デューク・アドリブ帖

超絶変態ジャズマニア『デューク・M』の独断と偏見と毒舌のアドリブ帖です。縦横無尽、天衣無縫、支離滅裂な展開です。

マイ・オールド・フレームをキャロル・クレヴェリングで聴いてみよう

2008-01-27 07:58:43 | Weblog
 昨年も多くのアルバムが復刻され、かつてレコードで入手できなかった音源を聴くのは、昔の恋人に会ったような愛おしさを覚える。ほとんどは1,2度聴いたことがあり、ジャケットも薄っすらと覚えているのだが、数十年ぶりに聴くと一段と美しさを増したようで新たな恋心さえ生まれようというものだ。その多くの復刻盤の中に一度も聴いたことがないアルバムがあった。そのレコードの記憶といえば、異常に市場価格の高い希少盤ということぐらいで、雑誌に載っていたジャケット写真さえ思い出せない。

 それはキャロル・クレヴェリングの「ヒア・カムズ」である。この度初めて知ったのだが、プロフィールが不明なことから幻の歌手といわれ、レコードもこの1枚のようだ。実力よりも流行に左右されやすい音楽の世界では、1枚のアルバムで消えていくのは珍しいことではなく、売れなければ次はないという音楽ビジネスには不可欠の選択により、埋もれていった歌手は枚挙に遑がない。当時売れなかったレコードだけに当然プレス枚数も少なく、高値を呼ぶのは当然のことであろう。

 映画「罪じゃないわよ」で、メイ・ウェストがエリントン楽団をバックに歌った「マイ・オールド・フレーム」が最初に収録されている。ピアノのイントロに導かれた歌いだしは実にスムーズで、ややハスキーな声も魅力的だ。この曲の名唱というとビリー・ホリデイで、人生の辛酸を嘗め尽くした女心の表現は見事であった。キャロルは情に絆されることもなくクールな歌いようで、高音の伸びも安定している。海からほんの少しだけ姿を現した人魚のような神秘さを持つ上質なヴォーカルで、マニアが探し求めるのも頷けるアルバムだ。高値の花は罪じゃなく、罪作りである。

 アルバム復刻に尽力されたシナトラ・ソサエティ・オブ・ジャパンの代表、三具保夫さんのブログによると、キャロルは今も南カリフォルニアで元気に暮らしているそうだ。今頃暖かい陽射しを浴びながらオールド・フレーム~昔の恋人と、歌の内容である過ぎ去った恋の思い出を懐かしんでいるのかもしれない。
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ドンエリスノアンゴウヲカイドクセヨ

2008-01-20 07:49:44 | Weblog
 個人情報保護のためパソコン通信ではメッセージを暗号化することは欠かせない。暗号の歴史は古く、シーザーの時代にカエサル暗号が開発されている。国を治め、軍を動かすためには貴重な秘密がライバル国家に漏れる危険性を理解していたのだろう。カエサル暗号は文字をずらす方式だが、文字を数字に置き換える方法をゲマトリアの秘法といい、中世ユダヤ人の間で流行して以来広く使われている。

 そのゲマトリア数秘術のようなタイトルの曲「33 222 1 222」で始まるのは、ドン・エリス・オーケストラのモンタレー・ライブ盤だ。ベースが3人、打楽器奏者が3人という変則編成に加え、変拍子の展開、さらに前衛的なプレイとくる。果たしてこのような実験でスイングするのだろうかと・・・前衛的なビッグバンドは、ヨアヒム・ベーレントがプロデュースしたバーデン・バーデン・フリー・ジャズ・オーケストラの成功例もあるが、ほとんどは統一性を欠くフリーキーな音の集合で失敗に終わるケースが多い。理論が実験によって検証されない例は化学だけではなく、広く芸術にまで及ぶようだ。

 このアルバムには、最初静かだった聴衆も次第に熱を帯び、最後は割れんばかりの拍手と歓声で沸き返る興奮のステージに変っていくようすが記録されている。70年代のスタン・ケントンと評されたエリスのバンドは間違いなくここでスイングしていた。シャープで透明感のあるエリスのトランペットはキャンディド盤「How Time Passes」で聴かれるが、トランペッターよりも前衛でありながらスウィンギーな曲を作る異色のミュージシャンとしての評価が高い。エレクトリック・トランペットをいち早く吹き、ロック・ビートや電子楽器を取り入れたスタイルは、フュージョンの魁であろう。

 変拍子でスイングするという革新的なオーケストラを編成したのは66年のことであった。このライブが収録されて40年以上経ったが、エリスの変拍子ジャズを踏襲し、発展させたプレイヤーはいない。未だエリスの暗号「33 222 1 222」は解読されていないことなる。
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オスカー・ピーターソンの切手

2008-01-13 08:28:52 | Weblog
 切手の図案に人物が選ばれることは多く、日本の近代郵便制度の創設者である前島密は1円切手にその姿を残している。こちらは通常切手だが、記念切手となるとよほどのマニアでない限り集められないほどの種類があるようだ。坂本龍馬、美空ひばり、アメリカではケネディ、マリリン・モンロー等、歴史上に名を残し、さらにその生前の評価も確立された人を選び、死後に発行されるそうだが、稀に存命中に描かれる人もいるという。

 2005年にカナダで発行されたオスカー・ピーターソンの切手は、80歳の誕生日を記念したもので、カナダでは存命中に記念切手が発行された初の民間人になる。母国カナダのみならず世界中に鍵盤の全てを熟知したピアノを愛する人は多い。一方で、スイングしないとか、何を聴いても同じという意見もある。スイングするしないは、嗜好に偏った聴き手の受け取り方の違いで、好きな人にはジェリー・ロール・モートンもセシル・テイラーもスイングしている。「プリーズ・リクエスト」を数曲聴き進むと、好むと好まざるに関わらず自然に足を鳴らし首を振ったことがないだろうか。つまりはピーターソンはスイングしているのだ。

 フランスの俳優でもあり歌手のシャルル・アズナヴールは、1ヶ月通してのコンサートの時に同じタキシードを30着用意するという。同じに見えるが毎日違う衣装を着ていることになる。ピーターソンが毎夜同じステージに立ち、その演奏が同じに聴こえたとしても、それは聴き手が先入観で聴いているからに他ならない。匠の技とは衣装を替えることでモチベーションを高め、毎ステージ違う意匠であることを聴衆に気付かせないことなのだろう。同じでありながら違うからこそ繰り返しリクエストがあるのかもしれない。

 ピーターソンの連続した多くの音は、切手の四方に刻まれた目打のように正確であり、無駄な音は一音もない。その切手に消印が押されたのは昨年12月23日のことであった。切手は未使用のものに価値があるが、消印があったところで何ら遜色のない切手があるとすればそれはピーターソンだろう。
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アル・ヒブラーの日の出

2008-01-06 07:58:08 | Weblog
 皆様、あけましておめでとうございます。昨年は多くの方がご訪問され、またコメントも多数お寄せ頂き感謝申し上げます。3年目の今年も選りすぐりのアルバム、隠れた名演、陽の当たらない珍盤を話題にします。何が出てくるのか分からないジャズ玉手箱のアドリブ帖ですが、今年も毎週日曜日更新を目標にしておりますので引き続きご覧頂ければ幸いです。

 今年も全国各地の初日の出の様子がテレビに映し出される。1年に1度の最初の夜明けはめでたいとされ、初日の出参りを行う人は数多い。昇る朝日に手を合わせ願い事やその年の決意などを祈るようだ。今年こそ来年こそと思いつつ二日酔いで起きられない身にとっては、何とも眩しい日の出なのだが、自然の神秘と地球の大きさを体験できるものだろう。その美しい日の出を歌い上げたのはアル・ヒブラーであった。エリントンの壮大な組曲「Liberian Suite」はヒブラーの「I Like the Sunrise」で始まる。

 ヒブラーはややバリトンがかった太く逞しい美声の持ち主で、情感こもったバラードは一際ドラマチックな展開だ。90年の映画「ゴースト ニューヨークの幻」でライチャス・ブラザースの「アンチェインド・メロディ」が使われ、映画とともに大ヒットした。うっとりとする美しいこのメロディを55年に最初に歌ったのはヒブラーで、劇的ともいえる歌唱はその後のカバーでも手本にされている。「私は日の出が好き」はより起伏に富んだ歌いようで、少しずつ大きく明るくなる日の出の光景を見事に表現しており、エリントン楽団に相応しいスケールだ。

 アメリカで解放された奴隷が作った国、リベリア共和国の国名はラテン語の Liber から来ている。解放された自由を象徴したもので、その国民の心情を音で組み立てのが「リベリアン組曲」だ。リベリア共和国は赤道周辺の大西洋に面しており、エリントンは水平線から昇る日の出の美しさに心奪われたのだろう。この曲には自然と自由であることの美しさが讃えられている。
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