たるメンバーだ。

 そして、「このバンドを支えたのは、スタン・ゲッツ、リー・コニッツら白人サックス奏者を専門に研究していた西条の知的なプレイと、その「お殿様」のような風貌にあらわれた人柄の良さだったが、もうひとつ、前田憲男のペンに負うところが大きかった」と。当時の音源は「20世紀日本ジャズ大系」にまとめられているので聴くことができるが、三管編成を活かした編曲は見事なものだ。とかく日本ジャズの黎明期は云々と批判する輩がいるが、とんでもない。阿吽のアンサンブルといい、斬新なハーモニーといい、各人の溌溂としたソロといい、アメリカのジャズに劣らない高い水準を満たしている。

 ウィンド・ブレイカーズは前田さんが1980年に日本のトッププレーヤーを集めて結成したバンドだ。ウエスト・ライナーズ時代からの旧友西条孝之介と原田忠幸をはじめ、テナーサックスの稲垣次郎、トランペットの数原晋、伏見哲夫、トロンボーンの原田靖、ギターの沢田駿吾にベースの荒川康男、ドラムスは猪俣猛という、言うなれば重鎮オールスターズである。ジャズが普及していない時代にジャズの楽しさと面白さを伝えてきた人たちばかりなので理屈抜きに楽しめる。タイトル曲をはじめ「Bag’s Groove」、「Satin Doll」、「My Funny Valentine」という耳馴染みのメロディーが輝いているのは、いぶし銀の光沢を放っているからだろう。

 前田さんは、「11PM」や「題名のない音楽会」といったテレビ番組に出演したり、「女心のタンゴ」や「冬のリヴィエラ」という歌謡曲のアレンジも手掛けているので、ポップス畑に見えるが、れっきとしたジャズピアニストである。後に渡辺貞夫も加わったウエスト・ライナーズをトップコンボに成長させたセンスのいいピアニストがいなければ今の日本ジャズの発展はなかったかも知れない。享年83歳。合掌。 
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