デューク・アドリブ帖

超絶変態ジャズマニア『デューク・M』の独断と偏見と毒舌のアドリブ帖です。縦横無尽、天衣無縫、支離滅裂な展開です。

GJTを聴きながらコリジョンルールを勉強しよう

2016-03-27 09:02:45 | Weblog
 開幕を迎えたというのに球界が大きく揺れている。巨人に端を発した野球賭博問題だ。他にも試合前の円陣で声出しを担当した選手に祝儀として他の選手が現金を出したり、守備練習でミスをした選手から罰金を集めていたという。これらは野球協約に違反する行為ではないとはいえ、夢や希望を与えるプロ野球選手がすることではない。悪い慣習を捨て、高い倫理観を持たなければファンの信頼を取り戻せないだろう。

  我が贔屓のチームは埃が出なかったので、29日の札幌ドーム開幕に弾みがついた。この時期恒例の野球ジャケットからグレイト・ジャズ・トリオの「At The Village Vanguard Again」を選んだ。1975年結成時のハンク・ジョーンズ、ロン・カーター、トニー・ウィリアムスというまさにグレイトなメンバーで、ピアノトリオに求められる三位一体の安定感はもとよりスピード、スリル、グルーヴ、そのどれもが満点だ。昨今、癒し系の優しいピアノが人気のようだが、強烈にスウィングするトリオは脳を活性化するし、デトックス効果もある。こちらのほうが癒されるのではないか。

 GJTの魅力は誰でもが知っているスタンダード中心という選曲にある。このアルバムのトップに収録されているのは、「ドームの天上にぶつかりそうな高いフライですね」という実況アナウンサーの声が聞えてくる「Hi-Fly」だ。数あるランディ・ウエストンのオリジナルのなかでも特に人気のあるナンバーで、ぎくしゃくしたメロディーが妙に心地良い。ハンクのユーモアのあるソロにアクセントを付けるトニーのハイハットが素晴らしい。クローズとオープンを使い分けたカシャともグシャとも聴こえるシンバル音が絶妙なタイミングで入る。

 一連のGJTのジャケットは野球のワンシーンを使っているが、今年これを選んだのには理由がある。今季から導入されるコリジョンルールだ。本塁でブロックをしているのだが、これが禁止された。これまでも選手生命をも左右する危険なクロスプレーについては度々問題となっていたが、これで走者も捕手も怪我は減るだろう。当然、得点率が高くなるので点差がある9回裏も面白くなる。最高の勝ち方はサヨナラだ。
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映画キャロルで流れた Easy Living

2016-03-20 09:15:59 | Weblog
 まず予告編にやられた。クールビューティーのケイト・ブランシェットとバックに流れるジョー・スタッフォードの「No Other Love」がシンクロされて脳裏に焼き付く。アカデミー賞にノミネートされたトッド・ヘインズ監督の「キャロル」だ。残念ながら賞は逃したものの傑作といっていい。この作品でカンヌ国際映画祭女優賞を受賞したルーニー・マーラがたどたどしいながらも美しいメロディーラインをピアノで弾くシーンがある。

 「Easy Living」だ。そして♪Living for you is easy living It's easy to live when you're in love・・・が流れる。1937年にブロンズウィックに吹き込んだビリー・ホリデイの決定的名唱だ。テディ・ウィルソン楽団がバックで、勿論レスター・ヤングも参加している。しかもLP時代になってコロムビアから発売された10吋盤も出てくる。更に驚いたのはジャケットがピッカピカで、ディスクもノイズがない。時代設定は1950年代前半なので、1949年にリリースされたこのレコードが傷んでいては台無しということか。こんなに状態の良いものを所有しているコレクターに敬服する。

 「気ままな暮らし」というそれこそイージーな邦題が付いているが、歌の内容からいうと歌詞の頭の「あなたのために生きるなら」というタイトルのほうがしっくりくるし、映画の内容もこれに近い。多くの録音からレス・ブラウン楽団の専属シンガーとして売り出したルーシー・アン・ポークを取り出してみた。同楽団の先輩のドリス・デイに似て明るいルーシーだが、レスター派のボブ・ハーダウェイの参加と余分な音を出さないマーティ・ペイチのピアノというバックに引っ張られる形でレイジーに歌っている。ビリーがけだるい感じを出したことからその唱法がお手本になったようだ。

 ケイトに「もう一度かけて」と言われてルーニーが針を下ろすシーンがある。10吋盤にこの曲が収録されているのはB面3曲目で、僅か1ミリの溝に音を跨がず落とすあたりはなかなかのものだ。レコード世代でもけっこう難しいので何度もNGを出したのかもしれない。そしてB面4曲目、つまり最後のトラックに収録されているのは「When You're Smiling」だ。最高のエンディングを暗示している。

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21世紀のテナーコンビ、アレン&ハミルトンを聴いてみよう

2016-03-13 08:57:01 | Weblog
 絶滅危惧種のテナーコンビを2週に亘って話題にしてきたが、どっこい21世紀にも生きていた。ハリー・アレンが尊敬するスコット・ハミルトンに呼びかけて結成したチームだ。2003年に名門ジャズクラブ、ヴィレッジ・ヴァンガードに出演して大成功を収めたのを機に数枚のアルバムを作っている。バトルというより協調性重視のアル&ズートに近い。

 ハミルトンがコールマン・ホーキンスを彷彿させるスタイルでデビューしたのは右も左もフュージョンの1970年代中ごろだ。当時、ハミルトンは20代前半だったこともありそのオールドスタイルに違和感があったが、歳を重ねるにつれ音楽が付いてきた印象がある。一方、アレンが日本に紹介されたのは20世紀も終わりに近い1999年にジョン・ピザレリと組んだ日本タイトル「Dear Old Stockholm」だった。曲名からもスタイルからもスタン・ゲッツ、フレーズによりレスター、時々ズートという感じだ。そんな二人の組み合わせは程よくバランスが取れている。

 タイトルもジャケットもイカしている「Swing Brothers」は、今は廃刊になったスイングジャーナル誌のリーダーズ・リクエストによる作品だ。この類の企画はスタンダード・オン・パレードになりがちだが、ブローテナーの定番「Flying Home」が選ばれているのに感心した。ライオネル・ハンプトン楽団の十八番で、1942年にイリノイ・ジャケーをフューチャーしたバージョンは古典中の古典である。ここではともにペースを守りながらも次第に熱を帯びていく展開が面白い。この曲を吹くとどうしてもジャケーや後任のアーネット・コブを意識するようだ。

 このアルバムには日本盤だけのボーナストラックという形で「見上げてごらん夜の星を」が収められている。坂本九の大ヒット曲だ。さすがに軽くフェイクさせるだけでアドリブの発展はみられないが、いずみたくが作ったメロディーは各段に美しい。今やテナーコンビはかろうじて肉眼で見える6等星ほどに暗いが、ジャズの伝統が消えぬよう願うばかりである。
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This Can't Be Love をテナーバトルで愉しむ 

2016-03-06 08:50:59 | Weblog
 デクスター・ゴードン&ワーデル・グレイ、ジーン・アモンズ&ソニー・スティット、ジョニー・グリフィン&エディ・ロックジョー・デイヴィス、そして先週話題にしたアル&ズートのテナーサックス・チームはスタイルが同じような二人だ。バトルを売りにしているので「&」というより「VS」のほうが形も音も見えてくるかもしれない。同じ流儀の奏者による戦いは所謂「The Chase」の醍醐味を存分に楽しめる。

 一方、タイプが違う組み合わせは音色や音量のコントラストの面白さがある。例えばポール・クイニシェットとチャーリー・ラウズ。まず、クイニシェット。余談だが「Quinichette」の発音しづらさはジャズマン・ナンバーワンだ。因みに次はジョージ・デュヴィヴィエの「Duvivier」、そして「きゃりーぱみゅぱみゅ」となる。さて本題、レスター・ヤングのそっくりさんでバイス・プレスのあだ名もある。勿論、繊細だ。そしてラウズ。モンク商店の番頭さんである。東海林太郎のように直立不動で逞しい音を出す。リーダー作「YEAH!」でみせた泣きのバラードは定評ある。

 1957年録音の「The Chase Is On」というアルバムタイトルからはゴードンVSグレイの血を血で洗う構図が浮かんでくるが、そこは企画物らしく協調性に富んだプレイだ。クイニシェットは数か月前にコルトレーンと録音しているし、ラウズはフレンチ・ホルン奏者のジュリアス・ワトキンスとル・ジャズ・モードを結成していたのでホーン2本のセッションは慣れたものだ。聴きどころはロジャース&ハートの「This Can't Be Love」で、後半、ウィントン・ケリーのご機嫌なソロから入るチェイスはお互い一歩も譲らない。ケリが付かないので、審判のケリーがテーマに誘うスマートさをみせる。

 テナーバトルはベイシー楽団の売り物の一つであり、レスター・ヤングとハーシャル・エバンスのソロの応酬は語り草になっているが、ビッグバンドの衰退とともに同一楽器のチームも減ってきた。前者の韻を踏んだソロリレーはジャズ芸術として大きな意味を持つが、豪快奔放なソロこそ本来ジャズが持っている表現であり魔力ではなかろうか。
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